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第一部 第四章 隠された世界の真実
番外編 女神の降誕祭(デア・アドラティオ)
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※ノエル&ディアナ生誕記念に書いたお話。
本編では見られなかった二人の関係が語られる……。
聖歴二十四年 タンザナイト月二十五日。
この日は女神降誕の日とされており、アルカディア教団にとって特別な日だ。
毎年〝女神の降誕祭〟と呼ばれる、創造の女神に感謝と祈りを捧げる祭儀が恒例行事として執り行われている。
けれども世間一般には、女神が愛情深い神であったためか、いつの間にか〝愛〟を遵守して、家族や恋人、友人など、大切な人と過ごす特別な日として知られるようになった。
そうして各地で独自の発展を遂げた女神の降誕祭は、前夜祭からお祝いムードに浮かれる者も多かった。
——アルカディア神聖国・聖都フェレティ、オーラム神殿。
世界の中心、世界樹の麓に作られた国の中枢〝ディラ・フェイユ教皇庁〟の敷地内に併設されたそこでは、大々的な礼拝が開催されていた。
午前・午後の二部構成となっており、詠唱士隊による讃美歌の合唱や、聖典の朗読、教皇の奇跡〝浄化の光〟による施しが行われる。
今年の春頃、まだ肌寒い時期に天寿を全うし、星へ還った先代に代わり教皇位を継いだノエルも、祭儀へ参加せざるを得なかった。
この日は、ノエルが生まれた日でもある。
女神が降誕したと語られる日に、女神の代理人である教皇が生誕したとあって、祭儀は例年よりも盛り上がりを見せていた。
(……だけど、僕にとっては楽しくもない、苦痛な催しでしかない)
何故ならば、崇高な祭儀の裏で、我欲を満たそうと画策する枢機卿団の茶番に付き合わなければならないからだ。
生誕祝いと銘打って敬虔な信者からはお布施を巻き上げ、浄化の光を求める富豪からは寄付と称する高額な賄賂を受け取り順番を優遇して——その他にもあの手この手で甘い汁を吸おうとする。
(奴らにかかれば、どんな事情も醜い欲望の糧だ。
……虚しくなるな)
ノエルはそんな枢機卿に辟易し、同じ空気を吸っている事さえ耐え難く、礼拝を抜け出して中庭へ赴いていた。
白造りの壁と、回廊に囲まれた神殿の中庭——整えられた樹木と、観賞用の花々で彩られたその場は、景観を保つため掛けられた費用に相応しく、作られた美しさがある。
そして、屋根のないそこから空を見上げれば、測量しきれないほど雄大な世界樹の幹と、覆い茂る葉が良く見えた。
天頂には太陽が輝き、陽光が降り注いでいるのだろうが、大樹の作り出す陰影とこの時期特有の冷え込んだ大気に肌寒さを感じた。
吐いた息が白く凍り付いて行く——。
——そうして、何をする訳でもなく、ぼんやりと景色を眺めていると。
「ダメですよ~、ノエル様」
鈴を鳴らしたような高く弾んだ声が聞えてきた。
どこからともなく黒い霧が集まり、視線を向けると、それが作り出した濃密な闇の中から、彼女——ディアナが姿を現した。
いつもは左右の高い位置でおだんごにまとめられた髪は下ろされ、祭儀用に作られた白いドレスの上を、流れるような赤紫色の髪が伝っている。
彼女は腰に手を当てると、爛々とした鮮やかな桃色の瞳をこちらへ向けた。
「こんなところでサボるなんて、いけない人。〝豚さん〟がぷんぷんでぶーぶー騒いでますよ?」
彼女の言う〝豚さん〟とは、ジョセフ枢機卿の事だ。
欲を貪り、贅を飲み込んだ奴の肉体はでっぷりと肥えており、見た目に似合った呼び方で、慎ましさを美徳とする聖職者にしては見苦しい様相をしている。
容姿はともかく、主席枢機卿の地位に就いているだけあって、政の手腕は確かだ。
特に悪どい事に関しては、奴の右に出る者はいない。
「讃美歌や、聖典の朗読は教皇がいなくても進行するだろ?」
「それはそうですけど。讃美歌はレーシュも歌いますし、聖下のお誕生日を祝う席でもあるんですから、主役がいなくちゃ締まらないでしょ?」
姉さんの歌は……まあ気になる。
それ以外はどうでもいい。
奴からすれば、教皇の生誕を出汁にしている手前、姿が見えなくては面子が立たないのだろう。
鼻で笑ってしまう。
「奴が勝手に騒ぎ立てているだけだ。付き合う義理はない」
「もう。そんな事言ってると、また好んでもいない花たちを大量に贈られる事になりますよ?」
「いつもの事さ。今夜は特に気合いが入っているだろうね」
「女神様の子孫も大変ですね」
ディアナは心配する素振りを見せながらも、口角を上げてくすくすと、心底楽しそうに笑っていた。
彼女は女神の使徒として特異な人生を歩んできたせいか、その性質は歪んでいる。
他人の不幸に歓喜し、苦痛は耽美だと笑い、向けられる被虐には恍惚とする。
(僕も歪んでる自覚はあるが……ディアナを見ていると、まだ正常だと思えてしまうな)
幼さの残る容姿からわかるように、彼女は僕より二つも若いのに——と、そこまで考えて、一つ見落としていた事実に気付く。
「……そう言えば、今日は君の誕生日でもあったね」
「あ、覚えててくれたんですか? てっきり忘れられているものかと」
大きく見開かれた、鮮やかな桃色の瞳が瞬きを繰り返した。
忘れるわけがない。
彼女との付き合いは長く、性格は……まあ問題があるが、アイゼンの次くらいには心を許してもいいかなと思える相手だ。
「何か欲しいものがあれば、出来る範囲で叶えてあげるよ」
使い勝手の良い能力を有している事もあり、常日頃、自分の手足としてよく働いてくれるディアナに、ささやかな感謝を返そうと思った。
事前に何かしら用意出来れば良かったが、祭儀の準備に追われていたし、行動を制限された身では中々に無理がある。
「んー、そうですねぇ……」
ディアナが口元に手を添えて、天を仰いだ。
そうして暫く考える仕草を見せた後、彼女はこちらへと視線を向けた。
その表情は、珍しく何の感情も表しておらず——。
(……いや、違う)
一見するとわかりにくいが、無の中に哀憫が隠れていた。
だが、気付いたところで、それがどこから来る感情かまでは推し量れず、尋ねたとしてもはぐらかされて終わりだろう。
少し離れた位置に居たディアナが、歩いて僕との距離を詰め、見つめ合う形になる。
そうして、彼女の艶めく唇が静かに言の葉を作り、音が紡がれて行く。
「私を愛して、ノエル様」
——声色に嘲り揶揄する様子はない。
一瞬、情欲から出た言葉かと思い身構えたが、打算や邪な感情はやはり読み取れず、ただ純粋に〝愛〟を求めているように見えた。
「ディアナ……?」
惑い、名を呼ぶと、彼女の手が伸びて頬へ触れ、僕より低い位置にあった顔が近付いてほのかに花の香りが鼻をくすぐった。
その内に唇を塞ぐ柔らかな感触がして、甘ったるい味が口内を占め——反応を返す前に、離れて行った。
直前の彼女の姿もあって「どう理解したものか」と、余韻に浸り、呆けていると——。
「ふふ、ごちそうさまです♪」
鈴を転がしたような高い音が響いた。
ディアナが赤い舌を覗かせて嬉々とした様子で唇を舐めている。
先ほどまでの姿が嘘のようだ。
けれど、流石に見て見ぬ振りは出来ず、「ディアナ」と名を呼んで、行動の真意を問おうとするが——。
「プレゼントは今ので十分。さっきのは冗談ですよ」
問う前にあしらわれてしまった。
(……こうなっては、答えてくれないだろう)
彼女は自由奔放で飄々としていて、感情や欲望に素直に見えるが、実のところ自分の事をあまり語らない。
だからこそ出自は曖昧にしか知らないし、使徒として傍に控えていてもどこか距離感があって。
……言い知れぬ寂しさを覚えた。
「ノエル様、お誕生日おめでとう」
ディアナが艶やかに笑った。
自分の魅力を全面に押し出し、人を惑わす色香を漂わせて、掴みどころのないおどけた姿を見せている。
「——ありがとう。君も、おめでとう」
だからノエルも、いつもの調子で返すしかなかった。
不意に見せた彼女の一面と、芽生えた感情は気付かなかったことにする。
(どの道、些事に割ける時間はない)
ノエルにとって大切なのは、魔神の先兵によって滅びた女神の血族の生き残り、血の繋がった唯一の肉親——姉イリアを救う事。
(目的を果たすためなら、何を犠牲する事も厭わない。
例えそれが、僕自身の幸せだったとしてもだ)
——氷のように冷えて行く感情と同時に、肌に刺すような冷たさを感じて、ノエルは辺りを見渡した。
大気には——いつの間に降り始めたのか、真っ白な雪の結晶が舞い踊っていた。
本編では見られなかった二人の関係が語られる……。
聖歴二十四年 タンザナイト月二十五日。
この日は女神降誕の日とされており、アルカディア教団にとって特別な日だ。
毎年〝女神の降誕祭〟と呼ばれる、創造の女神に感謝と祈りを捧げる祭儀が恒例行事として執り行われている。
けれども世間一般には、女神が愛情深い神であったためか、いつの間にか〝愛〟を遵守して、家族や恋人、友人など、大切な人と過ごす特別な日として知られるようになった。
そうして各地で独自の発展を遂げた女神の降誕祭は、前夜祭からお祝いムードに浮かれる者も多かった。
——アルカディア神聖国・聖都フェレティ、オーラム神殿。
世界の中心、世界樹の麓に作られた国の中枢〝ディラ・フェイユ教皇庁〟の敷地内に併設されたそこでは、大々的な礼拝が開催されていた。
午前・午後の二部構成となっており、詠唱士隊による讃美歌の合唱や、聖典の朗読、教皇の奇跡〝浄化の光〟による施しが行われる。
今年の春頃、まだ肌寒い時期に天寿を全うし、星へ還った先代に代わり教皇位を継いだノエルも、祭儀へ参加せざるを得なかった。
この日は、ノエルが生まれた日でもある。
女神が降誕したと語られる日に、女神の代理人である教皇が生誕したとあって、祭儀は例年よりも盛り上がりを見せていた。
(……だけど、僕にとっては楽しくもない、苦痛な催しでしかない)
何故ならば、崇高な祭儀の裏で、我欲を満たそうと画策する枢機卿団の茶番に付き合わなければならないからだ。
生誕祝いと銘打って敬虔な信者からはお布施を巻き上げ、浄化の光を求める富豪からは寄付と称する高額な賄賂を受け取り順番を優遇して——その他にもあの手この手で甘い汁を吸おうとする。
(奴らにかかれば、どんな事情も醜い欲望の糧だ。
……虚しくなるな)
ノエルはそんな枢機卿に辟易し、同じ空気を吸っている事さえ耐え難く、礼拝を抜け出して中庭へ赴いていた。
白造りの壁と、回廊に囲まれた神殿の中庭——整えられた樹木と、観賞用の花々で彩られたその場は、景観を保つため掛けられた費用に相応しく、作られた美しさがある。
そして、屋根のないそこから空を見上げれば、測量しきれないほど雄大な世界樹の幹と、覆い茂る葉が良く見えた。
天頂には太陽が輝き、陽光が降り注いでいるのだろうが、大樹の作り出す陰影とこの時期特有の冷え込んだ大気に肌寒さを感じた。
吐いた息が白く凍り付いて行く——。
——そうして、何をする訳でもなく、ぼんやりと景色を眺めていると。
「ダメですよ~、ノエル様」
鈴を鳴らしたような高く弾んだ声が聞えてきた。
どこからともなく黒い霧が集まり、視線を向けると、それが作り出した濃密な闇の中から、彼女——ディアナが姿を現した。
いつもは左右の高い位置でおだんごにまとめられた髪は下ろされ、祭儀用に作られた白いドレスの上を、流れるような赤紫色の髪が伝っている。
彼女は腰に手を当てると、爛々とした鮮やかな桃色の瞳をこちらへ向けた。
「こんなところでサボるなんて、いけない人。〝豚さん〟がぷんぷんでぶーぶー騒いでますよ?」
彼女の言う〝豚さん〟とは、ジョセフ枢機卿の事だ。
欲を貪り、贅を飲み込んだ奴の肉体はでっぷりと肥えており、見た目に似合った呼び方で、慎ましさを美徳とする聖職者にしては見苦しい様相をしている。
容姿はともかく、主席枢機卿の地位に就いているだけあって、政の手腕は確かだ。
特に悪どい事に関しては、奴の右に出る者はいない。
「讃美歌や、聖典の朗読は教皇がいなくても進行するだろ?」
「それはそうですけど。讃美歌はレーシュも歌いますし、聖下のお誕生日を祝う席でもあるんですから、主役がいなくちゃ締まらないでしょ?」
姉さんの歌は……まあ気になる。
それ以外はどうでもいい。
奴からすれば、教皇の生誕を出汁にしている手前、姿が見えなくては面子が立たないのだろう。
鼻で笑ってしまう。
「奴が勝手に騒ぎ立てているだけだ。付き合う義理はない」
「もう。そんな事言ってると、また好んでもいない花たちを大量に贈られる事になりますよ?」
「いつもの事さ。今夜は特に気合いが入っているだろうね」
「女神様の子孫も大変ですね」
ディアナは心配する素振りを見せながらも、口角を上げてくすくすと、心底楽しそうに笑っていた。
彼女は女神の使徒として特異な人生を歩んできたせいか、その性質は歪んでいる。
他人の不幸に歓喜し、苦痛は耽美だと笑い、向けられる被虐には恍惚とする。
(僕も歪んでる自覚はあるが……ディアナを見ていると、まだ正常だと思えてしまうな)
幼さの残る容姿からわかるように、彼女は僕より二つも若いのに——と、そこまで考えて、一つ見落としていた事実に気付く。
「……そう言えば、今日は君の誕生日でもあったね」
「あ、覚えててくれたんですか? てっきり忘れられているものかと」
大きく見開かれた、鮮やかな桃色の瞳が瞬きを繰り返した。
忘れるわけがない。
彼女との付き合いは長く、性格は……まあ問題があるが、アイゼンの次くらいには心を許してもいいかなと思える相手だ。
「何か欲しいものがあれば、出来る範囲で叶えてあげるよ」
使い勝手の良い能力を有している事もあり、常日頃、自分の手足としてよく働いてくれるディアナに、ささやかな感謝を返そうと思った。
事前に何かしら用意出来れば良かったが、祭儀の準備に追われていたし、行動を制限された身では中々に無理がある。
「んー、そうですねぇ……」
ディアナが口元に手を添えて、天を仰いだ。
そうして暫く考える仕草を見せた後、彼女はこちらへと視線を向けた。
その表情は、珍しく何の感情も表しておらず——。
(……いや、違う)
一見するとわかりにくいが、無の中に哀憫が隠れていた。
だが、気付いたところで、それがどこから来る感情かまでは推し量れず、尋ねたとしてもはぐらかされて終わりだろう。
少し離れた位置に居たディアナが、歩いて僕との距離を詰め、見つめ合う形になる。
そうして、彼女の艶めく唇が静かに言の葉を作り、音が紡がれて行く。
「私を愛して、ノエル様」
——声色に嘲り揶揄する様子はない。
一瞬、情欲から出た言葉かと思い身構えたが、打算や邪な感情はやはり読み取れず、ただ純粋に〝愛〟を求めているように見えた。
「ディアナ……?」
惑い、名を呼ぶと、彼女の手が伸びて頬へ触れ、僕より低い位置にあった顔が近付いてほのかに花の香りが鼻をくすぐった。
その内に唇を塞ぐ柔らかな感触がして、甘ったるい味が口内を占め——反応を返す前に、離れて行った。
直前の彼女の姿もあって「どう理解したものか」と、余韻に浸り、呆けていると——。
「ふふ、ごちそうさまです♪」
鈴を転がしたような高い音が響いた。
ディアナが赤い舌を覗かせて嬉々とした様子で唇を舐めている。
先ほどまでの姿が嘘のようだ。
けれど、流石に見て見ぬ振りは出来ず、「ディアナ」と名を呼んで、行動の真意を問おうとするが——。
「プレゼントは今ので十分。さっきのは冗談ですよ」
問う前にあしらわれてしまった。
(……こうなっては、答えてくれないだろう)
彼女は自由奔放で飄々としていて、感情や欲望に素直に見えるが、実のところ自分の事をあまり語らない。
だからこそ出自は曖昧にしか知らないし、使徒として傍に控えていてもどこか距離感があって。
……言い知れぬ寂しさを覚えた。
「ノエル様、お誕生日おめでとう」
ディアナが艶やかに笑った。
自分の魅力を全面に押し出し、人を惑わす色香を漂わせて、掴みどころのないおどけた姿を見せている。
「——ありがとう。君も、おめでとう」
だからノエルも、いつもの調子で返すしかなかった。
不意に見せた彼女の一面と、芽生えた感情は気付かなかったことにする。
(どの道、些事に割ける時間はない)
ノエルにとって大切なのは、魔神の先兵によって滅びた女神の血族の生き残り、血の繋がった唯一の肉親——姉イリアを救う事。
(目的を果たすためなら、何を犠牲する事も厭わない。
例えそれが、僕自身の幸せだったとしてもだ)
——氷のように冷えて行く感情と同時に、肌に刺すような冷たさを感じて、ノエルは辺りを見渡した。
大気には——いつの間に降り始めたのか、真っ白な雪の結晶が舞い踊っていた。
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