上 下
72 / 206
第一部 第三章 動き出す歯車

第十七話 憩いの酒宴

しおりを挟む
 聖地巡礼ペレグリヌスへ向かう巡礼団がラツィエルへと旅立ったその日の夜。
 特務部隊の一班は、王都内の酒場で酒の席をもうけていた。

 発端はハーシェルだ。
 執務室に戻るなり「たまにはみんなでパーッとみに行きましょう! 勿論行くっすよね? ね?」とルーカスに涙目で食い下がった。

 確かにこの一ヶ月余りを振り返ってみると——。

 度重なる魔獣討伐任務に、女神の使徒アポストロスアインによる王都襲撃事件の後始末と、聖地巡礼ペレグリヌス開始に合わせた教皇聖下の歓迎祝典における護衛、そして合間には書類仕事に追われ——休む間がほとんどなかった。

 長期の休みなど持っての他で、たまにはガス抜きも必要だろうと思い許可した。

 ——そんな訳で、区切りのいいところで仕事を切り上げた団員たちと、ハーシェルの行きつけだと言う酒場をルーカスは訪れていた。

 酒場は吹き抜け構造の二階建てで、一階は数多くのテーブル席とカウンター席も用意されており見た目にも規模の大きな店だ。

 二階の広さは一階の三分の一ほどのスペースで、吹き抜け構造のため下から上の様子がうかがえるオープンな状態だったが、テーブル数は少なく席の間隔かんかくも広く取られている。

 更に席の仕切りにはパーテーションがもちいられているため、雑多な一階と比べて幾分か落ち着いた雰囲気だ。

 ルーカス達はその二階の角の席へ通され、丸いテーブルをぐるっと囲む様に椅子へ着席した。
 メンバーは席順にルーカス、アイシャ、ロベルト、アーネスト、ハーシェルの五名だ。

 テーブルの上には肉、魚、野菜などのおかずや、酒のつまみになりそうな品が並び、ジョッキグラスに入ったも先ほど運ばれ、それぞれの席の前へ置かれた。

 エールが到着してうきうきとした様子のハーシェルが、ジョッキグラスを片手に持ち上げる。
 そして嬉々ききとしてグラスをテーブル中央にかかげて見せた。


「おつかれっしたー!」


 乾杯の音頭おんどのつもりだろう、大きな声が客で賑わう店内に響き渡る。

 それを合図にみながグラスを手に取って——ハーシェルのかかげたグラスに合わせるように一か所に集まり、カチンと高い音を立てて軽くぶつかった。

 ささやかな酒宴しゅえんの始まりだ。
 ルーカスは乾杯を交わしたグラスを手元に戻した。

 隣を見ればグラスに口をつけ、黄金色こがねいろのエールを嬉しそうに流し込むハーシェルの姿がある。
 アイシャ、ロベルト、アーネストも迷うことなく黄金色こがねいろのエールを口に含んでいた。

 彼らのグラスの液体は総じて黄金色こがねだが、ルーカスのグラスはと言うと、赤茶色の液体で満たされている。

 実はエールではなく、お茶を頼んでいたのだ。


「あれ? だんちょー、エールじゃないんすか?」


 みなの様子を観察していると、グラスの中身の違いに気付いたハーシェルがのぞき込んで来た。


「ああ、エールはちょっと。俺は遠慮しておく」
「せっかくの酒の場なんすから、そう言わずに! あ、そうだエールが苦手ならいいものが。ちょっと待ってて下さいね」
「あ、いや、俺は——」


 理由があって飲酒は控えているのだが、それを伝える間もなくハーシェルは席を立ち、一階へと降りて行ってしまった。


(行動力があるのは良い事だが、こちらの話も聞いてくれ……)


 その様子を正面やや斜めの位置から見ていたらしいアーネストが「すみません、団長」と申し訳なさそうにこぼした。


「あいつ浮かれてるんですよ。なんだかんだ、団長たちとこうして酒の席をもうけるのは、初めてでしょう?」
「そう言われてみると……そうだったか?」


 ルーカスが特務部隊団長に就任しゅうにんしたのは——一年いちねんほど前だ。

 〝ディチェス平原の争乱〟そしてナビア連合王国が誕生するきっかけとなった〝ザハル・トレス・プルムブル独立戦争〟での功績をたたえられ、今の地位にいた。

 以前から交流のあったディーンやロベルトをのぞけば、彼らとの付き合いもここ一年ほどになる。

 その間にこのような席をもうけた事があったかと言えば——なかった気がする。
 職務に没頭ぼっとうしていた思い出しかない。


「はは。団長は昔からこういう場が苦手でしたもんね」


 隣のロベルトが笑って見せた。
 「団長」という呼び方はそのままだが、職務中でないためいつもの敬語は幾分いくぶんか鳴りをひそめている。

 今でこそ立場が逆転しているが、ロベルトは騎士学校時代の先輩だ。
 昔は先輩としたった相手で、付き合いもそれなりにある。

 付き合いがあるゆえ、行動も知られており誤解がある様だが——。


「苦手と言う訳ではないんだけどな」


 ルーカスはロベルトの見立てを否定するようにつぶやいた。

 こういった場はむしろ好きな方だ。
 ただ、酒の席となると個人的について回る問題があって、自然と避けるようになっただけである。

 ロベルトの方へ顔を向ければ——あいだに座ったアイシャへ目が留まった。

 何故かエールの入ったジョッキを両手にかかえ、がちがちに固まっている。
 普段のキリッとして頼りがいのある彼女からは想像出来ない姿に、何かあったのかと心配になった。


「アイシャ? 大丈夫か?」


 ルーカスが声を掛けると、アイシャの肩が跳ねた。


「はい!? だ、大丈夫です!」


 上擦うわずった声に、紅潮こうちょうした頬。
 アルコールのせいもあるのだろうが、みるみる顔が赤くなっていく。

 手も小刻こきざみに震えており「大丈夫だろうか?」と、再度思っていると——アイシャの隣に座るロベルトが、彼女の手からグラスを取り上げ、テーブルの上へと置いた。

 それに驚いたのかアイシャが、り目がちな紫水晶アメジストの瞳を更にがらせ、ロベルトをにらみつけた。


「何するのよ。気安く触らないで」
「グラスを落とす前に戻しただけだろう」


 ロベルトとアイシャ、二人は旧知の仲だ。
 余計な口を挟んでも悪いので、ルーカスは彼らのやりとりを見守る事にした。


「緊張しすぎだよ。ほら、息止めてないで呼吸して」
「止めてない。ちゃんと呼吸してるわ」
見栄みえっ張りは相変わらずだなぁ……」


 眉尻を下げたロベルトが困ったように笑う。


「ロベルトさんとアイシャさんは幼馴染なんでしたっけ?」


 普段見られない光景を目の当たりにして、関係性を認知してはいたものの、再度確認するかのようにアーネストが疑問を投げかけた。

 ——そう、二人は幼馴染だ。

 それは一班の誰もが知る事実だった。


「ああ、親が事業の関係で懇意こんいにしていてね。こいつ、普段はあんなだけど上がり症なんだ」
「ちょっ! 余計な事言わないでロベルト」
「仲が良いんですね」
「まあね。オレにとっては妹みたいなものだよ」


 頬を赤く染めて憤慨ふんがいするアイシャの頭を、ロベルトがやんわりとでた。

 「セクハラよ、それ」とぶすっとした表情を浮かべるアイシャに対し「オレたちの仲で今更じゃないか?」とロベルトはなごやかに笑う。

 その行動は妹分に対する「いとしい」と想う気持ちの表れだろう。
 双子の姉妹がいるルーカスには、その気持ちがよくわかった。


(妹は無条件に可愛いよな)


 ルーカスの場合、歳が離れている事もあって余計にそう思うのかもしれない。
 ふわふわの桃髪の双子の姉妹との思い出が浮かび上がり、自然と口元がゆるんでしまった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

【完結】おじいちゃんは元勇者

三園 七詩
ファンタジー
元勇者のおじいさんに拾われた子供の話… 親に捨てられ、周りからも見放され生きる事をあきらめた子供の前に国から追放された元勇者のおじいさんが現れる。 エイトを息子のように可愛がり…いつしか子供は強くなり過ぎてしまっていた…

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

婚約破棄は誰が為の

瀬織董李
ファンタジー
学園の卒業パーティーで起こった婚約破棄。 宣言した王太子は気付いていなかった。 この婚約破棄を誰よりも望んでいたのが、目の前の令嬢であることを…… 10話程度の予定。1話約千文字です 10/9日HOTランキング5位 10/10HOTランキング1位になりました! ありがとうございます!!

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

悪役令嬢にざまぁされた王子のその後

柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。 その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。 そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。 マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。 人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...