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3.あの子の襲来
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翌日、末樹は登校中も午前の授業もどこか上の空だった。いつもと様子が違う末樹のことを、紺は疑問に思っていた。
「末樹、昼だぞ」
昼休みの時間になり、紺は自席で何か考え事をしていて動かない末樹に声をかけた。
「あ、あぁ、そっか…」
見慣れた紺の顔が視界に入ると、末樹は目が覚めたかのように言った。
「顔色悪いけど、調子悪いのか?」
「いや、大丈夫だよ。昼食べよ」
末樹はそう言うと、ゆっくり立ち上がった。身体が重たそうだ。
「…学食でいいか?」
「ああ」
紺は末樹の体調を気にかけながらもあまり詮索しないようにしていた。
「豊嶋君」
二人が教室を出ようとすると、クラスの女子生徒が呼びに来た。
「何?」
「あの子が豊嶋君のこと呼んでるよ」
その女子は教室の前方の扉を指差した。そこには、昨日、二年生の教室で泣いていた女子生徒が立っていた。慣れない上級生の教室の前で、少し緊張しているようだった。
「あ…」
末樹は呼びに来てくれた女子生徒にお礼を言うと、教室の扉付近に急いだ。紺は呼びに来た女子生徒と顔を見合わせ、ニヤニヤしているその女子生徒の表情に気づき、煙たそうな顔をした。
「ごめん、お待たせしました」
末樹が近寄ると、後輩の女子生徒は、いえ、と小さく首を横に振った。
「すみません。お呼び出しして…」
「いや…」
「あの、これ…」
おもむろに、両手で大事そうに持っている小さな袋を差し出した。
「昨日は、ありがとうございました」
その可愛らしい袋を受け取ると、そこには昨日末樹が渡したハンドタオルと、お菓子が少し入っていた。
「わざわざこんな、ありがとう。むしろなんか、申し訳ないね」
末樹はタオルが返ってきただけではなく、貰い物まで受け取ってしまったことに申し訳なさを感じた。
「いえ、あの、昨日は本当に、…ありがとうございました。あの…嬉しかったので…」
少し頬を赤らめ恥ずかしそうに笑うその女子生徒は、目を伏せて両手をぎゅっと握りしめた。
「…そっか。お菓子ありがとう。ほんと、気にしなくていいよ」
末樹はいじらしいその女子生徒の様子を見て、少し照れ臭くなった。
「あの…」
末樹が会話を終えようとすると、女子生徒が顔を上げた。
「末樹」
その時、紺が末樹の背後から声をかけた。
「あ…」
「…」
紺の顔を見ると、女子生徒は少し気まずそうな顔をした。紺は表情一つ変えず、女子生徒を見た。
「じゃ、じゃあ私これで失礼しますっ!」
女子生徒は慌ててお辞儀をすると、ばたばたと駆けて行った。
「…どうしたんだろ?」
「さぁな」
呆気にとられる末樹とは対照的に、紺は短く相槌を打った。
「なんだ、お前そんなことしてたのか」
学食で昼ご飯を終え、末樹と紺は人通りの少ない屋上付近の踊り場にいた。昨日のタオルの件を紺に話すと、紺はニヤニヤ笑った。
「やっぱり気持ち悪いよね」
末樹は力なく笑った。
「でもああいう時どうしていいか分からなくない?」
「何かしなきゃと思うお前が偉いよ」
紺は末樹を小突いた。
「糸村は何もしないの?」
「分かんね」
「なんだよ、それはなしだろ」
けらけらと笑う紺に、末樹は眉を下げた。
「でも、ま、いいんじゃね」
「は?」
「末樹らしいよ」
「褒めてるのか…?」
末樹が怪訝な表情を見せると、紺はまた笑った。
「ところでさぁ…」
末樹は紺から目を逸らし、なんか言いたげな顔をした。
「?」
紺は少し身を乗り出し、末樹の顔を見た。
「…いや、いいや、だめだ、何でもない!」
「はぁ?」
末樹は頭をぶんぶんと横に振り、邪念を祓うかのように頬を覆うように叩いた。
「なんだよ。言えよ」
「いや、だめだ。勝手に言うことじゃない」
「あぁ?」
末樹は頭を抱えた。紺はそんな末樹の態度が面白くないようで、思い切り顔をしかめた。
「言わないなら言い出すなよ」
「ごめんー…」
「そういうのずるいからな」
「ごめんって」
不機嫌そうな紺に、末樹は手を合わせて謝った。しかし玖馬のことを勝手に相談する勇気はなかった。
「はぁ…まぁいいや…」
紺はため息をついて肩を落とした。怒るのも疲れたようだ。
「でもさぁ」
「あ?」
「糸村ってさぁ、好きな人とかいるの?」
「は?」
「いやごめん」
「なにが”でも”なんだよ」
紺はまた末樹を訝しげな顔で見た。
「こういう話題って俺ほんと分かんないからさ…」
「ピュアアピールいらないよ」
「ははっ。いや、でも真面目に…」
末樹は真面目な表情をして声のトーンを落とした。
「あんまり、無下にしたくないんだよね、こういう気持ちを」
雰囲気の変わった末樹につられ、紺も真顔になった。
「分からないなりに、どうにかしたい」
末樹の言葉を、紺は黙って聞いていた。末樹は、一度大きく息を吐くと、勢いよく顔を上げた。
「しっかりしよ…!」
自分に言い聞かせるようにそう言うと、末樹は紺の方を見て笑った。
「そろそろ戻ろうか」
紺は 末樹の顔を見たまま 黙って頷くと、末樹に合わせて立ち上がった。二人は階段を下りて、教室まで歩き出した。
「そういやさ、クマってコーヒー苦手なんだって」
「そうなの?まぁあいつ いつも炭酸飲料飲んでるし、基本甘いもん好きそうだしな」
「ははは、あー、そうかも。糸村は飲む?」
「俺は何でも飲むよ」
「でも一番は紅茶だろ」
「悪いかよ」
「いや、お洒落だな」
「お洒落…?いやしかし、クマはまだまだ子供舌だな」
「そうなのかもね。あはは、可愛いな」
末樹はそう言うと玖馬の顔を思い出して笑った。自分の兄への想いを知ったところで、玖馬のことが後輩として可愛いことに変わりはなかった。
紺は、笑う末樹を見て少し安心したような表情をした。末樹がいつもより元気がなかったので、笑顔が見えるまで心配していたのだ。
放課後、末樹は先生に荷物運びに駆り出された紺を待つため、校庭近くの花壇の傍にある石垣に座っていた。背後からは、部活動をしている賑やかな声、校舎からは楽器の音が聞こえてくる。
末樹はそれらの音をBGMに、スマートフォンを取り出し何か通知が来ていないかを確認しようとしていた。
「末樹先輩!」
スマートフォンの画面をつけた時、自分を呼ぶ声が聞こえた。
「クマ…」
顔を上げると、玖馬がジャージを着て走ってきた。
「部活?」
「はいっす!」
まだウォーミングアップを始めたばかりのような玖馬は、人懐っこい笑顔で返事をした。
「先輩、聞いたっすよ。莉々に何か貸したんっすね」
「莉々?」
嬉しそうに話し出す玖馬を前に、末樹は首を傾げた。
「あ、そうっす。長須莉々!今日昼に先輩のところに来た奴っす」
「あ、あぁー。あの子」
末樹はタオルを返しに来てくれた女子生徒を思い返した。
「はい!あいつ、俺と先輩が話してるとこ前に見てたみたいで、俺に先輩のこと聞いてきたんすよ。なんか返したいものがあるって」
「そうだったんだ」
「で、昨日先輩もうちのクラスの女子のこと聞いてきたし、何かあったのかなって聞いてみたんすけど…」
「それで?」
「うーん。話してくれなかったっす」
「そう」
末樹は玖馬に昨日のことを知られるのが恥ずかしくて内心どきどきしていた。
「莉々と何かあったんすか」
「内緒」
「なんすかそれー」
玖馬はもどかしそうに腕を振り下ろした。
「あっ!ところで先輩、昨日のことなんすけど…」
玖馬は末樹の肩に腕を回し、顔を近づけて小声で話した。
「あの…まだ先輩以外誰も知らないんで…その…」
「分かってるって。言わないし」
「…そうっすよね…!末樹先輩はそういう人っすよね…!」
末樹の答えに、玖馬はほっと胸を撫で下ろしたようだった。
「あ、でもさ、糸村には言っちゃだめ?」
「え?」
「ほら俺さ、あいつとよくいるからつい言っちゃいそうなんだよ。なんか、つい何でも話しちゃうし…」
「うぅうぅううん、まだ駄目っすー!」
玖馬は悩んだ末に、身を切るような思いでそう言った。
「紺先輩のことももちろん信頼してますよ?でも、やっぱりまだなんか怖いっす。俺、紺先輩に抵抗感持たれたらショックで…」
「あー、分かった分かった…!ごめんクマ」
末樹はうなだれる玖馬の頭をポンポンと叩いた。玖馬の葛藤が痛いほど伝わってきて、末樹は軽率な自分の発言を反省した。
「末樹先輩ぃー…ありがとうございます」
玖馬は末樹は末樹に寄り掛かるようにして抱きついた。
「ははは、大丈夫だよ」
「俺、応援してくれなんて勝手なことは言いません。ただ、ただ俺のこと、今まで通り接してくれると…嬉しいです…すみません…」
玖馬は泣きそうな声でそう言った。末樹はうんうん、と頷いて玖馬の肩をさすった。
「ほら、もう部活戻れよ」
「はい…!」
末樹が背中をポンと叩くと、玖馬は顔を上げて明るく返事をし、そのまま部活の仲間の元へ駆けて行った。
「まったく…」
末樹は玖馬が仲間と何か話しているのをほほえましく見送ると、もう一度スマートフォンへと視線を移したが、視線を感じ、再び顔を上げた。
「糸村、もう終わったのか?」
こちらに向かって歩いてくる紺を見つけ、末樹はスマートフォンをポケットにしまった。
「待たせて悪いな」
「いいよ」
「…」
「ん?どうした?」
紺が末樹の顔をじっと見てきたので、末樹は紺の顔を覗き込むようにして見返した。
「…いや」
紺はそう呟くと、帰るぞ、と踵を返した。
「あ、おい待てよ」
末樹が追いかけると、紺は意地の悪い顔で笑った。
「なぁ糸村。お前さ、俺の兄貴に会ったことあるよな?」
「あー、何回かあるな」
末樹の問いに、紺は記憶を辿るようにして答えた。
「俺の兄貴のことさ、どう思うよ?」
「はぁ?」
「いやなんかさ、進学するにあたって大学生の兄貴の見る目が変わったというかさ、他の人から見たらどう見えてるのかなって」
末樹は出来るだけ不自然にならないような理由を取り繕った。
「まぁ、そんなに会ったことあるわけじゃないけど、やっぱり俺らから見たらしっかりしてるというか、色々やってて凄いなと思うよ。お前の兄貴は特に、年下の俺らにも優しいし、基本的に穏やかだけど、しっかりした人だなと思ったかな」
「そういう感じなんだ」
「?」
「あ、あぁいや、ありがとう」
「…末樹も少し似てるよな」
紺は末樹を見ながら言った。
「え?どこが?あんま似てるって言われないんだけどな」
末樹は少し意外そうな顔をして腕を組んだ。
「温厚で無害そうなところとか」
「は?そこ?ってか無害ってなんだよ」
末樹は紺の言葉に納得できないような顔をした。紺は末樹をからかうように笑っていた。
「嫌なのか?無害じゃ」
「いや、いいよ、いいけどさ」
末樹は若干不機嫌な顔で紺を横目で見た。
「まぁそっかぁ…そういう感じかぁ…」
末樹がため息を吐くと、紺はもう一度笑った。
「そうだ、糸村がこの前買ってた本が映画になるんだよね?この前雑誌に載ってたんだけどさ、面白そうだね」
末樹は気を取り直すようにして言った。
「ああ、そうだけど」
「俺も観ようかなぁ…」
「…一緒に行く?」
間を開けて、紺が末樹に尋ねた。
「ん?いいの?」
「全然」
「じゃあ行こうよ。再来週くらいからだっけ?」
末樹は嬉しそうに笑った。
「来週末だよ」
「あ、そっか。じゃあ土曜日に行こう。糸村平気?」
「平気。そうしよう」
紺は頷くと、リュックを軽く背負い直した。
「受験生でも息抜きしないとな」
紺の言葉に、末樹も頷いた。
「末樹、昼だぞ」
昼休みの時間になり、紺は自席で何か考え事をしていて動かない末樹に声をかけた。
「あ、あぁ、そっか…」
見慣れた紺の顔が視界に入ると、末樹は目が覚めたかのように言った。
「顔色悪いけど、調子悪いのか?」
「いや、大丈夫だよ。昼食べよ」
末樹はそう言うと、ゆっくり立ち上がった。身体が重たそうだ。
「…学食でいいか?」
「ああ」
紺は末樹の体調を気にかけながらもあまり詮索しないようにしていた。
「豊嶋君」
二人が教室を出ようとすると、クラスの女子生徒が呼びに来た。
「何?」
「あの子が豊嶋君のこと呼んでるよ」
その女子は教室の前方の扉を指差した。そこには、昨日、二年生の教室で泣いていた女子生徒が立っていた。慣れない上級生の教室の前で、少し緊張しているようだった。
「あ…」
末樹は呼びに来てくれた女子生徒にお礼を言うと、教室の扉付近に急いだ。紺は呼びに来た女子生徒と顔を見合わせ、ニヤニヤしているその女子生徒の表情に気づき、煙たそうな顔をした。
「ごめん、お待たせしました」
末樹が近寄ると、後輩の女子生徒は、いえ、と小さく首を横に振った。
「すみません。お呼び出しして…」
「いや…」
「あの、これ…」
おもむろに、両手で大事そうに持っている小さな袋を差し出した。
「昨日は、ありがとうございました」
その可愛らしい袋を受け取ると、そこには昨日末樹が渡したハンドタオルと、お菓子が少し入っていた。
「わざわざこんな、ありがとう。むしろなんか、申し訳ないね」
末樹はタオルが返ってきただけではなく、貰い物まで受け取ってしまったことに申し訳なさを感じた。
「いえ、あの、昨日は本当に、…ありがとうございました。あの…嬉しかったので…」
少し頬を赤らめ恥ずかしそうに笑うその女子生徒は、目を伏せて両手をぎゅっと握りしめた。
「…そっか。お菓子ありがとう。ほんと、気にしなくていいよ」
末樹はいじらしいその女子生徒の様子を見て、少し照れ臭くなった。
「あの…」
末樹が会話を終えようとすると、女子生徒が顔を上げた。
「末樹」
その時、紺が末樹の背後から声をかけた。
「あ…」
「…」
紺の顔を見ると、女子生徒は少し気まずそうな顔をした。紺は表情一つ変えず、女子生徒を見た。
「じゃ、じゃあ私これで失礼しますっ!」
女子生徒は慌ててお辞儀をすると、ばたばたと駆けて行った。
「…どうしたんだろ?」
「さぁな」
呆気にとられる末樹とは対照的に、紺は短く相槌を打った。
「なんだ、お前そんなことしてたのか」
学食で昼ご飯を終え、末樹と紺は人通りの少ない屋上付近の踊り場にいた。昨日のタオルの件を紺に話すと、紺はニヤニヤ笑った。
「やっぱり気持ち悪いよね」
末樹は力なく笑った。
「でもああいう時どうしていいか分からなくない?」
「何かしなきゃと思うお前が偉いよ」
紺は末樹を小突いた。
「糸村は何もしないの?」
「分かんね」
「なんだよ、それはなしだろ」
けらけらと笑う紺に、末樹は眉を下げた。
「でも、ま、いいんじゃね」
「は?」
「末樹らしいよ」
「褒めてるのか…?」
末樹が怪訝な表情を見せると、紺はまた笑った。
「ところでさぁ…」
末樹は紺から目を逸らし、なんか言いたげな顔をした。
「?」
紺は少し身を乗り出し、末樹の顔を見た。
「…いや、いいや、だめだ、何でもない!」
「はぁ?」
末樹は頭をぶんぶんと横に振り、邪念を祓うかのように頬を覆うように叩いた。
「なんだよ。言えよ」
「いや、だめだ。勝手に言うことじゃない」
「あぁ?」
末樹は頭を抱えた。紺はそんな末樹の態度が面白くないようで、思い切り顔をしかめた。
「言わないなら言い出すなよ」
「ごめんー…」
「そういうのずるいからな」
「ごめんって」
不機嫌そうな紺に、末樹は手を合わせて謝った。しかし玖馬のことを勝手に相談する勇気はなかった。
「はぁ…まぁいいや…」
紺はため息をついて肩を落とした。怒るのも疲れたようだ。
「でもさぁ」
「あ?」
「糸村ってさぁ、好きな人とかいるの?」
「は?」
「いやごめん」
「なにが”でも”なんだよ」
紺はまた末樹を訝しげな顔で見た。
「こういう話題って俺ほんと分かんないからさ…」
「ピュアアピールいらないよ」
「ははっ。いや、でも真面目に…」
末樹は真面目な表情をして声のトーンを落とした。
「あんまり、無下にしたくないんだよね、こういう気持ちを」
雰囲気の変わった末樹につられ、紺も真顔になった。
「分からないなりに、どうにかしたい」
末樹の言葉を、紺は黙って聞いていた。末樹は、一度大きく息を吐くと、勢いよく顔を上げた。
「しっかりしよ…!」
自分に言い聞かせるようにそう言うと、末樹は紺の方を見て笑った。
「そろそろ戻ろうか」
紺は 末樹の顔を見たまま 黙って頷くと、末樹に合わせて立ち上がった。二人は階段を下りて、教室まで歩き出した。
「そういやさ、クマってコーヒー苦手なんだって」
「そうなの?まぁあいつ いつも炭酸飲料飲んでるし、基本甘いもん好きそうだしな」
「ははは、あー、そうかも。糸村は飲む?」
「俺は何でも飲むよ」
「でも一番は紅茶だろ」
「悪いかよ」
「いや、お洒落だな」
「お洒落…?いやしかし、クマはまだまだ子供舌だな」
「そうなのかもね。あはは、可愛いな」
末樹はそう言うと玖馬の顔を思い出して笑った。自分の兄への想いを知ったところで、玖馬のことが後輩として可愛いことに変わりはなかった。
紺は、笑う末樹を見て少し安心したような表情をした。末樹がいつもより元気がなかったので、笑顔が見えるまで心配していたのだ。
放課後、末樹は先生に荷物運びに駆り出された紺を待つため、校庭近くの花壇の傍にある石垣に座っていた。背後からは、部活動をしている賑やかな声、校舎からは楽器の音が聞こえてくる。
末樹はそれらの音をBGMに、スマートフォンを取り出し何か通知が来ていないかを確認しようとしていた。
「末樹先輩!」
スマートフォンの画面をつけた時、自分を呼ぶ声が聞こえた。
「クマ…」
顔を上げると、玖馬がジャージを着て走ってきた。
「部活?」
「はいっす!」
まだウォーミングアップを始めたばかりのような玖馬は、人懐っこい笑顔で返事をした。
「先輩、聞いたっすよ。莉々に何か貸したんっすね」
「莉々?」
嬉しそうに話し出す玖馬を前に、末樹は首を傾げた。
「あ、そうっす。長須莉々!今日昼に先輩のところに来た奴っす」
「あ、あぁー。あの子」
末樹はタオルを返しに来てくれた女子生徒を思い返した。
「はい!あいつ、俺と先輩が話してるとこ前に見てたみたいで、俺に先輩のこと聞いてきたんすよ。なんか返したいものがあるって」
「そうだったんだ」
「で、昨日先輩もうちのクラスの女子のこと聞いてきたし、何かあったのかなって聞いてみたんすけど…」
「それで?」
「うーん。話してくれなかったっす」
「そう」
末樹は玖馬に昨日のことを知られるのが恥ずかしくて内心どきどきしていた。
「莉々と何かあったんすか」
「内緒」
「なんすかそれー」
玖馬はもどかしそうに腕を振り下ろした。
「あっ!ところで先輩、昨日のことなんすけど…」
玖馬は末樹の肩に腕を回し、顔を近づけて小声で話した。
「あの…まだ先輩以外誰も知らないんで…その…」
「分かってるって。言わないし」
「…そうっすよね…!末樹先輩はそういう人っすよね…!」
末樹の答えに、玖馬はほっと胸を撫で下ろしたようだった。
「あ、でもさ、糸村には言っちゃだめ?」
「え?」
「ほら俺さ、あいつとよくいるからつい言っちゃいそうなんだよ。なんか、つい何でも話しちゃうし…」
「うぅうぅううん、まだ駄目っすー!」
玖馬は悩んだ末に、身を切るような思いでそう言った。
「紺先輩のことももちろん信頼してますよ?でも、やっぱりまだなんか怖いっす。俺、紺先輩に抵抗感持たれたらショックで…」
「あー、分かった分かった…!ごめんクマ」
末樹はうなだれる玖馬の頭をポンポンと叩いた。玖馬の葛藤が痛いほど伝わってきて、末樹は軽率な自分の発言を反省した。
「末樹先輩ぃー…ありがとうございます」
玖馬は末樹は末樹に寄り掛かるようにして抱きついた。
「ははは、大丈夫だよ」
「俺、応援してくれなんて勝手なことは言いません。ただ、ただ俺のこと、今まで通り接してくれると…嬉しいです…すみません…」
玖馬は泣きそうな声でそう言った。末樹はうんうん、と頷いて玖馬の肩をさすった。
「ほら、もう部活戻れよ」
「はい…!」
末樹が背中をポンと叩くと、玖馬は顔を上げて明るく返事をし、そのまま部活の仲間の元へ駆けて行った。
「まったく…」
末樹は玖馬が仲間と何か話しているのをほほえましく見送ると、もう一度スマートフォンへと視線を移したが、視線を感じ、再び顔を上げた。
「糸村、もう終わったのか?」
こちらに向かって歩いてくる紺を見つけ、末樹はスマートフォンをポケットにしまった。
「待たせて悪いな」
「いいよ」
「…」
「ん?どうした?」
紺が末樹の顔をじっと見てきたので、末樹は紺の顔を覗き込むようにして見返した。
「…いや」
紺はそう呟くと、帰るぞ、と踵を返した。
「あ、おい待てよ」
末樹が追いかけると、紺は意地の悪い顔で笑った。
「なぁ糸村。お前さ、俺の兄貴に会ったことあるよな?」
「あー、何回かあるな」
末樹の問いに、紺は記憶を辿るようにして答えた。
「俺の兄貴のことさ、どう思うよ?」
「はぁ?」
「いやなんかさ、進学するにあたって大学生の兄貴の見る目が変わったというかさ、他の人から見たらどう見えてるのかなって」
末樹は出来るだけ不自然にならないような理由を取り繕った。
「まぁ、そんなに会ったことあるわけじゃないけど、やっぱり俺らから見たらしっかりしてるというか、色々やってて凄いなと思うよ。お前の兄貴は特に、年下の俺らにも優しいし、基本的に穏やかだけど、しっかりした人だなと思ったかな」
「そういう感じなんだ」
「?」
「あ、あぁいや、ありがとう」
「…末樹も少し似てるよな」
紺は末樹を見ながら言った。
「え?どこが?あんま似てるって言われないんだけどな」
末樹は少し意外そうな顔をして腕を組んだ。
「温厚で無害そうなところとか」
「は?そこ?ってか無害ってなんだよ」
末樹は紺の言葉に納得できないような顔をした。紺は末樹をからかうように笑っていた。
「嫌なのか?無害じゃ」
「いや、いいよ、いいけどさ」
末樹は若干不機嫌な顔で紺を横目で見た。
「まぁそっかぁ…そういう感じかぁ…」
末樹がため息を吐くと、紺はもう一度笑った。
「そうだ、糸村がこの前買ってた本が映画になるんだよね?この前雑誌に載ってたんだけどさ、面白そうだね」
末樹は気を取り直すようにして言った。
「ああ、そうだけど」
「俺も観ようかなぁ…」
「…一緒に行く?」
間を開けて、紺が末樹に尋ねた。
「ん?いいの?」
「全然」
「じゃあ行こうよ。再来週くらいからだっけ?」
末樹は嬉しそうに笑った。
「来週末だよ」
「あ、そっか。じゃあ土曜日に行こう。糸村平気?」
「平気。そうしよう」
紺は頷くと、リュックを軽く背負い直した。
「受験生でも息抜きしないとな」
紺の言葉に、末樹も頷いた。
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