魔法狂騒譚

冠つらら

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一部

19/名もなき誰か様へ

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 雑踏が鬱陶しい。

いつもは気にならない生徒たちの賑やかな声が、今日はやたらと頭の中に飛び込んでくる。校舎を歩けば、古代派の生徒たちが無邪気に笑いながら会釈をしてくる。
 それが当たり前だった。ティーリンにとって、生徒たちが自分のことを好いてくれていることは、大した負担ではなかった。彼らの期待に応えるのも、苦ではなかった。そう思っていた。

 それなのに、今日は、どうしてこんなに重荷に感じるのだろう。いつもよりも古代派の皆が楽しそうにしている気がするし、近代派の生徒の目線は剣のようだ。中立派だと思われる生徒たちは遠巻きに自分のことを見ている。何故、こんなにも気が散るのだろうか。

 ティーリンは、どうにかいつもの微笑みを顔に貼り付けると、足早にその場から逃げようとしていた。身体がそれを求めている。このままここにいては、頭がおかしくなりそうだ。

 ティーリンは、次の授業を取っていないことに感謝した。どんなに負担を感じても、授業をサボることは許されない。それが、ハイディ家の宿命だ。なんてくだらないのだろう。心を殺しても、矜恃を守れということか。

 ティーリンは大聖堂近くの、教会を模した建物に入った。といっても、こちらの世界に宗教はない。あるのは派閥だけだ。仕えるのは神ではなかった。あくまで魔法だ。それがこの世界の基盤となっている。

 一番後ろの長椅子に腰を掛けて、ティーリンは正面にある大きなステンドグラスを見た。花が描かれたそのステンドグラスの光が、ティーリンの顔に差し込んだ。

 きっと疲れているからだろう。思わず、よく知りもしない神の名を呼びたくなる。ティーリンは、目を細めた。ハイディ家に来てから、ずっと心は休まらなかった。こんな風に一人でいられるのは、いつ以来だろう。あんなに嫌いだった孤独を求めるなんて、皮肉なものだ。

 ティーリンは、先日の近代科学魔法研究所の代表の話を思い出した。エルテの言う通り、ランドルフ・デルグナーの退任はおかしい。行方不明という話も奇妙だ。あのあと少し調べたが、ランドルフは四か月近くも姿を見せていない。彼はどこに消えてしまったのだろうか。

 新任のダッドレアも、研究所で働いた経歴も浅い人物だ。ツォックという名も聞いたことがない。少なくとも、名家ではないのだろう。誰か有力者と親しいという話も聞かない。

 それに、度重なるハイディ家からの古代魔法保護団体への献金。どう見ても、回数が多すぎる。それにその額も、なかなかのものだ。些細な協力だとは言えないだろう。

 ティーリンは、胸ポケットに入っている小さな古びた手紙を取り出した。

 親愛なるティーリンへ。

 そんな書き出しから始まるこの手紙を、ティーリンは幾度となく読んできた。勇気が欲しいとき。覚悟が欲しいとき。優しさが恋しいとき。どんな時も、ティーリンの心を慰めてくれた。弱弱しくも、繊細で優しいその筆跡を、ティーリンはそっと撫でた。もう何も起こらない。

 ティーリンは、手紙を再び胸ポケットにしまうと、もう一度ステンドグラスを見た。すると、顔を上げたのと同時に後ろの大扉が開いた。

 ティーリンは、ゆっくりそちらへと目をやった。



 「まったく…」

 ゾマーは、小石を蹴って口を尖らせた。

「ゾマー、今日も機嫌が悪いんだね」
「日に日に悪くなってる」

 ツィエとレティがこそこそと話している。

「聞こえてますって」

 ゾマーは、二人の方へ顔を向けて窘めた。自分でも分かっていた。ここのところ、ずっと気が晴れない。心に靄がかかって、思考もパッとしなかった。考えるということを放棄してしまいそうだ。

 原因は、自分でもよく分かっている。ティーリンだ。

 ラティファの件があってから、日に日にティーリンに対する憎悪は増していった。もはや、古代派という枠にとらわれないほど、ティーリン・ハイディという人物が憎らしかった。

 いつも余裕な表情で、信者を携えている。隠れてティーリンのことを崇拝している生徒は、他にもたくさんいるのではないか。いっそ、彼への憧れを、みんなして公にしてしまえばいいのに。

 ゾマーは、我ながらひねくれている、と思いながらも、それをやめられなかった。
 ラティファの顛末を、どうしてもティーリンのせいにしてしまいたかった。そう考える方が何倍も楽だ。そうやって、追い詰められた人は自分の責任から逃げることを選択してしまいがちだ。それも一つの手だろう。すべてのことを自分のせいにしなくていいのだ。

 しかし、逃げるのは簡単だとよく言うが、本当にそうだろうか。その選択肢を選ぶのには、相当の検討を重ねるのではなかろうか。
 さぁ、逃げよう。と、誰かが出発の合図をしてくれれば、こんなにも苦しまないのに。

 ゾマーは、ため息を吐いた。こんなにもどうしようもない感情を、どう処理すればいい。

「ねぇ、ツィエ、見て」

 その時、レティがツィエの腕をちょんっとつついた。レティに促された方を見ると、その先には、エルテと見慣れない女性がいる。

「うぁ、エルテ、どうしたんだ。珍しい」

 ツィエは、親しそうに歩くその二人の姿を見て、口をぽかんと開けた。エルテは、普段の態度の悪さから、あまり親しい友人はいない。しかし、そのなんとも目の離せないエルテの動向を生徒たちは密かに気にしていた。言葉では形容できない、何とも言えない魅力が彼にはあった。

「あの人、この学校の人じゃないよね?」
「そうだと思う。なんだか、可愛らしい人だね」

 ツィエは、エルテの横を歩く女性を見て、朗らかに微笑んだ。

「あ、そうだ。私聞いたことがあるや」
「何を?」
「エルテって、婚約者がいるって」
「本当?なんだか意外だなぁ」
「まぁ、ロッド家だし…」
「え?なにそれ?」

 レティの言葉に、ツィエは首を傾げる。

「え?知らないの?」
「知らない。教えてよ、レティ」

 まさかの、自分より学内のことに疎い生徒がいたとは。

 レティは、あんぐりと口を開けたまま、中等部のルームメイトに心の中で改めて敬意を払った。
 一方、ゾマーは、そんな二人の会話など聞こえていなかったようだ。エルテたちの向こうにちらりと見えた人影を見て、その残像を追っていた。

「二人とも、先行ってて」

 ゾマーはそう言い残すと、二人を置いてどこかへと駆けて行った。



 ティーリンが振り返ると、大扉を開けた人物が中に入ってきた。たどたどしい足取りで、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。

「ちょっと、大丈夫か?」

 ティーリンは、ごちゃごちゃと考えていたことをすべて取っ払い、その人のもとへと駆けた。

「大丈夫……」

 明らかに大丈夫ではない声が教会に響いた。

「メイズ、無理をするな」
「大丈夫だって…気にしないで」

 ふらふらとしているメイズの腕を支え、ティーリンは心配そうにメイズを見た。顔色がよくない。血の気が引いていて、目に活力もない。

「…ほら、座って」

 ティーリンに支えられながら、メイズは長椅子に座った。息遣いは落ち着いている。

「ティーリン、大丈夫だから放っておいて…」
「こんな姿を見て、放ってなんておけないだろ」

 ティーリンは、片膝をついてメイズに目線を合わせた。

「大丈夫なの!私は…!」
「……メイズ」
「どうしてかなぁ。分かってたのになぁ…」

 メイズは顔を上げた。その表情には焦燥が見える。メイズは、ティーリンとは反対の方へ目線を向けた。どこか上の空だ。

「ねぇ、どうしてかな。どうして、こんなにも動揺しちゃうのかな」

 震えた声で、今にも泣きだしそうだった。ティーリンは、冷静さを保ったまま、優しく声をかけた。こんな学友の姿は、辛くて見ていられない。彼女のいつもの穏やかな表情は、消え失せてしまったのだろうか。

「メイズ、何があった…?」
「…………」
「メイズ……」
「…………エルテが、連れてた…」
「誰を…?」
「エルテの婚約者候補よ」

 メイズの答えに、ティーリンは息を呑んだ。メイズの、氷のように冷たい声にも驚いた。

「さっき、中庭にいたわ…。私、遠目で見てた…。そしたら、エルテと目が合って…」

 メイズの瞳が揺れた。涙が出てこないのが不思議なくらいだ。

「私を見て、首を横に振ったの…。ふざけた感じじゃなくて、すごく真剣な顔してた」
「そうなのか…」
「きっと、もう、私につきまとうなってことよね。婚約者候補がいるのだから、当たり前なのだけど…。彼のそばをちょろちょろしていたら、鬱陶しいもんね」

 メイズは、自虐的に笑った。

「エルテの事情は、知ってるだろ…?」
「…うん。知ってる。知ってたつもりだった。……でも、実際に目にしたら、私…」

 ティーリンは、少し動揺した。メイズの瞳から、生気が消えている。

「メイズ、しっかりするんだ。エルテはまだこの学校にいるだろう?なぜ彼女が来たのかは分からないが、エルテが消えてしまうわけではない」
「分かってる。だけど、それがすごくつらいの」

 メイズは、立てた膝に置いているティーリンの手を勢いよく掴んだ。

「だって、私、エルテのこと大好きなんだから…!」

 そして、ティーリンの手を痕が残るほど強く握りしめると、そのまま泣き出した。やっと涙が出てきてくれたようだ。ティーリンは、空いている方の手でメイズの背中を撫でた。

「うぅっ……」

 メイズは、ティーリンの肩にもたれかかると、堰を切ったように泣き出した。ずっと泣くのを我慢していたのだろう。一体いつから、その苦しみに耐えていたのだろうか。

「どうして、私は、あの人になれないの…?」

 メイズの悲痛な願いを、ステンドグラスの光が虚しく照らしていた。
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