魔法狂騒譚

冠つらら

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五部

83/迷い人

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 「ねぇ貴方!」

 シャノは、陽気な声を取り繕い、見るだけで気が滅入りそうなほど暗いオーラを発するジェイロイトを呼んだ。

「そんなにふらふらして、どうしたの?」
「…………」

 ジェイロイトは、シャノの好奇に溢れた目を見て、何かを言おうとしている。しかし、バルクに封じられた口は何も発することができなかった。

「あれ?口がなくなってる…」

 シャノは、ぎょっとした顔をすると、杖翼を軽く振った。すると、ジェイロイトは口の自由を取り戻し、大きく息を吐いた。そして、そのまま呼吸を繰り返すように大きく息を吸った。

「君は……っ!?」

 シャノを見ると、その焦燥しきった顔は、だんだんと生気を取り戻してきた。

「ちょっとお邪魔してます」
「…学生か?」

 ジェイロイトはシャノの顔をまじまじと見ると、警戒するようにその目を歪める。

「はじめまして。まさかジェイロイト殿に会えるとは…。光栄です!」

 シャノはにっこりと笑うと手を差し出したが、ジェイロイトの手が拘束されていたことを思い出し、申し訳なさそうにひっこめる。

「ここで何をしているんだ?君たちが来るような場所ではない」

 ジェイロイトは、シャノのひっこめた手を切ない目で見ると、そう言ってシャノを窘めた。

「ごめんなさい!だけど、こうするしかなくって」
「……」

 シャノは杖翼を構えたままだった。ジェイロイトのことを警戒しているのはそれだけでよく分かった。ジェイロイトは、自分に杖翼を向けているこの少年のことを、じっと観察する。そして、先ほど聞こえた轟音を思い出した。

「…まさか!」

 ジェイロイトの瞳孔が大きく開いた。シャノは、小さく首を傾げ、それでも陽気な表情を崩さなかった。

「まさか君、さっきこの塔で聞こえた崩落を起こしたのか!?」
「正確には、俺じゃないけど…」
「…何!?」

 信じられないといった表情で、ジェイロイトはシャノを見る。

「君以外にも誰かいるのか!?まさかそれも学生か!?」
「一人じゃここまで来れないですよ…」

 シャノは情けなさそうに笑った。

「……おい、まさかとは思うが、実験動物を逃がしたのもお前たちか!?」
「…やっぱりもうバレてるんだ…」
「…………なんということだ」

 ジェイロイトは全身から力が抜けたようで、力なく壁にぱたりと寄り掛かった。

「君たちは、バルクの計画を知っているのか?それでこんなことをしているのだな?」
「嘘は通用しないだろうから、正直に答えますね」

 シャノは、ゆっくりと頷いた。それを見たジェイロイトは、そのまま膝から崩れ落ちる。なんという絶望の表情をしているのだろうか。

「大丈夫ですか…?」

 思わず、シャノはその表情を覗き込んだ。ジェイロイトは、どこか宙を見ながら、ぶつぶつと呟きだした。

「……信じられない。無謀すぎる。君たちのような無力な学生が、こんなところまで忍び込むなんて…その身が惜しくはないのか…?」
「これまで考えたこともなかったけど、バルクの計画を知ってから、惜しいなーって思ったかな」
「…………」
「だって、俺たちの未来も潰されちゃうじゃん。まだやりたいこと、あるのになーって思った。だから、ここまで来ちゃいました」

 シャノの歯がゆい表情に、ジェイロイトは唖然としている。

「………………」

 何も言葉が出ないようだった。シャノは、ジェイロイトに攻撃の意思がないことを感じ取った。そっと、ポケットから見えている杖翼を抜き取り、自分の外套に隠した。

「ねぇ、ジェイロイト殿。あなたは、この世界に未来なんていらないの?」
「…………」

 沈黙の後、ジェイロイトのぎょろっとした瞳がこちらを見る。どこか怯えているその目は、そのまま光を失い、下を向いた。

「私は…愚かだった…」

 ぽつりと、ジェイロイトは言葉をこぼした。

「バルクの思うままに動き、それを自分の意思だと勘違いしていた。代表になったからには、何かを成し遂げたかった。世の中の対立が収まるのなら、それはきっと功績になる。そう思って、自分の名声しか求めていなかった。それしか目に入っていないことを、バルクはお見通しだった。上手いことを言って、私はこの計画に乗せられた…いや、自分から乗ったんだ。あいつのせいじゃない。私の選択だ」

 シャノは、黙って聞いていた。独り言のようにも聞こえたが、その瞳は何かを縋っている。

「表の世界は、こちらよりもずっと広い。豊富な資源もある。しかしあちらの人たちは、その環境を当たり前に与えられた権利だと勘違いしている。恐ろしいほどのエゴを持ち、環境破壊すら、権利を全うするためだと言い訳をするように行う。きっと、その先に待っているものが見えないんだ。
それだけじゃない。最も醜いのは、殺戮だ。いつまでたっても学ばない。いや、学んだ上で、自分たちの権威を見せつけるためにわざとその手段をとる。あの世界にとって、一番の脅威は彼ら自身だろう。そんな醜態を、これまで見続けてきた。あんなにも素晴らしい文明を築いてきたのに、それがまるで嘘のようだ。
自らで、そのこれまでの軌跡を食いつぶそうとしている。もはや進化をやめてしまった存在なんだ。技術だけが進歩しようと、そこが止まってしまっては、本末転倒だ」
「…あなたは、表の世界が嫌いなんですか?」
「……嫌いか、そうだな、言葉にすると、この感情はきっとそうだ」

 ジェイロイトは自嘲するように鼻で笑った。

「私たちに、彼らを蔑む権利や資格などないだろう。文化の面で、どれほどの影響を受けたものか…。しかし、ただただ虚しい。今の彼らを見ていても、ただそう思うだけなんだ。虚無感と、失望…。そんなこと、思いたくはなかった。だが、避けられないんだ。目を逸らせないんだ」
「…だからって、バルクたちがあの世界を乗っ取ってもいいんですか?すべてを破壊して、欲しいところだけ頂く。そんな都合のいいことをして、どうやって未来を創るんですか?」
「私も、はじめはそう思っていた…。しかし、激化する魔法派閥の対立を目の当たりにし、もううんざりした。こちらの世界も同じだ。それならば、ここに未来などないと、いつしかそう思うようになった。私は、君たちの希望を捨てたんだ。君たちの未来を、諦めたんだ。私にもう居場所などない。もう、どこか知らないところへ逃げてしまいたいんだ…」

 ジェイロイトの瞳に涙が浮かんでくる。そして、これまで踏みつけられてきた思いを吐露するように叫んだ。

「私だって、素晴らしい未来を信じたかった…!」

 シャノは片膝をついてジェイロイトの目を見た。その目は、まだ救いを求めている。シャノはその瞳を見て、嬉しくなって穏やかに微笑んだ。

「ジェイロイト殿、価値観の対立は、致し方ないですよ」
「……え?」
「魔法派閥の対立は、言い換えればそれぞれの価値観がぶつかることで起きている。そこに目を付けたバルクもいやらしい奴だけど、それと同じくらい、俺たちって面倒な生き物なんですよ」

 ジェイロイトは口を小さく開け、驚いた様子でシャノを見る。

「俺ね、ずっと中立派だった。記憶があるうちはもうずっと。だけど、小さい頃は周りの皆に合わせるのが大変だった。みんなと仲良くなりたくて、仲間外れにされるのが嫌だったんだ。今思えば馬鹿みたいなんだけどさ。だけどね、同調圧力も気持ち悪くて、心の中ではずっともやもやしてた。人によって話は合わせてたけど、どこかで嫌だなって思ってた。みんなの言い分は理解できた。だけど、だからって押し付けることを正義とするのはおかしいなって、そう思うよね。どれも良い意見だったし、人によって思うことってこんなに違うんだって、面白かったし。気に食わないから虐げるなんて、勿体ないよ」

 シャノはけらけらと笑った。

「一つの物事だけでも、人の考えは違いすぎる。価値観が多様にありすぎて、みんな困っちゃうのかな。一緒じゃないからって不安になることないのに。そういう時って、自分が情けないなぁって思うから、思わず強い意見に潰されちゃいません?」

 ジェイロイトの顔を見て、シャノははにかんだ。

「ごめんなさい。俺の話なんてどうでもいいね!俺も参ってるみたい。あなたにこんな話するなんて。…でも、ジェイロイトさん、あなたも、バルクに言われる前は、きっと何か考えていることがあったのでしょう?バルクは、きっと魅力的な人なんでしょ?だから、それが正解なんだって、思っちゃっただけですよ」
「…しかし、もう過去は…」
「そう、過去は戻らない。あなたの選択は覆らない。だけど…」

 シャノは立ち上がった。

「今、俺たちがここにいるってことは、あなたたちの想定外だったのでは?それって…あれ?もしかして、レールを外れるチャンスだったりする?」

 ジェイロイトはシャノを見上げる。その若い無邪気な表情が、ジェイロイトの暗く沈んだ心を眩しく照らした。洞窟で遭難した時に、ふと、美しい宝石を見つけた時のような気分だ。出口は見えないが、挫けまいと、踏ん張る力が蘇る。

「ジェイロイトさん」

 シャノは、ジェイロイトの拘束を解いた。ジェイロイトが、自由になった両手をまじまじと見ていると、そこにシャノの手が伸びてくる。

「逃げなくたっていいんです!今から、俺たちと新しい明日を創りましょうよ!」

 ジェイロイトは、仮にもまだ自分を襲う可能性のある人物に躊躇いもなく手を差し出すことに、彼の青臭さを感じながらも、その愚かさがまた羨ましかった。

 ジェイロイトはシャノの手を取ると、その力に引っ張られながら立ち上がった。

 今度こそ、自分の責務を果たす時だ。
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