操り人形の外の世界

冠つらら

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13.最初の課題

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 授業がすべて終わると、学院内はいっそう賑やかになる。一日の解放感から、生徒たちは伸びやかに学院内を闊歩する。クラブ活動のない者たちは、それぞれ帰宅したり、自習をしたり、様々動き始める。
 私もクラブ活動はしていないので、久しぶりの校舎を散歩した後は、帰宅をしようと時計を見上げる。迎えの車が来るまで、もう少し時間がありそう。私は、また軽やかに歩き出した。

 庭園で、時間を潰そう。私は鞄にしまい込んだ本を手に取る。ゾイアに借りたばかりの本だ。ゾイアの学校の蔵書の数は、街の図書館とそう違いはないほどに膨大だ。だからゾイアは、おすすめの本をここぞとばかりに貸してくる。本当はいけないことだと思うけれど、私もその悪だくみに共感してしまっている。

 ふふ、とほくそ笑み、私は本を開く。まだ緑が薫るこの景色も、しばらくすればその色を変える。徐々に寒さへと視覚を導いていく植物たちに囲まれ、私は風で捲れたページを戻す。
 この物語は、少し未来を描いたものだ。といっても、私たちの世界の感覚と、外の世界の感覚の違いなんて分からない。だから、この未来が指し示すことが何なのか、きっと読み解くことはできない。
 私はそれを承知で、未知の世界の扉を開く。

 遠くに聞こえてくるクラブ活動の声を聞きながら、私は物語の狭間に揺らめいた。
 優しい風が頬を撫で、ゆるやかな陽がページに差し込む。落ちてくる髪の毛を耳にかけ、文字を追う目が止まっていく。口元を抑え、小さな欠伸をすると、瞼がゆっくりと落ちてきそうになる。
 いけない。つい眠たくなってしまった。
 私はぱちぱちと瞬きをして、その誘惑を払おうとする。それでも、手からは力が抜けていった。眠い。やっぱり、君には勝てないよ。今か今かといつも気配を窺っている宿敵であり大親友の眠気には。

「はぁ……っ」

 息を吐くと、ざぁっと風が舞い上がる。陽が落ちると少ししずつ肌寒くなってきた。まだまだ心地良い具合だけれど、ずっと外にいるとよくないかもしれない。
 そう思い、私は立ち上がる。天高く聳え立つ空に誘われるように、一番近くの窓を見上げると、そこに横顔が見えた。真剣な表情で、何か考えているようなその姿。
 そんな難しい顔をしていると、少し近寄りがたく感じてしまう。こちらまで伝わるようなピリッとした空気に、私の心は縮こまりそうになる。だけど私にとっては、それすらも愛おしいの。

 オルメアは窓際に座って、きっとチェスをしているのだろう。顎に指を添えて、頭を巡らせているのがよく分かる。声をかけると邪魔になってしまうかな。私は本を抱えたまま、じっと見上げ続ける。
 傍から見たらただの不審者だ。でも、オルメアにくぎ付けの私の瞳を責めないで欲しい。誰かに赦しを請い、私はぎゅっと本を抱きしめた。
 すると、「あー!」とでもいうように、オルメアの表情が崩れる。悔しそうに笑いながら、対戦相手に称賛の言葉をかけている。どうやらオルメアは負けてしまったようだ。私は、その少年のような表情に、思わず口元が綻んだ。こっちを見てくれはしないだろうか。勝手な願望だけが先行してしまう。

 クタルストンで花火を見た時以来のその横顔。
 その瞳が私を捉えてくれたなら、もう空へと舞い上がって、消えてしまうかもしれない。それでもいいかな。だってそれだけの想いを募らせてきたのだから。
 ……馬鹿みたいなことを考えていないで、そろそろ帰らなくちゃ。視線を足元に戻し、私は迎えの場所まで向かった。
 まだ、ワカモイさんは来ていなかった。他の車が発車していくところを見送り、私は壁に寄りかかる。

「あ、ロミィだ!」

 ベラの声が聞こえてきて、私はそちらを向く。ベラは大きく手を振って、こちらへ駆けてくる。

「今、帰りなの?」
「うん。ベラは?」
「私も! っていっても、私は電車なんだけど!」

 ベラはくすくすっと笑う。ベラは電車で通学をしているようだ。この学院では珍しい。私は、つい興味を持ってしまう。

「電車で通うのって、大変?」
「え? ううん! そこまでじゃないよ! 私は家、そんなに遠くないし!」

 ベラは街の中心部に暮らしている。いわば、シティガールみたいなものだ。街での暮らし方は、彼女に聞けばなんでも分かる。私みたいに、なんでも人任せにしていることはない。自分の足で歩くことを知っている。それも、もうずっと前から。

「ロミィは電車に乗ったことないの?」
「街の電車は乗ったことないのも同然よ。小さなころに数回だけあるけれど、ほとんど覚えていないから」
「へぇそうなんだ! やっぱり、そうこなくっちゃ!」

 ベラは楽しそうに笑う。ベラにとって、私たちのような生活は新鮮で面白いらしい。私にとってベラがそうであるように、ベラも私の当たり前の日常が刺激的なのだろう。

「今度一緒に乗ってくれる?」

 私は、そんなお願いをしてみた。彼女とならば、挑戦するのも怖くない。そんな気がしたから。

「もちろん! 街のことは私に何でも聞いて!」

 ベラは嬉しそうに胸元を叩く。

「こういうことは、きっと得意だから!」

 小さく胸を張る彼女は、とても頼もしく見えた。

「ええ。よろしくね、ベラ」
「うんっ。それじゃあね、また明日!」
「また明日」

 ベラは元気よく校門の方へと駆けて行った。料理店の手伝いもしているらしい。彼女の背中は、とても活き活きして見えた。
 まだ車は来ない。もう一度壁に背をつけると、目の前に違う車が止まった。つやつやとした、お洒落な車だ。

「ロミィ」

 後部座席の窓が開き、ニアが顔を覗かせる。私は驚いて、ぱっと姿勢を正す。

「ニア? どうしたの? 何か用かしら?」

 少しだけ駆け寄り、私は身を屈める。

「あ、急ぎではないんだけど、ロミィが見えたから伝えておこうと思って」
「なあに?」

 私は小首を傾げる。ニアは窓から顔を出し、爽やかに笑う。

「今度の課題、俺たち一緒のグループみたいだ」
「え? そうなの?」
「ああ。さっき先生に会って、そう言われたんだ」
「まぁ、なんだか学校が始まったって実感するわね」
「はははっ、そうだね。あ、あと、エレノアも一緒だよ」
「そうなの?」

 私はパタッと動きが止まる。エレノアと同じグループ。それは想定していなかった。

「うん。だから、三人で協力しないとな。よろしく」
「……うん。よろしくね、ニア」

 強張ったままぎこちなく笑い、ニアの笑顔に答える。なんだかニアは嬉しそうに見えた。エレノアと一緒だからだろうか。夏の終わりを思い出す。

 やっぱり、エレノアのこと?

 あの時しまったはずのお節介の心が、またまた心の裏から様子を窺ってくる。
 私はニアを見送り、ようやく姿を現したワカモイさんの運転する車に目をやった。



 早速、学校からは課題が出された。
 今回の課題は、あるファッションの普及。きっと私がいたから、割り振られたのだと思う。私は渡された依頼内容に目を落とす。もう、こんなのシナリオとは違う。同じ手は通用しなさそう。ほんの少しのズルは許されないようだった。
 私が小さくため息を吐くと、ニアが顔を上げる。

「ロミィ、君はやっぱりこういった服は好きではない?」
「え? いや、そんなことは……」

 私を気遣ってくれている。確かに、うちはファッション関係の会社だけれど、これはジャンルが違うし、別にそんな偏見はない。ライバル心は燃やしちゃうかもしれないけど。

「に、ニアはどうなの?」
「俺は嫌いじゃないよ」

 ニアは依頼書をまじまじと見る。瞳孔が開き、興味を持っていることは分かった。

「私も素敵だと思う。なんだか新鮮よね」

 エレノアがニアに賛同する。

「ええ、新しいことを取り入れていかないと……。私も、着てみようかしら」
「ロミィが? ああ、確かに見てみたいかも。似合うと思うよ」

 ニアが茶化すように笑う。私がむすっとすると、入れ替わるようにしてエレノアがくすくすと笑う。なんて朗らかな空気。私はこの平和な雰囲気が心地良くてニアを許すことにした。

「で、どうしましょうか」

 今回渡された課題は、Tシャツの普及だ。
 外の世界だとどうだか知らないけれど、この世界ではまだ一般的ではない。兵士の肌着として認識されているだけだ。しかも、私たちのような年代に向けて発信したいとのこと。
 確かにファッションのことだけど、少し世界が違って見えて、なかなかに難しく感じた。だって、周りでTシャツ一枚だけを着ている人なんて一人もいないから。
 街のことをよく知っているベラにも相談してみようかな。
 そんなことを私は思った。たぶん、エレノアも同じことを考えていたと思う。私とエレノアは目を合わせて頷いた。

「ニア」
「ん?」
「ニアは男子に調査を入れてくれない?」
「ああ、いいよ」
「Tシャツの魅力を、皆に伝えなくちゃね」

 私が気合いを入れていると、ニアが顔を上げる。

「オルメア」
「えっ?」

 ニアの口の動きに、私の身体が浮く。

「皆、同じグループなんだね」

 オルメアが私の背後から現れる。私とエレノアに笑いかけ、ニアの隣に座った。

「オルメアは何の課題?」

 ニアはオルメアの持っている紙を覗き込む。

「ん、レコードだよ」
「レコード?」

 ニアは目を丸くしてオルメアから紙を奪い取る。

「随分と賑やかな課題だな」
「ははは。新しいサウンドのミュージックを、僕たちのような人に聞いて欲しいみたいだ」
「まぁ、私たちと似ている」

 エレノアが手を合わせる。なんておしとやか。

「本当か? そうしたら、お互い相談できることはしていこうか」
「ええ、是非そうしたいわ」

 二人が笑い合う。私はぎゅっと紙を握りしめる。

「ロミィ」
「は、はいっ」

 オルメアの瞳が私を捉えた。

「頑張ろうな」
「……うんっ!」

 ぱぁっと心が華やぐ。驚いた。一瞬見えかけた暗い淵が、私を呼んでいたような気がしたから。その誘惑が懐かしくて、つい足を向けそうになる。けれど、オルメアの声が消してくれた。あのまま引っ張られていたら……。
 私は紙を机に置き、隠れたところで自分の手の甲の肌をつまむ。
 落ち着け、しっかりしよう。
 私の想いを、闇に捨ててしまってはいけない。

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