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10.あの日の事情
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午後の授業を終え、末樹は荷物を片付けながら後ろを振り返った。中央後方の席では、紺が隣の席の生徒と何かを話していた。
末樹は鞄に視線を戻し、そのまま窓の外を見た。午前までは晴れていたが、今はすっかり曇っていた。冬に近づこうとしている秋の風が吹く外は、少し肌寒そうだった。
「よし」
末樹は誰にも聞こえないくらいの声で渇を入れ、鞄を手に取った。
「糸村」
いつも通り自然に、末樹は会話を終えた紺に話しかけた。
「なんだ?今日は帰るのか?」
予備校に通っていない末樹は、自習室に寄ってから帰っていることが多い。
「うん…。糸村は?」
「俺も帰るよ。今日は予備校夜からだし」
紺はリュックを背負った。
「そうなんだ。じゃ、帰ろうよ」
末樹の言葉に、紺は頷いた。末樹は莉々のことを今日聞いてしまおうと決めていた。外に出ると、やはり肌寒くなっていた。この寒さが深まると、いよいよ受験が近づいてくる。
「糸村さ」
「ん?」
末樹はさり気なく口を開いた。
「長須莉々って子、知ってる?」
もう直球で聞くしか末樹には案はなかった。下手に遠回しに聞いても、それはそれで不快だろうと考えたためだ。
「何だ急に」
「クマのクラスメイト」
突拍子にない質問にも、紺は動揺しなかった。
「ああ、知ってるよ。部活の後輩」
紺はまっすぐ前を向いたまま答えた。
「だよね」
「?」
「あ、なんでもない」
「で、長須がどうかしたか?」
紺は眉をひそめた。
「あー、なんか最近さ、クマづてに知り合ったんだけど、演劇部だっていうから…知ってるかなー?って」
末樹は笑顔で誤魔化そうとした。
「…そうかよ」
紺はぎこちない様子の末樹を呆れた様子で見た。
「…」
「…」
気まずい空気が流れた。末樹がこの次の展開をどうしようかと考えていると、紺が息を吐いた。
「どうした…?」
恐る恐る紺の顔を見ると、紺は観念したような様子で口を開いた。
「…されたんだよ。告白」
「…は?」
紺の言葉に、末樹はぽかんとした顔をした。
「だから…」
紺はもう一度ため息を吐いた。
「長須に告白されたんだよ」
紺は末樹の目を恨めしそうに見ると、顔を逸らした。
「えええええ!?」
末樹は予想をしていなかった展開に驚愕の声を上げた。
「ちょ、うるさいな」
紺は末樹を呆れたように見たが、びっくりした顔のまま止まっている末樹を見て笑い声が漏れた。
「末樹、驚きすぎ」
「ご、ごめん…でも…」
末樹は紺の顔をじっと見たまま何を言おうか言葉が出てこないようだった。紺は末樹が何かを言うまで黙って末樹の顔を見つめていた。
「……なんだよ!教えてくれてもいいじゃないか」
ようやく出てきた言葉に、紺はニヤッとした。
「いや、別に言わなくてもいいだろ。…断ったんだし」
紺は少し複雑そうな悲しげな顔をした。その表情を見て、末樹は途端に冷静さを取り戻した。
「そうなんだ…」
「前に長須が末樹を訪ねてきたことがあったろ、あの前の日に呼び出されたんだよ。だからあの時は何事かと思った」
紺はばつが悪そうに言った。
「…あ、ああー、なるほど、そういうことか!」
末樹は全てが腑に落ちたようにすっきりした顔をした。
「なんだよ」
「い、いや、なんでもないよ。こっちの話」
「どっちの話だよ」
末樹は慌てて手を振った。莉々が教室で泣いていた理由がようやく分かった。あれは紺に告白した後のことだったのだ。そういえば、知らなかったとはいえ勝手に紺にそのことを話してしまっていた。
「ん?でも待てよ?」
末樹は顎に手を当てて考え出した。
「おい、置いてくなよ」
完全に一人の思考の世界に入った末樹に、紺が呼びかけた。
―じゃあどうして長須さんは俺に近づいてきたんだ?―
末樹には疑問が残った。玖馬と自分の関係を知っているなら、紺と自分が仲が良いことを知らないとは思えない。末樹は、振られた紺と仲の良い自分に近づいた莉々のことが再び分からなくなった。
何かを企んでいるのだろうか。それともそういうことも気にしていない、ただの偶然なのだろうか。
「おーい、末樹?」
紺は末樹の顔の前で手を振って見せた。しかし末樹は、思考の森の中に入ってしまい、紺のその手には気が付いていないようだった。
翌日、末樹は莉々のことを黙っていた紺について不信感を持っていた。末樹に言う必要は確かにないのかもしれないが、いつもつるんでいる友人でもある紺には、話して欲しかったという気持ちが強かった。
末樹は建前では気にしないふりをして紺と接していたが、心の中の引っ掛かりは消せなかった。紺はそんな末樹の気持ちを勘づいているようで、いつもよりも末樹に対して物腰が柔らかに感じた。
一方で末樹も、莉々から頻繁に相談に乗っていることを紺に黙っていた。こちらも隠す必要はないのだが、末樹はなかなか気が乗らなかった。
今日も莉々は現れるのだろうか。
末樹は莉々に対してどう振舞えば良いのか模索していた。どうしても気を遣ってしまうだろう。しかしそれは、莉々にとってはどうなのだろうか。
末樹は今日も自習室には寄らずにまっすぐ帰ろうと考えていた。その方が、莉々に会うこともないだろう。
「末樹今日も帰るのか?」
紺の言葉に頷くと、末樹は教室を出た。紺は今日、放課後予定があるそうで、末樹は一人で廊下を歩いた。多くの生徒が校舎内を歩いており、各々が部活や友人との会話に勤しみ、末樹の重い心とは対照的に、校内は明るい空気に満ち溢れていた。
末樹はふと窓から校舎の外を見下ろした。そこには、発声練習をしているジャージ姿の生徒が数人集まっていた。
よく見ると、その生徒たちの中で莉々が何かを指導していた。ということは、演劇部だろうか。末樹は莉々の姿に気づき、思わずじっと見てしまった。
末樹から見ると、後ろを向いている莉々の顔は良く見えなかったが、熱心に練習に打ち込んでいるようで、いつもの朗らかな印象とは違い、真剣な表情が新鮮だった。
末樹は窓にぐっと近づいた。その時、莉々が仲間たちと何かを話し、皆は一斉に笑った。その笑顔は、いつも通りの柔らかな表情だった。
末樹はその様子に何だか和み、無意識のうちに顔が綻んだ。
すると、莉々が不意にこちらを振り返った。目が合った末樹は、思わず一歩下がった。莉々は末樹に気づくと笑顔で手を振ってきた。
惜しげもなく愛想を振りまく莉々を見て、末樹は何故紺はこんな子を振ったのだろうかと疑問に思った。
末樹が手を振り返すと、莉々はくしゃっと笑い、練習に戻った。
「勿体ないなぁ…」
末樹は思わずそう呟き、再び歩き出した。
末樹は鞄に視線を戻し、そのまま窓の外を見た。午前までは晴れていたが、今はすっかり曇っていた。冬に近づこうとしている秋の風が吹く外は、少し肌寒そうだった。
「よし」
末樹は誰にも聞こえないくらいの声で渇を入れ、鞄を手に取った。
「糸村」
いつも通り自然に、末樹は会話を終えた紺に話しかけた。
「なんだ?今日は帰るのか?」
予備校に通っていない末樹は、自習室に寄ってから帰っていることが多い。
「うん…。糸村は?」
「俺も帰るよ。今日は予備校夜からだし」
紺はリュックを背負った。
「そうなんだ。じゃ、帰ろうよ」
末樹の言葉に、紺は頷いた。末樹は莉々のことを今日聞いてしまおうと決めていた。外に出ると、やはり肌寒くなっていた。この寒さが深まると、いよいよ受験が近づいてくる。
「糸村さ」
「ん?」
末樹はさり気なく口を開いた。
「長須莉々って子、知ってる?」
もう直球で聞くしか末樹には案はなかった。下手に遠回しに聞いても、それはそれで不快だろうと考えたためだ。
「何だ急に」
「クマのクラスメイト」
突拍子にない質問にも、紺は動揺しなかった。
「ああ、知ってるよ。部活の後輩」
紺はまっすぐ前を向いたまま答えた。
「だよね」
「?」
「あ、なんでもない」
「で、長須がどうかしたか?」
紺は眉をひそめた。
「あー、なんか最近さ、クマづてに知り合ったんだけど、演劇部だっていうから…知ってるかなー?って」
末樹は笑顔で誤魔化そうとした。
「…そうかよ」
紺はぎこちない様子の末樹を呆れた様子で見た。
「…」
「…」
気まずい空気が流れた。末樹がこの次の展開をどうしようかと考えていると、紺が息を吐いた。
「どうした…?」
恐る恐る紺の顔を見ると、紺は観念したような様子で口を開いた。
「…されたんだよ。告白」
「…は?」
紺の言葉に、末樹はぽかんとした顔をした。
「だから…」
紺はもう一度ため息を吐いた。
「長須に告白されたんだよ」
紺は末樹の目を恨めしそうに見ると、顔を逸らした。
「えええええ!?」
末樹は予想をしていなかった展開に驚愕の声を上げた。
「ちょ、うるさいな」
紺は末樹を呆れたように見たが、びっくりした顔のまま止まっている末樹を見て笑い声が漏れた。
「末樹、驚きすぎ」
「ご、ごめん…でも…」
末樹は紺の顔をじっと見たまま何を言おうか言葉が出てこないようだった。紺は末樹が何かを言うまで黙って末樹の顔を見つめていた。
「……なんだよ!教えてくれてもいいじゃないか」
ようやく出てきた言葉に、紺はニヤッとした。
「いや、別に言わなくてもいいだろ。…断ったんだし」
紺は少し複雑そうな悲しげな顔をした。その表情を見て、末樹は途端に冷静さを取り戻した。
「そうなんだ…」
「前に長須が末樹を訪ねてきたことがあったろ、あの前の日に呼び出されたんだよ。だからあの時は何事かと思った」
紺はばつが悪そうに言った。
「…あ、ああー、なるほど、そういうことか!」
末樹は全てが腑に落ちたようにすっきりした顔をした。
「なんだよ」
「い、いや、なんでもないよ。こっちの話」
「どっちの話だよ」
末樹は慌てて手を振った。莉々が教室で泣いていた理由がようやく分かった。あれは紺に告白した後のことだったのだ。そういえば、知らなかったとはいえ勝手に紺にそのことを話してしまっていた。
「ん?でも待てよ?」
末樹は顎に手を当てて考え出した。
「おい、置いてくなよ」
完全に一人の思考の世界に入った末樹に、紺が呼びかけた。
―じゃあどうして長須さんは俺に近づいてきたんだ?―
末樹には疑問が残った。玖馬と自分の関係を知っているなら、紺と自分が仲が良いことを知らないとは思えない。末樹は、振られた紺と仲の良い自分に近づいた莉々のことが再び分からなくなった。
何かを企んでいるのだろうか。それともそういうことも気にしていない、ただの偶然なのだろうか。
「おーい、末樹?」
紺は末樹の顔の前で手を振って見せた。しかし末樹は、思考の森の中に入ってしまい、紺のその手には気が付いていないようだった。
翌日、末樹は莉々のことを黙っていた紺について不信感を持っていた。末樹に言う必要は確かにないのかもしれないが、いつもつるんでいる友人でもある紺には、話して欲しかったという気持ちが強かった。
末樹は建前では気にしないふりをして紺と接していたが、心の中の引っ掛かりは消せなかった。紺はそんな末樹の気持ちを勘づいているようで、いつもよりも末樹に対して物腰が柔らかに感じた。
一方で末樹も、莉々から頻繁に相談に乗っていることを紺に黙っていた。こちらも隠す必要はないのだが、末樹はなかなか気が乗らなかった。
今日も莉々は現れるのだろうか。
末樹は莉々に対してどう振舞えば良いのか模索していた。どうしても気を遣ってしまうだろう。しかしそれは、莉々にとってはどうなのだろうか。
末樹は今日も自習室には寄らずにまっすぐ帰ろうと考えていた。その方が、莉々に会うこともないだろう。
「末樹今日も帰るのか?」
紺の言葉に頷くと、末樹は教室を出た。紺は今日、放課後予定があるそうで、末樹は一人で廊下を歩いた。多くの生徒が校舎内を歩いており、各々が部活や友人との会話に勤しみ、末樹の重い心とは対照的に、校内は明るい空気に満ち溢れていた。
末樹はふと窓から校舎の外を見下ろした。そこには、発声練習をしているジャージ姿の生徒が数人集まっていた。
よく見ると、その生徒たちの中で莉々が何かを指導していた。ということは、演劇部だろうか。末樹は莉々の姿に気づき、思わずじっと見てしまった。
末樹から見ると、後ろを向いている莉々の顔は良く見えなかったが、熱心に練習に打ち込んでいるようで、いつもの朗らかな印象とは違い、真剣な表情が新鮮だった。
末樹は窓にぐっと近づいた。その時、莉々が仲間たちと何かを話し、皆は一斉に笑った。その笑顔は、いつも通りの柔らかな表情だった。
末樹はその様子に何だか和み、無意識のうちに顔が綻んだ。
すると、莉々が不意にこちらを振り返った。目が合った末樹は、思わず一歩下がった。莉々は末樹に気づくと笑顔で手を振ってきた。
惜しげもなく愛想を振りまく莉々を見て、末樹は何故紺はこんな子を振ったのだろうかと疑問に思った。
末樹が手を振り返すと、莉々はくしゃっと笑い、練習に戻った。
「勿体ないなぁ…」
末樹は思わずそう呟き、再び歩き出した。
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