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 重厚な両開きの扉を開け、システィーナはそこに足を踏み入れた。王宮の敷地に存在する静謐な聖堂。厳かで神秘的な空気に萎縮しそうになりながら辺りを伺い、恐る恐る歩みを進めた。
 宗教画が描かれているステンドグラスからの差し込む光が、システィーナの白くきめ細やかな肌を照らす。
 癖のない薄水の髪に、大きな琥珀の瞳。華奢な体を包むのは、華美すぎない品のある菫色のドレス。

 広い聖堂をある程度進むと、奥に佇んでいる見慣れた姿が視界に飛び込んできた。システィーナの視線の先には、一人の青年。
 彼の濃紫の髪は光りに当てられ、輝きを増している。宝石のような美しい紅玉の瞳。繊細な面立ちの彼はこの国の王子であり、システィーナの婚約者。

 途端、システィーナの小さな薔薇色の唇が弧を描く。

「クロード様」
「システィーナ、よく来てくれたね」

 呼びかけると、穏やかな微笑みを返してくれる。

 システィーナがほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、クロードの涼やかで良く通る声が聖堂内に響いた。

「今日は君に、大事なことを伝えるために来て貰ったんだ。実は先日、パメラが聖女である事が判明してね。おいで、パメラ」
「え……」

 呼ばれて横手から出て来たパメラはクロードの方へ歩み寄り、照れた様に頬を染める。
 対してシスティーナの琥珀の瞳は、困惑の色を浮かべた。
 これがわざわざ自分が聖堂に呼ばれた理由なのかと、戸惑いが隠せない。
 確かにこの国、イデオンにとって聖女が見つかるのは大変喜ばしい出来事である。

「それはおめでとう、ございます」

 システィーナは淑女の礼をして、祝辞を述べる。
 パメラは緩いウェーブのかかった、美しい碧色の髪を持ち、システィーナより一つ年上の令嬢だ。
 彼女は隣国、ヴェルザスの出身で現在王妃の侍女を勤めている。

 状況がいまいち飲み込めず、困惑するシスティーナへ、にべもなくクロードの言葉が向けられる。

「そしてシスティーナ、貴女は聖女たるパメラへ日常的に嫌がらせをしていたと報告が上がっている」
「え?」
「よって君との婚約を破棄する」

 冷めた瞳に婚約者を写し、言い放つ言葉はまるで氷の刃のようだ。それは鋭利な刃物となって、システィーナの心に深く突き刺さる。

「そして僕の妃には、パメラを迎えたいと思っている」
「クロード様、何をおっしゃっているの?わたしには全く身に覚えが……」
「その女を捕らえよ」

 震えながらも反駁しようとするシスティーナの言葉を、クロードは遮った。
 その命令と共に、神殿の奥に潜んでいた騎士達がシスティーナを取り囲む。

「待って下さい!クロード様!こんな……」

 いくら濡れ衣を着せられていたとしても、深窓の令嬢であるシスティーナは身がすくみ、大した抵抗も出来ないまま、捕縛されようとしていた。
 この状況なら逃げようとしたとて、無駄な抵抗に終わり、更に罪を重ねてしまう結果になるだろう。
 今は彼らに従うしかなく、疑惑を晴らすのはその後だと思った。

 ──大丈夫、きっと疑惑は晴れる筈。
 そう心中で呟くシスティーナがふと上を見上げると、二階席から見下ろす人物と目があった。

「王妃様……」

 ポツリと呟いたがそのまま歩くことを促され、騎士達に囲まれながらシスティーナは聖堂を後にした。


 ◇

 システィーナは王宮敷地内の、石で造られた塔の中へと監禁されていた。貴族用の独房である。

 一体何日、この薄暗い牢で過ごしただろう。三日を過ぎてから、数える気力もなくなっていた。
 もうすぐ春を迎えようとする季節だが、石造りのこの塔では冷たい空気が、足下に絡み付いてきて寒い。

 独房といっても貴族用の部屋とあって、殺風景ながら簡素な寝台とサイドテーブルが備え付けられている。
 申し訳程度の小さな窓は日当たりが悪く、鉄格子が嵌められている。

(このまま大切な人達に会えないまま、わたしは断頭台に登るのかしら……)

 聖女を害したと、覚えのない罪を着せられたシスティーナの疑惑は、晴れるどころか遂には断頭台に登ることが決定された。

 この牢に入れられた直後は混乱しつつも、すぐに両親が助けに来てくれると信じきっていた。
 しかし幾ら待っても両親の訪れはない。
 たまに役人が決定事項を告げに来るのみで、看守の目さえあまり感じられない。
 完全に世界から孤立したように錯覚し、精神は疲弊していった。
 そのためか、元々華奢だった身体は一層痩せたようだ。

 何をするでもなく、呆然と寝台で横になっていたシスティーナの瞳から、一雫の涙が溢れた。
 ここに来てから幾度も涙を流し続け、十六年間生きてきてこれ程涙を流したことはない。お陰で涙はとうに枯れ果ててしまったかと、思いこんでいた。

 同時に何故このような事態になってしまったのかと、頭の中はもう何度目か分からない考察で占められる。

 自分が現在このような状況にいるのは『パメラ』に関係があるらしい。

 パメラは王妃が祖国から呼び寄せた、同郷の侍女である。王妃はパメラが甚くお気に入りのようで、お茶会などにも招待客として彼女を呼んでいた。
 システィーナ自身、自分は王妃にあまり好かれていないと感じている。それもパメラが現れてから顕著に感じていた。

 だからといって、システィーナはパメラに危害を加えたことは誓ってない。
 そもそも彼女とは、あまり関わった記憶さえないのだ。

 身に覚えのない罪で独房へと閉じ込められたシスティーナにとって、この状況は到底受け入れられる訳がない。

(婚約を破棄したいからといって、このように無実の罪を着せるなんて……)

 婚約者であったクロードは、その美しい見た目もさる事ながら、内面は穏やかで思慮深い。システィーナにとって、彼はずっと理想の王子様だった。

 やはりシスティーナとの婚約破棄は、パメラとの婚姻を結びたいための強硬手段だったのだろうか?
 そのためだけに婚約破棄だけでなく、無実の罪を着せるとは……優しかった婚約者がこのような強引で残酷な行動に出るなどと、システィーナは未だ信じられない思いでいた。

 単純に、婚約破棄だけすれば良かった話ではないのか。それとも他に思惑があるのだろうかと、必ず疑念が生じてくる。
 しかし幾ら考えても答えに行きつかず、思考は深い迷宮を彷徨い続けていた。

 流石に眠気も皆無となり、特に何をするでもなく上半身のみを起こす。そして寝台の上に腰掛けたまま視線を移し、ぼんやりと窓の方を見た。
 この位置から外は見えず、意味も無くただ一点を見つめるのみ。

 刹那、カタンと微かな物音が聞こえた気がした。

 音がした方を見やると、暖炉がある場所だ。
 一度でも火を焚べたことがあるのか、不明な暖炉である。
 暖炉には特に異変もなく、家鳴りの様なものかと、システィーナが視線を逸らしかけたその時──。

「お嬢様」

 確かに声が聞こえた。聞き慣れた、涼しげで落ち着いた声が暖炉の方から。
 正確には暖炉の横手の床が少し浮いており、その奥にある真っ黒な瞳と目があった。
 床の一部が、隠された跳ね上げ戸となっていたようだ。
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