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13.学祭の雑音

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 賑やかな声が四方八方から飛んでくる。老若男女が楽しそうな表情であちこちを行き交っている。門を抜けてすぐの大きな通り道の左右は、屋台が並んでいる。
 明るい色使いの看板の下からは、美味しそうな香りが漂ってきている。どこに行けばいいのか、そう思い、少し戸惑いながらも人々に流されないようきょろきょろと辺りを見回していた。

「玖馬君!こっちだよ」

 そんな玖馬の耳に、心地の良い声が真っ直ぐに降ってきた。声の方向を見ると、來樹がパンフレット片手に手を振っていた。

「來樹さん!」

來樹の笑顔に、玖馬は嬉しくなって駆け寄って行った。

「来てくれてありがとう玖馬君」
「いえ!こちらこそお誘い頂き…!」

 息を切らしながら喋る玖馬を見て、來樹は微笑ましそうに和やかな表情で頷いた。

「人が多いんですね!」

 玖馬は呼吸を整え、大きな瞳を輝かせた。

「そうだねぇ。結構規模が大きいからね」
「來樹さんは何か出店していないんですか?」
「今年は忙しくて何もできなかったよ」

 來樹は苦笑いで応えた。

「でもまぁ…それもいいかな?」
「全然いいと思います!」

 玖馬は明るい笑顔で肯定した。

「あはは。そういえば、玖馬君たちの学園祭はもう終わっちゃったんだよね?」

 來樹は玖馬と並んで歩き出した。

「はい。うちは夏休み前には終わっちゃうので」
「そうだよね。確か末樹たちは着ぐるみカフェとかやってたな」
「そうでしたね!末樹先輩は着ぐるみなくて、カチューシャつけてましたね。えっと…たしか…」
「犬耳だったかな?」
「あ!そうでした!紺先輩が狐の着ぐるみ着てて、可愛かったなー」
「ははは。行けなくて残念だったよ。玖馬君たちは何かやったの?」
「クラスでは王道のお化け屋敷やりました!部活では屋台でたこ焼き焼いてましたよ!」

 玖馬が楽しそうに話す様子を、來樹はしっかり玖馬の顔を見て聞いていた。

「えっと…お腹、空いてきちゃいました…」

 來樹の視線に気づいた玖馬は、照れ臭くなって周りの屋台を見回した。

「じゃあ何か食べようか。何食べたい?」

 來樹も周りを見回した。

「ええと…、あ!あれ美味しそうっす!」

 玖馬は少し離れたところにある屋台を指差した。

「たい焼き?」
「はい!お好みたい焼きです!」
「ああ、お好み焼きが入ってるやつだよね?よし、それにしよう」

 來樹の言葉に、玖馬は勢い良く首を縦に振った。來樹の少し後に続いて歩く玖馬は、來樹の背中を見て頬が綻んだ。
 今振り返られたら、きっと気持ちの悪い顔をしているのだろうな。玖馬はそう思いながらも、なかなか表情を戻せなかった。
 たい焼きを買い、食べ歩きをしながら、二人は徐々に学祭を回り始めた。ステージの催しを見たり、展示を見学し、ゲームなどをした。
 途中、來樹の友人に呼び止められ、似顔絵を描いてもらった。玖馬は、來樹と回る学祭が、ただただ楽しかった。
 來樹と特に何か特別なことをするわけではなかったが、來樹と一緒に回るから、楽しかった。

「あ、來樹君!」

 玖馬たちが再び外に出て、大きなせんべいを食べようとしていたところに、誰かが声をかけてきた。

「來樹君今日来てたんだ!」

 華やかな香りを纏った、ボブくらいの髪の毛をくるくる巻いた女性が、來樹に駆け寄った。

「松木さん」

 來樹は、駆け寄ってきた女性を見ると、いつもの穏やかな顔で応対した。

「なんだ、来てるならうちにも寄ってくれれば良かったのに!ベビーカステラ、サービスしたよ!」

 松木と呼ばれた女性は、來樹の腕を掴み、甘えるように揺らした。

「ははは。ごめんね。時間があったら行くね」

 來樹は掴まれた腕を優しく離すと、にっこりと笑顔を作った。玖馬はそんな二人の様子を呆気に取られてみていた。口に運びかけたせんべいが、開いた口まであと少しのところで止まっていた。

「あれ?この子は?後輩君かな?」
「はっ…」

 松木と目が合った玖馬は、思わず声が漏れた。

「彼は弟の後輩で、家庭教師してたんだ」

 來樹は玖馬を見ると、「ね?」と首を傾げた。玖馬は無言で頷いた。

「そうなんだー。高校生だよね?可愛いー」

 松木は玖馬を幼子を見るような目で見て近付き、甘えた声を出した。

「あ、あの…」

 玖馬はどうして良いのか分からず、來樹に助けを求めた。

「ほら、後輩を困らせない」

 玖馬の視線に気づいた來樹は、松木を玖馬から離し、呆れたように言った。

「ごめんねー。じゃあ來樹君、待ってるよっ」

 松木はウインクをして去って行った。

「玖馬君ごめんね。あいつ、ああいう奴で…」

 來樹は玖馬の方に向き直ると、眉を下げて申し訳なさそうな表情をした。

「いえ…!大丈夫…です!あの、あの人は…」
「ああ、前に同じ講義を一年間受けてたんだ」

 來樹は松木が去って行った方向を見た。

「お友達…ですか?」
「うん。そうだね。大学以外では会わないけど…」

 來樹は気まずそうな声を出した。玖馬は來樹の困ったような表情に首を傾げた。

「來樹、しっかり言わないと駄目だろう」

 そこに、落ち着いた、よく通る声が木の陰から聞こえてきた。二人が驚いてそちらを見ると、長身ですらっとしたスタイルをした男性が現れた。

「い、伊鶴さん!?」

 二人の声が重なった。

「遅くなったな」

 伊鶴は二人の驚く様子にも気にしないで颯爽と木の下から歩いてきた。天然で少しウェーブのかかった柔らかそうな髪の毛が風に揺れていた。

「伊鶴さん、来てくれたんですね」

 來樹は気を取り直してそう言った。玖馬は未だに驚いた様子を隠そうともせず、少し威嚇するような目で伊鶴を見ていた。その視線に気づいた伊鶴は、見て見ぬふりをした。
 水藤伊鶴。社会人3年目の24歳で、製薬会社に勤めている。來樹のバイト先の先輩で、近所に住んでいるため末樹とも顔なじみだ。
 長身で甘いマスクをしている伊鶴は、かつてコーヒー店のイケメンスタッフとして密かに話題になっていた。本人はその外見とは裏腹に、あまり浮いた様子を見せず、ミステリアスな存在でもあった。

「來樹、今の子、お前に気があるんだろ」

 伊鶴は來樹の顔を伺った。

「……」

 來樹は気まずい表情のまま黙っていた。玖馬は尋問するかのような伊鶴を鬱陶しく思い、間に割って入った。

「來樹さん困ってるじゃないスか」
「ん?」

 玖馬に睨みつけられた伊鶴は、首を傾げた。

「クマ君、優しいんだね」

 そして目を細めて微笑んだ。

「でもね、これはちゃんとしなくちゃ、不誠実なことだよ」

 伊鶴は諭すように言った。

「來樹さん、そうなんですか?」

 玖馬が振り返ると、來樹はありがとう、と言って玖馬を制した。

「伊鶴さん、また相談に乗ってもらえますか?」

 來樹の言葉に、伊鶴は快く頷いた。

「…………」

 玖馬は、その場に一人取り残されたような感覚になった。高校生と大学生、そして社会人。それぞれ立場も違えば考え方も違う。
 一番年下の自分は確かに何の役にも立たなければ頼りにならないかもしれない。それを分かっていても、玖馬のもやもやは晴れなかった。
 頭では分かっていても、心が納得してくれない。玖馬は、來樹といくら親しくなっても取り切れない壁を感じていた。
 心では、対等に立ちたいのに。

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