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二部
30/メイズ
しおりを挟む静かな空間に、空気の流れる音だけが聞こえる。ゆらゆらと枕もとの明かりが揺れ、真っ暗な外の世界から、この場所を切り離してくれていた。
エルテは、静かに眠るメイズを見た。顔にも少し傷痕が残っている。ちゃんと消えるから大丈夫。そう言い聞かせて、そっと手を伸ばした。しかしその手は、メイズに届く前にまた引っ込められる。
-ばかなことをしやがって…
エルテは、メイズを鈍い瞳で見た。いつだって、予測のつかないことをする。こちらが避けても、いくらでもついてきて、突き放しても、めげずにまた笑顔を向けてくる。
一体どうして、そこまでしてエルテに拘るのか。エルテは、くしゃっと頭を掻いた。
こいつのことは、いつまでたっても理解できない。
そんなことを思っていた。
ここに入学してから、メイズはエルテのことを追いかけていた。エルテがどんなに無愛想でも、エルテと言葉を交わすだけでも楽しそうだった。エルテは、そんなメイズの扱いに困っていた。他の人とは違い、メイズはまったくエルテに遠慮もしなかった。エルテも同じように遠慮をしていなかったので当然だが。エルテにとってメイズは、唯一、心が読めなかった。何を考えているのか、分かりたくても分からなかった。
-彼女は君を愛しすぎている。
ある時、シャノに言われた言葉だ。シャノは、飄々としているが、よく人のことを見ている。その観察眼だけは、エルテも評価していた。いつものにこにこした笑顔で、そう言って頼んでもいない助言をくれたのだ。
-彼女は君を愛しすぎているから、いつかそれが彼女を壊してしまうかもしれないね。愛は、バランスが悪いと、その本当の力が作用しないからさ
そんなことを言われても、自分にどうしろというのだ。自分は、メイズの気持ちに応えることはできない。たとえ、自分がメイズのことを大事に思っていたとしても、それを叶えることはできない。
エルテは、ただメイズの寝顔を見つめ続けている。彼女は、その一直線すぎる瞳で、エルテのことをいつも気にかけていた。結末が分かっていても、それでも、見返りなんて求めずに。
-どうしてだよ…
エルテはうなだれた。少しだけ、目頭が熱くなってきた。
すると、ベッドのシーツが擦れる音がした。エルテは、ハッと顔を上げる。
「……エルテ?」
メイズの小さな声が聞こえる。まだ状況を理解していないような声だった。
「どうして?」
そして、起き上がろうとするので、エルテはそれを止めた。
「鎌鼬のようなものに襲われた」
「なんだっけ?それ…」
「表の世界の妖怪」
「あぁ、だから聞いたことあるんだ…」
メイズは、弱弱しく笑った。
「エルテは?大丈夫?」
そして、顔をこちらに向けて微笑んだ。どうしてそんなに人を気遣えるのだろうか。
「大丈夫だ。誰かが庇ってくれたおかげでな…」
「ふふふ。良かった」
メイズが笑うと、エルテは少し苛立ちを感じた。
「良くないだろう。お前、もしかしたら死ぬところだったぞ」
「……うん、いいの」
「はぁ?」
エルテは、不機嫌な目をメイズに向ける。
「いいの。エルテを救えて死ねるなら」
「何、言ってるんだよ…」
朗らかに答えるメイズに、エルテの苛立ちは高まってきた。
「分かってるの。エルテには、相手がいて、もうその人を選ぶんだって。だから、それなら私は、別に…私、弱いんだって、知っちゃったから」
メイズは、淡々と話した。
「こんなに苦しいんだもん。いっそ、消えちゃったほうが楽だって、そう思う」
メイズの目から、涙が溢れてきた。
「……どうして俺なんだよ」
エルテは、震える心臓を抑えながら、静かに尋ねた。メイズの考えが分からない。脳みそを、誰かに殴られたような感覚だ。
メイズは、エルテの顔を見ずに、そっと口を開いた。それは、エルテも知らない物語だった。
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