手のひらのしかくい地球

冠つらら

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22 ふわふわでくらくら

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 イベント展示のクラゲエリアは、隣のクリオネの部屋とは違って一段と暗い。
 たくさんのクラゲが入っている大きな水槽をライトで照らし、観客たちを囲うように出迎える。
 その場に一歩踏み入れるだけで世界が大きく変わり、クラゲたちはまるで夜空を舞う雪のようだった。

 高いところまで水槽が伸びているから上を見上げて歩いている人も多い。皆して幻想的な空間に見惚れているせいか歩幅が合わなかったり急に立ち止まる人なんかもいて、淑やかな世界観とは真逆で鑑賞エリアはどちらかというと整備されていない荒野に近い。
 貴族のように優雅に遊泳するクラゲたちに見下ろされて、どちらが鑑賞されているのか分からないほどだ。
 捕獲されてガラスの向こうに閉じ込められたクラゲたちの方が自由を知らないはずなのに、どうにも立場が逆に見えてしまうくらいに窮屈だった。
 この時期の目玉みたいな展示だと分かってはいたから文句を言う筋合いなんてないんだろうけど。

 乱雑な人波に嫌気がさしてしまいそうだったが、三組前を歩く先にエヤと初橋さんの横顔が見えたので内心ほっとする。初橋さんはエヤが人に潰されてしまわないように彼女の後ろに回り、包み込むようにして守りながら目の前を泳ぐ小さなクラゲを指差していた。
 二人の居場所を確認して、俺は小さな身体を駆使してそそくさと良い場所で展示を見回っているミケのことを見失わないように視線を戻す。

 ミケは俺がついてきていることを時折確認しながら、マイペースにクラゲ鑑賞を満喫しているようだった。
 ちらりと腕時計を見やり時間を確認する。いつの間にかすっかり夕方を過ぎていた。展示を見終えたらそろそろ帰宅する時間になるだろう。
 初橋さんとも一日中一緒にいたけど、結局家族のこととかを聞く機会は見つけられなかった。

 こんなに人が多いところに一緒に来たのは初めてだったから、エヤとミケの世話をするのに精一杯だったと言い訳をすれば簡単だ。でも本当は違うんだと思う。
 このまま帰宅して、今日はチャンスがなかったからと先延ばしにするのだろうか。
 朝、目に入ったポスターに描かれた写真と文字を思い出す。

 もうすぐ花火の時間か……。

 初橋さんの方を見ると、エヤに手を引かれて今度は巨大なクラゲの水槽の前まで向かっていた。
 水族館を出たら、彼女はもう帰ってしまう。
 近くにいたクラゲが視界に入ってきて初橋さんの姿を遠のかせていく。
 チクリと、間に入ったクラゲに身体のどこかを刺されたような錯覚がする。

 嫌だな。

 目の前で粉雪のように積もりゆくクラゲたちに覆われて、隠したくない気持ちまでもが白に塗れていった。
 その瞬間に、視界がグワンと揺れてクラゲたちも消えていく。

「あっ、すみません……!」
「いえ。こちらこそ……」

 ぼぅっとしていたせいだろう。背中に衝撃の余韻を残したまま会釈を返す。
ぶつかってきた女性の声に、疎かになりかけていた注意力が戻ってきた。

「ミケ……?」

 さっきまでミケが釘付けになっていたクラゲの大群の前にその姿が見えない。
 サーっと、一気に血の気が引いていくのが分かった。

「ミケ!」

 厳かで煌びやかな音楽に負けないように声の音量を上げて辺りを見回す。

「あーっ! もう……!」

 自分のせいなのは明白だった。だからこそ今、自分のことが相当憎い。
 低い位置に目線を落としてミケの姿を探す。彼女は慣れてきたとはいえこういった人の多いところはあまり得意ではないはずだ。一人ぼっちで不安にさせてしまっているかもしれない。
 今日はミケたちとはぐれることがないようにとずっと肝に銘じていたのに。なんとも不甲斐ない。
 目が回りそうなほどあちこちを見渡して、ようやく暗がりに馴染んできた視界に遠めの輪郭も形を帯びてくる。

「…………あ!」

 左右に動かしていた頭を止め、ある一点に視界が定まった。
 ミケのつけているヘアゴムの蛍光色が目についたからだ。

「ミケ……!」

 その姿を見つけてどっと安心が押し寄せてくる。安堵の息とともに彼女のもとに向かおうとすると、ミケが近くにいた俺とよく似た色のコートを着ている男性の手をそっと握ったのが見えた。
 男性の顔も見ずに手を繋いだミケだったが、突然知らない子に手を握られた男性は戸惑いながらも彼女を見下ろす。そして、無反応な男性に違和感でも覚えたのか、ミケも彼のことを見上げ、二人の目が合った。

「あ…………」

 小さな口が丸を描いたまま固まる。男性は迷子だと察したのか優しく笑ってくれたが、ミケは彼の手を離し、何が起こったのか分からずに伸ばした手を静かに下ろした。

「わー! かーわいい! あはははっ!」

 男性の連れである女性が、ミケが人違いをしたことに気づいて軽やかに声を上げて笑い出す。するとミケは彼女の反応に驚いたのか、びくりと肩を上げて眉を大きく下げた。

「ミケ!」

 驚きのあまり泣きそうになっているミケのもとへと急ぎ、男女に軽く頭を下げてから行き場をなくしたミケの手を握る。

「イタル…………どこにいたの」

 ミケはまだ放心した声のまま、俺を見上げて下がっていた眉を元に戻した。

「ごめん。ちょっとクラゲに見惚れてた」
「……迷子になっちゃだめだよ」
「うん。本当そうだよな。ごめんね、ミケ」
「…………ううん」

 ミケは足元に視線を下げてとぼとぼと歩き出す。
 彼女と合流できたことに一安心しながらも、先ほど見た光景を思い返す。
 よく似たコートを着ていたあの人と俺を間違えたのは分かるけど、まさかミケの方から手を繋ごうとするなんて。このエリアに入った時には頑なに手を繋ぐことを拒んでいたのに。
 やっぱり人が多いのに疲れてしまったのだろうか。
 ミケの気まぐれに思いを馳せていると、繋いだ左手から、きゅっと小さな力が入るのが伝わってくる。

「……ごめんなさい」

 足元を見たまま、ミケはぼそりとそう呟いた。

「いいや。俺の方こそごめんな。でももう迷子は嫌だから、お互い気を付けよう」
「うん」

 こくりと頷くミケは、目の前に広がるクラゲの大群に再び顔を上げる。
 まぁ、どうして気が変わったのかなんてどうでもいいか。
 圧巻の綿雪に吸い込まれるように瞳を開くミケの横顔からは、さっきまで潜んでいた不安心はもう見えなくなっていた。
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