魔法狂騒譚

冠つらら

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三部

50/優しき少年

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 寮に戻ると、談話室に何故かロドリーがいた。ティーリンを見るなり、ロドリーは嬉しそうに手を上げる。

「ティーリン、おかえり」

 無邪気に笑うロドリーに、ティーリンは不思議に思いながらも彼の向かいのソファに座った。

「ロドリー、どうしたんだ?西寮まで来て…」
「ティーリンのこと待ってたんだ」
「何故?」
「…えっと」

 ロドリーは、ちらちらと自分の隣に置いている袋を見た。よく見ると、その袋の中で何かが動いている。ティーリンは、眉をひそめた。

「ちょっと言いにくいんだけど…ティーリンにお願いがあって、来たんだ」
「…外で話を聞こうか」

 ティーリンは、そう言うとスッと立ち上がった。ロドリーは、ほっとしたような顔をして大きく頷くと、袋を抱えてティーリンの後ろを歩いた。

 西寮の庭に出ると、寒さのせいか、他の生徒の姿は見えなかった。雪は、まだ少し降っている。

「寒い…!雪降ってたんだね…!」

 ロドリーは、首にかけていたマフラーを慌てて巻いた。

「…やっぱり室内の方が良かったか…?」
「いや!大丈夫!寒いから中で待っていただけだし!」

 ロドリーは、鼻を赤くして笑った。そして、抱えていた袋の中をそっと見る。

「それ…」
「え?」
「何が入ってるんだ?」
「え?これ?」

 ロドリーは、少し焦った様子ではにかんだ。

「これはね…えっと…」

 すると、袋の中から、出番を待ちくたびれたように、その生物は顔を出した。小さなキリンのような姿をしたその生物は、四つのツノが、まるで耳が四つあるように見える。真ん中の二つは、身体の模様と同じく茶色で、あとはひよこのような黄色だった。
 短い脚を袋から出し、その小さな生物は、ティーリンをじっと見つめていた。

「…カウチェ?」

 ティーリンは、自分と目が合っているその生物に向かって首を傾げる。すると、その生物も同じく首を傾げた。可愛らしいその宝石のような水色の瞳は、とてつもなく澄んでいる。

「…そう。カウチェだよ…」

 ロドリーは、カウチェを抱きかかえながら、へらっと笑ってみせた。カウチェは、こちらの世界に生きる動物の一種だ。ロドリーが抱えているのはまだ幼い子供のようだが、成長しても大型犬程度にしかならない。飼育は基本的には禁止されているため、町で目にすることは滅多になく、普段は崖で生活している生き物だ。

「どうしてここにカウチェがいるんだ?」

 ティーリンは、初めて間近で見たカウチェに目を丸くした。

「この子はね、僕が拾ったんだ」
「え?どこで…?」
「うーんと、この前、町に出た時に、町の外れで迷っているところを見つけてね。どうやら、群れで移動していたようなんだけど、はぐれちゃったみたい」
「…そんなことあるか?」
「本当だよ。最近寒いし、放っておけなくて…。それに…」

 ロドリーは、袋を取り払った。すると、カウチェの後ろ脚に包帯が巻かれているのが見えた。「怪我してるんだ」と、ロドリーは悲しそうな声で続ける。

「僕が見つけた時には、もう血が出てて、骨も折れてるみたいだった。だからはぐれちゃったんだと思うけど…」
「でも何故、こんな怪我を?しかも街はずれで」
「わからない。僕も不思議だったんだけど、それでもやっぱり放ってはおけないなって」
「それで、寮まで連れてきたのか…」

 ティーリンは、納得したように頷いた。同時に白い息が漏れる。

「生き物持ち込むのは禁止って知ってるけど、見捨てるなんてできないだろう?」
「…そうかもしれないが…」
「それに僕、病院に連れていくお金もないし…」

 ロドリーは、落ち込んだように顔を伏せる。カウチェは、そんなロドリーを心配そうに見上げていた。

「魔法で治療してあげようって思って。だけど、僕にはなかなか難しくて…」
「…それで、僕に?」
「ティーリンなら、治癒魔法を色々知っているかなって思って。それで…何か、教えてもらえたらいいなって…」

 謙虚な眼差しでティーリンを見るロドリーは、ティーリンの返事を待っている。カウチェを大事そうにぎゅっと抱え、あまり自信のなさそうな顔をしていた。不躾なお願いだと、そう思っているようだ。

「……分かった」

 ティーリンは、そう言って頷くと、ロドリーに近づき、カウチェを撫でた。

「痛かっただろうな」

 カウチェは、ティーリンに撫でられると、安心したようにティーリンの手に頬をこすりつけた。少しだけ笑っているようにも見える。ティーリンは、思わず目を細めて微笑んだ。

「ロドリー、包帯を取ってくれるか?」
「うん…!」

 ロドリーは、徐々に積もってきた雪の上に袋をかぶせると、そこにカウチェをそっと乗せた。そして、大人しくしているカウチェの包帯をほどくと、その脚の痛々しい傷が見えてきた。

 少し骨が曲がってしまっているようで、傷痕も歪な線を描いている。出血は抑えたようだが、まだ赤茶色をしていて、その切りつけられたような痕ははっきりと分かった。

「…これはひどいな」
「だよね…」

 ロドリーは、まるで自分がケガをしているかのように顔を歪ませる。

「止血は君が?」
「そう。でも、それくらいしかできなくて…。一昨日のことだから、本当なら、もう傷を治せていてもおかしくないのに。なかなか…」

 ロドリーは、自分の不甲斐なさを恥じるかのように唇をぎゅっと噛んだ。ティーリンは、ロドリーの肩に手を置くと、「君はよくやっているよ」と、慰めた。

「骨はすぐに治せないかもしれないが、何日か経てば大丈夫なはずだ」

 そしてそう言うと、杖翼を取り出した。

「メーヤ・グーベラ・ロウス・サルーカ」

 ティーリンがそう唱えると、杖翼の先からエメラルド色の光が出てきた。その光は、カウチェの脚を優しく包み込むと、しばらく仄かな光を放っていた。
 ロドリーは、その光を見て、感嘆の声を出した。

「すごいや!この魔法、マックウェル先生しか使っているところしか見たことがないや!」
「君も、使えるようになるよ」
「僕にはまだ難しそうだよ!」

 ロドリーは、照れたように笑った。次第に光は収まり、カウチェの脚の傷痕が、だいぶ薄くなってきた。まだ少し脚は曲がっていたが、こちらは時間を要するのが通常だと、ロドリーは知っている。

「ティーリン、ありがとう!」

 嬉しそうなロドリーの声と表情に、ティーリンもほっとしたように笑った。

「良かったな!ニック!」
「…ニック?」
「そう!この子の名前」

 ロドリーは、カウチェを抱えてそう答えた。ニックと呼ばれたカウチェも、小さく鳴いて応える。

「名前つけたのか?」
「うん。名前があった方がいいかなって思って」
「ははは、このまま飼うつもりか…?」

 ティーリンは控えめに笑った。どうやらここの生徒は、規則なんて気にしない人が多いらしい。それは考えものだな、とティーリンは思った。

「ティーリン、本当にありがとうね。ニックのこと、助けられないんじゃないかって、悩んでたんだ。先生に相談したら、ニックがどうなるか分からなかったし。…君のおかげで助かった」

 ロドリーは、ニックを片腕で抱え、もう片方の手をティーリンに差し出した。

「僕にできることがあったら、言ってね。お返しがしたいんだ」
「…ああ、その時は、頼む」

 ティーリンは、その手を取って握手した。小柄なロドリーの手は、ティーリンよりも小さく、それでいて骨が出ているのがよく分かった。

 ケイモフ家に襲い掛かった奇病は、何代にもわたって受け継がれる。ロドリーもその一人だ。彼が周りの男子生徒と比べて小柄なのも、その影響だろう。しかしロドリーは、そんなことは気にしていないように、ティーリンに無邪気な笑顔を向けて力強く握手をしていた。

 ティーリンの新しい友人は、なんとも素直で紳士的な少年だった。

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