23 / 44
23話 一歩
しおりを挟む和乃に自分のことを話した日から、類香は両親のことを知ろうと少しずつ動き始めた。それでもまだ作品をちゃんと見る勇気はなかった。何度も挫折してきたからだ。
まずはネット上で見れる記事や、楓花の持っていた昔の雑誌を読むことにした。だがネガティブな記事だけは見る気はし起きない。そこには類香のことが書いてある可能性だってある。それはきっと耐えられない。
匿名の意見がまとめられているものも見ようとはしなかった。そこには、彼らの無責任な言葉や価値観の押し付けがあるだけだ。
これまで、日本に来てからは避けてきた両親の情報や姿は類香にとってはすべてが新鮮だった。少しの好奇心くらいはこれまでもあった。同時に知るのが怖かった。しかし今は、その恐怖と戦おうと思える。
逃げ出しそうになった時には和乃の笑顔が脳裏に浮かぶ。
自らの過去に潰されないように和乃も頑張ってきたのだろう。それは並大抵の精神力ではないはずだ。とても過酷で孤独だったはずだ。その辛さは類香にも推し量れない。
そんな彼女の言葉が類香の背中を押してくれた。
―私は、そんな類香ちゃんが好き。ご両親に感謝したい―
そんなこと、どうして言ってくれるのだろう。
無条件の優しさが類香の心に生暖かく突き刺さった。
類香は雑誌を隣に置き、楓花にとある動画を見せてもらった。
それは初めて見るもので、類香は受け取ったスマートフォンの音量を最大まで上げた。楓花は類香のことをいつも通り穏やかに見守ってくれている。楓花としても嬉しいのだろう。姉に興味を示す類香を見るのは。
動画を再生すると、そこに映っているのは涼佳だった。メイクもしておらず、服装も地味なものだったが、それでもその美しさは目を見張った。類香にはあまり似ていない。しかし、眉毛の形は同じだった。
『楓花? 見えてるかな?』
涼佳が画面の向こうに笑顔を映して喋っている。これはかつて楓花に送られた動画。まだ涼佳が駆け出しの頃のものだ。
『今、撮影中なんだよー』
涼佳は周りの景色を映す。夜中のようで、辺りは暗い。広い川の近くなのだろうか。屋形船の明かりがちらちらと浮かんで見える。近くには商業施設もあるようだ。賑やかな音楽が微かに流れていく。向こう岸に見える煙突からは煙が出ていて、時折、船の汽笛の音が聞こえてきた。
撮影スタッフの姿も遠くに見えている。とても寒そうで、皆、白い息を吐いていた。
『私、こんな地味な姿で出るの。楓花、どうかな?』
再び自分を映して涼佳は笑う。一人で画面に向かってしゃべることに照れている様子だ。
『でも、この作品を頑張れば、きっと目に留めてもらえると思ってる。作品が良いものになるように貢献するよー。楓花、そっちはどう? やっぱりそっちのティーンエイジャーって楽しい?』
楓花は当時、海外の学校に通っていた。海外志向の両親の影響で、楓花は学生生活を海外で過ごした。両親もまた海外での仕事が多く、この時から涼佳は海外にいる家族とは離れ日本で一人で挑戦をしていたのだ。
『私の名前がそっちにも届くように、応援してね』
涼佳は画面に向かって手を振った。その笑顔はとても優しくお茶目だった。
彼女の指が伸びてきて、動画はそこで終わった。
類香は楓花にスマートフォンを返した。
「ありがとう。楓花さん」
「いいのよ」
楓花はスマートフォンを受け取ると、にっこりと笑った。
「楓花さんにとって、私の両親ってどんな人? 雑誌とか見ても、やっぱりよく分からない」
「涼佳は歳が離れているから、すごく大人に見えて、私にとっても自慢のお姉ちゃんだったよ。芳樹さんのことはそこまで知らないんだけど、とても優しい人だった」
楓花は過去を噛みしめるように表情を綻ばせてスマートフォンを机に置いた。
「俳優だから、本性を隠すのは得意なのでしょうけど、二人は……涼佳は、そういうの下手だったかも」
「そうなの?」
「うん。演技も最初はド下手だったからね」
楓花はくすくすと笑う。
「だけど、努力家だったから。どんどん上手になっていって、皆に認められるようになったの」
「……そうなんだ」
類香は仏壇に目をやった。写真の彼女はそんなことを思わせない堂々とした姿でこちらを見ている
「水面下で足をばたつかせてるのよ。見えないようにね。それくらいの根性があるから、俳優業が楽しかったのだと思うわ」
「……楽しい、か」
「涼佳は、仕事が大好きだったからね」
「楓花さんと一緒だ」
類香は楓花のしみじみとした表情にくすっと笑った。
「似てるんだね。姉妹は」
「……そう?」
楓花は自覚のなさそうな顔をして眉をしかめる。
「私は、類香も涼佳に似てると思うな」
「……え?」
類香は思わず呼吸を止めた。類似点なんてあるのだろうか。一緒にいられた期間は短すぎたのに。
「類香も、努力家じゃない」
「…………」
「一生懸命すぎて、暴走しがちだけどね」
「それ、褒めてるのかな?」
類香は困ったように笑った。
「褒めてるって! 私は、そこまでの努力はできないから。仕事は好きだけど、ただ向いてるってだけだし」
「そうかなぁ?」
「そうでしょう!」
楓花は類香に歯を見せて笑う。少しだけ涼佳に似ているその表情に、類香はどきっとした。
涼佳は自分の母親だ。
今までちゃんと見ることができなかった彼女の瞳の奥に秘めた面影に、その実感が少しだけ沸いてきた。
*
すっかり定番となった屋上で食べる昼ご飯。
類香は今日も和乃と一緒にお弁当を食べていた。和乃のお弁当はいつも栄養バランスの考えられているものだった。
「類香ちゃん、今日はおにぎりなんだね」
和乃が類香の手元を見てそう言った。
「うん。ご飯が余ってたから。今日は、楓花さんの分も作ったの」
「楓花さん、いつか会ってみたいなぁ」
「……いつか会えるよ」
類香はそう言っておにぎりを口に運んだ。友達に家のことを話すなんて、類香にとっては照れ臭すぎる出来事だった。
和乃が鮮やかな色の鮭に箸を伸ばした時、二人の前に影ができた。視界から光を奪われ、二人は顔を上げる。
「二人ともいつもここで食べてるの?」
その影の正体は夏哉だった。購買で買ったパンを掲げて爽やかに笑っている。今日は白のセーターを着ているせいなのか、太陽が当たって真っ白に見えた。これではレフ板だ。
「夏哉、眩しい」
類香は思わず目を細めた。
「悪い悪い。俺、そんなに輝いてたか?」
「は?」
類香は呆れた顔で夏哉を睨みつける。
「日向くんも屋上で食べるの?」
「今日はそうしようと思って」
「夏哉、今日は一人なんだ?」
「そ。みんな用事があるからな」
「じゃあ一緒に食べようよ、日向くんも」
和乃はそう言って類香の方に詰める。類香はそれに渋々同意し、夏哉の同席を認めた。
「夏哉はいつもパン買ってるわけ?」
「俺、購買のパン好きなんだよなー」
夏哉は和乃の隣に座ると、今日の昼食を見せつけてきた。
「私、購買で買ったことない。日向くん、おすすめとかある?」
「ああ、色々あるよ。今度一緒に買いに行く?」
「いいの? 教えて欲しいな」
和乃はにこにこと笑いながら会話を進めていく。類香はその会話を静かに聞いていた。
「そうだ日向くん。津埜ちゃんがね、文化祭の発表きてくれてありがとうって」
「ん? そんなこと、わざわざお礼を言うものでもないだろ。なんか悪いな」
文化祭という言葉に夏哉が一瞬瞳を止めたのを類香は見逃さなかった。夏哉は絶対にあの時何かを聞いていた。類香はそう確信していた。和乃の良くない噂を黙っていたなんて、なんだか寂しい。広まる前にどうにか対処できたかもしれないのに。
正直根拠はないけれど、今ならそう思える。
類香は大きく口を開けておにぎりを頬張った。
(私に言ったところでって気持ちもわかるけどさ……)
類香はそれを理解してもなお不満が残っていた。
(責任取ってもらうって決めたんだから)
類香の静かな決意に夏哉が気づいているはずもなかった。
和乃のお弁当を見て目を輝かせている彼のことを類香はやるせない表情で見つめた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
明星一番! オトナ族との闘い。
百夜
青春
波乱万丈、神出鬼没!
言葉遊びで展開する新感覚のハイテンション学園アクションコメディです。
明星一番は高校3年生。偶然隣りの席にいた三咲と共に、次々と襲い掛かかってくるオトナ族との闘いを「言葉遊び」で制していくーーー。
だが、この学園には重大な秘密が隠されていた。
それが「中二病」・・・。
超絶推理を駆使して、彼らはその謎を解けるのか?
【完結】あの日、君の本音に気付けなくて
ナカジマ
青春
藤木涼介と清水凛は、中学3年のバレンタインで両片思いから両想いになった。しかし高校生になってからは、何となく疎遠になってしまっていた。両想いになったからゴールだと勘違いしている涼介と、ちゃんと恋人同士になりたいと言い出せない凛。バスケ部が楽しいから良いんだと開き直った涼介と、自分は揶揄われたのではないかと疑い始める凛。お互いに好意があるにも関わらず、以前よりも複雑な両片思いに陥った2人。
とある理由から、女子の好意を理解出来なくなったバスケ部男子と、引っ込み思案で中々気持ちを伝えられない吹奏楽部女子。普通の男女が繰り広げる、部活に勉強、修学旅行。不器用な2人の青春やり直しストーリー。
義姉妹百合恋愛
沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。
「再婚するから」
そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。
次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。
それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。
※他サイトにも掲載しております
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
青春ヒロイズム
月ヶ瀬 杏
青春
私立進学校から地元の近くの高校に2年生の新学期から編入してきた友は、小学校の同級生で初恋相手の星野くんと再会する。 ワケありで編入してきた友は、新しい学校やクラスメートに馴染むつもりはなかったけれど、星野くんだけには特別な気持ちを持っていた。 だけど星野くんは友のことを「覚えていない」うえに、態度も冷たい。星野くんへの気持ちは消してしまおうと思う友だったけれど。
片翼のエール
乃南羽緒
青春
「おまえのテニスに足りないものがある」
高校総体テニス競技個人決勝。
大神謙吾は、一学年上の好敵手に敗北を喫した。
技術、スタミナ、メンタルどれをとっても申し分ないはずの大神のテニスに、ひとつ足りないものがある、と。
それを教えてくれるだろうと好敵手から名指しされたのは、『七浦』という人物。
そいつはまさかの女子で、あまつさえテニス部所属の経験がないヤツだった──。
どうしてもモテない俺に天使が降りてきた件について
塀流 通留
青春
ラブコメな青春に憧れる高校生――茂手太陽(もて たいよう)。
好きな女の子と過ごす楽しい青春を送るため、彼はひたすら努力を繰り返したのだが――モテなかった。
それはもうモテなかった。
何をどうやってもモテなかった。
呪われてるんじゃないかというくらいモテなかった。
そんな青春負け組説濃厚な彼の元に、ボクッ娘美少女天使が現れて――
モテない高校生とボクッ娘天使が送る青春ラブコメ……に見せかけた何か!?
最後の最後のどんでん返しであなたは知るだろう。
これはラブコメじゃない!――と
<追記>
本作品は私がデビュー前に書いた新人賞投稿策を改訂したものです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる