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25.依頼人の笑顔
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さてさて、ニアへの興味も尽きないままだけれど、そんな私だってちゃんと学業に取り組んでいかなければならないもので。もやもやする気持ちは一度置いておき、目の前の別の課題へと意識を優先させる。
私は依頼主であるアランドラ夫妻のもとへと向かった。夫妻は街でおもちゃ屋を経営しており、老舗のこの店は、周りの新しくできた他の店と比べたら少し規模が小さいけれど、市民に今もなお愛されている。
でも愛されているだけでは、経営は続かない。
近頃はデパートの存在感が大きくなってきたからか、夫妻はその影響を大いに受けている。
そろそろクリスマスも近づいていて、これからが本格的にお店が賑わう時期なのだけど、品ぞろえでは敵わないデパートに年々お客を取られているとのこと。
確かに、お客さんの気持ちもとてもよく分かる。デパートには何でも揃っているから、そこで用事を済ませてしまいたくなるのだろう。
それに、やっぱり明らかな規模の差は大きい。老舗の夫妻の店よりも、新しくてなんか面白そうなデパートに足を運んでしまうこともあるのだろうし。
トイ・ポモドーリの看板を見上げ、その歴史を感じ取れるアンティークな造りに私は感心する。夫妻が三代目だと言うけれど、そんなに長いこと商売できているのは、それだけでも凄いのではないだろうか。
耳に優しく語りかけるような鈴の音を立てて店の扉を開けると、中は暖かな照明に包まれ、棚一杯におもちゃが並び、壁にも仕掛け時計や絵画などが所狭しと飾ってある。頭上で聞きなれない音がするので見上げてみると、なんとそこには棚と棚を繋ぐようにしておもちゃの汽車が走っている。僅かに煙のようなものまで上げていて、やけに本格的だ。
まるで初めて見つけた宝島のような店の中へ一歩足を踏み入れると、控えめだけれど存在を主張するように目の前で小さなシンバルが叩かれる。
不意打ちに驚いて目を丸くしていると、シンバルの持ち主である愛らしい表情をしたお猿の人形と目が合った。
「……びっくりした」
ちょうどお客様を出迎えるようにして置いてあるその猿のおもちゃに飛び上がった心臓をなだめていると、奥に見える細い階段から、眼鏡をかけた黒髪の男性が下りてくるのが見えた。
「やぁ、いらっしゃい」
この人がアランドラ氏だ。店主である彼は、少し汚れがついたエプロンをして、その下にはストライプのシャツを着ている。優しいその顔はひげが綺麗な形に整えてあり、エプロンは汚れているけれど、とても清潔感がある印象を与えてくれた。
目が眩みそうなほどのおもちゃに囲まれた店の中央にあるカウンターの中に入ると、アランドラ氏は改めて会釈をする。
「こんにちは、アランドラさん」
カウンターの後ろの壁には年季の入った置物が多数置いてあり、その丁寧に手入れされた艶めきに惚れ惚れしながら、私はアランドラ氏の正面に立つ。
「ロミィさん、お待ちしておりましたよ」
優雅に笑うアランドラ氏の穏やかな声に自然と頬が緩む。アランドラ氏とは何度か会っているけけれど、彼の持つ独特な雰囲気はいつも緊張感を溶かしてくれる。
「あの、今日はシャーリーさんは……」
ダリル・アランドラ氏の最愛の人であるシャーリー・アランドラさんは、ダリルさんと同じくらい温厚で、すごくお似合いのパートナーだ。
「妻は今、倉庫にいましてね。すぐにこちらに来ますよ」
「そうですか。では……」
喋り続けようとする私に向かって、ダリルさんは人差し指を優しく向ける。
それは……シーってこと?
きょとんとする私に、ダリルさんはニコッと笑いかけ、一度カウンター裏の扉の向こうへと消えてしまう。一、二分ほどの間があって、ダリルさんは片手にカップを持って再び姿を現した。
「どうぞ、ロミィさん」
「ありがとうございます!」
すっかり私のお気に入りとなったダリルさんお手製のコーヒーだ。思わず身体を弾ませ、手に持っていたファイルを胸に抱えるようにしてカップを手に持つ。
やっぱり美味しい。
声に出さなくともその気持ちは丸わかりだったようで、ダリルさんは嬉しそうに目を細める。
「今日は案を持ってきてくれたのでしたっけ?」
コーヒーを飲んでご満悦の私を見たまま、ダリルさんはカウンターに手を置いて本題に入る。
「はい。そうです。お二人に見ていただきたくて……」
気を取り直して、半分飲んだカップを置き、私は改めてファイルを持ち直す。
「ありがとう。私も妻も楽しみにしておりまして」
「いいえ、そんな……お役に立てればいいのですが……」
ファイルを開き、ぶり返してくるドキドキ感を高揚する心だと錯覚したまま企画案を書いた紙を手に取る。
「お二人のお話を聞いて、今回はお客様の興味を惹く、ということを主な目的としたPR案を考えてみました。二ブロック先にあるデパートの存在感は、近年、市民の中でも増しています。でもトイ・ポモドーリだってお店の魅力として負けているわけでは決してないのだと思っています。そしてそれは、皆も知っているはず。だけど煌びやかで派手なものに、どうしても視線は向かってしまうもの。人の注目を引くには、やはりある程度の光を照らさないと、なかなか目は開かない。美しく輝く鉱石だって、その他の石にはないきらめきで人々の関心を寄せることができる。だから、トイ・ポモドーリにも宝石のような輝きを演出するんです」
ダリルさんは渡された紙に目を通し、私の声を静かに聞いている。
穏やかな表情のままだけれど、逆にその感情が読めない。私は、ごくりとつばを飲み込む。
「トイ・ポモドーリをイメージしたイルミネーションを、街に張り巡らせるのはいかがでしょうか」
薄れたはずの緊張感を取り戻していく私は、思いきってはっきりとした口調で告げる。
「きらきらとしたこのお店の様子を、イルミネーションでそのままに表現するんです。きっと、視界を楽しませて、印象にも残ります。皆の中に眠っていた幼き頃のワクワクとした気持ちが、このお店との素晴らしい記憶とリンクして、大人たちの関心も引けるのかと思うのです」
プレゼンはいつだって苦手だ。
どれだけ自信を持っていようとも、自分の胸の内を晒しているような気まずい気持ちが湧いてくる。気にしすぎなのは分かっているけど、それでもこれは癖なのだから、なかなか自分ではどうしようもないことだ。
そんな臆病な私に比べて、オルメアやニアたちはいつも堂々としていて羨ましい。
同じ歳で、同じようなことを学んでいても、こうも違ってしまうものなのかと、卑屈になってしまうことだってある。だけど、私だって……。
思い返すエレノアの決意と、お店で見たベラの姿に、私はぐっと心を奮わせる。
「なるほどねぇ……」
ダリルさんがゆっくりと頷いてその深い瞳を私に向ける。穏やかなのに、全身がひりつく感覚に陥った。
「賑やかで面白いね。確かに、今はもう皆、そういった新しいものが好きだからね」
「……そう、ですね……」
なんだろうこの感覚。
私は言いようのない不安に襲われながらも床につけた足を踏み込んで堪える。
「デパートのような派手な催しは、私たちみたいな小さなお店には難しいことだからねぇ……」
「費用の方は、学校の予算で下りるので問題はありません……!」
お金の問題なのだろうか。
そう答えてはみたものの、ダリルさんの柔らかな眉毛を見ていると、的外れなことを言っている自覚が浮き彫りになってくる。
「……それは頼もしいです。はは、私たちのような店でも、あのデパートのような華やかさが実現できるのですね。貴重な経験です」
違う。
ダリルさんはそんなこと、多分思っていない。
最初この依頼を聞いたとき、アランドラ夫妻はデパートの展開の仕方に憧れてしまうと言っていた。自分たちにはできないことを、やすやすとやり遂げてしまうのだから。
その規模の違いを寂しそうに語った二人の顔。私は、そんな二人に何を見ていたのだろうか。
憧れだと言っていたデパートがやるような、華やかで大胆な広告。それらを参考にしながら、私なりに考えて、トイ・ポモドーリの新しい姿を見せることができたらって、この案を企画した。
デパートの知り合いにちょっとお話を聞いたりして、計画もそれなりに練ってみた。
だけど。
「ありがとうロミィさん。シャーリーにもこのことを伝えておくよ。きっと喜ぶだろう」
ダリルさんは優しくそう言うけれど、シャーリーさんはきっと喜ばない。
ううん。ダリルさんだって同じはずだ。
ファイルを閉じ、私はぴしっと前を向く。
「ダリルさん。もう少し、お時間をいただけませんか……?」
これでは意味がない。
これは依頼人のアランドラ夫妻にとって、とても大事な話なはず。
このままじゃ、私が納得できない。
「お願いします……!」
ハラハラとした心のまま、私は頭を下げた。
「ロミィさん……?」
ダリルさんは優しいから、きっと直接は言わないけど、それでも私には分かってしまった。
彼らが望んでいたことは、デパートの模倣などではないということを。
でも、どうすればいいんだろう。
分からないけれど、このままこの案を押し通すのは駄目だ。
「……分かりました。ロミィさん」
「……はい! ありがとうございます!」
顔を上げた勢いのままにダリルさんの手から紙を強引に奪い取り、大きな声でお礼を言う。
威勢のいい声とは対照的に、心の中は悲鳴を上げていた。
私は大事なことを見落としている。
それなのにそれが何かが分からない。
こんなことでは……。
店を出ようとした私と入れ替わるように帰ってきたシャーリーさんにぶつかったことにも気がつかないまま、私はとぼとぼと街を歩く。
これまで、依頼人にあんな反応をされたことはあまりなかった。
皆、所詮は高校生だからって、期待していなかった人たちが多かったのだと思う。特殊な学校の課題だし、まだ未熟な私たちは、その立場に甘えてしまうことだってきっとある。だけど、アランドラ夫妻は違う。初めて会った時から、私のことを一人の対等な人間として扱ってくれた。
だから二人の失望したような顔を、余計に見たくなかったのかもしれない。
じわじわと目頭が痛くなってくる。
悔しい。
頑張って考えたことを喜んでもらえなかったことじゃなくて、どうすればいいのかが分からないのが悔しい。
オルメアなら、こんな問題、すぐにクリアしちゃうのかな……。
オルメアは入学して以来、依頼主の希望には期待以上の提案をして、いつも依頼主を本当の意味で笑顔にしている。
あなたの隣に並びたいなんて夢を見ているくせに、私はこんなことも自分で答えが出せないんだ。
悔しくて情けなくて、私はそのやり場のない感情をため息で吐き出した。
私は依頼主であるアランドラ夫妻のもとへと向かった。夫妻は街でおもちゃ屋を経営しており、老舗のこの店は、周りの新しくできた他の店と比べたら少し規模が小さいけれど、市民に今もなお愛されている。
でも愛されているだけでは、経営は続かない。
近頃はデパートの存在感が大きくなってきたからか、夫妻はその影響を大いに受けている。
そろそろクリスマスも近づいていて、これからが本格的にお店が賑わう時期なのだけど、品ぞろえでは敵わないデパートに年々お客を取られているとのこと。
確かに、お客さんの気持ちもとてもよく分かる。デパートには何でも揃っているから、そこで用事を済ませてしまいたくなるのだろう。
それに、やっぱり明らかな規模の差は大きい。老舗の夫妻の店よりも、新しくてなんか面白そうなデパートに足を運んでしまうこともあるのだろうし。
トイ・ポモドーリの看板を見上げ、その歴史を感じ取れるアンティークな造りに私は感心する。夫妻が三代目だと言うけれど、そんなに長いこと商売できているのは、それだけでも凄いのではないだろうか。
耳に優しく語りかけるような鈴の音を立てて店の扉を開けると、中は暖かな照明に包まれ、棚一杯におもちゃが並び、壁にも仕掛け時計や絵画などが所狭しと飾ってある。頭上で聞きなれない音がするので見上げてみると、なんとそこには棚と棚を繋ぐようにしておもちゃの汽車が走っている。僅かに煙のようなものまで上げていて、やけに本格的だ。
まるで初めて見つけた宝島のような店の中へ一歩足を踏み入れると、控えめだけれど存在を主張するように目の前で小さなシンバルが叩かれる。
不意打ちに驚いて目を丸くしていると、シンバルの持ち主である愛らしい表情をしたお猿の人形と目が合った。
「……びっくりした」
ちょうどお客様を出迎えるようにして置いてあるその猿のおもちゃに飛び上がった心臓をなだめていると、奥に見える細い階段から、眼鏡をかけた黒髪の男性が下りてくるのが見えた。
「やぁ、いらっしゃい」
この人がアランドラ氏だ。店主である彼は、少し汚れがついたエプロンをして、その下にはストライプのシャツを着ている。優しいその顔はひげが綺麗な形に整えてあり、エプロンは汚れているけれど、とても清潔感がある印象を与えてくれた。
目が眩みそうなほどのおもちゃに囲まれた店の中央にあるカウンターの中に入ると、アランドラ氏は改めて会釈をする。
「こんにちは、アランドラさん」
カウンターの後ろの壁には年季の入った置物が多数置いてあり、その丁寧に手入れされた艶めきに惚れ惚れしながら、私はアランドラ氏の正面に立つ。
「ロミィさん、お待ちしておりましたよ」
優雅に笑うアランドラ氏の穏やかな声に自然と頬が緩む。アランドラ氏とは何度か会っているけけれど、彼の持つ独特な雰囲気はいつも緊張感を溶かしてくれる。
「あの、今日はシャーリーさんは……」
ダリル・アランドラ氏の最愛の人であるシャーリー・アランドラさんは、ダリルさんと同じくらい温厚で、すごくお似合いのパートナーだ。
「妻は今、倉庫にいましてね。すぐにこちらに来ますよ」
「そうですか。では……」
喋り続けようとする私に向かって、ダリルさんは人差し指を優しく向ける。
それは……シーってこと?
きょとんとする私に、ダリルさんはニコッと笑いかけ、一度カウンター裏の扉の向こうへと消えてしまう。一、二分ほどの間があって、ダリルさんは片手にカップを持って再び姿を現した。
「どうぞ、ロミィさん」
「ありがとうございます!」
すっかり私のお気に入りとなったダリルさんお手製のコーヒーだ。思わず身体を弾ませ、手に持っていたファイルを胸に抱えるようにしてカップを手に持つ。
やっぱり美味しい。
声に出さなくともその気持ちは丸わかりだったようで、ダリルさんは嬉しそうに目を細める。
「今日は案を持ってきてくれたのでしたっけ?」
コーヒーを飲んでご満悦の私を見たまま、ダリルさんはカウンターに手を置いて本題に入る。
「はい。そうです。お二人に見ていただきたくて……」
気を取り直して、半分飲んだカップを置き、私は改めてファイルを持ち直す。
「ありがとう。私も妻も楽しみにしておりまして」
「いいえ、そんな……お役に立てればいいのですが……」
ファイルを開き、ぶり返してくるドキドキ感を高揚する心だと錯覚したまま企画案を書いた紙を手に取る。
「お二人のお話を聞いて、今回はお客様の興味を惹く、ということを主な目的としたPR案を考えてみました。二ブロック先にあるデパートの存在感は、近年、市民の中でも増しています。でもトイ・ポモドーリだってお店の魅力として負けているわけでは決してないのだと思っています。そしてそれは、皆も知っているはず。だけど煌びやかで派手なものに、どうしても視線は向かってしまうもの。人の注目を引くには、やはりある程度の光を照らさないと、なかなか目は開かない。美しく輝く鉱石だって、その他の石にはないきらめきで人々の関心を寄せることができる。だから、トイ・ポモドーリにも宝石のような輝きを演出するんです」
ダリルさんは渡された紙に目を通し、私の声を静かに聞いている。
穏やかな表情のままだけれど、逆にその感情が読めない。私は、ごくりとつばを飲み込む。
「トイ・ポモドーリをイメージしたイルミネーションを、街に張り巡らせるのはいかがでしょうか」
薄れたはずの緊張感を取り戻していく私は、思いきってはっきりとした口調で告げる。
「きらきらとしたこのお店の様子を、イルミネーションでそのままに表現するんです。きっと、視界を楽しませて、印象にも残ります。皆の中に眠っていた幼き頃のワクワクとした気持ちが、このお店との素晴らしい記憶とリンクして、大人たちの関心も引けるのかと思うのです」
プレゼンはいつだって苦手だ。
どれだけ自信を持っていようとも、自分の胸の内を晒しているような気まずい気持ちが湧いてくる。気にしすぎなのは分かっているけど、それでもこれは癖なのだから、なかなか自分ではどうしようもないことだ。
そんな臆病な私に比べて、オルメアやニアたちはいつも堂々としていて羨ましい。
同じ歳で、同じようなことを学んでいても、こうも違ってしまうものなのかと、卑屈になってしまうことだってある。だけど、私だって……。
思い返すエレノアの決意と、お店で見たベラの姿に、私はぐっと心を奮わせる。
「なるほどねぇ……」
ダリルさんがゆっくりと頷いてその深い瞳を私に向ける。穏やかなのに、全身がひりつく感覚に陥った。
「賑やかで面白いね。確かに、今はもう皆、そういった新しいものが好きだからね」
「……そう、ですね……」
なんだろうこの感覚。
私は言いようのない不安に襲われながらも床につけた足を踏み込んで堪える。
「デパートのような派手な催しは、私たちみたいな小さなお店には難しいことだからねぇ……」
「費用の方は、学校の予算で下りるので問題はありません……!」
お金の問題なのだろうか。
そう答えてはみたものの、ダリルさんの柔らかな眉毛を見ていると、的外れなことを言っている自覚が浮き彫りになってくる。
「……それは頼もしいです。はは、私たちのような店でも、あのデパートのような華やかさが実現できるのですね。貴重な経験です」
違う。
ダリルさんはそんなこと、多分思っていない。
最初この依頼を聞いたとき、アランドラ夫妻はデパートの展開の仕方に憧れてしまうと言っていた。自分たちにはできないことを、やすやすとやり遂げてしまうのだから。
その規模の違いを寂しそうに語った二人の顔。私は、そんな二人に何を見ていたのだろうか。
憧れだと言っていたデパートがやるような、華やかで大胆な広告。それらを参考にしながら、私なりに考えて、トイ・ポモドーリの新しい姿を見せることができたらって、この案を企画した。
デパートの知り合いにちょっとお話を聞いたりして、計画もそれなりに練ってみた。
だけど。
「ありがとうロミィさん。シャーリーにもこのことを伝えておくよ。きっと喜ぶだろう」
ダリルさんは優しくそう言うけれど、シャーリーさんはきっと喜ばない。
ううん。ダリルさんだって同じはずだ。
ファイルを閉じ、私はぴしっと前を向く。
「ダリルさん。もう少し、お時間をいただけませんか……?」
これでは意味がない。
これは依頼人のアランドラ夫妻にとって、とても大事な話なはず。
このままじゃ、私が納得できない。
「お願いします……!」
ハラハラとした心のまま、私は頭を下げた。
「ロミィさん……?」
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彼らが望んでいたことは、デパートの模倣などではないということを。
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分からないけれど、このままこの案を押し通すのは駄目だ。
「……分かりました。ロミィさん」
「……はい! ありがとうございます!」
顔を上げた勢いのままにダリルさんの手から紙を強引に奪い取り、大きな声でお礼を言う。
威勢のいい声とは対照的に、心の中は悲鳴を上げていた。
私は大事なことを見落としている。
それなのにそれが何かが分からない。
こんなことでは……。
店を出ようとした私と入れ替わるように帰ってきたシャーリーさんにぶつかったことにも気がつかないまま、私はとぼとぼと街を歩く。
これまで、依頼人にあんな反応をされたことはあまりなかった。
皆、所詮は高校生だからって、期待していなかった人たちが多かったのだと思う。特殊な学校の課題だし、まだ未熟な私たちは、その立場に甘えてしまうことだってきっとある。だけど、アランドラ夫妻は違う。初めて会った時から、私のことを一人の対等な人間として扱ってくれた。
だから二人の失望したような顔を、余計に見たくなかったのかもしれない。
じわじわと目頭が痛くなってくる。
悔しい。
頑張って考えたことを喜んでもらえなかったことじゃなくて、どうすればいいのかが分からないのが悔しい。
オルメアなら、こんな問題、すぐにクリアしちゃうのかな……。
オルメアは入学して以来、依頼主の希望には期待以上の提案をして、いつも依頼主を本当の意味で笑顔にしている。
あなたの隣に並びたいなんて夢を見ているくせに、私はこんなことも自分で答えが出せないんだ。
悔しくて情けなくて、私はそのやり場のない感情をため息で吐き出した。
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