操り人形の外の世界

冠つらら

文字の大きさ
上 下
9 / 56

9.ツギハギの心

しおりを挟む
 今夜は花火大会がある。私は、朝起きてからはずっとそのことばかりを考えている。
 オルメアを花火に誘ってからというもの、この日を楽しみにしていた。クローゼットを開け、持ってきた服の中から順番にピックアップする。
 花火大会は夜だから、あまりに洋服が地味だと見えなくなってしまうだろう。だから、明るい色の洋服を選ぼう。鏡の前で服を合わせながら、私はそんなことを考える。

「とんとーん」

 扉を叩く音がゾイアの声とともに聞こえてくる。

「お邪魔しても大丈夫?」

 顔だけを扉から覗かせ、ゾイアが微笑む。

「大丈夫だよ。服を選んでいるところだから」
「服選び!? わぁ! 仲間に入れてよ!」

 ゾイアは扉を全開にし、部屋の中に飛び込んできた。クローゼットの前まで駆け寄り、ハンガーを掴む。

「花火の服よね? それなら、この白のレースがいいんじゃない? あ、これも素敵ね! そのブラウスは良くないわ、こっちの方がマシ。そうだ、手袋はしていくの?」

 矢継ぎ早に喋るゾイアに、私は何も返事ができないまま服だけを受け取る。

「あ! この服、とっても可愛い! いいなぁ」
「ゾイアも着ていいよ」
「本当!? やったぁ」

 ゾイアは手に持っていたスカートを抱きしめた。
 見繕ってくれた洋服をベッドに並べ、両手を腰に当ててそれらを見下ろす。私の真剣な表情に、ゾイアがくすくすと笑うのが聞こえる。

「どれも素敵よ、ロミィ」

 優しくそう言ってくれるけれど、私には自信がなかった。確かに、どの服も素敵。私にも似合うと思う。だけど、以前の夏と違ってこの夏はオルメアに全然会えない。むしろ、エレノアと顔を合わせる方が多い。
 エレノアの笑顔が頭に浮かぶと、私はまた自信がなくなる。
 彼女はいつも素敵だ。同年代の中では、まさしく理想的。どんな洋服だって似合うし、着こなせてしまいそう。それに、会話をしていてもとても楽しいし、話を聞いて欲しいとすら思ってしまう。

 そんな存在が近くにいすぎて、オルメアに会う貴重な瞬間すべてが私にとっては重大イベントに思える。もしかしたら、オルメアはもうエレノアの魅力に気づいているかもしれない。
 そうしたら、その心は本物で、もう、何の言い訳もできない。
 ズキズキと心が痛んできた。

 これは緊張? それとも、自虐?

 首をブンブンと横に振り、自分で頬を叩いた。
 だめだ。しっかりしないと。
 この問答を何回繰り返せば気が済むのか。これには何の意味もない。無駄に自傷するのはやめよう。

「よし!」

 私の大きな声に、私のチークを拝借しようと頬に叩いていたゾイアが驚いてむせた。

「ゾイア、これはどうかな?」

 そんな妹に、私は最終的なアドバイスを求める。
 ゾイアは真剣な表情で頷き、「完璧よ。どこにそんな服を隠していたの?」と、からかってきた。
 洋服選びが終わり、私は外に出た。ゾイアは美容院に行くとかで、途中で別れた。
 特に目的もなく歩いていると、ボールを弾く軽快な空気の音が聞こえる。きっとテニスだ。そういえばこの近くにはテニスコートがあったはず。私は足をそちらへと向かわせる。

 テニスコートに着くと、ちょうど数名が試合をしているようだった。私はテニスをそこまでやったことはない。運動も苦手ではないけれど、汗っかきだから、積極的にはやろうとも思わない。
 ぼうっとテニスコートを見ていると、私はあることに気づく。私が見ていた試合は、女性同士の対戦だったのだけれど、片方はエレノアだった。エレノアは日よけのために帽子を被っていたから、目元がよく見えなくてすぐには気が付けなかった。

 得点を見ると、エレノアがリードしているのが分かる。
 エレノアは本当に何でもできるのね。また、心がチクリと痛む。
 対戦相手は知らない人だったけれど、エレノアよりも年上の大学生くらいに見える。そちらもいい動きをしているが、エレノアの方が一枚上手のようだ。
 ボールが左右に行き交うので、私はそれを目で追う。残像となって黄色い線が視界に浮かぶ。ずっと追っていると、目が回りそう。私がぎゅっと目をつぶったその時、女性の悲鳴が聞こえた。

「エレノア! 大丈夫!?」

 対戦相手の女性の声だった。尻もちをついているエレノアのところまで駆け寄っていくのが見える。目を離した隙に、何が起きたのだろう。私も思わずエレノアのもとへと向かう。

「いたたた……。あ、ごめんなさい。大丈夫ですー!」

 女性に対して、エレノアはニコッと笑ってみせる。だけどその前に、顔をしかめていたのを私は見ている。

「エレノア、大丈夫? どうしたの?」

 私が駆け寄ると、エレノアは少し驚いたように顔を上げる。

「ロミィ? 大丈夫だよ。ちょっと足をひねっただけ」
「本当? でも……」

 足を動かせないでいるエレノアを見て、私は大丈夫じゃないと確信した。心配をかけさせないためにそう言っているだけだ。転んだ拍子に擦りむいた足の傷に血が滲んでくる。

「て、手当しないと……!」

 急いで辺りを見回すと、応急処置の道具を持った人がこちらに駆けてくるのが見えた。

「私、ちょっと連絡してくるから!」

 対戦相手の女性は、ラケットを置いたままどこかへと走っていく。医療班を呼びに行ったのだと思う。この近くには病院はないから、もし大怪我をしていた場合、ちゃんとした手当はできない。
 車で一番近くの病院まで行かないと、しっかりとした診断は下せないだろう。

「ごめんなさい、皆、迷惑をかけてしまって……」

 エレノアが申し訳なさそうな顔をするので、私は彼女の背中に手を回す。
「何を言っているの? 誰もそんなこと思わない。遠慮なんてしなくていいの」
「ありがとうロミィ。……いたた」

 まだ痛むみたい。それはそうよね。
 応急処置の道具がこちらに来ると、スタッフの人が手際よく処置をする。ようやく傷口を洗浄できる。私はハラハラした気持ちでそれを見ていた。

「エレノア、大丈夫か?」

 そこに、オルメアがやってきた。ちょうどこれからテニスをしようとしていたらしい。ラケットを手に持って、私たちの前に来る。

「……ひどい怪我じゃないか。骨は?」
「わからない。けど、動かすのが怖くて……すごく痛むから……」

 エレノアは弱弱しい笑顔でそう言う。痛みが強くなっているのかもしれない。

「病院に行った方がいいんじゃないかしら」

 だから、私はそう提案した。骨が折れているとか、ヒビが入っているとかしているかもしれないから。

「ロミィの言う通りだ。エレノア、無理は良くない」
「……ええ、そうね。……ありがとう、ロミィ」
「いいえ。……あ、でも、今、車って出せるのかしら……?」

 私はふと、スタッフの顔を見る。

「申し訳ございません。現在、事務局の方は出払っておりまして……」
「そんな……」

 スタッフの人は悪くない。だけど、ついがっかりした顔をしてしまった。

「エレノア、ご家族の方は?」
「今日は、兄の用事で出かけているの……だから、車はないわ……」
「え、そうしたら……」

 私が運転する!
 本当はそう言いたかった。言えるものなら。
 けれども、言えるはずがない。だって、私は免許を取っていないから。

「どうしよう……」

 結局、その言葉が出て行く。不甲斐なくて、私は肩を落とした。

「大丈夫だ、ロミィ。僕が送る」
「……え?」

 私の肩を優しく叩いてくれたオルメア。優しい笑みで、エレノアに向かってしゃがみこむ。

「僕の家の車なら空いているから、僕が送るよ」
「オルメア、でも、いいの?」
「ああ。早く行ってしまわないとね」
「……あっ!」

 オルメアは、動けないエレノアをそっと抱き上げた。まるでお姫様のように。

「ロミィ、君がいてくれて助かった。ありがとう」
「……ううん。いいの。気を付けてね。エレノアをよろしく」
「ああ」

 心臓の音が大きくて、私は自分の声が聞こえなかった。
 ズキズキズキズキと、容赦なく脈を打つ。
 オルメアの微笑みが遠くに行くと、私は貼り付けていた笑顔を解く。途端に、その表情は崩れてしまう。ため息を吐き、私はとぼとぼとコテージへと戻る。

 何を落ち込んでいるの。オルメアは、エレノアの怪我を思ってやっていること。そのはずよね。
 胸のあたりに手を添えて、私は深呼吸をする。ふと目に入るのは、花火の準備をしているニアたちの姿。明るいうちから、色々確認して準備しないといけないのよね。そういった努力の恩恵を、私たちは受けるだけ。
 人々の心を彩るために、今日はこの空に花火が打ちあがる。……そうだ。花火。
 病院まで、往復するとどれくらいかかっただろうか。もし道が混んでいたら?

「はぁ……」

 別に、後悔なんてしていない。
 病院まで行くことを提案したことも、免許を持っていないことも。
 だけど、だけど……。
 私は、まだ明るい空を見上げる。
 絵空事の記憶が、この空の下でも私を戒め続けていく。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

愛されていないのですね、ではさようなら。

杉本凪咲
恋愛
夫から告げられた冷徹な言葉。 「お前へ愛は存在しない。さっさと消えろ」 私はその言葉を受け入れると夫の元を去り……

王子妃だった記憶はもう消えました。

cyaru
恋愛
記憶を失った第二王子妃シルヴェーヌ。シルヴェーヌに寄り添う騎士クロヴィス。 元々は王太子であるセレスタンの婚約者だったにも関わらず、嫁いだのは第二王子ディオンの元だった。 実家の公爵家にも疎まれ、夫となった第二王子ディオンには愛する人がいる。 記憶が戻っても自分に居場所はあるのだろうかと悩むシルヴェーヌだった。 記憶を取り戻そうと動き始めたシルヴェーヌを支えるものと、邪魔するものが居る。 記憶が戻った時、それは、それまでの日常が崩れる時だった。 ★1話目の文末に時間的流れの追記をしました(7月26日) ●ゆっくりめの更新です(ちょっと本業とダブルヘッダーなので) ●ルビ多め。鬱陶しく感じる方もいるかも知れませんがご了承ください。  敢えて常用漢字などの読み方を変えている部分もあります。 ●作中の通貨単位はケラ。1ケラ=1円くらいの感じです。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界の創作話です。時代設定、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

私が死ねば楽になれるのでしょう?~愛妻家の後悔~

希猫 ゆうみ
恋愛
伯爵令嬢オリヴィアは伯爵令息ダーフィトと婚約中。 しかし結婚準備中オリヴィアは熱病に罹り冷酷にも婚約破棄されてしまう。 それを知った幼馴染の伯爵令息リカードがオリヴィアへの愛を伝えるが…  【 ⚠ 】 ・前半は夫婦の闘病記です。合わない方は自衛のほどお願いいたします。 ・架空の猛毒です。作中の症状は抗生物質の発明以前に猛威を奮った複数の症例を参考にしています。尚、R15はこの為です。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

【完結】王女様がお好きなら、邪魔者のわたしは要らないですか?

曽根原ツタ
恋愛
「クラウス様、あなたのことがお嫌いなんですって」 エルヴィアナと婚約者クラウスの仲はうまくいっていない。 最近、王女が一緒にいるのをよく見かけるようになったと思えば、とあるパーティーで王女から婚約者の本音を告げ口され、別れを決意する。更に、彼女とクラウスは想い合っているとか。 (王女様がお好きなら、邪魔者のわたしは身を引くとしましょう。クラウス様) しかし。破局寸前で想定外の事件が起き、エルヴィアナのことが嫌いなはずの彼の態度が豹変して……? 小説家になろう様でも更新中

処理中です...