上 下
1 / 1

こちら日本より

しおりを挟む
 知っているか?
 人間には天使か悪魔がつく。
 天使がつけば安泰だ。その間人間は楽しい時を過ごせるだろう。
 その代わりに悪魔がついている間、楽しいとは言えないかもしれないがな。
 しかし安心して欲しい。
 一生どちらかのみが付くことはあまりにも稀だ。
 大人しくその時を待っていればいい。
 …私か?
 私は、天使だ。
 ……男か女かって…?
 天使に性別なんてない。勝手にその姿を想像するといい。
 とにかく。私は天使様だ。人間に私の姿が見えたなら、さぞかし喜ぶことだろう。
 その醜い欲を丸出しにして。私の前で間抜けな顔をするんだ。
 天使様だから、それくらい見なかったふりをしてあげよう。
 欲のない人間など存在しないんだ。恥ずかしがらなくていい。
 私は、その欲深さが気に食わないけどな。そんなの私だけだ。気にするな。
 私はドロセア。悪魔に相応しい、異端の天使だ。

 神様は忙しいって知っているか?
 だから私たち天使の仕事など、丸投げなんだよ。私たちもそのほうが動きやすい。
 人間が何人いると思っている?私たちは常に重労働だ。ブラック企業という俗の言葉は、我らにもお似合いだ。
 でも私たちは天使だからね。文句なんて言わない。使命を受けた分、ちゃんと働きますよ?

 私の今の対象者の一人、コザネという男が、今日もスーツを着ている。
 私は彼の上を飛んで、様子を見よう。今日は何をするんだ?
 コザネは、身嗜みを整えて家を出る。なかなか決まっているんじゃないか?
 コザネとは長い付き合いになる。彼の思春期から見守っているからな。随分と大人になったものだ。
 なんだ?今日も面接なのか?コザネはそんなに働きたいのか?
 私は、あまりにもつまらなくて欠伸をした。
 働くことなんて不幸だぞ。よし、私が今日も彼を幸せにしてやろう。
 コザネはもう何社も面接を受けている。就活と言うらしい。一斉に皆が働きに出る時期だ。規則正しいよな。枠組みに嵌められているなんて、可哀想だと思わないか?

 コザネ、君はどうして働きたいんだ?…そうか、お金持ちになりたいのだな。
 お金持ちは不幸だぞ。お金だけが君の記号になる。その会社はやめておけ。君には相応しくないよ。
 私は、こうやって何回もコザネの就職先を変えるチャンスを与えてやる。ほら、今日の面接官も、君の話など興味がないようだよ。これでは君は不幸になるなぁ。
 私のちょっとした気配りで、コザネはまた祈られた。生意気な。どの分際でお祈りをしているのだ。

 コザネは肩を落としている。元気がないな。欲なんて出すからだ。もうそんな欲は捨ててしまったらどうだ?欲深い人間は損をする。コザネもいい加減気づけよな。
 私は、コザネの学び舎まで向かう。コザネの友達は、みんな笑っているではないか。卒業まで遊び呆けるだと?気楽な奴らだ。コザネとは大違いだな。こんなのが友達だなんて、君はやっぱり不幸だ。
 私がそう思うたびに、コザネは友達から離れていった。いいぞ、コザネ。君は賢い。
 一番厄介だったのは、天使に憧れていそうな女だった。ふざけてくれるな。こいつは悪魔だ。そうやって自分を優位に置いて、コザネのことを掌握しようとしているだけではないか。コザネ、この女も君を不幸にする。ああ、もう、その欲には反吐が出る。なんておぞましいんだ。
 私がその女に舌を出していると、女は別の男のところへ行ってしまった。コザネが祈られた会社に就職をするとか言っていた男だ。その男は、コザネの一番の友ではないか。君が欲を出すからだよ。あの男は、君のサンドバッグじゃないんだ。コザネが望むから、私がその欲を手放してやったよ。他人を縛り付けるなんて、傲慢すぎる欲だよ、コザネ。

 コザネはそれから、小さな会社に入社をした。なかなかに上出来ではないか。…ん?コザネ、その顔は何だ?同僚を見てみろ、みんな、君を温かく迎えているよ?
 …もっと有名な会社がいい?そんなことを考えているのか?コザネ、情けないぞ。 君の欲は尽きないのだな。
 私は、コザネの欲深さにほとほと呆れた。

 彼はそこから十数年働いた。ほら、君にぴったりの職場だっただろう?君は働くのが望みだったんだよね?ずっと人より働いて、満足だろう?私が、君の望み通り働けるような環境をずっと整えてあげるからね。
 しかしコザネの欲は、次々に出てくる。
 恋人が欲しい、休みたい、もっとお金が欲しい、時間が欲しい、美味しいものが食べたい、権力が欲しい……

 ああ、もう、うるさいなぁ。

 天使がついているからといって、調子に乗ってはいないか?もし今、コザネに私が見えたら、きっと歓喜して、その阿保面を晒すだろう。想像もしたくないな。
 どうしてそんなに欲が尽きないんだ?人間は、やっぱりそういうものなんだろうね。幸福を求める。私の幸福では不満足か?傷つくじゃあないか。

 …そうか、君は見えすぎているから、欲が尽きないのだね?それともその耳のせいか?人間たちの雑音が君を欲に駆り立てているのか?可哀想に。五感は不幸なものだったね。君の不幸は取り除いてあげないと。だって私は天使様だ。
 それから私は、彼の視界を弱め、音が届かないようにした。
 これで、君は不幸な欲から解放されるかな。もう私に、無様な欲など見せないでくれ。

 また十年が経ち、コザネはすっかり皺が増え、白い髪の毛も増えてきた。
 彼は今、病院に通いながらも、どうにか暮らせているよ。当たり前だ。私がついているんだから。
 彼は、病院の帰り道で、公園に立ち寄った。日光は苦手なのに、それが彼の日課だ。

「今日もここか」

 思わず私も声に出てしまう。もう、見飽きてしまったよ。
 私は腕を組んで、彼の日課を見守った。

「おじちゃん」

 一人の小さな男の子が、コザネに近づく。

「ああ、君だね」

 薄い視界に薄い音を、コザネはいつも探っている。

「ほら、これをあげるよ」
「おじちゃんいつもありがとう!」

 男の子はコザネからお菓子を受け取る。いつもの光景だ。コザネはこうやって、近所の子供にお菓子をあげている。大体、やせ細っている子供だ。どうやら悪魔がついているらしい。私は、しょっちゅうその悪魔たちと顔を合わせている。ここに来る子供たちが彼らの対象者だ。
 コザネは、自らの生活費を、お菓子という形で子供たちに分け与えている。コザネが一生懸命貯めたお金は、もう少ないというのに。
 私は、欠伸が止まらないよ。コザネ、君はいつまでこれを続ける?
 私がつまらない顔をしていると、隣に風が吹いた。

「ドロセア、君もここにいたの」
「ペル、君もここに来たのか」

 天使のペルだ。ほやほやとした奴。会うのは久しぶりだな。

「あの人が君の対象者?」

 ペルはコザネを見下ろした。

「そう」
「いい人じゃないか。子供に施しをしている」
「そんなことはない。コザネは欲まみれだ」
「そう?私にはそうは見えないが」

 ペルはポカンとしている。わかってないんだなぁ。

「コザネはこうすることで、自らの名声を求めている。承認欲求だよ。いい人でいたいという欲も見えるな。善い行いをして、自らの欲を満たしている」
「それ、悪いことなの?」
「さぁね。私は、人間の底知れぬ欲が嫌いなだけだ」

 私は胡坐をかいた。

「幸福になるべき人間はいない。人間は所詮、不幸な生き物の一つだ」
「ドロセアは人間の良さが分からないのだな」

 ペルが宙に横になった。

「私は、懸命に生きる人間を幸せにしたい。君は変わっているね。人間が幸福になるのを望まないだなんて」
「幸福なんて誰が決めた」
「まぁそうだけど」

 ペルはきょとんとしたままだ。

「人間が幸福を感じるのは、命の鼓動を知ったその瞬間のみだ。その振動だけは、命を受けたものだけにしか分からない」

 私はコザネを見たまま話す。体調は良くないようだな、コザネ。

「そしてその瞬間から、命は死に向かう。幸せなんてほんの一瞬だ。命あるものはすべて、不幸な生き物なんだよ」
「そんな一瞬の隙に、その生き物に希望を与えるのが私たちだよ、ドロセア。それが天使の仕事だ」

 ペルは淡々と事実を述べる。さすがはほやほやとした天使だ。

「いいや、私はそこに生まれる欲こそが、不幸だと思うがね」

 私の意見は変わらない。

「それは私たちの願望に過ぎないよ。その願望こそが、人間の欲だ」
「ドロセアは頑固だなぁ」

 ペルはもう興味がなさそうだ。天使は互いに干渉しない。

「ところで君の対象者はどうした?」
「興味あるの?」
「ないが、あまりに暇そうだ」

 ペルは相変わらず横になっている。

「あの人だよ。まだ若造なんだ」

 ペルが指さしたのは、公園の近くでたむろしている中学生か高校生くらいの男だった。仲間を従えて、なにやら笑っている。

「ドロセア。私たち対象者を交換しないか?」
「なに?」

 私は、ペルの申し出に興味を持った。コザネの欲にはほとほとうんざりしていたところだ。

「コザネの方が私は興味深い。ドロセア、どうかな?」

 ペルは顔だけを上げて自分の対象者を見る。

「私の対象者は、見ての通りまだ若い。友達もたくさんいるし、頭もいい。スポーツもできるし、喧嘩だって強いよ。欲しいものは何でも手に入れるし、お金に困ったこともない。どうだ?興味を持たないか?」
「そうだな」

 とても興味深い。私は、思わず笑っていた。

「まだ世の中を知らないんだ。幸せにしてやってくれ」
「分かった。交換しようではないか」

 私の返事に、ペルは体を起こした。

「決まりね」

 神様は忙しい。こちらのことは天使たちにお任せだ。管轄内なら自由にできる。私は、ペルと対象者を交換した。コザネ、お別れだな。
 私は、コザネに未練などない。ようやくその欲を見なくて済む。精々ペルと一緒にいるといい。
 すぐさま私は新しい対象者へと向かった。まずは挨拶しなくてはな。
 若造は、仲間と何かを話すと、こちらに歩いてくる同じ制服を着た男の足を引っかけた。男はこけるなり胸ぐらを掴まれ、何かを言われている。
 若造はどうやら力が強いらしい。男の足が浮きそうだ。男は泣きそうになりながら、若造に謝っている。若造は満足すると、男を放し、そのまま足を蹴った。

「俺の邪魔してんじゃねーよ」

 そう言われ、男はその場から逃げ出した。若造はけたけたと笑っている。なんて不気味な笑い声なんだ。

「将来俺に泣きつくんじゃねーぞ」

 若造はそう声を出した。そうか、この若造も欲にまみれているのだな。
 私は、久しぶりに高揚した。こんなにヒリヒリとした興奮はいつ以来だ。
 私の表情は、もはやどうなっていたことだろうか。とにかく、笑みを抑えきれなかった。

 この若造は、私を飽きさせてはくれないだろうな?
 私は、若造に向かって飛び込んだ。
 ああ、もし私の姿が見えていたら、こいつは目を輝かせて涎を垂らすことだろう。
 そうだ、天使様が来てやったぞ。

「なぁ、よろしくな、坊主。ハッピーエンドなんて、望んでんじゃねぇぞ」

 私の高揚は止まらなかった。坊主、あんたの不幸は、私が取り除いてやるよ。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...