上 下
9 / 56
第2章 笑顔にしてみせるから

2-1

しおりを挟む
「叔母さん、行ってきます」

 キッチンに立つ叔母さんの背中に声をかける。反応はない。『わたしのご飯は作らなくていいです』と言ってから、ずっと機嫌が悪いのだ。
 叔父さんは気配を消すように、ダイニングテーブルで食事をしていた。わたしに対しても、叔母さんに対しても、叔父さんは口を出さない。というより、面倒なことに関わりたくないのだろう。
 キッチンから出て、玄関へ向かう。
 きっとあんなこと、言うべきではなかったんだ。叔母さんの作ってくれた料理をありがたく食べて、従妹の恵麻のおしゃべりに微笑んでいればよかったんだ。

「まったく可愛げがないんだから」

 キッチンから漏れた叔母さんの愚痴が、わたしへのものだとわかっている。

「あ、奈央ちゃん、もう行くの?」

 セーラー服を着た恵麻と、玄関の近くでばったり会う。一歳違いの恵麻は、近所の中学校に通っている。

「うん。学校遠いから、もう出ないと」
「大変だねぇ。わたしだったらあんな高校、絶対行かないけどな」

 わたしは恵麻の前で苦笑いをする。
 家から遠くて、交通の便が悪い高校を選んだのはわたしだ。お母さんが亡くなってから転校してきた中学では、まわりと馴染むことができなかったし、その前に通っていた中学でも、いい思い出なんかひとつもない。
 だから高校は、できるだけ知っている人がいないところに行きたかったんだ。
 そんなことを考えていたら、恵麻の手がすっと伸びて、わたしの長い黒髪に触れた。

「いいなぁ、奈央ちゃんの髪、まっすぐで。うらやましい」

 恵麻の髪はくせ毛で、毎朝必死にヘアアイロンで伸ばしている。

「この髪、伯母さんに似たのかな? 奈央ちゃんのお母さんも、すごく綺麗な髪だったもんね」

 わたしはなにも言わず、当たり障りのない笑顔を見せる。

「それに伯母さん、めっちゃ美人だったよね。若いころスカウトされて、映画に出たことあるんでしょ? ママが言ってたよ」

 恵麻はちょっと周りを見まわしてから、わたしの耳元に顔を近づけ、ささやいてくる。

「ママってね、奈央ちゃんのお母さんがうらやましかったみたい。ママも演劇とかやってたけど、プロにはなれなかったから」

 その話は聞いたことがあった。叔母さんは勝手にわたしのお母さんをライバル視していたって。それにお母さんは芸能界に入るため家出同然で実家を出ていったから、亡くなった祖父母やお母さんの弟である叔父さんにもよく思われていないんだ。
 だからわたしなんて引き取りたくなかっただろうけど、姪のわたしを放っておくことはできず、渋々家に置いてくれた。

「恵麻、そんなところでなにやってるの?」

 キッチンから叔母さんが顔を出し、わたしがいることに気づくと表情を曇らせた。

「あんた、まだいたの?」

 わたしは急いで靴を履き、もう一度「行ってきます」と言って外へ出る。
 誰からも「行ってらっしゃい」という言葉は、返ってこないけど。


 自転車をこいで学校に向かう。すると途中の交差点に、自転車に乗っている見覚えのある男子生徒の姿が見えた。

「あ、奈央! おはよー」

 わたしは顔をしかめる。ゆっくりと自転車で近づくと、明るい声で春輝が言った。

「よかった。死んでなくて」
「……なんでここにいるの?」
「迎えにきたんだよ。おれの彼女のこと」
「は? 彼女?」

 わたしは思わず声を上げた。

「わたしあんたとつきあうなんて、一言も言ってないけど?」
「え、あ、そうなの?」
「昨日ちゃんと言ったでしょ! 『つきあうわけない』って!」
「聞こえなかったなぁ。風強かったし」

 こいつ……絶対ふざけてる。
 昨日は気になって、眠れなかったのに。
 わたしのせいで冷たい海に入らせちゃって、風邪ひかなかったかなとか。『つきあうわけないでしょ!』なんて冷たく言っちゃって、悪かったなとか。
 信号が青になる。わたしは春輝をにらんで、きっぱりと言った。

「いい? 学校では絶対、わたしに馴れ馴れしくしないでよ」
「え?」
「馴れ馴れしく声かけたり、写真撮ったりしたら、二度と口きかないから」
「えー、それ、ひどくね?」
「ひどくない。だってわたしあんたのせいで、昨日美鈴たちに……」

 言いかけてやめた。別に春輝のせいってわけじゃない。
 顔をそむけ、ペダルを踏み込もうとしたら、腕をつかまれた。

「じゃあ、誰もいないところで話そう?」

 わたしはブレーキをかけ、春輝を見る。

「今日の放課後、あの海の鳥居のとこで待ってる」
「え……」

 春輝はにかっと笑うと、わたしから手を離し、自転車で走り出す。

「あ、ちょっ……」

 呼び止めようとして、口を閉じる。
 知らない、あんなやつ。

『今日の放課後、あの海の鳥居のとこで待ってる』

 あいつが来るなら海なんて、絶対行かないんだから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

姉らぶるっ!!

藍染惣右介兵衛
青春
 俺には二人の容姿端麗な姉がいる。 自慢そうに聞こえただろうか?  それは少しばかり誤解だ。 この二人の姉、どちらも重大な欠陥があるのだ…… 次女の青山花穂は高校二年で生徒会長。 外見上はすべて完璧に見える花穂姉ちゃん…… 「花穂姉ちゃん! 下着でウロウロするのやめろよなっ!」 「んじゃ、裸ならいいってことねっ!」 ▼物語概要 【恋愛感情欠落、解離性健忘というトラウマを抱えながら、姉やヒロインに囲まれて成長していく話です】 47万字以上の大長編になります。(2020年11月現在) 【※不健全ラブコメの注意事項】  この作品は通常のラブコメより下品下劣この上なく、ドン引き、ドシモ、変態、マニアック、陰謀と陰毛渦巻くご都合主義のオンパレードです。  それをウリにして、ギャグなどをミックスした作品です。一話(1部分)1800~3000字と短く、四コマ漫画感覚で手軽に読めます。  全編47万字前後となります。読みごたえも初期より増し、ガッツリ読みたい方にもお勧めです。  また、執筆・原作・草案者が男性と女性両方なので、主人公が男にもかかわらず、男性目線からややずれている部分があります。 【元々、小説家になろうで連載していたものを大幅改訂して連載します】 【なろう版から一部、ストーリー展開と主要キャラの名前が変更になりました】 【2017年4月、本幕が完結しました】 序幕・本幕であらかたの謎が解け、メインヒロインが確定します。 【2018年1月、真幕を開始しました】 ここから読み始めると盛大なネタバレになります(汗)

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

13歳女子は男友達のためヌードモデルになる

矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。

AOZORA

Yuniarti
青春
高尾は帝光中のリベロ。彼はそこでバレーボールの先輩たちから影響を受け、ホワイトイグル高校に進学しました。しかし、ホワイトイグル高校のバレーボール部は先輩たちが卒業してなくなってしまっていました。彼は部員を集め、厳しい練習を続け、日本一のバレーボール学校に育て上げました?

大好きな幼なじみが超イケメンの彼女になったので諦めたって話

家紋武範
青春
大好きな幼なじみの奈都(なつ)。 高校に入ったら告白してラブラブカップルになる予定だったのに、超イケメンのサッカー部の柊斗(シュート)の彼女になっちまった。 全く勝ち目がないこの恋。 潔く諦めることにした。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...