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15.不安定な足元

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 ある日の放課後、末樹は武史のもとを訪れていた。相変わらず、アイスクリーム店は閑散としている日が多く、武史は一人での店番に暇を持て余していた。
 末樹はそれを承知で武史に相談があった。今回の末樹の相談事は、來樹のことでも紺のことでもなかった。

「末樹、今日はどうした?」

 武史は、ニヤニヤしながら末樹の座っているテーブルまで近づいてきた。

「武史さん、流石に察しがいいですね」
「末樹がそわそわしてる時は大体なんか話したいときだろ」

 武史は椅子を引いて末樹の斜め前に座った。

「俺も暇だし、話し相手になれるなら大歓迎だよ」
「…ありがとうございます」
「で?」

 武史は頬杖をついて末樹を見た。武史のその優しい眼差しに、末樹はほっとしながら話し始めた。


 今日、末樹はずっと読んでいた本を読了した。英語の勉強も兼ねて読んでいた本だったが、読み進めていくうちに話にのめり込み、末樹はすっかりその物語の虜になっていた。
 そんな本を読み終えた末樹は、達成感と充足感に満たされていたが、同時に物語が終わってしまったという寂しさも込み上げてきた。
 末樹は本の表紙をじっと見つめ、その余韻に浸っていた。

「末樹先輩ここに居ましたね」

 そこに、末樹を呼ぶ声が聞こえてきた。現実に引き戻されるような感覚ではあったが、その声は同時に心地の良いものでもあった。

「莉々ちゃん、何か用だった?」

 末樹はゆっくり近づいてくる莉々に穏やかに声をかけた。

「いえ、特段ないんですけど…」

 莉々は何かを考えるように斜め上を見ると、そそくさとベンチに座っている末樹の隣に座った。

「あ、その本」
「?」

 莉々は末樹の手元にある本を指差した。

「前も読んでましたよね?読み終わったんですか?」
「あ、これ?うん、ちょうどいま…」

 末樹は本を掲げて莉々に見せた。

「ふふふふ」
「ん?」

 莉々は嬉しそうに笑いだした。末樹はそれが何故か分からず眉を下げた。

「その本の話、私も知ってるんです」
「そうなの?」
「はい。結構有名な本なんですけど、私好きで、先輩が読み終わったら話そうと思ってたんです」

 莉々は目を輝かせて末樹に微笑みかけた。

「なんだそうだったんだ」

 末樹はほっと胸を撫で下ろした。莉々が何を言い出すのか、予想がつかなかった。

「で、で…!一番言いたかったのが!」

 莉々はぐっと末樹に近寄った。

「その本を原案とした映画が今やってるんです!先輩も良かったら一緒に行きませんか?」
「え?」

 突然の提案に末樹は目をぱちぱちとさせた。

「私の叔父が出版関係で働いているんですけど、招待券を二枚貰っちゃったので、もし…よければ」

 莉々は少し控えめに言い直した。

「え?いいの?」

 末樹は、莉々が誘うのは自分でいいのかと単純に疑問に思った。

「はい!もちろんです!」

 莉々は力強く頷いた。

「先輩、原作も読んだところだし、是非!」
「…ありがとう、じゃあ…」

 末樹が「行きたい」と続けようとした時、何故か紺の姿が頭をよぎった。そういえば、紺とも本が原作になっている映画を見に行った。
 あの時の場合は原作を知らなかったが、紺が誘ってくれたのだった。どこか状況が似ていて、末樹は何だか微笑ましくなって笑みがこぼれた。

「ふふ」
「どうしたんですか?」

 突然笑い出した末樹に、莉々は首を傾げた。

「いや、ごめん、なんでもないよ。一緒に行ってもいいかな?」

 末樹は頬を緩ませたまま続けた。

「じゃあ決まりですね」

 莉々は末樹の返事に嬉しそうな笑顔を見せた。莉々と紺の共通点を見つけたようで、末樹はなんだか嬉しくなった。
 そもそも同じ部活に所属していたのだから当然なのだが、二人とも物語やそれを具現化した創作物というものが好きなのだろう。
 この二人の類似点は、末樹にとって微笑ましく思うと同時に少し心が痛んだ。
 同じものが好きでも、二人は両想いになることはなかったのだ。


 「いいね、映画行きなよ」

 映画に誘われたところまでを聞いた武史は、自分のことのように楽しそうに言った。

「…そうなんですけど」

 末樹は莉々が紺に振られたことをやんわりと伝えた。自分に近づいてきたのも、紺のことをもっとよく知るためだった。

「まぁいいじゃないか、それは」

 武史は事情を聞いてもあっけらかんとしてそう言った。

「その子はまだ紺のこと好きなのか?」
「たぶん…ん?」

 末樹は武史が放った言葉に違和感をもった。

 ―紺?…あれ?なんか違うぞ―

 末樹は特に何も違和感のなさそうな武史の表情を見て自分の勘違いかとも思った。しかし、確実にそこには間違い探しが存在していた。

 ―前は糸村君だったよな…?―

 末樹は記憶を辿り、武史と紺のやり取りを思い返していた。

 ―いつの間に名前で呼んでたんだ…?―

 末樹の心に、小さなざわつきが生じた。

「どうした?末樹」

 武史は固まった末樹に催促するように呼び掛けた。

「…いえ、あの、なんでも…。えっと…」

 末樹は我に返ったように再び口を開いた。

「その子がまだ紺のことが好きだとして、末樹に問題はあるのか?」

 武史は会話を続けた。

「えっと…なんか、いいのかなって…」
「なんかってなんだよ?」
「いや、彼女はきっと、糸村と行きたかったのかなって思うと、俺、断った方が良かったのかもって」
「そんなの分からないだろ。変な遠慮するなって」
「うーん。そうなんだけど…糸村にもなんか気まずさを感じて」
「ははは。末樹、お前そこまで考えなくてもいいだろ」
「え?」
「二人は一緒に映画に行くだけだろ?仲良い先輩後輩の仲で。そこ気にしてたら、お互いに良くないだろ」
「…そうですか?」
「ああ。末樹、お前は優しすぎるな」

 武史は参ったといった顔で笑った。

「鬱陶しいだけかも」

 末樹は自虐的な笑みを浮かべると机に伏せた。

「なんかもう、よく分からない」
「ん?」

 末樹の疲れたような声に、武史は耳を近づけた。

「誰が好きとか、そうじゃないとか、聞いてるだけでもこんなに疲れるんだって…俺、武史さんの言う通り考えすぎなんだろうな…」
「…」

 武史は机に突っ伏している末樹に頭を見つめた。

「もっと単純に考えられればいいのにな」

 末樹はそう言うとため息を吐いた。武史はそんな末樹の頭を数秒見つめると、大きな手でその頭を覆い、わしゃわしゃと撫でた。

「わっ!?武史さん?」

 驚いた末樹は慌てて顔を上げた。

「髪ぐしゃぐしゃじゃないですか!」
「はははは。末樹も色々と学んでるところなんだな」

 末樹が見ると、武史は嬉しそうに笑っていた。

「えぇ?」
「そのうち嫌でも単純に考えるようになるって」
「はぁ?」

 末樹は朗らかな表情の武史とは対照的に顔をしかめた。

「とりあえずその子と映画楽しんで来いよ」

 武史は不完全燃焼な様子の末樹にそう言い残すと、意気揚々とカウンターの方へと戻って行った。

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