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23 隣の夜空
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「すーごく綺麗だっただすなぁ! クラゲたち!」
マフラーをぐるぐるに巻き直して少しきつめに結ぶと、エヤはそんなことも気にせずに大きな口を開けて興奮を伝えてくれた。
「よくあんなに連れてこられただすよ! りっぱりっぱ!」
「感心するところそこなんだ?」
ふくふくとした頬をマフラーにお餅のように乗せながら一生懸命話すエヤからは、まさにクラゲみたいな白い息が浮遊していく。
「ミケもよく見れただすかっ?」
「うん……見れたよ。たくさんいたね」
俺を挟むようにして座っているミケとエヤは、顔をちょっこりと前に出し合いながら会話をする。
「ところでイタル、この場所でいいの?」
ミケは星がいくつか輝く空を見上げてイヤーマフの位置を直した。
「うん。ここがよく見えるみたいだよ。座って待てるしね」
「ふぅん」
水族館を出た俺たちは、じきに始まる花火を待ってレストラン前に広がる大きな階段に座っていた。目の前には海が広がり、視界は良好。周りにもちらちらと花火を待っている人たちが座っている。
レストランの明かりが背後からそんな点々とした人たちを照らして、すっかり夜だというのに周りはそこまで暗くなかった。
「ノトチャンはちゃんと戻って来れるだすかね?」
ミケが心配そうに水族館の建物の方面を見やる。
初橋さんは今、会社にお土産を買うのを忘れたと言って一人で土産店に引き返したところだった。
水族館を出た後、花火を見るかと尋ねたら彼女も見たいと言ってくれたから、俺たちは今日一日を最後までこの場所で過ごすことにしたのだ。冷たい空気の中に打ちあがる冬の花火は空が澄み渡っているだけではなく光の屈折も起こりにくい。だからそんな美しいものを見逃すことはできないと、彼女は声を弾ませていた。
「大丈夫。さっき電話しといたから……ここなら分かりやすいだろ」
「ノトはエヤみたいに方向音痴じゃないよ」
「ええー! ミケ、エヤも方向音痴ではないだすよっ? でもノトチャンなら確かにしっかり者だすもんね!」
「うん。ノトはしっかりしてる。ゲームも上手だし」
ミケは初橋さんとたくさん話が出来たようで満足気に口角を上げる。
「ノトチャン、すっごく優しいだす。エヤ、もっとノトチャンと遊びたいだす」
「エヤもゲームやれば?」
「難しくないだすか?」
「ノトが教えてくれるよ」
「んふふふふ。それは楽しそうだすっ」
俺もゲームやってるんだけどな。……って口を挟むのは野暮だろう。
「あ、ねぇねぇミケ、聞いただすか? ノトチャンの仕事場、お菓子を作ってるんだすってね」
「うん。聞いた。そういう会社って、お菓子の家持ってるのかな。この世のお菓子を全部つくれるもん」
「ふはははは。そうだったら羨ましいだすね。ノトチャンに招待してもらいたいだす」
「ノトならきっとしてくれる」
「ノトチャンが戻ってきたら聞いてみるだす!」
「うん。聞いてみよう」
そんなこと聞かれたら、彼女もきっと困惑するだろうな。でも多分、彼女なら俺なんかよりもよっぽどいい回答を持っているはずだ。
「ねぇねぇカシノ、ノトチャン、お菓子の家持ってるだす?」
「イタルには教えてくれないよ。ノトに聞かないと」
「んふふふ。カシノ残念だすなぁ。そうだそうだ。エヤ、ノトチャンにたぬきの塾をご案内したいだす」
「ノトに話したの?」
「うんっ。ノトチャン、面白そうだねって言ってただす」
「ノトにまた会える?」
「カシノカシノ! どう思うだすかっ? ノトチャン、呼んでもいいだすかっ?」
エヤとミケは同時にぐっと顔を俺の腕に近づけて期待に満ちた表情で見上げてくる。
「はは。あんまりノトチャンを困らせちゃだめだって」
…………………………ん?
あまりにも滑らかに口先を出て行った言葉。自然すぎて違和感がなくて、俺は自分が発した言葉を意識していなかった。
でも、腕にくっついていたエヤが離れて同じ言葉を向こう側に投げかけた瞬間にふと我に返る。
「ノトチャーン! ここが分かっただすねっ」
「うん。お待たせしてごめんね」
エヤが声をかけた方を見上げると、ショップの袋を手に持った初橋さんが控えめに微笑んでいた。
「……あ゛っ…………」
彼女と目が合うと、初橋さんは少し気まずそうに胸をくすぐるような表情で眉尻を下げて笑う。
やっぱり聞かれてしまっただろうか。
エヤとミケに引っ張られて彼女のことをノトチャンなんて呼んでしまった。馴れ馴れしい……? よな……?
「ご、ごめ……」
いやでもなんで謝ってるんだろう。謝るようなことなのかももはや分からない。でも彼女に気色悪がられたらそれは流石に落ち込む。というよりどことなく恥ずかしいし……なんか居心地が悪くなってきたな。
俺がわたわたとしていると、ミケが冷めた眼差しでじーっと見上げてくる。
「ノトはノトでしょ」
ぴしゃりと言い放ったミケ。正論だけどこれはそうじゃなくて、もっと繊細な何かというか、人間の社交界の掟というか……。マナーというか……。
ミケと目を合わせていると、彼女は眉間に皺を寄せて首を傾げた。
「ふふふふふ。大丈夫ですよ、樫野さん。私のこと、別に何て呼んでも構いませんから」
するとこの状況を見かねたのか、初橋さんがくすくすと笑ってエヤの隣に座る。
「樫野さんさえ良ければ、直音って呼んでも全然構いませんので」
初橋さんは俺の表情を窺うようにしてこちらを見ると、冷気に触れて鮮やかになった印象の眼差しを緩めた。
「そうだすよカシノ! その方がもっとお友だちと仲良くなれるだすよっ」
「イタル、慌てすぎ」
両脇から襲い来る無邪気な圧。初橋さんは二人の言葉にまた楽しそうに笑ってくれる。
「ほらほらカシノ、仲良くなるチャンスだすー!」
エヤがぐいぐいと腕を引っ張ってくると、俺はもう何も言えなくなった。ここはこの圧に屈するしかない。こちらの負けだ。
「……はい。直音、さん」
彼女の名前を呼ぶと、エヤとミケはハイタッチをし、当の本人は微かな笑い声をこぼす。
「はい。直音です。樫野さん」
ささやかな騒動に妙に精神を削られながらも視線が彼女の表情を捉えると、一瞬だけ温かな頬が見えた後で背後のレストランの明かりが消えた。
「あっ! 花火!」
エヤが思い出したかのように声を上げると同時に、水面の向こうに一本の力強い光の柱が昇っていく。
光の先が星に届きそうになったところで、何百個にも連なる太鼓のような心臓の底まで響く音が夜空に響き渡る。
「うわあぁっ!!」
エヤとミケの歓声が降ってきた音に続き、目の前には星を隠すほどの眩いきらめきが散りばめられていった。
最初の大輪が消えないうちに、また光の矢がいくつも後を追いかけ、一日を締めくくる夜空のショーが開幕した。
水面に映る逆さ花火が天空の音に共鳴して人が意図するよりも煌びやかな光の波を見せてくれる。上にも下にも光の演出が広がっていき、それはこの時期街に蔓延るイルミネーションたちよりも幾段と繊細だった。難しい言葉はあまり知らないけど、風光明媚という言葉がしっくりと馴染む。
そんな光景に気を取られていると、ぽつりと一つ隣から聞こえる小さな声が花火の主張の間を縫って耳に届く
「ふふ……すごく綺麗……」
彼女の素直な感想がスッと胸を通り、見上げた花火がくっきりと力強い美しさを纏って見えた。
今日は思いがけず寒い思いばかりをしてしまった。
最後まで寒空の下で冷えた指先を温め、凍えるのを恐れながら花火を待ち望むなんて。
気づけばミケとエヤは温もりを求めてかこちらにぐっと身体をくっつけながら花火に夢中になっている。
その恩恵か、俺も両側から伝わる体温で指先の氷が緩和されていく。
ちらりと直音さんを横目で見やると、彼女は一人だけ誰にも頼らずに背筋を伸ばしたまま花火を瞳に映していた。
まだ今日は終わっていない。
手を伸ばすことのできない俺は、彼女の吐いた白い息を辿るようにして同じ景色を見上げる。
マフラーをぐるぐるに巻き直して少しきつめに結ぶと、エヤはそんなことも気にせずに大きな口を開けて興奮を伝えてくれた。
「よくあんなに連れてこられただすよ! りっぱりっぱ!」
「感心するところそこなんだ?」
ふくふくとした頬をマフラーにお餅のように乗せながら一生懸命話すエヤからは、まさにクラゲみたいな白い息が浮遊していく。
「ミケもよく見れただすかっ?」
「うん……見れたよ。たくさんいたね」
俺を挟むようにして座っているミケとエヤは、顔をちょっこりと前に出し合いながら会話をする。
「ところでイタル、この場所でいいの?」
ミケは星がいくつか輝く空を見上げてイヤーマフの位置を直した。
「うん。ここがよく見えるみたいだよ。座って待てるしね」
「ふぅん」
水族館を出た俺たちは、じきに始まる花火を待ってレストラン前に広がる大きな階段に座っていた。目の前には海が広がり、視界は良好。周りにもちらちらと花火を待っている人たちが座っている。
レストランの明かりが背後からそんな点々とした人たちを照らして、すっかり夜だというのに周りはそこまで暗くなかった。
「ノトチャンはちゃんと戻って来れるだすかね?」
ミケが心配そうに水族館の建物の方面を見やる。
初橋さんは今、会社にお土産を買うのを忘れたと言って一人で土産店に引き返したところだった。
水族館を出た後、花火を見るかと尋ねたら彼女も見たいと言ってくれたから、俺たちは今日一日を最後までこの場所で過ごすことにしたのだ。冷たい空気の中に打ちあがる冬の花火は空が澄み渡っているだけではなく光の屈折も起こりにくい。だからそんな美しいものを見逃すことはできないと、彼女は声を弾ませていた。
「大丈夫。さっき電話しといたから……ここなら分かりやすいだろ」
「ノトはエヤみたいに方向音痴じゃないよ」
「ええー! ミケ、エヤも方向音痴ではないだすよっ? でもノトチャンなら確かにしっかり者だすもんね!」
「うん。ノトはしっかりしてる。ゲームも上手だし」
ミケは初橋さんとたくさん話が出来たようで満足気に口角を上げる。
「ノトチャン、すっごく優しいだす。エヤ、もっとノトチャンと遊びたいだす」
「エヤもゲームやれば?」
「難しくないだすか?」
「ノトが教えてくれるよ」
「んふふふふ。それは楽しそうだすっ」
俺もゲームやってるんだけどな。……って口を挟むのは野暮だろう。
「あ、ねぇねぇミケ、聞いただすか? ノトチャンの仕事場、お菓子を作ってるんだすってね」
「うん。聞いた。そういう会社って、お菓子の家持ってるのかな。この世のお菓子を全部つくれるもん」
「ふはははは。そうだったら羨ましいだすね。ノトチャンに招待してもらいたいだす」
「ノトならきっとしてくれる」
「ノトチャンが戻ってきたら聞いてみるだす!」
「うん。聞いてみよう」
そんなこと聞かれたら、彼女もきっと困惑するだろうな。でも多分、彼女なら俺なんかよりもよっぽどいい回答を持っているはずだ。
「ねぇねぇカシノ、ノトチャン、お菓子の家持ってるだす?」
「イタルには教えてくれないよ。ノトに聞かないと」
「んふふふ。カシノ残念だすなぁ。そうだそうだ。エヤ、ノトチャンにたぬきの塾をご案内したいだす」
「ノトに話したの?」
「うんっ。ノトチャン、面白そうだねって言ってただす」
「ノトにまた会える?」
「カシノカシノ! どう思うだすかっ? ノトチャン、呼んでもいいだすかっ?」
エヤとミケは同時にぐっと顔を俺の腕に近づけて期待に満ちた表情で見上げてくる。
「はは。あんまりノトチャンを困らせちゃだめだって」
…………………………ん?
あまりにも滑らかに口先を出て行った言葉。自然すぎて違和感がなくて、俺は自分が発した言葉を意識していなかった。
でも、腕にくっついていたエヤが離れて同じ言葉を向こう側に投げかけた瞬間にふと我に返る。
「ノトチャーン! ここが分かっただすねっ」
「うん。お待たせしてごめんね」
エヤが声をかけた方を見上げると、ショップの袋を手に持った初橋さんが控えめに微笑んでいた。
「……あ゛っ…………」
彼女と目が合うと、初橋さんは少し気まずそうに胸をくすぐるような表情で眉尻を下げて笑う。
やっぱり聞かれてしまっただろうか。
エヤとミケに引っ張られて彼女のことをノトチャンなんて呼んでしまった。馴れ馴れしい……? よな……?
「ご、ごめ……」
いやでもなんで謝ってるんだろう。謝るようなことなのかももはや分からない。でも彼女に気色悪がられたらそれは流石に落ち込む。というよりどことなく恥ずかしいし……なんか居心地が悪くなってきたな。
俺がわたわたとしていると、ミケが冷めた眼差しでじーっと見上げてくる。
「ノトはノトでしょ」
ぴしゃりと言い放ったミケ。正論だけどこれはそうじゃなくて、もっと繊細な何かというか、人間の社交界の掟というか……。マナーというか……。
ミケと目を合わせていると、彼女は眉間に皺を寄せて首を傾げた。
「ふふふふふ。大丈夫ですよ、樫野さん。私のこと、別に何て呼んでも構いませんから」
するとこの状況を見かねたのか、初橋さんがくすくすと笑ってエヤの隣に座る。
「樫野さんさえ良ければ、直音って呼んでも全然構いませんので」
初橋さんは俺の表情を窺うようにしてこちらを見ると、冷気に触れて鮮やかになった印象の眼差しを緩めた。
「そうだすよカシノ! その方がもっとお友だちと仲良くなれるだすよっ」
「イタル、慌てすぎ」
両脇から襲い来る無邪気な圧。初橋さんは二人の言葉にまた楽しそうに笑ってくれる。
「ほらほらカシノ、仲良くなるチャンスだすー!」
エヤがぐいぐいと腕を引っ張ってくると、俺はもう何も言えなくなった。ここはこの圧に屈するしかない。こちらの負けだ。
「……はい。直音、さん」
彼女の名前を呼ぶと、エヤとミケはハイタッチをし、当の本人は微かな笑い声をこぼす。
「はい。直音です。樫野さん」
ささやかな騒動に妙に精神を削られながらも視線が彼女の表情を捉えると、一瞬だけ温かな頬が見えた後で背後のレストランの明かりが消えた。
「あっ! 花火!」
エヤが思い出したかのように声を上げると同時に、水面の向こうに一本の力強い光の柱が昇っていく。
光の先が星に届きそうになったところで、何百個にも連なる太鼓のような心臓の底まで響く音が夜空に響き渡る。
「うわあぁっ!!」
エヤとミケの歓声が降ってきた音に続き、目の前には星を隠すほどの眩いきらめきが散りばめられていった。
最初の大輪が消えないうちに、また光の矢がいくつも後を追いかけ、一日を締めくくる夜空のショーが開幕した。
水面に映る逆さ花火が天空の音に共鳴して人が意図するよりも煌びやかな光の波を見せてくれる。上にも下にも光の演出が広がっていき、それはこの時期街に蔓延るイルミネーションたちよりも幾段と繊細だった。難しい言葉はあまり知らないけど、風光明媚という言葉がしっくりと馴染む。
そんな光景に気を取られていると、ぽつりと一つ隣から聞こえる小さな声が花火の主張の間を縫って耳に届く
「ふふ……すごく綺麗……」
彼女の素直な感想がスッと胸を通り、見上げた花火がくっきりと力強い美しさを纏って見えた。
今日は思いがけず寒い思いばかりをしてしまった。
最後まで寒空の下で冷えた指先を温め、凍えるのを恐れながら花火を待ち望むなんて。
気づけばミケとエヤは温もりを求めてかこちらにぐっと身体をくっつけながら花火に夢中になっている。
その恩恵か、俺も両側から伝わる体温で指先の氷が緩和されていく。
ちらりと直音さんを横目で見やると、彼女は一人だけ誰にも頼らずに背筋を伸ばしたまま花火を瞳に映していた。
まだ今日は終わっていない。
手を伸ばすことのできない俺は、彼女の吐いた白い息を辿るようにして同じ景色を見上げる。
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