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3.芳香のささやき
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ランチの時間になり、私は庭園に出て持ってきたサンドウィッチを食べる。これはケリーお手製で、私の大好物。学校にもラウンジはあるけれど、悪夢の記憶が蘇って行く気にならなかった。
いつもヒロインがオルメアと親しげに話しているという記憶が邪魔をする。今はきっとそれはないはずだけど、トラウマは簡単に消えてくれない。
「ごちそうさまでした!」
一人で食べるランチも悪くない。悪魔のささやきが薄れる一人の時間を大事にしたかった私は、いつしかそれが当たり前になった。でも、今はもう関係ないのか。
慣れない新しい生活に頭を悩ませていると、どこからか美味しそうな匂いがしてくる。
私は、フルーツの香りが混じったその源を探る。
すると少し離れたベンチに、その香りのもとを見つけた。私は彼女のことが気になり、その生徒に声をかけてみる。
ゆったりとした三つ編みのジンジャーヘアーは胸のあたりまで伸びていて、瞳は綺麗なブラウン。
彼女はベラ・サンシャイン。役でも現実でも、ヒロインの親友。二人の友情は本物だった。ただ、あの日々の中で彼女はエレノアの傍を離れないけれど、その笑顔を見たことはなかった。
「あ、ロミィ……。あなたもここで食べていたの?」
ベラは、おずおずとした様子で声を出している。彼女は、最近じわじわと人気を獲得していった料理店の娘だ。だから他の生徒とは違って家柄に少し引け目を感じているみたい。
自分は成り上がりの娘だから。そう言いたいような顔をしている。
「うん。ベラこそ、一人なの?」
「そうだよ。なんか、今はその方が落ち着くから。皆と一緒にいると……疲れちゃう気がしちゃって」
ベラは恥ずかしそうにそう言った。その表情に違和感を覚える。何かに怯えているようだ。もう記憶はないはずなのに、何を恐れているのだろう。これは彼女の本音ではないような気がした。
ベラの気を紛らわせたくなって、私は会話を続ける。
「そのパン、美味しそうね」
「これ……? 私のお兄ちゃんが焼いてくれるの」
「へぇ、素敵。ベラのお店のメニューには出ていないの?」
「うん、これは……そんなレベルじゃないからって、お兄ちゃんが納得していなくて」
「そう? とても素敵なパンだよ」
私は、フルーツが練り込まれたそのバゲットを見る。普通に食べてみたい。またお腹が空きそうだ。
「ありがとう、ロミィ……。もしよかったら、今度食べてみる?」
「いいの? すごく嬉しい!」
「……うん! ぜひ食べてみて……! 試食してもらいたい」
ベラが嬉しそうに笑うから、そのお花みたいな笑顔に私も嬉しくなる。そうすると、ベラは頬を少し赤らめた。私の顔をじっと見て、どうしたんだろう。
「何か、顔についてるかな?」
「ううん! 違う! ロミィって、やっぱりすごく綺麗だなって、思って……」
「え? な、何言ってるの? やだもう、恥ずかしいじゃない」
急に褒めてくれるものだから、私まで耳が赤くなる。確かに、ベラとはこれまでほとんど交流がなかった。シナリオの中で、ほぼ初対面みたいなものだったし。とすると、今まさにその関係ということか。突然話しかけてしまったから、驚いているのだろうか。
「じゃあ、明後日、持ってくるね! そうしたら、一緒に食べましょう!」
「うん。そうしよう。楽しみにしているね」
近くで見ると、ころころと変わるベラの表情は小動物のようでとても可愛かった。そんなことも知らなかった。私も反省しなくちゃいけない。ベラのこと本当はどういう人なのかなんて考えたこともなかった。
ごめんね、ベラ。
このタイミングで声に出すと変だから、私は心の中で猛省する。
皆、あの時は同じように苦しんでいたはずなのに。
それから私は夏休みを迎えるまで、久しぶりに実感した生きているという感覚を嚙み締めながら日々を過ごした。全てのことが新しく感じて、生まれ変わったかのように刺激的だった。
何より嬉しかったのが、オルメアと普通に話せること。オルメアが私に苦言を呈することなんてないし、私が恨み節を言うこともない。友人として、当たり前の会話ができる。
今だって、ほら、一年間の総合評価について、こうやって互いに見せることができている。
「やっぱり! オルメアはSSだったね! ふふ、予想が当たったでしょう?」
「ああ、そうだね。君はどうだったの?」
「私は……Sだった。SSにはなかなかいけないものね」
私が少し残念そうに言うと、オルメアは私のことを慰めるように優しく「そんなことないよ」と笑う。その時にオルメアの顔が少し近づいてきて、洗練された甘い香りが漂ってくる。その香りに攫われそうになりながら、私は小さく頷く。
「ありがとうオルメア。次は頑張ってみる」
「ロミィはもう十分頑張っているよ。Sだって、凄いことだ。誰もが取れるものではないだろう?」
「ふふふふ、オルメアは慰めるのが上手ね」
「そんなこと、初めて言われたよ」
オルメアが朗らかに笑う。私は少し熱くなった頬を誤魔化すように成績表で顔を抑え、オルメアをちらりと見上げる。そもそも、オルメアと私は、あの悪魔のささやきさえなければ、友達のまま、絶望的な関係にはならなかったんじゃないかな。ふと、そんなことを思う。
オルメアとは、まだ知り合って浅い。前から動向が気になってはいたけれど、私が心の底からオルメアに惹かれたのは、この夏休みの後半。そう、ゲームのシナリオが始まる少し前。
同世代が少なかったクタルストンでオルメアと偶然出会い、たくさん話す機会を得た。
クタルストンで、私とオルメアは、退屈な夜のカーニバルパーティーを抜け出し、二人で近くのコメディーショーを見に行った。そこで、学院では見せない彼の姿にすっかり夢中になった。
オルメアが思ったよりも無邪気に笑うことを知り、ショーの内容について二人でその素晴らしさを存分に語り合った。それがすごく楽しかった。それから、私の視線はオルメアを追いかけるようになる。
同じ学院に通っているだけだった理想的な模範生のオルメアの意外な一面が私にクリーンヒットしたのだ。
彼のことが大好きなんでしょう?
そうやって私の心が教えてくれた。
「そうだロミィ、夏休みはどこへ?」
ハッと、私は意識を今に戻す。そうだ、まだその夏休みは来ていないのだ。今、私はオルメアにとってはただの話しやすい友人の一人だ。一緒にコメディーショーになんて行っていない仲。
「クタルストンへ行くの。そこが私にとっての第二の故郷なの」
「クタルストンか、偶然だな」
「え?」
「僕も今年はそこへ行く」
「本当? 偶然ね!」
私は例え知っていることだとしても、まるで初めて聞いたかのように喜べた。オルメアは私の反応にくすっと笑う。彼の長い睫が微かに下がる。
「向こうでも、話せるといいな」
「ええ。私もそう思う」
心から、強く。
またコメディーショーを見に行くのかもしれない。だけど、既にニアが来るという、この前とはちょっと違う現象が起きている。だから、行けないのかもしれない。だけど、必要のないことだとも思える。
だって私は、もうオルメアのことを追いかけてしまっているのだから。
いつもヒロインがオルメアと親しげに話しているという記憶が邪魔をする。今はきっとそれはないはずだけど、トラウマは簡単に消えてくれない。
「ごちそうさまでした!」
一人で食べるランチも悪くない。悪魔のささやきが薄れる一人の時間を大事にしたかった私は、いつしかそれが当たり前になった。でも、今はもう関係ないのか。
慣れない新しい生活に頭を悩ませていると、どこからか美味しそうな匂いがしてくる。
私は、フルーツの香りが混じったその源を探る。
すると少し離れたベンチに、その香りのもとを見つけた。私は彼女のことが気になり、その生徒に声をかけてみる。
ゆったりとした三つ編みのジンジャーヘアーは胸のあたりまで伸びていて、瞳は綺麗なブラウン。
彼女はベラ・サンシャイン。役でも現実でも、ヒロインの親友。二人の友情は本物だった。ただ、あの日々の中で彼女はエレノアの傍を離れないけれど、その笑顔を見たことはなかった。
「あ、ロミィ……。あなたもここで食べていたの?」
ベラは、おずおずとした様子で声を出している。彼女は、最近じわじわと人気を獲得していった料理店の娘だ。だから他の生徒とは違って家柄に少し引け目を感じているみたい。
自分は成り上がりの娘だから。そう言いたいような顔をしている。
「うん。ベラこそ、一人なの?」
「そうだよ。なんか、今はその方が落ち着くから。皆と一緒にいると……疲れちゃう気がしちゃって」
ベラは恥ずかしそうにそう言った。その表情に違和感を覚える。何かに怯えているようだ。もう記憶はないはずなのに、何を恐れているのだろう。これは彼女の本音ではないような気がした。
ベラの気を紛らわせたくなって、私は会話を続ける。
「そのパン、美味しそうね」
「これ……? 私のお兄ちゃんが焼いてくれるの」
「へぇ、素敵。ベラのお店のメニューには出ていないの?」
「うん、これは……そんなレベルじゃないからって、お兄ちゃんが納得していなくて」
「そう? とても素敵なパンだよ」
私は、フルーツが練り込まれたそのバゲットを見る。普通に食べてみたい。またお腹が空きそうだ。
「ありがとう、ロミィ……。もしよかったら、今度食べてみる?」
「いいの? すごく嬉しい!」
「……うん! ぜひ食べてみて……! 試食してもらいたい」
ベラが嬉しそうに笑うから、そのお花みたいな笑顔に私も嬉しくなる。そうすると、ベラは頬を少し赤らめた。私の顔をじっと見て、どうしたんだろう。
「何か、顔についてるかな?」
「ううん! 違う! ロミィって、やっぱりすごく綺麗だなって、思って……」
「え? な、何言ってるの? やだもう、恥ずかしいじゃない」
急に褒めてくれるものだから、私まで耳が赤くなる。確かに、ベラとはこれまでほとんど交流がなかった。シナリオの中で、ほぼ初対面みたいなものだったし。とすると、今まさにその関係ということか。突然話しかけてしまったから、驚いているのだろうか。
「じゃあ、明後日、持ってくるね! そうしたら、一緒に食べましょう!」
「うん。そうしよう。楽しみにしているね」
近くで見ると、ころころと変わるベラの表情は小動物のようでとても可愛かった。そんなことも知らなかった。私も反省しなくちゃいけない。ベラのこと本当はどういう人なのかなんて考えたこともなかった。
ごめんね、ベラ。
このタイミングで声に出すと変だから、私は心の中で猛省する。
皆、あの時は同じように苦しんでいたはずなのに。
それから私は夏休みを迎えるまで、久しぶりに実感した生きているという感覚を嚙み締めながら日々を過ごした。全てのことが新しく感じて、生まれ変わったかのように刺激的だった。
何より嬉しかったのが、オルメアと普通に話せること。オルメアが私に苦言を呈することなんてないし、私が恨み節を言うこともない。友人として、当たり前の会話ができる。
今だって、ほら、一年間の総合評価について、こうやって互いに見せることができている。
「やっぱり! オルメアはSSだったね! ふふ、予想が当たったでしょう?」
「ああ、そうだね。君はどうだったの?」
「私は……Sだった。SSにはなかなかいけないものね」
私が少し残念そうに言うと、オルメアは私のことを慰めるように優しく「そんなことないよ」と笑う。その時にオルメアの顔が少し近づいてきて、洗練された甘い香りが漂ってくる。その香りに攫われそうになりながら、私は小さく頷く。
「ありがとうオルメア。次は頑張ってみる」
「ロミィはもう十分頑張っているよ。Sだって、凄いことだ。誰もが取れるものではないだろう?」
「ふふふふ、オルメアは慰めるのが上手ね」
「そんなこと、初めて言われたよ」
オルメアが朗らかに笑う。私は少し熱くなった頬を誤魔化すように成績表で顔を抑え、オルメアをちらりと見上げる。そもそも、オルメアと私は、あの悪魔のささやきさえなければ、友達のまま、絶望的な関係にはならなかったんじゃないかな。ふと、そんなことを思う。
オルメアとは、まだ知り合って浅い。前から動向が気になってはいたけれど、私が心の底からオルメアに惹かれたのは、この夏休みの後半。そう、ゲームのシナリオが始まる少し前。
同世代が少なかったクタルストンでオルメアと偶然出会い、たくさん話す機会を得た。
クタルストンで、私とオルメアは、退屈な夜のカーニバルパーティーを抜け出し、二人で近くのコメディーショーを見に行った。そこで、学院では見せない彼の姿にすっかり夢中になった。
オルメアが思ったよりも無邪気に笑うことを知り、ショーの内容について二人でその素晴らしさを存分に語り合った。それがすごく楽しかった。それから、私の視線はオルメアを追いかけるようになる。
同じ学院に通っているだけだった理想的な模範生のオルメアの意外な一面が私にクリーンヒットしたのだ。
彼のことが大好きなんでしょう?
そうやって私の心が教えてくれた。
「そうだロミィ、夏休みはどこへ?」
ハッと、私は意識を今に戻す。そうだ、まだその夏休みは来ていないのだ。今、私はオルメアにとってはただの話しやすい友人の一人だ。一緒にコメディーショーになんて行っていない仲。
「クタルストンへ行くの。そこが私にとっての第二の故郷なの」
「クタルストンか、偶然だな」
「え?」
「僕も今年はそこへ行く」
「本当? 偶然ね!」
私は例え知っていることだとしても、まるで初めて聞いたかのように喜べた。オルメアは私の反応にくすっと笑う。彼の長い睫が微かに下がる。
「向こうでも、話せるといいな」
「ええ。私もそう思う」
心から、強く。
またコメディーショーを見に行くのかもしれない。だけど、既にニアが来るという、この前とはちょっと違う現象が起きている。だから、行けないのかもしれない。だけど、必要のないことだとも思える。
だって私は、もうオルメアのことを追いかけてしまっているのだから。
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