君を救える夢を見た

冠つらら

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7話 購買

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 チャイムが鳴る少し前。雪崩込むように和乃が教室に入ってきた。HRにぎりぎり間に合ったようだ。クラスメイト達は息を切らして慌てている和乃のことを微笑ましく見守っている。彼女が教室に入ってきただけでこんなにも朗らかな雰囲気になるものなのか。
 類香はその事実にチクリと胸が痛んだ。

「わのちゃん、ぎりぎりだったね」
「寝坊しちゃって……!」
「間に合ったからセーフだよ」

 和乃は隣の席の生徒とそんなことを話していた。確かによく見ると髪の毛が跳ねている。和乃は恥ずかしそうに笑っていたが、類香の視線に気づいたのか、ふと類香の方を見た。

「るいかちゃん、おはよう」

 和乃の口がそう動いたように見えた。
 彼女と目が合った類香はぎょっとした顔をした後、すぐに視線を逸らした。

「今日は学級委員長から話があるぞ」

 朝の挨拶を済ませた担任がそう言うと、和乃は正面を向き直す。
 担任に呼ばれた学級委員長の生徒が意気揚々と教室の前に出てくる。快活な表情をした男子生徒で、声が大きいことを類香も把握していた。頬杖をつくふりをして指先を耳元に添える。

「諸君! もう分かっていると思うけど、もうじき文化祭だ! そこで、クラスで何をやるのかを決めたいと思う」

 その言葉を皮切りに、教室は一斉にざわざわと色めき立つ。皆、文化祭が楽しみなようだ。類香はそんな彼らの気持ちが分からず、つまらなそうな表情のまま委員長を見る。

「明日の最後のHRで詳しく話し合いたいと思う。皆、様々な案を聞かせてくれ!」

 学級委員長はそう言い残して、得意げな顔をして席へと戻った。

「……そういうわけで、それぞれ部活とかもあるとは思うが、クラスに方にも力を貸してくれよー」

 担任は補足するように呼び掛けると、その他の連絡事項を淡々と話し始めた。

(文化祭か……)

 類香は頬杖をついたまま担任の声だけを聞いていた。
 去年のクラスでは、確か教室一杯に段ボールでジェットコースターを作った。それが思いのほか大人気で、類香は延々とそのメンテナンスをしていた記憶が残っている。
 接客はどうしてもやりたくなかったし、校内を見て回ることもしなかった。サボることもできたが、人手が足りなくて焦るクラスメイトを見て、類香は普段協調性がない分、見えないところで手伝おうと思ったのだった。

 メンテナンスをしていた間は段ボールに囲まれて、その独特の匂いが鼻に染みつき、まるで自分が別世界にいる気分になれた。あの時段ボールになれたのなら、いっそ良かったのに。
 類香にとっての文化祭は、クラスメイトが一生懸命絵の具で塗った段ボールのカラフルな一面。ただそれだけだった。

 今年は何をやるのだろうか。とにかく、人と接することがないものになりますように。彼女の希望はそれだけだった。最悪、もう今年はサボってしまえばいい。このクラスなら皆で率先して準備を進めていきそうな雰囲気が見え、類香はそんなことをぼんやり考えながら授業の支度を始めた。



 昼休みになると、今日もまた和乃の気配を感じた。仲の良い友達と話しているが、彼女は一向にお弁当を食べようとしない。身体をこちらに向けて、類香のいる所へ今にも歩き出しそうだ。
 類香はすくっと立ち上がると、鋭い眼光で夏哉のいる方向を見た。彼もまだ席に座っている。前の席の生徒と何かの話題で盛り上がっているようだ。しかし。

(まずい)

 話が終わりそうにない夏哉の背後に友人が控え、当然のように彼を購買に連れ出そうとしている。
 類香はごくりと息を呑みこむと、意を決したように彼らに近づいた。

「夏哉」

 類香が声をかけたことに、夏哉と話していた生徒も彼を待ち構えていた友人も驚いた顔をしている。類香は決まりきった反応をするそんな彼らを視界にも入れなかった。

「なんだ?」

 夏哉自身も類香の登場に驚いているようだったが、すぐに笑顔を返してくれた。

「行こう」
「え? どこへ?」

 夏哉が口を開くと同時に、類香は強引に彼の鞄から顔を覗かせている財布を素早く奪った。

「購買」

 そしてそのまま夏哉の財布を我物のように持ったまま足早に教室を出て行った。

「は!? ちょっと、待てって」

 財布を奪われた夏哉は慌てて類香の背中を追う。その様子を和乃は友人と話しながら呆気にとられたように見ていた。そして夏哉が出て行くと、彼女は手に持ったお弁当を寂しそうに握りしめる。お弁当を包み込むバンダナが非力な力に虚しくよれていった。

「瀬名!」

 競歩かと文句を言いたくなるくらいの速さで歩く類香を夏哉はどうにか呼び止めた。彼女はピタリと足を止めると何事もなかったかのように凛とした表情で振り返る。

「俺の財布……」
「え?」

 類香は手に持った夏哉の財布に目を落とす。

「ああ。はい」

 ようやく財布を返すと、類香はそのまま黙って彼の隣に並んだ。夏哉は困惑した様子で隣の類香を見やる。

「瀬名も何か買うのか?」
「……ううん」
「うん?」

 類香が首を横に振ると、夏哉はその反応に違和感を覚える。

「購買行こうって、言っただろ?」
「……お財布、鞄に忘れた」
「はぁ?」

 夏哉はぎょっとした顔をして呆気にとられた後で、肩を脱力させて小さく震わせははじめる。笑いをこらえているようだ。

「お昼、どうするんだよ? 取りに戻るか?」
「……ううん。戻らない」
「じゃあどうする?」

 夏哉は無表情の類香の顔を覗き込むように身体を屈めた。

「我慢する」
「食べるのを?」
「うん。今、教室に戻りたくないから」
「……分かった」

 彼女の選択に夏哉は大きく頷いた。

「今、金欠でさ。お菓子くらい分けるから、一緒に食べような」
「……うん」

 夏哉のお誘いに類香は静かに頷く。本当はお腹が空いている。今日はお弁当を持ってこられなかったから、何かを買わなければ食べるものは何もなかった。
 よく考えれば、夏哉を誘わなくても良かったかもしれない。類香は冷静になってそう気づいた。和乃から逃げたかったのであれば、あのまま一人で早々に教室を出ればよかったのだ。なのにどうしてわざわざ手間をかけてまで夏哉を連れてきたのだろう。

「……ごめん」

 類香は夏哉の背中にそう囁いた。その声が聞こえたのか、彼は振り返ってにっこりと笑う。

「いいって。奢れなくてごめんな」

 夏哉はお菓子をシェアすることについて謝ったのだと勘違いしているようだ。類香は気まずそうにその笑顔にぎこちない微笑みを返した。同級生とご飯を食べるのは、これが二回目になる。

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