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6話
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最近、秋の訪れが空気に忍び込んでいる。俺は、夕方になって少し肌寒さを感じ、カーディガンを羽織って勉強をしていた。しかし気がついたら、ベッドに寝転がって本を読んでいた。ページをめくろうとすると、ノックの音がした。
「秋、今いい?」
ドア越しに聞こえる兄の声に俺はドキリとして、慌てて身を起こした。
「いいよ。」
「ごめん、いきなり。勉強の邪魔だった?」
ドアを開けて姿を見せた兄は、紺色の長袖シャツに黒い細身のズボンを履いていて、遠慮がちに俺の顔を見つめた。俺は兄を一目見た瞬間、近親者に対する反応としては不適切な熱を体に感じた。
「ちょうど飽きて本読んでたとこだし、全然気にしないで。」
「うん。」
ベッドに腰掛けていた俺の隣に兄が座り、危険を知らせるかのように自分の鼓動が早くなるのが分かる。兄は弟の肉体上の変化などつゆ知らず、「何を読んでたの?」と何気なく聞いてきた。
「ヴィクトル・ペレーヴィンの『虫の生活』っていう小説。」
「初めて聞いた作家だ。虫が主人公の話なの?」
「まあ……そうだね。不思議な設定で、上手くは説明できないけど、色々な虫が出てくるんだ。」
「へえ。」
当たり障りのない態度を心がけるが、俺は兄を意識しないようにと思うあまり、不自然さが表れていないか心配だった。会話は途切れ、何かを考えこんでいる兄の横顔を盗み見て、触れたい、という欲望がどうしても湧いてくる。こんなに近くにいて、話もできるのに、少しでも自分の欲望に従ったらたちまち、今まで保っていた兄弟の関係が崩壊してしまうことが恐ろしかった。
「……その、何かあった?」
「え?」
「元気がないみたいだから。」
思わぬ問いに、言葉が詰まる。まさか悩みの原因が兄にあるとは、口が裂けても言えない。兄は純粋に、家族として俺のことを心配している。
「兄弟だからって何もかも打ち明けられる訳じゃないと思うし、無理に話さなくていいけど……俺に力になれることがあれば、何か、」
一生懸命に言葉を紡ぐ唇の動きに気を取られ、内容を深く考える前に、欲望が口をついて出た、
「じゃあ、キスしてよ。」
「え、」
こちらを見た兄の目が、驚きに大きく開かれる。綺麗だな、と思うと同時に、自然と兄に体が引き寄せられる。びくり、と揺れた兄の体が強張っていくのが服の上からでも分かって、怖がらせたくないのに、どうしても手を伸ばしたくなった。
「あ、えと……」
困惑した声を漏らす兄は、俺の視線に耐えられなくなったのか俯き、伸びた前髪が目にかかった。自分の持っている熱を伝えないようにそっと指で前髪を掬うと、兄はその下から戸惑った表情で俺の顔を覗いた。
「どうして、そんなこと、」
「兄さんは好きな人いる?」
俺が手を引っ込めると、前髪は元通りに下りる。でも兄の顔は俺に向いたままで、おずおずと言葉を返してきた。
「好きって恋愛的な意味で?」
「うん。」
「わかんない……。意識、したことなくて。」
取り返しのつかないことを言ったはずなのに、俺は妙に冷静に、兄の反応を観察していた。兄は俺の発言に驚き、反射的に警戒心を抱いたようだが、落ち着きを取り戻しつつあった。きっと俺が昔から知っている血の繋がった弟だから、簡単に安心に身を任せてしまうのだろう。
「そっか。秋はいるんだね。」
何と答えたらいいのか分からなかった。兄は、思春期の弟に相応しくない突飛な要求をされてもなお、俺に性的な欲望を向けられてるとは思いもしないんだろう。兄はとても無防備に、俺のベッドに腰掛けたまま、俺を見つめてくる。幼少期の優しい記憶と、男に組み敷かれて身を震わせる兄の姿が頭の中で混じり、慌てて振り払おうとした、
「頬でいいかな。」
「は?」
「ほっぺたなら……ほら、挨拶とかですることもあるしょ。だから、」
先ほどの発言はすっかり流されたものだと思っていたので、兄が受け止めていることに驚いた。どういうつもりなのだろうか、と戸惑っていると、兄が、しなくていいの?とでもいう風にこちらを見ているので、今さら照れくさく感じながら、頬を差し出した。すると、柔らかい感触がして、すぐに離れた。
「……なんか、懐かしいね。俺たち、小さい頃してたらしいよ。母さんが言ってた、写真もあるって。」
兄は恥ずかしくなったのか、目を逸らして控えめな口調で喋り続けるので、俺はたまらず肩を掴んだ。ささやかな触れ合いのせいでかえって体が熱を持ち始め、抑えがたくなってしまう、
「兄さん。」
「何?」
「ごめん、」
なにが、と言う前に、兄の口を塞いだ。俺は兄と唇を重ねているという事実とその感触にたまらなく興奮し、逃げようとする唇を追って、右手で後頭部を掴んだ。下唇を啄むと、兄の体が震えるのが伝わってきて、このままめちゃくちゃにしてやりたい、という暴力的な性欲に頭が塗りつぶされそうになる、でも、途端に恐ろしくなって、目を開いた。少し顔を離して兄の表情を確認すると、明らかに怯えていて、目には涙が膜を張っていた。
「あ……兄さん、ごめ、」
「大丈夫だから、」
兄は、今にも泣き出しそうな声で、自分に言い聞かせるように言った。俺は、兄に嫌われたくない、兄を傷つけたくないはずなのに、兄を抱き寄せたいという欲求が依然として自分の中に大きくあることが怖かった。捕食される動物みたいに弱々しく俺の反応を窺う兄から目を離すことができず、兄の目には弟である自分の姿がどう映っているのだろうと考えると、自分が理性を失いかけている獣であるような気がした。兄には俺があの人のように、いや、近親であるという嫌悪感も相まってそれ以上に、脅威として映るのかもしれず、俺が求めているのは幼少期の戯れの延長のような接触ではなく、性欲と支配欲を伴ったものであることが、もう隠しきれなくなってしまった。
口が渇いて、声が上手く出ない。自分が兄にとって危険な存在でないことをどうにか伝えたかったが、高まっていく鼓動と荒い呼吸のせいで、説得力を持たなかった。
「邪魔してごめんね。」
兄は口早にそう言って、部屋を出た。扉を閉める前に、一度俺の方を見たが、その顔には混乱と僅かな怯えが見てとれた。兄は何をしにきたのだろうか、様子のおかしい俺を心配して話を聞きにきただけなのだろうか?自分のとった態度を思い出して衝動的に物に当たりたくなったが、俺はできるだけゆっくりとした動作を心がけ、さっきまで読んでいた本を手にした。しかし当然、兄の痕跡を残した一人の部屋で、平静な気持ちで本など読めるはずがなかった。『虫の生活』は様々な虫……人間のような思考と生活を持っている虫が、虫から虫に変化する不可思議な話だった。そういえば兄は、フランツ・カフカの『変身』という小説が好きだった。主人公の男が朝起きたら虫になっていて、そのせいでやがて家族に邪険に扱われる、というストーリーで、俺も昔、兄から借りて読んだ。
俺はとても滑稽な話だと思ったが、兄は違う感想を抱いたようだった。悲しかった、と言った。
「自分が他の人とは違う存在だと思ったり、ある時から全く別の生き物になってしまったかのように感じたり……そんなことって、秋はある?」
考えたこともなかった、とそのとき俺は答えたと思う。でも今は自分自身に対して、まさに姿が虫に変わったくらいの異物感があった。それなのに、どんなに嫌悪の目を向けられても、社会から疎外されるとしても、虫である自分自身を変えることは叶わないのだ。俺は、兄が触れていた部分を避けてベッドに横たわり、本を開きかけてやめた。怒りたいような、泣きたいような気持ちで、兄に触れた感触を忘れようと努めた。
「秋、今いい?」
ドア越しに聞こえる兄の声に俺はドキリとして、慌てて身を起こした。
「いいよ。」
「ごめん、いきなり。勉強の邪魔だった?」
ドアを開けて姿を見せた兄は、紺色の長袖シャツに黒い細身のズボンを履いていて、遠慮がちに俺の顔を見つめた。俺は兄を一目見た瞬間、近親者に対する反応としては不適切な熱を体に感じた。
「ちょうど飽きて本読んでたとこだし、全然気にしないで。」
「うん。」
ベッドに腰掛けていた俺の隣に兄が座り、危険を知らせるかのように自分の鼓動が早くなるのが分かる。兄は弟の肉体上の変化などつゆ知らず、「何を読んでたの?」と何気なく聞いてきた。
「ヴィクトル・ペレーヴィンの『虫の生活』っていう小説。」
「初めて聞いた作家だ。虫が主人公の話なの?」
「まあ……そうだね。不思議な設定で、上手くは説明できないけど、色々な虫が出てくるんだ。」
「へえ。」
当たり障りのない態度を心がけるが、俺は兄を意識しないようにと思うあまり、不自然さが表れていないか心配だった。会話は途切れ、何かを考えこんでいる兄の横顔を盗み見て、触れたい、という欲望がどうしても湧いてくる。こんなに近くにいて、話もできるのに、少しでも自分の欲望に従ったらたちまち、今まで保っていた兄弟の関係が崩壊してしまうことが恐ろしかった。
「……その、何かあった?」
「え?」
「元気がないみたいだから。」
思わぬ問いに、言葉が詰まる。まさか悩みの原因が兄にあるとは、口が裂けても言えない。兄は純粋に、家族として俺のことを心配している。
「兄弟だからって何もかも打ち明けられる訳じゃないと思うし、無理に話さなくていいけど……俺に力になれることがあれば、何か、」
一生懸命に言葉を紡ぐ唇の動きに気を取られ、内容を深く考える前に、欲望が口をついて出た、
「じゃあ、キスしてよ。」
「え、」
こちらを見た兄の目が、驚きに大きく開かれる。綺麗だな、と思うと同時に、自然と兄に体が引き寄せられる。びくり、と揺れた兄の体が強張っていくのが服の上からでも分かって、怖がらせたくないのに、どうしても手を伸ばしたくなった。
「あ、えと……」
困惑した声を漏らす兄は、俺の視線に耐えられなくなったのか俯き、伸びた前髪が目にかかった。自分の持っている熱を伝えないようにそっと指で前髪を掬うと、兄はその下から戸惑った表情で俺の顔を覗いた。
「どうして、そんなこと、」
「兄さんは好きな人いる?」
俺が手を引っ込めると、前髪は元通りに下りる。でも兄の顔は俺に向いたままで、おずおずと言葉を返してきた。
「好きって恋愛的な意味で?」
「うん。」
「わかんない……。意識、したことなくて。」
取り返しのつかないことを言ったはずなのに、俺は妙に冷静に、兄の反応を観察していた。兄は俺の発言に驚き、反射的に警戒心を抱いたようだが、落ち着きを取り戻しつつあった。きっと俺が昔から知っている血の繋がった弟だから、簡単に安心に身を任せてしまうのだろう。
「そっか。秋はいるんだね。」
何と答えたらいいのか分からなかった。兄は、思春期の弟に相応しくない突飛な要求をされてもなお、俺に性的な欲望を向けられてるとは思いもしないんだろう。兄はとても無防備に、俺のベッドに腰掛けたまま、俺を見つめてくる。幼少期の優しい記憶と、男に組み敷かれて身を震わせる兄の姿が頭の中で混じり、慌てて振り払おうとした、
「頬でいいかな。」
「は?」
「ほっぺたなら……ほら、挨拶とかですることもあるしょ。だから、」
先ほどの発言はすっかり流されたものだと思っていたので、兄が受け止めていることに驚いた。どういうつもりなのだろうか、と戸惑っていると、兄が、しなくていいの?とでもいう風にこちらを見ているので、今さら照れくさく感じながら、頬を差し出した。すると、柔らかい感触がして、すぐに離れた。
「……なんか、懐かしいね。俺たち、小さい頃してたらしいよ。母さんが言ってた、写真もあるって。」
兄は恥ずかしくなったのか、目を逸らして控えめな口調で喋り続けるので、俺はたまらず肩を掴んだ。ささやかな触れ合いのせいでかえって体が熱を持ち始め、抑えがたくなってしまう、
「兄さん。」
「何?」
「ごめん、」
なにが、と言う前に、兄の口を塞いだ。俺は兄と唇を重ねているという事実とその感触にたまらなく興奮し、逃げようとする唇を追って、右手で後頭部を掴んだ。下唇を啄むと、兄の体が震えるのが伝わってきて、このままめちゃくちゃにしてやりたい、という暴力的な性欲に頭が塗りつぶされそうになる、でも、途端に恐ろしくなって、目を開いた。少し顔を離して兄の表情を確認すると、明らかに怯えていて、目には涙が膜を張っていた。
「あ……兄さん、ごめ、」
「大丈夫だから、」
兄は、今にも泣き出しそうな声で、自分に言い聞かせるように言った。俺は、兄に嫌われたくない、兄を傷つけたくないはずなのに、兄を抱き寄せたいという欲求が依然として自分の中に大きくあることが怖かった。捕食される動物みたいに弱々しく俺の反応を窺う兄から目を離すことができず、兄の目には弟である自分の姿がどう映っているのだろうと考えると、自分が理性を失いかけている獣であるような気がした。兄には俺があの人のように、いや、近親であるという嫌悪感も相まってそれ以上に、脅威として映るのかもしれず、俺が求めているのは幼少期の戯れの延長のような接触ではなく、性欲と支配欲を伴ったものであることが、もう隠しきれなくなってしまった。
口が渇いて、声が上手く出ない。自分が兄にとって危険な存在でないことをどうにか伝えたかったが、高まっていく鼓動と荒い呼吸のせいで、説得力を持たなかった。
「邪魔してごめんね。」
兄は口早にそう言って、部屋を出た。扉を閉める前に、一度俺の方を見たが、その顔には混乱と僅かな怯えが見てとれた。兄は何をしにきたのだろうか、様子のおかしい俺を心配して話を聞きにきただけなのだろうか?自分のとった態度を思い出して衝動的に物に当たりたくなったが、俺はできるだけゆっくりとした動作を心がけ、さっきまで読んでいた本を手にした。しかし当然、兄の痕跡を残した一人の部屋で、平静な気持ちで本など読めるはずがなかった。『虫の生活』は様々な虫……人間のような思考と生活を持っている虫が、虫から虫に変化する不可思議な話だった。そういえば兄は、フランツ・カフカの『変身』という小説が好きだった。主人公の男が朝起きたら虫になっていて、そのせいでやがて家族に邪険に扱われる、というストーリーで、俺も昔、兄から借りて読んだ。
俺はとても滑稽な話だと思ったが、兄は違う感想を抱いたようだった。悲しかった、と言った。
「自分が他の人とは違う存在だと思ったり、ある時から全く別の生き物になってしまったかのように感じたり……そんなことって、秋はある?」
考えたこともなかった、とそのとき俺は答えたと思う。でも今は自分自身に対して、まさに姿が虫に変わったくらいの異物感があった。それなのに、どんなに嫌悪の目を向けられても、社会から疎外されるとしても、虫である自分自身を変えることは叶わないのだ。俺は、兄が触れていた部分を避けてベッドに横たわり、本を開きかけてやめた。怒りたいような、泣きたいような気持ちで、兄に触れた感触を忘れようと努めた。
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