5 / 7
5話
しおりを挟むあれは、夏の強い日差しを浴びた時に、総身を貫いたと思われるほど鋭く感じる、目眩のようなものだったと思う。平穏な日々の中で、俺はあの日に生じた欲望をそうやって幻惑として処理することに苦心した。
永澤さんがこの地を去ってから、兄は少しく肥って……とは言っても、前から痩せていたので病的なものを感じない程度に元の体型に戻っただけだが、とにかく元気を取り戻したように見えた。俺の目をまっすぐに見て、何の陰も無く笑い、永澤さんに力ずくで屈服させられた心身はいまや、緊張を解かれてのびのび動いていた。最後に会いに行った日から、永澤さんのことは、お互いに一度も口にしなかった。俺は、このまま死ぬまであの人のことを口に出したくない、と思っていた。あんなことが兄の人生を醜く引きずることがあってはならない、と同時に、己の窮屈な肉体は未だに兄と少しでも肌が触れ合った時にチラ、と燃え上がりそうな欲望を覗かせる。兄は俺を心から信頼していて、自分の脅威になるなんて考えはつゆほども抱いていないのだろう。性的で加害的な欲望のままに他人から手ひどく扱われる兄を見、変革させられた自分の意識は戻そうと思っても簡単に戻るものではなかった。心身が安定しない思春期特有の混乱による産物だと、何度も思い込もうとした。では、もしあの出来事を目撃しなかったら俺が兄に抱く感情はずっと、家族に向ける距離を持った穏やかな愛情のままだったのだろうか?……いや、それはきっと違う。小さい頃から、激情の萌芽はあった、それが性の目覚めという然るべき時期に、最悪のきっかけによって花開いただけだ、虚しい努力はそういった確信を一層深めるだけだった。
同級生の、多くの同性の友人は、成長と共に異性の肉体に興味を持つようになり、そのことが少しの戸惑いと公然の秘密を共有する誇らしさを持って口の端に上ることが増えてきた。そういった場で俺は無感動に相槌を打つだけだった。そして、愛情はともかくとして性的な欲望は広い対象に抱ける人が多いと思われるのに、自分の性的観念の世界に兄しか住まってないことは異常なのだろうか、ということをぼんやりと考えた。性的な欲求を抱く対象も、愛情を抱く対象も兄ただ一人となると、兄への感情ばかりが昂進していくのも仕方ない、でも実を結ばないと思われるそれはあまりに苦しい。だから俺は、別の対象を愛したり欲情を抱いたりしようと試みた。結果として、実際の経験を伴う前に全て失敗に終わってしまったが。俺の性的欲求には、羞恥と苦痛から離れられないものとして存在するようになった。
最後に会った時の永澤さんの言葉は忘れたくても忘れられず、思い出すたびに印象が強くなった。体力の無い兄が泣きながら必死に抵抗して、でも最後には力尽きて弱々しく永澤さんに身を任せることになる、そして自分が強いられている行為の意味を覚え始めたせいで体が………… 俺が兄のあられもない姿を見て変わってしまったように、兄も蹂躙されたことによってどうしても変わってしまった部分があるのではないだろうか、俺は、自分が望んでいないはずの疑問が頭から離れなかった。しかしそうだとしても、兄が求めるのは弟の俺ではないことだけは確かだった。
来年になったら、俺も兄もそれぞれ高校、大学を受験する年になり忙しくなるため、冬休みのうちに家族旅行をしようという話が出た。両親は片田舎の温泉にでも行き、旅館に泊まるという計画を話したが、俺はどうしても駄目だと思った。なぜなら、兄の裸を今の自分は平常な心で見ることができないだろうし、他の人達がいる場で兄が裸の状態でいることが耐えられないという、子どもじみた独占欲と青年期の性的な欲求が混ざり合ったグロテスクな理由からだった。そんなことを知る由もない兄は、家族と行けるならどこでも嬉しいとにこにこしていた。
兄さんは可愛かった、その優しい笑顔を見ると心があたたかくなった。柔らかい声で話しかけられると幸せな気持ちになった、控えめに触れられると胸が弾んだ。でも俺は、そのまま兄を力強く自分の元へと引き寄せて、思うがままにその体を貪りたかった。徐々に大人の陰りを見せてきた白い肌はどんな味がするのか、自分の舌で確かめたい、隅々まで兄を感じ取ってその反応を目に焼き付けた後、今度は自分の体を強く刻みつけてやりたいと思ってしまう。
「……俺は遊園地に行きたいんだけど。」
「え、遊園地って?都心の?」
「うん。」
普段は要求を言わない俺がいきなり口を出したので、母はびっくりした。俺は子ども的な態度を装って、温泉なんて刺激がないから遊園地で遊びたいと言い張った。来年の修学旅行でその遊園地に行くことが決まっていたが、兄と一緒に行くまたとない機会だと思った。母も父もそして兄も、反対する理由は特に無いので、すぐに俺の提案は飲み込まれた。
「遊園地かあ、中学生の時以来だな。あれ、でも小さい頃に家族で行かなかったっけ。」
「行ったよ。でも春が六歳で、秋が三歳の時だったから秋はほとんど覚えてないんじゃない?それにしても来年学校で行くのに本当に遊園地でいいの?」
兄の言葉に、母が反応した。おぼろげな過去は、アルバムの写真によって補強されていた。小さな兄さんともっと小さかった俺が遊園地のマスコットキャラクターの着ぐるみと一緒に写真に収められていた。俺は兄に必死にしがみつき、兄は笑顔をカメラではなく俺に向けていた。
「うん。だって兄さんと行きたいし……それに、三歳の頃の記憶なんてないに等しいからね。」
「秋は小さい頃からお兄ちゃんにべったりだったからな。パパとママどっちが好きか聞いたら、にいちゃん!って答えたことは忘れられないよ。春は春で、秋の面倒をよく見てたし。」
「だって、秋が可愛くて。」
父に言われて照れ臭そうに兄は答え、母も笑っていた。それは幸せな家族の時間だった、俺が心に抱いているものを決して外に漏らさず、落ち着くのを待てば全てが何事もなく終わるはずだ。兄が遠方の大学に進むことになったらこの家を離れることになるし、遅かれ早かれ俺たち兄弟は生まれた家を出てバラバラになる運命にある。そばにいたいがために兄にはずっと家族に縛られていてほしかったけど、俺は、純粋に兄を尊敬する従順な弟、という仮面を被って一緒に生活し続けるのに耐えられそうになかった。子どものままではいられない、というのは俺自身が一番よく分かっていた。
0
お気に入りに追加
47
あなたにおすすめの小説
弱すぎると勇者パーティーを追放されたハズなんですが……なんで追いかけてきてんだよ勇者ァ!
灯璃
BL
「あなたは弱すぎる! お荷物なのよ! よって、一刻も早くこのパーティーを抜けてちょうだい!」
そう言われ、勇者パーティーから追放された冒険者のメルク。
リーダーの勇者アレスが戻る前に、元仲間たちに追い立てられるようにパーティーを抜けた。
だが数日後、何故か勇者がメルクを探しているという噂を酒場で聞く、が、既に故郷に帰ってスローライフを送ろうとしていたメルクは、絶対に見つからないと決意した。
みたいな追放ものの皮を被った、頭おかしい執着攻めもの。
追いかけてくるまで説明ハイリマァス
※完結致しました!お読みいただきありがとうございました!
噂の冷血公爵様は感情が全て顔に出るタイプでした。
春色悠
BL
多くの実力者を輩出したと云われる名門校【カナド学園】。
新入生としてその門を潜ったダンツ辺境伯家次男、ユーリスは転生者だった。
___まあ、残っている記憶など塵にも等しい程だったが。
ユーリスは兄と姉がいる為後継者として期待されていなかったが、二度目の人生の本人は冒険者にでもなろうかと気軽に考えていた。
しかし、ユーリスの運命は『冷血公爵』と名高いデンベル・フランネルとの出会いで全く思ってもいなかった方へと進みだす。
常に冷静沈着、実の父すら自身が公爵になる為に追い出したという冷酷非道、常に無表情で何を考えているのやらわからないデンベル___
「いやいやいやいや、全部顔に出てるんですけど…!!?」
ユーリスは思い出す。この世界は表情から全く感情を読み取ってくれないことを。いくら苦々しい表情をしていても誰も気づかなかったことを。
寡黙なだけで表情に全て感情の出ているデンベルは怖がられる度にこちらが悲しくなるほど落ち込み、ユーリスはついつい話しかけに行くことになる。
髪の毛の美しさで美醜が決まるというちょっと不思議な美醜観が加わる感情表現の複雑な世界で少し勘違いされながらの二人の行く末は!?
水の巫覡と炎の天人は世界の音を聴く
井幸ミキ
BL
僕、シーラン・マウリは小さな港街の領主の息子だ。領主の息子と言っても、姉夫婦が次代と決まっているから、そろそろ将来の事も真面目に考えないといけない。
海もこの海辺の街も大好きだから、このままここで父や姉夫婦を助けながら漁師をしたりして過ごしたいのだけど、若者がこんな田舎で一生を過ごしたいなんていうと遠慮していると思われてしまうくらい、ここは何もない辺鄙な街で。
15歳になる年、幼馴染で婚約者のレオリムと、学園都市へ留学しないといけないみたい……?
え? 世界の危機? レオリムが何とかしないといけないの? なんで? 僕も!?
やけに老成したおっとり少年シーラン(受)が、わんこ系幼馴染婚約者レオリム(攻)と、将来やりたい事探しに学園都市へ行くはずが……? 世界創生の秘密と、世界の危機に関わっているかもしれない?
魂は巡り、あの時別れた半身…魂の伴侶を探す世界。
魔法は魂の持つエネルギー。
身分制度はありますが、婚姻は、異性・同性の区別なく認められる世界のお話になります。
初めての一次創作BL小説投稿です。
魔法と、溺愛と、ハッピーエンドの物語の予定です。
シーランとレオリムは、基本、毎回イチャイチャします。
ーーーーー
第11回BL小説大賞、無事一か月毎日更新乗り切れました。
こんなに毎日小説書いたの初めてでした。
読んでくださった皆様のおかげです。ありがとうございます。
勢いで10月31日にエントリーをして、準備も何もなくスタートし、進めてきたので、まだまだ序盤で、あらすじやタグに触れられていない部分が多いのですが、引き続き更新していきたいと思います。(ペースは落ちますが)
良かったら、シーランとレオリムのいちゃいちゃにお付き合いください。
(話を進めるより、毎話イチャイチャを入れることに力をいれております)
(2023.12.01)
長らく更新が止まっていましたが、第12回BL大賞エントリーを機に再始動します。
毎日の更新を目指して、続きを投稿していく予定です。
よろしくお願いします。
(2024.11.01)
不憫な推しキャラを救おうとしただけなのに【魔法学園編 突入☆】
はぴねこ
BL
魔法学園編突入! 学園モノは読みたいけど、そこに辿り着くまでの長い話を読むのは大変という方は、魔法学園編の000話をお読みください。これまでのあらすじをまとめてあります。
美幼児&美幼児(ブロマンス期)からの美青年×美青年(BL期)への成長を辿る長編BLです。
金髪碧眼美幼児のリヒトの前世は、隠れゲイでBL好きのおじさんだった。
享年52歳までプレイしていた乙女ゲーム『星鏡のレイラ』の攻略対象であるリヒトに転生したため、彼は推しだった不憫な攻略対象:カルロを不運な運命から救い、幸せにすることに全振りする。
見た目は美しい王子のリヒトだが、中身は52歳で、両親も乳母も護衛騎士もみんな年下。
気軽に話せるのは年上の帝国の皇帝や魔塔主だけ。
幼い推しへの高まる父性でカルロを溺愛しつつ、頑張る若者たち(両親etc)を温かく見守りながら、リヒトはヒロインとカルロが結ばれるように奮闘する!
リヒト… エトワール王国の第一王子。カルロへの父性が暴走気味。
カルロ… リヒトの従者。リヒトは神様で唯一の居場所。リヒトへの想いが暴走気味。
魔塔主… 一人で国を滅ぼせるほどの魔法が使える自由人。ある意味厄災。リヒトを研究対象としている。
オーロ皇帝… 大帝国の皇帝。エトワールの悍ましい慣習を嫌っていたが、リヒトの利発さに興味を持つ。
ナタリア… 乙女ゲーム『星鏡のレイラ』のヒロイン。オーロ皇帝の孫娘。カルロとは恋のライバル。
再び巡り合う時 ~転生オメガバース~
一ノ瀬麻紀
BL
僕は、些細な喧嘩で事故にあい、恋人を失ってしまった。
後を追うことも許されない中、偶然女の子を助け僕もこの世を去った。
目を覚ますとそこは、ファンタジーの物語に出てくるような部屋だった。
気付いたら僕は、前世の記憶を持ったまま、双子の兄に転生していた。
街で迷子になった僕たちは、とある少年に助けられた。
僕は、初めて会ったのに、初めてではない不思議な感覚に包まれていた。
そこから交流が始まり、前世の恋人に思いを馳せつつも、少年に心惹かれていく自分に戸惑う。
それでも、前世では味わえなかった平和な日々に、幸せを感じていた。
けれど、その幸せは長くは続かなかった。
前世でオメガだった僕は、転生後の世界でも、オメガだと判明した。
そこから、僕の人生は大きく変化していく。
オメガという性に振り回されながらも、前を向いて懸命に人生を歩んでいく。転生後も、再会を信じる僕たちの物語。
✤✤✤
ハピエンです。Rシーンなしの全年齢BLです。
第12回BL大賞 参加作品です。よろしくお願いします。
婚約者に会いに行ったらば
龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。
そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。
ショックでその場を逃げ出したミシェルは――
何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。
そこには何やら事件も絡んできて?
傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。
7年ぶりに私を嫌う婚約者と目が合ったら自分好みで驚いた
小本手だるふ
恋愛
真実の愛に気づいたと、7年間目も合わせない婚約者の国の第二王子ライトに言われた公爵令嬢アリシア。
7年ぶりに目を合わせたライトはアリシアのどストライクなイケメンだったが、真実の愛に憧れを抱くアリシアはライトのためにと自ら婚約解消を提案するがのだが・・・・・・。
ライトとアリシアとその友人たちのほのぼの恋愛話。
※よくある話で設定はゆるいです。
誤字脱字色々突っ込みどころがあるかもしれませんが温かい目でご覧ください。
3人の弟に逆らえない
ポメ
BL
優秀な3つ子に調教される兄の話です。
主人公:高校2年生の瑠璃
長男の嵐は活発な性格で運動神経抜群のワイルド男子。
次男の健二は大人しい性格で勉学が得意の清楚系王子。
三男の翔斗は無口だが機械に強く、研究オタクっぽい。黒髪で少し地味だがメガネを取ると意外とかっこいい?
3人とも高身長でルックスが良いと学校ではモテまくっている。
しかし、同時に超がつくブラコンとも言われているとか?
そんな3つ子に溺愛される瑠璃の話。
調教・お仕置き・近親相姦が苦手な方はご注意くださいm(_ _)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる