君を駄目にする方法

冠つらら

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9 癒しのふわふわ

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 騎士団本部の広大な庭は、今日は特に賑やかだった。
 中央にはサーカスのような大きなテントが張られていて、その中からは興奮に満ちた歓声が聞こえてくる。

「ありがとうございましたっ!」

 大型猫の魔獣に囲まれたルートゥが派手なお辞儀を見せると、観衆たちは一斉に拍手を送った。ルートゥはその音に満足そうに歯を見せて笑う。

「それでは、この後は外で魔獣と触れ合っちゃってくださいね」

 ルートゥは陽気に皆に呼び掛けると、もう一度頭を下げて猫の魔獣たちとともにテント裏へと消えていった。
 客席で久しぶりに妹のステージを見ていたペトラは、勇ましいその姿を誇らしげに見送った後で観客たちの顔を見渡す。
 前方の席で見覚えのある大男の姿を見つけたペトラは、彼の隣にいる青年を確認してから表情を凛々しくさせる。
 この日はルートゥの所属している魔獣園に協力を得て、騎士団本部に特別巡回に来てもらっていた。これこそがペトラがルートゥにお願いしたことだった。
 魔獣は魔物たちとは違い人間が手懐けることが出来る生物。
 そのため、騎士団本部に魔物とは異なる、人間によって訓練されている魔獣たちと触れ合ってもらうことで、予測不能な動きを見せる生物たちの生態を知る演習、という名目でペトラが呼び込んだのだ。
 上長はこれまでにない試みに賛同してくれ、ルートゥのおかげもあってスムーズに計画は進み、無事当日を迎えることができた。
 まずはルートゥたち魔獣使いによる魔獣とのショーを観覧し、これから騎士団本部の騎士、スタッフたちと魔獣との交流がはじまる。
 参加は自由としていたが、想定よりも多くの人が来てくれていた。
 ペトラはラドミールの姿が目視できたことに一安心し、魔獣に会いに外に出て行く人々とすれ違うようにして急ぎ足で彼らのもとへと向かう。
 もちろん騎士団の皆にイベントの一つとして楽しんで学んでもらうことが目的ではある。だが彼女にとっての一番の目的は違った。

「ラドミールさん! 来てくれたんだね」

 席を立って出口が空くのを待っているラドミールと彼の同僚の大男の前に躍り出たペトラは嬉しそうに彼らに話しかけた。
 ラドミールと大男はペトラの方を振り返ると、ショーの余韻を引きずった笑顔で頷いた。

「はい。とても楽しいショーでした。この魔獣園の企画、ペトラさんが考えたって聞きました。貴重な経験をありがとうございます」
「いえいえ! 楽しんでくれたみたいで何より、です」

 お手本のようなラドミールの感謝の言葉にペトラは小さく頭を下げる。

(でもまだ、メインディッシュはここからだからね、ラドミール・ヴィーカ)

 頭を上げたペトラは、自身の狙いを胸に秘めたまま笑顔でそれを隠す。

「お。そろそろ空いてきたな。ラドミール、俺は一旦フロアに戻るわ」
「え? 魔獣見ないの?」
「後で見るよ。俺、魔獣園の常連だし、見慣れてるしな」
「そうなんだ。知らなかったよ」
「じゃ、そういうことだから。お前は魔獣と触れ合ってこい」

 出口を監視していた大男はラドミールの背中を叩いてそのまま外へと出て行った。
 すっかり人が少なくなったテントの中、ペトラは大男を見送るラドミールのことを探偵のような深い目で窺う。

(今回はまだ子どもで可愛い魔獣も連れてきてもらったことだし、ラドミール・ヴィーカにはとことん触れ合ってもらわないと)

 ペトラは気合いを入れるあまりラドミールのことを睨むすれすれまで来ていた。
 彼女の狙いはこうだった。
 ルートゥの笑顔に癒された時にふと思いついた案。
 ペトラ自身もルートゥの影響で昔から魔獣と触れ合う機会が多く、彼女は魔物とは違うその愛らしい存在に触れる度にいつも癒されてきた。
 心が癒しに絆されると、張り詰めていたものがどうでもよくなるような、すべての緊張が溶かされていく。
 ペトラはそこにヒントを得た。
 仕事に心身のすべてを捧げるラドミール。
 彼の心は騎士団に助けられた恩と、その時に見つけた憧れや使命で燃えている。
 その志は素晴らしいし、立派なことだと思っていた。けれどある種のそんな緊張が、恐らく彼の中をずっと駆け巡っているはずだ。
 しっかりした彼のことだから、その巡りにも隙は無い。
 それならば、普段はない刺激を与えて、恐ろしいくらい緻密に整列した彼の油断のない心に緩みを生じさせればいい。
 彼が魔獣嫌いだと意味がないので、そこはしっかりと女神に確認を取った。
 どうやら彼は魔獣のような可愛らしい生物のことも好きなようだ。
 一度でも心が緩めば、ラドミールの考えも少し変化するかもしれない。
 せめて今日だけでも、仕事のことを忘れて欲しかった。
 一日だけ。たった一日だけでももはや構わない。その僅かな緩みから、きつく縛られたタイがゆっくり解けていけばいい。
 やけになってきたペトラは手段も選ばず、ラドミールの延命計画に僅かな望みをかけることにしたのだ。

「ペトラさん?」

 気づけばラドミールがペトラの不敵な微笑みを首を傾げて見ていた。
 ペトラは慌てて表情を作り直し、「なんでもないっ」と誤魔化す。

「それよりも、外に行こうよ。魔獣たちと触れ合いましょう?」
「はい。そうですね。魔獣なんて久しぶりに見たから、なんかわくわくしちゃいます」

 ラドミールはペトラの不自然な態度にも何の疑念も抱かずに穏やかに笑ってくれた。

(ふふ。いい笑顔! この調子だね)

 ペトラはそれが嬉しくて、久しぶりにほんわかとした気分が心を駆ける。
 二人はテントを後にして小規模な簡易魔獣園としてすでに盛り上がりを見せている群衆の中へと混じっていった。
 ラドミールがあちこちで愛想を振りまいている魔獣たちをきょろきょろと楽しそうな様子で見るので、ペトラは思わず彼のことばかりを気にしてしまう。

(楽しんでくれてる。良かった……。これで少しは、仕事の疲れが取れるかな?)

 彼が魔獣と触れ合っている時も、ペトラは愛らしい魔獣たちよりもラドミールの様子ばかり見る。自分が魔獣と触れ合うことを楽しんでしまわないように責務に集中するためでもあった。
 しかしラドミールはペトラがただ遠慮ばかりしているように見えてしまったのだろう。自分はいいと魔獣との交流を断ってばかりのペトラに対し、ラドミールは少し寂しそうに眉を下げた。
 プチ魔獣園をあまり心から満喫できていない様子のペトラを見かねたラドミールは、ちょうど人の輪が解消されてきた一角を指差す。

「見てペトラさん。この子、まだこんなに小さいですよ」
「え? どの子?」

 ペトラは魔獣にうっかり絆されてしまわないように律していた眼差しをそちらの方向へと向ける。
 するとそこには、まだ生まれて半年ほどのユニコーンの赤ちゃんがちょこんと座っていた。
 その子をお世話している魔獣使いが毛並みを整えていて、ユニコーンがなんとも気持ちの良さそうにしているのが見てとれる。

「かわいいぃぃ…………!」

 思わず感情が先走って口から出て行ってしまった。ペトラは慌てて口をふさぐ。

(いけない。油断するところだった)

 だめだめ、と首を横に振り、コホンと咳をする。

「か、可愛いですよね。ラドミールさん、見てみる?」
「はいっ。ぜひ」

 ラドミールはニコッと笑い、こくりと頷いた。

「こんにちは。今、大丈夫ですか?」

 先程まで人が群がっていたのを見ていたペトラは、ユニコーンのストレス状態を気にして世話役に尋ねてみる。

「大丈夫ですよ。この子は人間が好きでね。抱っこしてもらえないと駄々こねるんですよ。だから大歓迎です!」

 世話役の女性は毛並みを整える手を止めてユニコーンの頭を撫でた。ユニコーンは嬉しそうに鳴き、潤んだ瞳をペトラへと向ける。
 自分が可愛いことをよく分かっているようだ。ペトラはあざとい天の使いに向かってしゃがみこむ。

「ふわふわですね」

 真っ白の毛は滑らかなのに綿のようにもこもことしていて、まだ身体も丸々としている。
 ペトラはたまらず手を伸ばしそうになり、急いでひっこめた。

「ラドミールさん、抱っこする?」
「……うーん」

 ラドミールは顎に手を当てて考える仕草を見せる。ペトラはなおも眼下で揺れ動いている白い物体に目を向けないようにラドミールのことを見上げた。
 しかしユニコーンは忍耐強く我慢しているペトラの足に容赦なく頬を撫でつけてきた。

「ははっ。その子、ペトラさんのこと気に入ったみたいですね」

 その光景を見たラドミールは朗らかに笑う。

「ペトラさんが抱っこしてあげてください」
「えっ」

 それじゃ駄目だよ!
 そう言いそうになったところをペトラはどうにか抑えた。
 足にくっついてくるユニコーンを恨めしそうに見下ろし、ペトラは小さく唇を尖らせる。

「もう、だめだよ。私じゃないんだよ?」

 小声でユニコーンにささやかな苦言を呈した後で、ラドミールの催促する視線に負けたペトラはそっと小さな角が生えた真っ白な頭を撫でる。

「くーん!」

 ユニコーンが愛らしく笑ったように聞こえた。

「かっ…………かわいい…………」

 これにはペトラの頬も崩壊した。溶けたアイスのように絆されていく表情からは力が抜け、ペトラはユニコーンのぬいぐるみ以上のふわふわ感に心を囚われる。

「抱っこしても大丈夫ですよー」

 世話役の女性が補助をしてくれて、ペトラはそのままユニコーンを腕に収めた。
 ユニコーンは本当に抱っこが大好きなようで、身体を丸めてペトラの顔を見上げてくる。温厚なその大きな瞳にペトラは吸い込まれそうになって愛おしさのあまりぎゅうっと抱きしめる。
 計画がちゃんと上手くいくのか終わるまで不安だったペトラの緊張がゆっくりと溶けていく。
 ラドミールは彼女の表情が柔らかになっていく様をそっと見守り、安心したように微笑んだ。

「ラドミールさん、見て見て。こんなに小さい……!」

 ユニコーンは成獣になればとても抱っこなんて出来たものではない。
 大きいもので全長三メートルにもなるユニコーンのまだあどけない姿に、ペトラは感動を覚えてラドミールに見せつける。

「今だけの特権ですね」
「うん。そうだね。ふふふ…………すごくかわいい……!」

 胸の中で寛ぐ温かいふわふわの感触を撫でた後で、ペトラはラドミールを見上げた。

「……そうですね。かわいい、ですね」

 ペトラの言葉にラドミールが穏やかな笑顔を返してくれたので、ペトラはつられて彼と同じように笑った。
 いつまでも抱っこしていたいユニコーンを断腸の思いで世話役のもとへと戻し、ペトラは服についた毛を少し手で払った。

「ねぇどうですか? 魔獣園。楽しんでもらえた?」

 再び歩き始めたラドミールに並んで、ペトラはずっと気になっていたことを直接聞いてみた。ユニコーンに絆され、思わず言えてしまったのだ。

「はい。とても癒されました。元気が貰えた気がします」
「本当っ?」
「はい! 最高の企画です」

 ラドミールはペトラに念を押すように明るく答える。ペトラは彼の眩しい笑顔に心が弾み、ユニコーン以降緩んでしまった頬を口角とともに上げる。
 その時、ラドミールが腕につけた時計に目をやった。ペトラはその瞬間、ハッと緊張が走る。
 そろそろ仕事に戻らなきゃ。
 そう言われるのが怖かったのだ。だがペトラは彼が何を言うのかは聞けなかった。ラドミールが時計から目を離したのと同時に、テントの裏側からルートゥがペトラのことを呼んだからだ。

「あ……えっと…………」

 大きく手を振って自分を呼んでいるルートゥを見ながら、ペトラはどうしようかと目を泳がせる。ラドミールは迷っている彼女に対し、にこりと笑いかけた。

「妹さん、魔獣使いなんですよね。大丈夫ですよ。俺のことは気にしないで」
「え……でも……」
「ほらほら」
「わっ」

 ラドミールを置いていくことを躊躇っているペトラの背中を優しく叩き、彼女の足を一歩前に出させる。
 ペトラは名残惜しそうにラドミールのことを振り返り、彼がこの後仕事に戻ってしまうのかを憂慮した。
 ラドミールは軽く手を振り、ペトラにルートゥのところへ行くようにと促す。ペトラは彼の動向が気になりながらもどうにかルートゥの方へと歩いていった。
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