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四部
57/重い頭
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ヴィルキィガルデン。執政府の構える建物のことを、皆こう呼んでいる。ここは、この世界の中枢と言っても過言ではない。各地方をまとめ上げ、世界を率いている組織だ。世のため人のため、皆、そういった役割を、執政府は果たしているのだと思い込んだまま彼らを信用するしかない。
当然、執政府自体がその使命を常に忘れないようにしていなくてはならないところだが、一体、どれほどの人がその志を掲げたままそこにいられるのだろうか。
一度味わってしまったその視点は、あまりにも素晴らしくて、いつの間にかその自分の目に優しい絶景しか見れなくなっているかもしれない。しかしそれを公認するほど愚かな者はいない。
賢ければ賢いほど、ひらすらにそれを隠し、良い姿の身を見せるだろう。無論、それがどんなに愚かな行為なのか、もはや承知の上で。
それでも、人は驕り高ぶることには飽きがこない。本当に強い志を持った者ほど、そういった集団とは交わることができない。この悪循環は、どうすれば解消されるのだろうか。きっとその答えは、まだ誰も持っていない。
「ジェイロイト殿」
無駄に爽やかな声が、厳かな部屋の中で机に向かって怪訝そうな表情をしている青年の耳に入ってきた。青年は、その声に耳をピクリと動かした。
「首尾は上々ですよ」
嬉しそうな声で、口角を斜めに上げて笑う自分よりも少し年代が上のその男性は、ジェイロイトに向かって真っすぐと静かに歩いてくる。
「そうですか…」
ジェイロイトは、浮かない声を出した。
「何か懸念事項でも見つかりましたか?」
「いいえ。そういうわけでは…」
「それでは、次の研究所の実験が迫っておりますので、もう少し覇気のある声を出していただけませんかね。それでは、皆の士気が下がってしまう。皆、研究には緊張しているのですよ?まさかそれを存じていないはずがない」
「……すみません。しかし…」
「しかし、なんです?」
「…この実験は、本当に必要なのだろうか?」
「はい?」
ジェイロイトの机の目の前まで来た男性が、ぎろりとジェイロイトを見下した。
「この実験は危険なものだ。人々に犠牲が出てしまう。それに、後の処理はどうする?もし失敗したら?成功したとしても、後始末はどうする?」
「ジェイロイト殿、実験に犠牲はつきものです。それを責めるような間抜けの言うことには耳を貸さなければいい。それに、失敗するとも限らない。仮に失敗しても、あの町であれば今は抗争ですっかり荒廃してしまった。住民たちにとって、今の状態も生き地獄だろう。どちらにせよ彼らにとっては救いになる。実験をしないで本番を迎える方が、遥かに絶望を感じないかい?」
「…しかし」
「ジェイロイト殿はもうこの実験に合意をした。サインもある。今更覆すことはできないのですよ」
「…………」
ジェイロイトは、鼻で笑うその男性から目を伏せ、深刻な面持ちで机を見る。何もない。そこには、何も見いだせなかった。
「それでは、当日はジェイロイト殿も必ず同席願いますね」
男性はそれだけ言うと、来た道を戻り、部屋を出て行った。ジェイロイトは、机の上を見たまま、茫然と固まっている。その表情は、同情を誘うほどに青ざめていた。
当然、執政府自体がその使命を常に忘れないようにしていなくてはならないところだが、一体、どれほどの人がその志を掲げたままそこにいられるのだろうか。
一度味わってしまったその視点は、あまりにも素晴らしくて、いつの間にかその自分の目に優しい絶景しか見れなくなっているかもしれない。しかしそれを公認するほど愚かな者はいない。
賢ければ賢いほど、ひらすらにそれを隠し、良い姿の身を見せるだろう。無論、それがどんなに愚かな行為なのか、もはや承知の上で。
それでも、人は驕り高ぶることには飽きがこない。本当に強い志を持った者ほど、そういった集団とは交わることができない。この悪循環は、どうすれば解消されるのだろうか。きっとその答えは、まだ誰も持っていない。
「ジェイロイト殿」
無駄に爽やかな声が、厳かな部屋の中で机に向かって怪訝そうな表情をしている青年の耳に入ってきた。青年は、その声に耳をピクリと動かした。
「首尾は上々ですよ」
嬉しそうな声で、口角を斜めに上げて笑う自分よりも少し年代が上のその男性は、ジェイロイトに向かって真っすぐと静かに歩いてくる。
「そうですか…」
ジェイロイトは、浮かない声を出した。
「何か懸念事項でも見つかりましたか?」
「いいえ。そういうわけでは…」
「それでは、次の研究所の実験が迫っておりますので、もう少し覇気のある声を出していただけませんかね。それでは、皆の士気が下がってしまう。皆、研究には緊張しているのですよ?まさかそれを存じていないはずがない」
「……すみません。しかし…」
「しかし、なんです?」
「…この実験は、本当に必要なのだろうか?」
「はい?」
ジェイロイトの机の目の前まで来た男性が、ぎろりとジェイロイトを見下した。
「この実験は危険なものだ。人々に犠牲が出てしまう。それに、後の処理はどうする?もし失敗したら?成功したとしても、後始末はどうする?」
「ジェイロイト殿、実験に犠牲はつきものです。それを責めるような間抜けの言うことには耳を貸さなければいい。それに、失敗するとも限らない。仮に失敗しても、あの町であれば今は抗争ですっかり荒廃してしまった。住民たちにとって、今の状態も生き地獄だろう。どちらにせよ彼らにとっては救いになる。実験をしないで本番を迎える方が、遥かに絶望を感じないかい?」
「…しかし」
「ジェイロイト殿はもうこの実験に合意をした。サインもある。今更覆すことはできないのですよ」
「…………」
ジェイロイトは、鼻で笑うその男性から目を伏せ、深刻な面持ちで机を見る。何もない。そこには、何も見いだせなかった。
「それでは、当日はジェイロイト殿も必ず同席願いますね」
男性はそれだけ言うと、来た道を戻り、部屋を出て行った。ジェイロイトは、机の上を見たまま、茫然と固まっている。その表情は、同情を誘うほどに青ざめていた。
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