まずい飯が食べたくて

森園ことり

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9 僕のナポリタン

9 僕のナポリタン(5)

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 数日後。
 僕は小金さんに食堂の仕事を引き受けたいという意思を伝えた。

 そしてファミレスの店長に仕事を辞めたいと切り出した。

「それは困るな」

 店長はひどく動揺して慌てた。

「もう一度考えなおしてよ。斎藤君にいま辞められるとすごく困るんだよ。君のかわりはいないんだから」

 ありがたい言葉だけど、僕の心は決まっていた。
 僕が辞めるという話はすぐにみんなに広まった。

 諏訪さんは最初驚いて、それから腹をたてた。
 でも小金さんの食堂で働くことを知ると、それならしかたないかと理解してくれた。

 若村さんはまったく驚いていなかった。
 それどころか、みんなにすまないことをしたと言った。

「実はずっと前に、小金さんからお弁当を出す計画を聞いてたの。手伝ってくれる料理人を知らないかって訊かれて……。斎藤君をあの店に連れていったのは、そういう思惑があったのよ。黙っててごめんなさい」

 初めてワインバーに行った時、なぜ若村さんは諏訪さんだけでなく僕にも声をかけたのだろうと、ちょっと不思議だった。
 小金さんに引き合わせることが目的だったのなら腑に落ちる。

 暑気払いの飲み会はそのまま僕のお別れ会になった。

「先月歓迎会やったばっかりなのにね」

 若村さんの言葉に、しんみりした空気になった。
 僕ももう少しみんなと働きたかった。

「またなんかあったら戻ってきなよ。待ってるから」

 店長はまだ諦めきれない様子でそう言う。

「待たれても困りますよ。ねえ?」

 諏訪さんは呟くように言って焼き鳥をむしゃむしゃ食べた。やけ食いみたいに。
 その横で川瀬君がにこにこしながらカルピスを飲んでいる。彼も諏訪さん同様、お酒は飲めない。

「僕も時間作って会いに行きますから、皆さんも食堂に遊びに来てください」

 くそう、立派に食堂を盛り上げろよ、と店長が僕の背中をぱんと叩く。
 涙もろい若村さんが鼻をすすりあげながら、親子丼をかきこんだ。

 僕はみんなにビールを注いでまわり、たくさん話をした。
 そうして、夏はあっという間に過ぎ去っていった。





「やったー! 今日はハンバーグだぜいっ」

 小学生三年生の景(けい)が今日の日替わり定食を見てガッツポーズをすると、姉の美紀(みき)ちゃんが恥ずかしそうに軽くにらんだ。

 今日は他に客がいないので、小金さんの娘の遥(はるか)さんがテレビをアニメ番組に変える。
 このアニメが景は好きなのだ。おそらく美紀ちゃんも。

 僕がハンバーグ定食を運んで行った時、二人は食い入るようにアニメを見ていた。
 それでも、巨大なハンバーグを目の前にすると、アニメのことは忘れたかのようにお皿に釘付けになった。

「毎日ハンバーグでもいいのにぃ」

 景は身をくねらせておどける。

「このまえ、毎日唐揚げでもいいって言ってたよな」
「毎日唐揚げとハンバーグでいいのにぃ」
「野菜も食べなよ」

 秋野菜をたっぷり入れた豚汁もついている。
 デザートは梨と手作りゼリーだ。

「はぁい! いっただっきますっ!」
「めしあがれ。ご飯おかわりしろよ」

 僕が笑いながら言うと、景は親指を上げておうと応えた。
 ご飯と豚汁はおかわりし放題だ。
 僕は二人と向かい合うように腰をおろした。

「今日さあ」

 景が学校であったことをいつものように話し出す。僕はコーヒーを飲みながら聞いた。
 小学校で運動会の練習が始まったらしい。景はリレーの選手に選ばれたと得意そうに話した。

「姉ちゃんはダンスのリーダーに選ばれたんだよ」

 美紀ちゃんはクールに食べているが、まんざらでもない顔をしている。

「二人ともすごいじゃん。僕が小学生の時はそういうのに選ばれたことなかったよ」
「兄ちゃんは運動音痴っぽいよね」
「うるさぁい」

 景ひとりがしゃべっていたが、途中から美紀ちゃんもダンスの話をぽつぽつしはじめた。
 担任の先生はダンスが下手なので、相談することができないらしい。

「ダンスがうまい友達に相談したら」

 美紀ちゃんはうーんと考え込んだ。

「みんなもそんなにうまいほうじゃないから……」
「そっか……僕もダンスはできないし……」

 七尾はダンスできたっけ?
 美紀ちゃんは満腹になると気持ちがほぐれるのか、食後はよく喋ってくれる。

「お兄ちゃん、スマホでダンス動画見せてくれない?」
「もちろん」

 そうだ。いまの時代、なんでも動画で見ることができる。ダンスの練習動画とかもありそうだ。
 僕はスマホを取り出すと、動画サイトを表示させて美紀ちゃんに渡した。
 検索の仕方は知っているようで、彼女はすぐに目当てのダンス動画を探しだした。

 僕はテレビを消して、スマホの音量のボリュームを上げる。
 美紀ちゃんは真剣な顔で動画を見ていたが、やがてノートを取り出してメモしはじめた。
 気になるところは画面を静止させたり、巻き戻したりして確認している。

「終わったら大食いのやつ見せて! 俺、大人になったら大食いチャンピオンになるんだ!」

 景は梨を食べながら僕とオセロで遊んだ。 
 二人は食堂が閉まるまでゆっくり過ごした。

 六時になると、美紀ちゃんは景の手を取って店をあとにした。

「また明日ねー」

 景は何度も振り返って手を大きく振った。

「気をつけて帰れよー」

 僕も手を振り返す。
 さあて、後片付けをぱっぱとすますか。

「こんばんは」

 店に入ろうとすると、すぐそばで声が聞こえた。
 振り返ると杏奈ちゃんがいた。

 長かった髪は少し短くなり、結ばずに肩を覆っている。
 手には大きな青いエコバッグを下げていた。

「こんばんは。久しぶりだね」

 驚きながらもそう挨拶を返した。
 杏奈ちゃんのほうから声をかけてくれたのは初めてだ。
 彼女は食堂を指さした。

「ここで働いてるんですか?」
「え……あぁ、そうだよ」

 杏奈ちゃんはなにか言いたげに、大きな目をゆっくり瞬かせている。
 秋のひんやりした風が吹き抜け、薄闇が広がっていく。

「お野菜、もらっていってもいいですか?」

 杏奈ちゃんがどうしてここにいるのか、やっと気づいた。

「もちろん。どうぞ入って」

 僕は扉を大きく開けて杏奈ちゃんを店の中に促した。
 食料品や生活用品は、食堂の一角にきれいに並べてある。
 彼女は迷いなくそこに歩いて行くと、近づいてきた遥さんに挨拶した。

「杏奈ちゃん、こんばんは」
「こんばんは……」

 遥さんは杏奈ちゃんのことを知っているようだ。
 二人は何か小声で話してから和やかに笑った。

 慣れたように杏奈ちゃんはエコバッグの中に缶詰やレトルトカレーなどを入れていく。
 彼女はエコバッグがパンパンになるまで食材を詰め込むと、肩にかけてしっかりした足取りでこちらに歩いてきた。

「重くない?」

 僕が訊ねると、彼女は首をしっかり横に振った。

「また来ます。さようなら」

 彼女は小さく頭を下げて店から出ていった。

「またね!」

 僕は慌てて声をかけて店の外に出た。
 杏奈ちゃんは背筋を伸ばして家の方角へ歩いていく。
 彼女の姿が見えなくなってから、厨房の後片付けに取り掛かった。





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