操り人形の外の世界

冠つらら

文字の大きさ
上 下
35 / 56

35.見知らぬ街並み

しおりを挟む
 明日からホリデー期間に入る今日この日、送迎場に来た私は、深緑色の丸い顔をした車の前で深呼吸をした。
 白い手袋をした、ワカモイさんよりも若い運転手が後部座席の扉を開けると、颯爽と歩いてきたオルメアがポンッと私の肩を通り過ぎざまに叩く。

「ロミィ、行こうか」
「う……うん」

 手に持った鞄に力が入る。運転手にエスコートされ、オルメアを待たせないためにも車に乗り込んで手のひらを見てみれば、すっかり赤くなってしまっている。
 パタン、と優しくドアが閉まる。

「ごめんね、誘ったのに待たせてしまって」
「ううん。先生に呼ばれていたのでしょう?」
「ああ。父によろしくってさ」

 片手に上げた小さな箱の中からリンリンと鈴の音が聞こえてくると、オルメアは砕けたように笑う。彼が持っている小さなプレゼントは先生からのものだろうか。オルメアのお父様が協賛しているエアレースの鑑賞券を求めて、レースの大ファンの先生が贈り物をしてきたらしい。
 丁寧に帽子を被り、準備を整えた運転手にオルメアが合図を送ると、滑らかにタイヤが動き出す。

 慣れない車の中で、すぐ隣にオルメアが座っている。
 運転手は当然、運転に集中しているから余計な音は一切出さない。
 ワカモイさんと違って音楽やラジオをかけることもないから、三人だけの車内はそれぞれの息遣いが聞こえるほどに静かだった。窓の外を並走する他の車のエンジン音だけが耳に情報を与えてくれる。

 座り心地は少し硬いシートの上で、ぎこちない私はいつの間にか肩をすくめていた。居心地が悪いわけではない。けれど、社内に漂う優雅な香りに心が満たされると同時に張り詰めていく。
 オルメアの家の車に乗ったのは初めてだ。
 それを体感している今、その事実だけで胸が高鳴る。オルメアはプレゼントをそっとシートに置き、窓の外を見て整った唇でほのかに曲線を描く。

 何を見ているのだろう。
 慣れた空間にいるからなのか、先ほどまで学院にいたオルメアとは違って肩の力が抜けているように見えた。
 彼の視線を追いかけようと、控えめに反対側の窓の外の景色を窺う。
 まだ明るいのでライトアップはされていないけれど、街中を彩る祝福の飾りが陽の光を反射して繊細な光彩を放っていた。

 車は、見慣れた街を走り続ける。お馴染みの景色を通り過ぎていく時間はあっという間だった。車が大通りで左に曲がると、見た記憶の薄い街並みへと入っていく。
 これから、オルメアから前に相談を受けたイディナ・ローレンさんの家へ訪ねるのだ。
 イディナさんの家はオルメアの家のすぐ近くで、私は彼の住む区域へはあまり行ったことがない。彼の家はこの街でも有数の高級住宅地だ。私の家は街から少し離れた場所にあるから、ほぼ反対側のこちらへは用事がなかったのだ。

 知らない景色をもっと見ようとフロントガラス越しの世界に首を伸ばして興味を示した私にオルメアが気づき、その様子に何を思ったのか申し訳なさそうな顔をする。

「休暇の前なのに、ごめんね急で。忙しかったよね?」

 眉間に皺でも寄っていたのだろうか。そんなつもりは全くなかったけれど、知らない街への興味が無意識に難しい顔をさせていたかもしれない。

「いいの。私が会いたい、って言ったことなんだから」

 慌てて首を横に振ると、ほんの少し目が回った。

「今日はイディナさんの家の装飾の続きをしようと思ってね」
「クリスマスの?」
「そう。新しい年を迎える準備だよ。前に、急用が入って中途半端なままだったから……」
「そうだったの。オルメアは優しいのね」

 恥ずかしそうに笑う彼の小さな笑い声が私の胸を叩く。さっき、勘違いをさせてしまったかもしれないから、彼の反応にほっとした。

「優しくなんてないよ。イディナさんにとっては迷惑なのかもしれないし。僕の自己満足かも」

 遠い目をするオルメアは眉を下げる。私はその表情に胸がきゅっと締め付けられた。

「自己満足だとしても、本心はきっと彼女に届いているはずよ」
「そうだといいけど……」

 自信がないなぁ、と、彼は普段は見せない弱音を零した。垣間見えた彼の素顔をもっと見たいと求めてしまう私は、はやる気持ちを押さえつける。

「イディナさんって、どんな方?」
「そうだなぁ……。両親が今以上に忙しかった頃、僕はまだ小さくて、周りに同年代の子どもも少なかったからよく一人で遊んでいたんだ。そしたら近所のイディナさんがそれを見かねて遊び相手になってくれたんだ。僕にとってはもう一人の祖母みたいな存在だよ。だから、勝手に心配してしまうんだ」
「……イディナさんは、お一人なの?」
「ああ。旦那さんを亡くしてからはずっと一人だ。子どもはいなかったと聞いている」
「そうなのね。そうしたら、イディナさんにとってもオルメアは孫みたいな存在かしら?」
「……そう思ってくれていたのなら、嬉しいけどね」

 はにかむオルメアは、それを隠すように重ねて微笑む。そうすると、また彼の素顔が見えなくなってしまう。隠さなくていいのに。もっと、私に心を開いて欲しい。
 勝手な望みをしているのは私の方だ。
 オルメアのイディナさんへの愛情は、ただただ純粋で、私のこれとは大きく違う。
 自分が情けなくなり、また景色に目を移すオルメアの隣で膝に置いた鞄を握りしめた。
 きっとまた、手は真っ赤になる。



 それから十五分ほど経ったところで、私たちを乗せた車は音もなく止まった。
 顔を上げると、窓の外には薄いオレンジと黄色に塗られた家が見えた。私の家よりも少し小さいけれど、普通の住宅街で見る家と同じくらいの大きさだ。

 車を降りると、庭は枯れ葉が残り、その下に雑草が少し生えていて、そこまで完璧に手入れをされている様子ではないようだった。オルメアが雑草を見下ろして反省するように顔をしかめたので、きっと彼がここの手入れも手伝っているのだろう。
 閑静な住宅地で、隣の家との感覚も均整に保たれていて、通る空気が一層澄んでいるように思えた。

 オルメアの後ろに続き、呼び鈴を鳴らして私は扉が開くのを待った。庭には何も置いていなくて、広さも相まって余計に殺風景に見える。ここでオルメアも小さなころ遊んでいたのかな。そう思うと、私が永遠に見ることのできない彼の幼少期の残像がそこにあるようでドキドキした。

「……オルメア?」

 ゆっくりと開かれた扉の向こうから、しゃがれた声が聞こえてくる。
「こんにちは、イディナさん。今日は友だちも来ているんです」
「……まぁ、そうなの。……いらっしゃい」

 背中が丸くなった小さなおばあ様は、化粧はしていないものの美しく艶めくシルバーの髪の毛はきっちりとお団子にセットされていた。
 その艶めきから、彼女が髪の手入れをしっかりしていることが見てとれる。
 皺のある顔は笑うことはなかったけれど、窪んだ瞳は私のことを歓迎してくれる温度を感じた。

「お邪魔します」

 部屋の中はアンティークな家具でまとめられていて、踏んだ絨毯は長年使った証拠にその模様の本領を大きく発揮していた。イディナさんは物を大事にする人なのだろう。使うほどに磨かれる調度品が、その性格をはっきりと映していた。
 イディナさんは入ってすぐのリビングの椅子に腰を掛け、飲みかけの紅茶のカップを手に取る。
 オルメアは私にソファに座るように促すと、慣れた様子でキッチンの方まで進んで行った。
 しばしの間二人きりになった私は、視線をカップに向けたままのイディナさんの表情を観察するように窺った。

「あの……ロミィといいます。はじめまして」
「……はじめまして、ロミィ」

 年季を感じる彼女の堂々とした佇まいに、掠れた声すら威厳を感じる。
 けれどその後は頑なに口を閉じたままで、私の方を見ようともしなかった。すっかり心を閉ざしてしまったのは本当みたい。

 きょろきょろとリビングの中を見回してみると、飾られた写真はどれも古いものばかりだけれど、決まって二人で写っている。きっと彼が旦那さんだ。快活そうな笑顔の紳士の傍らに無邪気に笑う若きイディナさんが寄り添っている。この写真を見ただけで、二人がどんなに良い関係だったのかが伝わってきた。
 多分、二人は好奇心に満ち溢れていて、どんなことも楽しんで乗り越えてきてしまったのだと思う。
 写真の中で彼と彼女は、互いを信頼した素顔のまま、その記憶を閉じ込めていた。

「ロミィ、どうぞ」

 そうしている間に、オルメアが可愛らしいドット模様のカップに紅茶を淹れて目の前の机に置いてくれた。オルメアの手には波模様のマグカップ。湯気の立っているその中身を一口飲み、にっこりと笑っている。
 オルメアが淹れてくれた紅茶を口に含むと、甘い誘惑が口の中に広がった。向かいの椅子に座るオルメアはイディナさんと会話を始めたけれど、私はその紅茶の海の中でぽかぽかとする頬が緩んでいくのを俯いて隠す。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

愛されていないのですね、ではさようなら。

杉本凪咲
恋愛
夫から告げられた冷徹な言葉。 「お前へ愛は存在しない。さっさと消えろ」 私はその言葉を受け入れると夫の元を去り……

どうやら婚約者が私と婚約したくなかったようなので婚約解消させて頂きます。後、うちを金蔓にしようとした事はゆるしません

しげむろ ゆうき
恋愛
 ある日、婚約者アルバン様が私の事を悪く言ってる場面に遭遇してしまい、ショックで落ち込んでしまう。  しかもアルバン様が悪口を言っている時に側にいたのは、美しき銀狼、又は冷酷な牙とあだ名が付けられ恐れられている、この国の第三王子ランドール・ウルフイット様だったのだ。  だから、問い詰めようにもきっと関わってくるであろう第三王子が怖くて、私は誰にも相談できずにいたのだがなぜか第三王子が……。 ○○sideあり 全20話

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

【完結】王女様がお好きなら、邪魔者のわたしは要らないですか?

曽根原ツタ
恋愛
「クラウス様、あなたのことがお嫌いなんですって」 エルヴィアナと婚約者クラウスの仲はうまくいっていない。 最近、王女が一緒にいるのをよく見かけるようになったと思えば、とあるパーティーで王女から婚約者の本音を告げ口され、別れを決意する。更に、彼女とクラウスは想い合っているとか。 (王女様がお好きなら、邪魔者のわたしは身を引くとしましょう。クラウス様) しかし。破局寸前で想定外の事件が起き、エルヴィアナのことが嫌いなはずの彼の態度が豹変して……? 小説家になろう様でも更新中

処理中です...