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9 僕のナポリタン
9 僕のナポリタン(4)
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「なんか顔色悪いですよ」
昼休憩から戻ると、僕の顔を覗き込んだ諏訪さんが目を丸くした。
「熱中症?」
「ちょっと歩きすぎた」
汗を拭う。拭っても拭っても汗がしたたり落ちてくる。
「こんなに暑いのに歩いてたんですか? やばいですよ」
彼女は慌てて冷たい水を持ってきてくれた。
それを一気に飲み干してから、自分でももう一杯注いできた。
しばらくしてやっと体のほてりがとれてくると、汗でぐっしょり濡れたTシャツを着替えた。汚れた時用にロッカーに予備が置いてある。
三時に仕事が終わっても僕はぐずぐずと休憩室に残って、休憩中の同僚たちとお喋りをしていた。
みんなが仕事に戻ってしまっても帰る気になれない。
一人でスマホゲームをしていると、店長が入ってきた。
「まだいたんだ。今月、暑気払いの飲み会するから、都合のいい日書き込んどいて」
言いながら手書きのカレンダーとペンをテーブルに置く。
「僕は月曜しか無理なんで」
僕は全部の月曜日に斎藤と書いた。
「うまく調節してみるよ」
指でOKマークを作る店長。
「二日にわける手もあるか……」
ぶつぶつ呟きながらすぐに出ていく。
僕は頬杖をついて、窓から見える灰色の車道を見下ろした。
ファミレス、辞めたくない。
でも辞めなかったら、食堂をやれない。
ファミレスは辞めるしかない。
重い腰を上げてようやくファミレスをあとにした。
家に向かって歩いていたが、途中でまた尋常じゃない汗が流れ出てきた。
本当に熱中症になってぶっ倒れるかもしれない。
不安になって、慌てて目についた店に入った。
前から気になっていた小さな町の洋食屋だ。
レンガ風の外観や外に並べられた花の鉢植えが可愛らしい。
「いらっしゃいませ」
店に入ると、白いコック棒をかぶった年配の男性とその奥さんらしい女性が店の奥から顔をのぞかせた。
「空いているお席にどうぞ」
店内はそれほど広くなく、四人掛けのテーブルが二つと、二人掛けのテーブルが三つある。
クリーム色の壁には小さな花の絵が三つ飾られており、各テーブルに黄色い花が活けられていた。
赤と白のギンガムチェックのテーブルクロスがお店の雰囲気にあっている。
中年の女性客が二人、四人掛けのテーブルでスイーツとコーヒーを楽しんでいた。
僕が二人掛けのテーブルに座ると、エプロン姿のお店の女性がお水を運んできてくれた。
水をごくごく飲みながらメニューを開く。
洋食屋に入るとカキフライが食べたくなるが、いまは時期ではない。
ナポリタンとトマトサラダを注文することにした。
エプロンの女性を呼ぶ。
「あとレモネードをお願いします。先に」
女性は笑顔で注文を繰り返してから店の奥に消えた。
少し懐かしいメロディのギターの曲が小さい音で流れている。
レモネードが運ばれてくると、半分ほど一気に飲んだ。汗をたっぷりかいて干からびそうだった体に酸味と冷たさがしみる。
店内の和やかな話し声と音楽、厨房から聞こえてくるフライパンがたてる音。
波打っていた心が静けさを取り戻していく。
レモネードを飲み干した頃、トマトサラダが運ばれてきた。
たっぷりのトマトに白アスパラが添えられている。
「こちらはサービスです」
コンソメスープも一緒に出された。
「ありがとうございます」
エプロンの女性は目尻のシワを深くしてにっこり笑う。
まずは瑞々しいトマトを食べてみる。玉ねぎ入りのドレッシングがさらっとかけられていておいしい。太めの白アスパラは適度に歯ごたえがある。
コンソメスープはやさしい味だった。小さい子でもおいしく感じられるような自然な甘みがある。塩気もしっかり効いている。
それからナポリタンが運ばれてきた。
お皿にこんもり、丘のように盛られている。
はしっこに添えられたパセリに思わず笑みがこぼれた。
小さい時に食べたナポリタンを思い出す。
最初のナポリタンの記憶はお子様ランチだ。
ハンバーグやエビフライと並んできらきら輝いて見えたオレンジ色のナポリタン。
僕の母親は金曜日に入るデパートのチラシをいつも熱心に見ていた。
土曜日になると、僕をよそいきの服に着替えさせて、一緒にデパートに行く。
母親の目当ては週末セールの服や食器。
僕には興味がない買い物につきあうのは退屈だったが、そのあとにお楽しみが待っている。
おもちゃ売り場でいろいろ見てまわり、お菓子を買ってもらえばご機嫌になれた。
レストランでの食事もお楽しみのひとつ。
お子様ランチを頼むと、僕の前に動物たちが描かれた大きな紙が運ばれてきた。
動物たちは半分ほど切り抜かれていて、自分で折って立たせることができる。
草原に立つシマウマやキリン、象にライオン。
自分だけのサバンナを見て楽しんでいると、お待ちかねのお子様ランチが運ばれてくる。
ハンバーグやエビフライは家の食卓でも出たけれど、ナポリタンはお店でしか食べたことがなかった。
しばらくデパートに行かないと、僕は「ナポリタン作って」と母親にねだった。
母親が作ってくれたナポリタンは、ただのケチャップ味のスパゲティだった。
デパートで食べたナポリタンとはまるで違う。
母親は料理下手ではないけれど、なんでもうまく作れたわけではなかった。
小学校高学年になると、僕は自分で料理をするようになった。
ナポリタンももちろん作った。
ニンニクやオリーブオイルをしっかり効かせると、僕好みの味になる。
母親のお気に入りの具材はマッシュルームだった。
僕に作ってもらうために、母親はマッシュルームの缶詰をいつもたっぷり常備していた。
料理留学する前の最後の食事も、母親は「ナポリタン作って」と僕にねだった。
父親は仕事で忙しく年中家を空けている人だから、そのときも僕と母親は二人きりで食卓を囲んだ。
「私の特別な日はナポリタン作ってね」
彼女の誕生日、母の日、クリスマス、僕はナポリタンを作った。
いまは母親の命日にもナポリタンを作って食べている。
*
昼休憩から戻ると、僕の顔を覗き込んだ諏訪さんが目を丸くした。
「熱中症?」
「ちょっと歩きすぎた」
汗を拭う。拭っても拭っても汗がしたたり落ちてくる。
「こんなに暑いのに歩いてたんですか? やばいですよ」
彼女は慌てて冷たい水を持ってきてくれた。
それを一気に飲み干してから、自分でももう一杯注いできた。
しばらくしてやっと体のほてりがとれてくると、汗でぐっしょり濡れたTシャツを着替えた。汚れた時用にロッカーに予備が置いてある。
三時に仕事が終わっても僕はぐずぐずと休憩室に残って、休憩中の同僚たちとお喋りをしていた。
みんなが仕事に戻ってしまっても帰る気になれない。
一人でスマホゲームをしていると、店長が入ってきた。
「まだいたんだ。今月、暑気払いの飲み会するから、都合のいい日書き込んどいて」
言いながら手書きのカレンダーとペンをテーブルに置く。
「僕は月曜しか無理なんで」
僕は全部の月曜日に斎藤と書いた。
「うまく調節してみるよ」
指でOKマークを作る店長。
「二日にわける手もあるか……」
ぶつぶつ呟きながらすぐに出ていく。
僕は頬杖をついて、窓から見える灰色の車道を見下ろした。
ファミレス、辞めたくない。
でも辞めなかったら、食堂をやれない。
ファミレスは辞めるしかない。
重い腰を上げてようやくファミレスをあとにした。
家に向かって歩いていたが、途中でまた尋常じゃない汗が流れ出てきた。
本当に熱中症になってぶっ倒れるかもしれない。
不安になって、慌てて目についた店に入った。
前から気になっていた小さな町の洋食屋だ。
レンガ風の外観や外に並べられた花の鉢植えが可愛らしい。
「いらっしゃいませ」
店に入ると、白いコック棒をかぶった年配の男性とその奥さんらしい女性が店の奥から顔をのぞかせた。
「空いているお席にどうぞ」
店内はそれほど広くなく、四人掛けのテーブルが二つと、二人掛けのテーブルが三つある。
クリーム色の壁には小さな花の絵が三つ飾られており、各テーブルに黄色い花が活けられていた。
赤と白のギンガムチェックのテーブルクロスがお店の雰囲気にあっている。
中年の女性客が二人、四人掛けのテーブルでスイーツとコーヒーを楽しんでいた。
僕が二人掛けのテーブルに座ると、エプロン姿のお店の女性がお水を運んできてくれた。
水をごくごく飲みながらメニューを開く。
洋食屋に入るとカキフライが食べたくなるが、いまは時期ではない。
ナポリタンとトマトサラダを注文することにした。
エプロンの女性を呼ぶ。
「あとレモネードをお願いします。先に」
女性は笑顔で注文を繰り返してから店の奥に消えた。
少し懐かしいメロディのギターの曲が小さい音で流れている。
レモネードが運ばれてくると、半分ほど一気に飲んだ。汗をたっぷりかいて干からびそうだった体に酸味と冷たさがしみる。
店内の和やかな話し声と音楽、厨房から聞こえてくるフライパンがたてる音。
波打っていた心が静けさを取り戻していく。
レモネードを飲み干した頃、トマトサラダが運ばれてきた。
たっぷりのトマトに白アスパラが添えられている。
「こちらはサービスです」
コンソメスープも一緒に出された。
「ありがとうございます」
エプロンの女性は目尻のシワを深くしてにっこり笑う。
まずは瑞々しいトマトを食べてみる。玉ねぎ入りのドレッシングがさらっとかけられていておいしい。太めの白アスパラは適度に歯ごたえがある。
コンソメスープはやさしい味だった。小さい子でもおいしく感じられるような自然な甘みがある。塩気もしっかり効いている。
それからナポリタンが運ばれてきた。
お皿にこんもり、丘のように盛られている。
はしっこに添えられたパセリに思わず笑みがこぼれた。
小さい時に食べたナポリタンを思い出す。
最初のナポリタンの記憶はお子様ランチだ。
ハンバーグやエビフライと並んできらきら輝いて見えたオレンジ色のナポリタン。
僕の母親は金曜日に入るデパートのチラシをいつも熱心に見ていた。
土曜日になると、僕をよそいきの服に着替えさせて、一緒にデパートに行く。
母親の目当ては週末セールの服や食器。
僕には興味がない買い物につきあうのは退屈だったが、そのあとにお楽しみが待っている。
おもちゃ売り場でいろいろ見てまわり、お菓子を買ってもらえばご機嫌になれた。
レストランでの食事もお楽しみのひとつ。
お子様ランチを頼むと、僕の前に動物たちが描かれた大きな紙が運ばれてきた。
動物たちは半分ほど切り抜かれていて、自分で折って立たせることができる。
草原に立つシマウマやキリン、象にライオン。
自分だけのサバンナを見て楽しんでいると、お待ちかねのお子様ランチが運ばれてくる。
ハンバーグやエビフライは家の食卓でも出たけれど、ナポリタンはお店でしか食べたことがなかった。
しばらくデパートに行かないと、僕は「ナポリタン作って」と母親にねだった。
母親が作ってくれたナポリタンは、ただのケチャップ味のスパゲティだった。
デパートで食べたナポリタンとはまるで違う。
母親は料理下手ではないけれど、なんでもうまく作れたわけではなかった。
小学校高学年になると、僕は自分で料理をするようになった。
ナポリタンももちろん作った。
ニンニクやオリーブオイルをしっかり効かせると、僕好みの味になる。
母親のお気に入りの具材はマッシュルームだった。
僕に作ってもらうために、母親はマッシュルームの缶詰をいつもたっぷり常備していた。
料理留学する前の最後の食事も、母親は「ナポリタン作って」と僕にねだった。
父親は仕事で忙しく年中家を空けている人だから、そのときも僕と母親は二人きりで食卓を囲んだ。
「私の特別な日はナポリタン作ってね」
彼女の誕生日、母の日、クリスマス、僕はナポリタンを作った。
いまは母親の命日にもナポリタンを作って食べている。
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