幾千本の花束を

冠つらら

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④手当の動機

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 チェルダーシェは僕らの敵国だ。
 長年、チェルダーシェは独裁主義の王に支配され続けてきた。その影響はやがて外まで広がり、王は世界そのものを我物にしたいと願うようになった。
 チェルダーシェの勇ましい兵士たちを見ていると、そう思い上がってしまうのも無理はないかもしれない。もちろん、兵士たちは王の命令のもと動いているだけだが、そんなことは王にとってはどうでもいい。

 見事なまでの独裁を貫くチェルダーシェの王は、反対するものを処刑し、身内ですら追放した。追放後の彼らを知る者はいないが、恐らくもう多くは存在すらしていないのだろう。
 かろうじて亡命した王の末の妹は、苦しむチェルダーシェの人々を見捨てることなどできなかった。
 チェルダーシェの脅威に立ち上がった他国の連合軍を指揮し、今も彼女は兄の暴走を止めようと戦っている。

 そんな彼女は僕らの指揮官でもある。直接関わることはないが、連合軍に属するラジタリア軍にとって、彼女は自然とその立場にあたるのだ。
 本格的に争いが過激になってきてしばらく経つが、戦いはいまだに拮抗している。まだ一般市民にそこまで影響がないことが幸いだろう。

 やはりチェルダーシェの民は強い。そう認めざるを得ない。それほどまでに王の権力が激切なのだろう。あの兵士たちには暗い影が見える。
 チェルダーシェの王が今最も欲しがっているのは資源だ。資源さえあれば世界を制することができる。

 そのせいか、今はもっぱらその資源を守ることを最優先として、懲りずに奪いにやってくるチェルダーシェ軍を日々迎え撃つことになる。
今日の戦場もまた酷いものだった。
 大雨が降っていた今日は視界も悪く、足元もぐちゃぐちゃで思うように動くことはできなかった。

 チェルダーシェ軍も連合軍もそれは同じだっただろう。そのはずではあるが、チェルダーシェ軍の特攻っぷりは変わることはなかった。
 ようやく戦地に復帰したヤンジーが感覚を取り戻すまでの間、僕は彼のことを援護していた。
 環境が悪かったせいにするのはどうかと自分でも思うが、やはりヤンジーが感覚を取り戻すまで少し時間がかかってしまった。ヤンジーが覚醒するまでに僕は、彼の代わりに数発の銃弾を受けた。

 防具のおかげか、風のおかげか、致命傷は免れたが、また治療が必要な怪我を負ってしまった。ヤンジーの盾になれたのなら構わないが、憂鬱なことには変わらなかった。
 医務室へ行かなければならない。
 小言を聞くことにはもう抵抗感は薄れた。それなのにやっぱり憂鬱なのは何故だろう。
 怪我ばかりして、駄目な奴だと思われているのは今更なことだし、プライドのない僕はそんなことで傷ついたりもしない。正直、恥とも思っていない。手を煩わせるのは少し後ろめたいが、相手は軍医だし。

 じゃあ何故だ。
 理由がはっきりとは分からず、僕は荷台で揺られながら濡れて鬱陶しくなった前髪をかき上げた。




 お馴染みの医務室へと仲間と共に向かう。
 今日は負傷者も多く出てしまった。僕はその中に紛れて室内へと足を踏み入れる。
 医師や看護師たちが忙しなく僕らのことを迎え入れ、順番に面倒を見始める。僕は後ろの方に下がり、傷口を抑えながら静かにその様子を見守る。
 仲間たちが次々と処置を受けていく中で、空いていた椅子に座った僕は、ぼーっとその喧騒を眺める。

 ああ、やはりあまり見ていたくないものだな。それなのに目が離せない。
 ここは戦場と同じだ。
 まさに命を懸けて戦っている最前線だ。
 重なり合う戦場の景色と医務室の光景に、僕の瞼は重たく下がる。
 その視界の端に、手袋をした手が揺れる。
 その手を追って視線を上げていくと、ラモーナの笑顔が見えた。その辛そうな顔は何だ。

「ロシュ、手当てするからこっち来て」
「皆、手当ては済んでいるのか?」
「大丈夫。あとまだ診ていないのはロシュだけ」

 ラモーナの回答に、僕は頷いて立ち上がる。誘導されるままに別の椅子に座り、向かい合って座るラモーナに傷口を差し出す。

「うわぁ、今日もまた派手にやったね」
「そんなこと医者が言っていいのか」
「言わなきゃやってられないでしょ」

 ふふふ、と笑い、ラモーナは銃弾を受けた僕の左腕の手当てに入った。
 弾は抜いてあるし、止血も雑ではあるがしてある。それでもまだ血が拭いきれていない左腕を優しくガーゼで拭きとられ、その痛みに少し顔をしかめた僕をラモーナはちらりと見る。

「今日はヤンジーの盾になったのね」
「その言い方はどうなんだ」
「ごめんごめん。だけど、ヤンジーがそう言っていたから」
「……あいつ」

 医務室の向こう側に見えるヤンジーは、ぬかるみに足を取られて転んだ。
 軽傷中の軽傷なのになんでここにいるんだ。あいつは。

「仲間のために戦って何か悪いことでもあるか?」

 ヤンジーを軽く睨みつけ、ラモーナに視線を戻す。文句でもあるのか、もう顔でそう言っていたと思う。

「ううん。ないよ。ないけど、ロシュは皆とは少し違うでしょ」
「……は?」
「ロシュが皆のことを守りたいのは知ってる。守りたいっていうか、自分はどうでもいいって言った方が正しいのかもしれないけどね」

 傷口を眺めて、ラモーナは目を伏せる。

「身体を大事にしろ、どうせそう言いたいんだろ?」
「うん。そう。当たり前でしょ。何か悪いことでもある?」

 僕の言葉を繰り返し、ラモーナはニヤリと笑う。

「……ラモーナがそう言うのは医者として当然なのかもしれない。だけど僕は軍に命を捧げた。僕よりも、帰りを待っている人がいる彼らの方が僕にとっては大事にすべきことなんだ」

 だから理解して欲しいとまでは言わない。それは流石に我儘だろう。
 ラモーナは手を動かしたまま僕の方を見ようとはしない。

「そう……。ロシュには待っている人はいないの?」
「……いない」

 家族のことはラモーナにも話したことはない。僕はあの貴族社会から逃げ出したくて家出をしてきた身だ。そんな都合のいい話があるはずないだろう。
 実際、貴族社会を出て目の当たりにした戦場の現実を知った僕があの場所に戻りたいなど思えるはずもなかった。

「……ラモーナ。ラモーナはどうして軍医になったんだ?」

 これまで抱えてきた疑問をこの際だから聞いてみることにした。
 そもそも医者になるということですらシビアな事実に向き合うことが求められるのに、軍医だなんてより無情な環境をどうして彼女は選んだのか、前から不思議に思っていた。
 僕は顔が見えないままのラモーナの頭を見つめる。

「…………助けたいからに決まってるでしょ」
「でもそれは軍医でなくとも……」

 ラモーナの手が止まる。
 ゆっくりと上げたその顔は、迷うことなく真っ直ぐに前を見つめていた。
 その精悍な眼差しに、僕は思わず息をのむ。

「不条理に傷つく人たちを救いたいだけ。病気も怪我も、理不尽なことばかり。特に戦場なんてそれを詰め込んだようなもの。私はそんな人たちを、少しでも多く救いたいの。皆、投げ捨てるべき命じゃないから」
「そうは言っても、時には犠牲も必要だろ? 言いたいことは分かるが、犠牲なしには成り立たない平和だってある。投げ捨ててるわけじゃない」
「…………分かってる」

 ラモーナの表情が歪む。
 繊細過ぎる。ラモーナに会った頃から思っていた印象だ。やはり軍医は向いていないのではないか。
 彼女の葛藤するような表情に呼応するように、僕の心臓は締め付けられた。
 僕の腕を握るラモーナの指に力が入ったように思えた。

「ラモーナ」

 あまりにも苦しそうな顔をするものだから、僕は申し訳なくなってラモーナの手を右手で包み込んだ。
 質問をした僕が悪かった。別に、そんな顔をして欲しいわけではない。

「ごめん。ラモーナ」

 まさかのラモーナの表情に、僕は恐らく動転していた。理由などどうでもよかったが、とにかく、ラモーナが辛い思いをするのであればそれを取り除いてあげたかった。……まぁ、間違いなく僕の質問のせいなんだけども。
 償いをするように、そのままラモーナの力の入った手をそっと撫でた。するとその指が僅かに緩む。

「意見の衝突は当然だ。押し付けるつもりはなかった」

 軍人と医師。僕とラモーナ。意見が違って当然だ。
 そうでなければ僕はここにはいないのだから。

「ううん。いいの……」

 ラモーナの手から右手を離し、僕は治療に戻ったラモーナを見てほっとする。
 ……ん? なんでほっとするんだ?
 自らの反応を疑問に思った僕は、ふと顔を上げて唇を歪ませる。

「私の祖父も、軍人だったの」
「……え?」

 傷口に集中したまま、ラモーナが口を開く。
 ちょっと心に引っ掛かりがあるままだが、まぁいいだろう。
 僕はラモーナの話を聞こうと視線を下げた。

「ラジタリア軍で、結構出世までして、私の自慢のお祖父ちゃんだった。だけど、ある時の戦いで負傷したお祖父ちゃんは、仲間たちを優先して自分のことを後回しにしているうちに容体が悪化して、取り返しがつかなくなってしまった。……戦場だから、しょうがないことだと分かってはいた。……軍医が皆、一生懸命向き合ってくれたことも今なら分かる。
だけど……その時の私には、悲しみと虚しさしかなかった。お祖父ちゃんは私にとっても英雄。そんな英雄も、こんな風にあっさり消えてしまうのだって……」

 ラモーナの声は淡々としていて、ただ過去を語っているように聞こえる。
 それでもその端々には、かつて悲しみに暮れた幼きラモーナの陰が見えるような気がした。
 僕の家族は貴族だ。親族も多くはその立場にいる。
 当時の僕には想像もつかなかったことだろう。そんな風に自分の命よりも他者を優先するような人の存在を。

「お祖父ちゃんの口癖は、身体を大事にしろ、だった。何よりも自分を大事にしなさいって、そう教えてくれた。だからある日、私は尋ねたの。お祖父ちゃんは自分の身体より、仲間を大切にしているよね、って」
「……それで、彼は何て……?」

 疑問が口をつく。
 かつての英雄の掟を知りたくなった。ただのそんな好奇心だ。

「彼らは私の命と同じだって、だから、彼らを守ることは私の命を守ることと同じだって、そう言って笑うの」

 祖父を思い出したのか、ふっと声が優しくなる。

「それを聞いても納得はできなかった。だけど、私のことを抱きしめて、ラモーナはそれ以上に大切だよ、って言ってくれると、嬉しくて理由なんてどうでもよくなっちゃった。……だから私は、お祖父ちゃんが守った仲間の命を繋いでいこうと、軍医を目指したの」
「…………そうだったのか」

 思いがけないラモーナの動機に、僕は胸がチクリと痛む。
 そんな覚悟があったなんて知るはずもなかった。
 ラモーナのような繊細な人がどうしてここにいるのか、僕はそんなことばかり考えていた。でもそれは間違いだった。彼女のような繊細な人だからこそ、この役が務まるのだと、ようやく僕は理解した。

 それにラモーナは繊細なだけではない。僕よりも遥かに強い心を持っている。
 僕を見て照れくさそうに笑うラモーナの瞳は、どこまでも逞しく、ささくれた心を癒してくれるようだった。

「立派な人だったんだな」
「ええ、そうなの。本当に、自慢なんだから」

 くすくすと、ラモーナは童心に返ったように笑う。その笑い声がこそばゆく感じ、僕は居心地が悪くなってそれを誤魔化すように笑ってみせた。

「ありがとうラモーナ。話してくれて」
「いいえ。私も、聞いてくれて嬉しい。ふふふ、これで少しは身体を大切にする気になった?」
「それとこれとは話が別だ」
「ロシュは本当に頑固なんだから」

 それでも悪い気はしないようで、その日ラモーナは小言を言うことはなかった。
 完璧に処置をしてくれたことにお礼を言うと、僕は医務室を後にしようと立ち上がる。

「おやすみ、ロシュ。今日はお疲れ様」
「ああ。ラモーナも休めよ」
「うん」

 いつもより柔らかく笑うラモーナは、どこか吹っ切れたような爽快さが垣間見えた。
 扉を出る前にそんなラモーナをもう一度振り返ると、真剣な表情で報告書に目を通している姿が目に入る。

「……おやすみ」

 どうせ今日も眠れずに仕事をすることになるのだろう。
 それは予想できることだが、それでも労いの言葉をかけたくなった。
 彼女が巻いた左腕の包帯に目を落とすと、自然と頬が綻んだ。
 見知らぬ感情に気味が悪くはなるが、そんなことを気にしていても無駄だ。
 胸の奥が温かくなるのを感じながら、僕は仲間たちが談笑をしている廊下を抜けていった。

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