操り人形の外の世界

冠つらら

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16.越えられない小石

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 ゾイアとルージーが学院を訪ねてきてから数日後、ニアと私は学業の課題の方に取り掛かっていた。パーティーの準備に気を取られて、こちらが疎かになってしまってはいけない。
 私は分厚いテキストと睨めっこをしながら、どうにかして手を動かして、空白を文字で埋めていく。このレポートは、あと半分くらい書けば十分だろう。そう思い、息抜きに斜め前に座るニアの様子を窺う。

 今日も上の空だ。ニアのペンを持つ手は完全に止まっている。
 窓から入る風が、テキストの紙の匂いを鼻まで運んでくる。この匂いが結構好きだ。少し気分が上がった私は手を止め、ニアの顔を覗き込むようにして見上げる。

「ニア? 一体何を考えているの?」

 ニアは突然話しかけてきた私の声に少し驚き、ペンを持つ手に力が入る。

「何も考えていないよ」
「ふふふ。ペンが止まっているように見えたのは気のせいかしら?」

 ニアのペンをじっと見る。それでもニアは誤魔化そうとしたままだ。

「ロミィ、ちゃんと集中しないとだめだよ」
「あら、ニアに言われたくない」
「……まったく」

 好奇心を隠さない私に、ニアは静かな息を吐きだす。

「ゾイアの様子はどう?」
「え? ゾイア?」
「うん。この前来たときは、ご機嫌斜めだったからさ、あれからどうしてるかなって」

 ニアはついにペンを机に置いた。

「元気よ? ルージーとはいつもあんな感じみたいなの。だから気にしなくて平気だよ?」
「そうなの? ゾイアと相性が悪いのか、ルージー・マオは」
「そうよ。どうしても性格が合わないみたい。ゾイアとルージーは」

 二人を思い出して、思わず口元が綻ぶ。
 犬猿の仲に見えるけれど、本当はゾイアはルージーに甘えている。私はそう思っていた。ルージーもなんだかんだ言って、ゾイアのことをそこまで邪険にはしない。ちょうどいい塩梅で、二人は互いを牽制し合っている。

「喧嘩しているように見えた?」
「あれが喧嘩じゃないなら、何なんだろうね」
「さぁ、何かしらね」

 私の曖昧な答えに、ニアはむっと理解できないような顔をする。

「ルージー、ニアは前に会っているのよね?」
「ああ。パーティーで。何度か目にしてる。話したことはあんまりないんだけど」
「そうなのね」
「マオはあまり人と馴れ合わないみたいだ」

 ニアは椅子に寄りかかる。

「俺とは正反対。正直、少し羨ましいとすら思う」
「あら、そうなの? ニア、そんなことを思っているの?」

 少しだけ身を乗り出す。ニアの本心が見える気がして、ちょっと嬉しくなってしまった。

「俺はもうずっと愛想良くしてきたから、それが癖なんだ。人と笑顔で話すのは楽しいし、相手の笑顔を引き出せるのは嬉しいことだから、俺はそれがいいんだけど。でも、笑顔がどうにも作れないことだってあるだろ? そんな時も、俺は怖くてどうにかして笑おうとする。いつかそれができなくなるんじゃないかと思うと、最初からマオみたいな方が気が楽だったのかと思ってさ」

 ニアは考え込むようにして腕を組む。真剣な表情なのだけど、なんだか頭を撫でてあげたくなってしまった。ニアは頑張っている。すごく励ましたくなってしまう。

「ロミィ?」

 ニヤニヤしていたのがバレたのだろうか。ニアが眉をひそめた。

「ふふふ、ごめんなさい。ニアも色々と大変なのね。無理しては駄目だからね?」
「分かってる。……けど」

 ニアは俯き、その大きな瞳で私をちらりと見上げる。

「エレノアもマオに好意的だったし、なんか、俺、滑稽に思えちゃって」
「……どうして?」
「無理に笑おうとしなくても、見る人はちゃんと見てくれてるんだなって。やっぱり自然体が一番人を惹きつけるのかもしれないなって、マオに嫉妬してしまうんだ。マオみたいにいるべきなのかな」

 ニアの声に元気がなくなる。しょんぼりとしているようで、それが伝播してこちらまで悲しくなってしまう。

「…………ニア、そんなことないよ?」

 安易な慰めに聞こえてもいい。それでもニアに私の言葉を伝えたかった。

「私はニアの愛想のいいところも、ちょっと弱気になってしまうところも、とても素敵だと思う。多少取り繕ってもいいじゃない。それがニアにとって苦ではないなら。それに、ニアらしさって、あなただけのものだから、ルージーと違うのは当たり前よ」
「……ロミィ、ありがとう」

 言葉だけはそう言ってくれたけれど、まだ元気はないみたい。もどかしい。友達が悩んでいるというのに、私に出来ることは何もないのだろうか。

「エレノアは人を嫌うような人じゃないから、ルージーのこともそう見えたのよ」
「……そうかなぁ」
「ええ。きっとそう思う」

 ニアは、うーんと腕を組んだまま腑に落ちない様子。……もしかしなくても、エレノアの態度のこと気にしているの? ルージーに嫉妬って、まさかそういう意味?

 ハッとして、私はペンをぎゅっと握りしめる。私に出来ること、ここにあるじゃない。
 しまい込んだお節介の心が、もう耐えきれなくなったようだ。私はその感情を全開にしてニアに向かって身を乗り出す。

「ニア! 気にしては駄目。ルージーのことは気にしなくていいの!」
「……え……ロミィ?」
「私は、ニアの味方だからね!」
「……う、うん? ありがとう?」

 ニアはポカンとしたまま私の勢いに押されて小さく頷く。私はスカートを整えて椅子に座り直し、半分埋まっていない空白のレポートを見下ろす。

「あ、そうだわ」
「……何?」

 控えめなニアの声に、私はにっこりと笑いかける。自然と笑顔が出てきてしまった。

「パーティーの時、私は運営についてドメイシアさんと目を光らせるようにするから、ニアとエレノアは一緒に見回りをしていてくれない? どんな様子だったのか、実際の視点が知りたいの」
「……え、でも、それじゃロミィばっかりが大変になる」
「いいの。ドメイシアさんもいるから大丈夫よ」
「……ロミィ、でも」
「私からのお願い。……そうしてくれる?」
「……分かった。ロミィがそう言うなら」
「ありがとう! ゲスト目線のパーティーを、教えて頂戴ね」

 これでいいの。
 ニアがエレノアのことを本来の気持ちで想っているのであれば、その気持ちを謳歌して欲しいから。
 ニアは渋々納得してくれたみたいだけど、私は一人、わくわくしている。

「あ、そうだ。オルメアのライブ」
「ん?」

 顔を上げた私につられて、ようやく課題に向かい合ったニアはまた目線を外してしまう。

「ニアも行くの?」
「行けたら行くよ。今のところは行けそうなんだ」
「それは良かった」
「ロミィは?」

 ふと答えに迷う。
 いや、行くつもりではあるのだけれど、この流れだと、ニアなら一緒に行こうって、きっと誘ってくれる。けれど、エレノアも行くと言っていたから、出来れば上手い方向へとこの機会を向かわせたい。

「家の手伝いが終わったら、行く予定なの」

 だから、ほんの少しの嘘をついてしまった。ニアはそんな目論見を知らないから、何も気にしない様子でいつものように爽やかに笑う。

「そっか。そしたら、会場で会えたらいいね」
「ええ、そうね。折角だから、エレノアを探してみるといいわ。行くって聞いているから」
「うん。そうだね、それもいいね」

 ニアは紙に向かってペンを動かし始める。
 その姿を眺めながら、私は心の中で謝罪をした。やっぱり、誰に対しても嘘をつくのは気が咎める。
 これでは以前の私と同じじゃない。
 チクチクと自らを絞める心の刃は、容赦なく自分を責め立てようとする。ほんの少しの嘘くらい、構わない。そんな自分をどうにか許そうとして、私は邪念を払うように空白を埋める作業に戻っていった。



 ライブの一週間前。パーティーの進行表を確認している私の前に、ベラが現れた。
 ベラはため息を吐いて私の正面に無言のまま座り込み、そわそわとした様子でじっと私が口を開くのを待っている。そんなに真っ直ぐに見られると、プレッシャーを感じてしまう。

「ベラ、何かあったの?」

 お決まりの言葉を言うと、ベラは待ってましたと言わんばかりに前のめりになる。

「エレノアのお家がね、ちょっと大変みたいなの」

 エレノアの家の問題と言えば、母親のこと。進展を聞いていなかったけれど、ここらで動きがあったみたい。

「お母様は一度帰ってきたみたいだけど、そうしたら、エレノアのお兄さんと喧嘩しちゃったんだって。エレノアのお兄さんは今大学生で、実家の方からは当然家業を継ぐことを期待されていて、たぶん、本人もそう思っているんだろうけど……」

 早口で話し始めたベラについていこうと、私は読んでいた進行表を膝の上に置く。

「お母様が、継ぐのはエレノアにだって権利があるって、言ったみたいで、そうしたら……お兄さん怒っちゃって。お兄さんが継ぐこと自体にはお母様は反対していないんだけど、エレノアは家業を背負うなんて大層なこと考えなくていいって、お兄さんがそう言ったんだって」
「兄の優しさかしらね」
「ええ、私もそう思う。……えっと、お話したこともないし……多分だけど。で、エレノアのお母様は、エレノアに対して自分みたいになって欲しくないって言って、喧嘩になってしまったみたい。お兄さんが、はじめからエレノアには期待していないって言ったように思えたのね」

 エレノアの母親が実家で受けた待遇を思えば、それはしょうがないのかもしれない。
 ぼんやりと、そんな同情が私の中に流れる。

「それで今、エレノアのお家は、すごーく居心地が悪そう。お父様は研究に没頭して、あまり家の問題には出しゃばらないみたいだから。自分のことで家族が喧嘩して、エレノア、落ち込んでた」

 ベラも、しゅん、と肩を落とす。

「だからね、私、エレノアのこと励ましたくて」
「励ます……?」

 大切な友人のことを思うベラの凛とした目つきに、私は圧倒される。
 エレノアを励ます、それはいいことだと思う。でもどうやって?
 家の問題に、私たちは余計な詮索はできないし、勝手な発言もできない。
 私は首を傾げた。

「そう! エレノアにちょっとでも元気をあげたくて、私、あることを考えてるの!」

 ベラが得意げな顔をしてパンッと手を叩く。

「なぁに? なんだか楽しそう」

 思わず私もワクワクしてくる。

「うちの家、ワイナリーもやってるんだ。正確には親戚が、だけど。それでね、そこにご招待しようと思って!」
「ワイナリー? でも、私たち、お酒は飲めないよ?」
「分かってる! ワイナリーでは、すっごく美味しいジュースもあるし、美味しいフルーツもたーくさんある。だからそこで、美味しいもの一杯食べて、少しの間だけでも現実逃避してもらいたいの!」
「……へぇ、なんだか、魅惑的な言葉」

 刺激的で芳醇な提案に、私は思わずよだれが出そうになる。

「でしょう? 私には、そうやって気を紛らわすことしかできないけれど、力になりたくて……」

 言いたいことを言って落ち着いたのか、ベラの声がトーンダウンしてきた。

「いいと思うわ! エレノア、きっと喜ぶ」
「本当!?」

 ぱっと顔を上げてキラキラと笑う。ベラの素直な表情に、私は目を緩ませる。

「ロミィも来てくれる?」
「え? いいの?」
「うん! きっと友達がいた方が楽しいから!」
「ありがとう。ぜひ行きたいわ」
「良かった。そうしたら、また日程を決めて連絡するね」

 ベラはそう言って立ち上がる。

「ロミィに相談して良かった。ちょっと、自信がなかったから」
「どうして?」

 はにかんだベラは、少しもじもじとしながら小さく舌を出す。

「私は、皆みたいな人ではないから。私の考えることなんて、受け入れてもらえるか少し不安だったの」

 それは思い込みの劣等感なのだろうか。
 自分はもともと庶民的な生活をしてきた人だから、と。そう言いたいのかもしれない。
 家柄なんて関係ない。私たちが今持っている社会的地位なんて、ご先祖様たちが一生懸命築いてきた財産でしかないのだから。
 だから、私たちとベラの間に違いなんてない。だけどそのことにベラはまだ気づいていないみたい。

「ベラ、あなたは本当にいいお友達だと思う」
「……そう、かな?」
「ええ。私……嘘は嫌いなの」
「……ロミィ、えへへ、そんなこと言われたら、照れちゃう」

 ベラは顔を赤くして肩をすくめる。
 それでもこれは本心だから、私は自信を持ってはっきりと宣言する。

「私、ベラとお友達になれたこと、何よりも自慢だもの」

 そのことに何より救われているのは、きっと私だから。

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