23 / 56
第3章 【すぐに行く】
3-8
しおりを挟む
目の前に見えるのは、真っ暗な海とひっそりと建つ鳥居。そばには神様が祀られているという、古い祠。
普通だったらこんな状況、不気味に決まっている。だけどいまは普通じゃなかった。
叔母さんの家を飛び出してしまったわたしは、もうここしか行く場所がないんだ。
「どうしよう……これから」
ついさっきまで「甘えたくない」と思っていたのに、もうすでに心細くなっている。
頭に浮かぶのは春輝の顔ばかり。
抱えた膝に顔を押しつけ、波の音を聞く。ここで体を寄せ合って「いいね。雨の日も」と言った、春輝の声を思い出す。
「春輝……」
スマホの画面をじっと見下ろす。
春輝はもう家にいるだろう。さっき別れたばかりなのに、連絡なんかしたら迷惑だよね? 春輝のことだから、わたしのことを心配して、すぐに来てくれるかもしれない。
『おれはいつだって奈央の味方だから。なにかあったらすぐに呼んで。どこへでも助けにいくから』
「春輝のこと……頼ってもいいの?」
ぽつりとつぶやいて、メッセージアプリを開いた。画面に指をのせ、それを引っ込め、また指をのせ……何度かそれを繰り返したあと、思い切ってメッセージを入力して送信する。
「……送っちゃった」
すぐにスマホが震え、慌てて画面を見る。春輝からの着信だ。
「も、もしもし……」
『奈央? いまどこにいるんだよ!』
わたしは声を詰まらせる。
『【たすけて】ってなんだよ! 大丈夫なのか?』
「びっくりさせてごめん。大丈夫だよ」
電話の向こうで、春輝がため息をつく。それと一緒に、ガヤガヤと騒がしい音も響いてくる。
家にいると思ったのに……違うんだろうか。
『じゃあなんで【たすけて】なんて……』
そのとき春輝の声に、別の声が重なった。
『春輝ー、なに話してんの?』
女の子の声。
「美鈴?」
そう、美鈴の声だ。
「美鈴といるの?」
『え、ああ、うん』
「なんで?」
胸の奥がざわついて、もやもやしたものがせり上がってきて、体がかあっと熱くなった。
『や、違うんだよ。さっき奈央を送ったあと、すぐに慎吾から電話があってさ』
慎吾くんから?
『放課後、やべーやつらと一緒にいたけど大丈夫だったかって、心配されて。いま駅前にいるから来いよって誘ってくれたんだ。だから来てみたら……なぜか美鈴しかいなくて』
「なぜかってなに? おかしいじゃん。そんなの」
自分の口調がきつくなっていることに気づく。
『そうなんだよ、おれも意味わかんなくて……』
『ねぇ、いつまで話してんのよ、春輝。早く行こうよ』
横から割り込んでくる美鈴の声。すごく腹が立つ。
「もういいよ。変なメッセージ送っちゃってごめん。春輝を試しただけだから」
『は? 試した?』
「そう。試しただけ。ほんとにわたしが呼んだら、来てくれるのかなって思って」
春輝が黙った。
「だからもういい。邪魔しちゃってごめんね」
『ちょっと待って! ほんとにおれ、慎吾たちもいると思って来たんだよ』
「わかってる。騙されたんでしょ? でもせっかくだから遊んであげれば? 美鈴、春輝のこと好きみたいだし」
思ってもいないことが、すらすら口から出てくることに驚く。
本当は、春輝と美鈴がふたりきりでいるなんて、嫌で嫌でたまらないのに。
『奈央』
春輝が名前を呼んだ。いつもより、ずっと低い声で。
『海にいるのか?』
「え……」
『波の音が聞こえる』
わたしはハッと前を向く。荒れた波が、岩を打ちつけている。
『おれ、いまから行くから。だからそこで待ってて』
「春輝……」
『絶対動くなよ。すぐに……』
「もういいって言ってるじゃん! 絶対来ないでよ! バカ!」
ぷつっと電話を切った。すぐに春輝から着信があったけど、無視してバッグに押し込んだ。
バカ。春輝のバカ。
背中を丸め、顔を膝に押しつける。
どうしてそんなに優しくしてくれるの? わたしなんかのどこがいいの?
『まったく可愛げがないんだから』
可愛げがなくて、素直じゃなくて、自分にまったく自信が持てない、こんなわたしのどこがいいの?
「……っく」
泣きたくないのに、涙が出てくる。
『奈央。泣かないで』
春輝の声が、頭の中に聞こえてくる。
わたし、どうしてこんなふうになっちゃったんだろう。
春輝と出会って、自分が自分じゃないみたい。
しばらく声を押し殺して泣いていたわたしは、遠くに聞こえるかすかな救急車の音で顔を上げた。
真っ暗な海も、打ち寄せる波も、少し冷たい風も、さっきからなにも変わっていない。
そして、春輝も来なかった。
わたしはふっと息を吐く。
さすがに春輝も怒ったんだろう。「試してる」とか「バカ!」とか言われた上に、電話を切られて、電話をかけても無視されて。
バッグに手を伸ばし、スマホを取り出す。
不在着信のあとにすぐ、メッセージが一件。春輝からだ。
【すぐに行く】
嘘ばっかり、来てないじゃん。
きっと美鈴に引き止められたんだ。春輝は優しいから断れなかったんだろう。
もう一度膝を抱え、海を見る。
「春輝……」
目を閉じると、春輝の笑顔が浮かんできた。
普通だったらこんな状況、不気味に決まっている。だけどいまは普通じゃなかった。
叔母さんの家を飛び出してしまったわたしは、もうここしか行く場所がないんだ。
「どうしよう……これから」
ついさっきまで「甘えたくない」と思っていたのに、もうすでに心細くなっている。
頭に浮かぶのは春輝の顔ばかり。
抱えた膝に顔を押しつけ、波の音を聞く。ここで体を寄せ合って「いいね。雨の日も」と言った、春輝の声を思い出す。
「春輝……」
スマホの画面をじっと見下ろす。
春輝はもう家にいるだろう。さっき別れたばかりなのに、連絡なんかしたら迷惑だよね? 春輝のことだから、わたしのことを心配して、すぐに来てくれるかもしれない。
『おれはいつだって奈央の味方だから。なにかあったらすぐに呼んで。どこへでも助けにいくから』
「春輝のこと……頼ってもいいの?」
ぽつりとつぶやいて、メッセージアプリを開いた。画面に指をのせ、それを引っ込め、また指をのせ……何度かそれを繰り返したあと、思い切ってメッセージを入力して送信する。
「……送っちゃった」
すぐにスマホが震え、慌てて画面を見る。春輝からの着信だ。
「も、もしもし……」
『奈央? いまどこにいるんだよ!』
わたしは声を詰まらせる。
『【たすけて】ってなんだよ! 大丈夫なのか?』
「びっくりさせてごめん。大丈夫だよ」
電話の向こうで、春輝がため息をつく。それと一緒に、ガヤガヤと騒がしい音も響いてくる。
家にいると思ったのに……違うんだろうか。
『じゃあなんで【たすけて】なんて……』
そのとき春輝の声に、別の声が重なった。
『春輝ー、なに話してんの?』
女の子の声。
「美鈴?」
そう、美鈴の声だ。
「美鈴といるの?」
『え、ああ、うん』
「なんで?」
胸の奥がざわついて、もやもやしたものがせり上がってきて、体がかあっと熱くなった。
『や、違うんだよ。さっき奈央を送ったあと、すぐに慎吾から電話があってさ』
慎吾くんから?
『放課後、やべーやつらと一緒にいたけど大丈夫だったかって、心配されて。いま駅前にいるから来いよって誘ってくれたんだ。だから来てみたら……なぜか美鈴しかいなくて』
「なぜかってなに? おかしいじゃん。そんなの」
自分の口調がきつくなっていることに気づく。
『そうなんだよ、おれも意味わかんなくて……』
『ねぇ、いつまで話してんのよ、春輝。早く行こうよ』
横から割り込んでくる美鈴の声。すごく腹が立つ。
「もういいよ。変なメッセージ送っちゃってごめん。春輝を試しただけだから」
『は? 試した?』
「そう。試しただけ。ほんとにわたしが呼んだら、来てくれるのかなって思って」
春輝が黙った。
「だからもういい。邪魔しちゃってごめんね」
『ちょっと待って! ほんとにおれ、慎吾たちもいると思って来たんだよ』
「わかってる。騙されたんでしょ? でもせっかくだから遊んであげれば? 美鈴、春輝のこと好きみたいだし」
思ってもいないことが、すらすら口から出てくることに驚く。
本当は、春輝と美鈴がふたりきりでいるなんて、嫌で嫌でたまらないのに。
『奈央』
春輝が名前を呼んだ。いつもより、ずっと低い声で。
『海にいるのか?』
「え……」
『波の音が聞こえる』
わたしはハッと前を向く。荒れた波が、岩を打ちつけている。
『おれ、いまから行くから。だからそこで待ってて』
「春輝……」
『絶対動くなよ。すぐに……』
「もういいって言ってるじゃん! 絶対来ないでよ! バカ!」
ぷつっと電話を切った。すぐに春輝から着信があったけど、無視してバッグに押し込んだ。
バカ。春輝のバカ。
背中を丸め、顔を膝に押しつける。
どうしてそんなに優しくしてくれるの? わたしなんかのどこがいいの?
『まったく可愛げがないんだから』
可愛げがなくて、素直じゃなくて、自分にまったく自信が持てない、こんなわたしのどこがいいの?
「……っく」
泣きたくないのに、涙が出てくる。
『奈央。泣かないで』
春輝の声が、頭の中に聞こえてくる。
わたし、どうしてこんなふうになっちゃったんだろう。
春輝と出会って、自分が自分じゃないみたい。
しばらく声を押し殺して泣いていたわたしは、遠くに聞こえるかすかな救急車の音で顔を上げた。
真っ暗な海も、打ち寄せる波も、少し冷たい風も、さっきからなにも変わっていない。
そして、春輝も来なかった。
わたしはふっと息を吐く。
さすがに春輝も怒ったんだろう。「試してる」とか「バカ!」とか言われた上に、電話を切られて、電話をかけても無視されて。
バッグに手を伸ばし、スマホを取り出す。
不在着信のあとにすぐ、メッセージが一件。春輝からだ。
【すぐに行く】
嘘ばっかり、来てないじゃん。
きっと美鈴に引き止められたんだ。春輝は優しいから断れなかったんだろう。
もう一度膝を抱え、海を見る。
「春輝……」
目を閉じると、春輝の笑顔が浮かんできた。
21
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
没落した元名門貴族の令嬢は、馬鹿にしてきた人たちを見返すため王子の騎士を目指します!
日之影ソラ
ファンタジー
かつては騎士の名門と呼ばれたブレイブ公爵家は、代々王族の専属護衛を任されていた。
しかし数世代前から優秀な騎士が生まれず、ついに専属護衛の任を解かれてしまう。それ以降も目立った活躍はなく、貴族としての地位や立場は薄れて行く。
ブレイブ家の長女として生まれたミスティアは、才能がないながらも剣士として研鑽をつみ、騎士となった父の背中を見て育った。彼女は父を尊敬していたが、周囲の目は冷ややかであり、落ちぶれた騎士の一族と馬鹿にされてしまう。
そんなある日、父が戦場で命を落としてしまった。残されたのは母も病に倒れ、ついにはミスティア一人になってしまう。土地、お金、人、多くを失ってしまったミスティアは、亡き両親の想いを受け継ぎ、再びブレイブ家を最高の騎士の名家にするため、第一王子の護衛騎士になることを決意する。
こちらの作品の連載版です。
https://ncode.syosetu.com/n8177jc/
前世の祖母に強い憧れを持ったまま生まれ変わったら、家族と婚約者に嫌われましたが、思いがけない面々から物凄く好かれているようです
珠宮さくら
ファンタジー
前世の祖母にように花に囲まれた生活を送りたかったが、その時は母にお金にもならないことはするなと言われながら成長したことで、母の言う通りにお金になる仕事に就くために大学で勉強していたが、彼女の側には常に花があった。
老後は、祖母のように暮らせたらと思っていたが、そんな日常が一変する。別の世界に子爵家の長女フィオレンティーナ・アルタヴィッラとして生まれ変わっても、前世の祖母のようになりたいという強い憧れがあったせいか、前世のことを忘れることなく転生した。前世をよく覚えている分、新しい人生を悔いなく過ごそうとする思いが、フィオレンティーナには強かった。
そのせいで、貴族らしくないことばかりをして、家族や婚約者に物凄く嫌われてしまうが、思わぬ方面には物凄く好かれていたようだ。
よくある婚約破棄なので
おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。
その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。
言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。
「よくある婚約破棄なので」
・すれ違う二人をめぐる短い話
・前編は各自の証言になります
・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド
・全25話完結
嫌われ者の長男
りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....
完結 お飾り正妃も都合よい側妃もお断りします!
音爽(ネソウ)
恋愛
正妃サハンナと側妃アルメス、互いに支え合い国の為に働く……なんて言うのは幻想だ。
頭の緩い正妃は遊び惚け、側妃にばかりしわ寄せがくる。
都合良く働くだけの側妃は疑問をもちはじめた、だがやがて心労が重なり不慮の事故で儚くなった。
「ああどうして私は幸せになれなかったのだろう」
断末魔に涙した彼女は……
突然現れた自称聖女によって、私の人生が狂わされ、婚約破棄され、追放処分されたと思っていましたが、今世だけではなかったようです
珠宮さくら
恋愛
デュドネという国に生まれたフェリシア・アルマニャックは、公爵家の長女であり、かつて世界を救ったとされる異世界から召喚された聖女の直系の子孫だが、彼女の生まれ育った国では、聖女のことをよく思っていない人たちばかりとなっていて、フェリシア自身も誰にそう教わったわけでもないのに聖女を毛嫌いしていた。
だが、彼女の幼なじみは頑なに聖女を信じていて悪く思うことすら、自分の側にいる時はしないでくれと言う子息で、病弱な彼の側にいる時だけは、その約束をフェリシアは守り続けた。
そんな彼が、隣国に行ってしまうことになり、フェリシアの心の拠り所は、婚約者だけとなったのだが、そこに自称聖女が現れたことでおかしなことになっていくとは思いもしなかった。
嫌われ者の僕
みるきぃ
BL
学園イチの嫌われ者で、イジメにあっている佐藤あおい。気が弱くてネガティブな性格な上、容姿は瓶底眼鏡で地味。しかし本当の素顔は、幼なじみで人気者の新條ゆうが知っていて誰にも見せつけないようにしていた。学園生活で、あおいの健気な優しさに皆、惹かれていき…⁈
学園イチの嫌われ者が総愛される話。
嫌われからの愛されです。ヤンデレ注意。
※他サイトで書いていたものを修正してこちらで書いてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる