まずい飯が食べたくて

森園ことり

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9 僕のナポリタン

9 僕のナポリタン(1)

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 待ち伏せしていたわけではない。

 ただ客が途絶えたから、店の外で涼んでいた。
 クーラーが壊れていて扇風機だけの店内はひどく暑かった。

 七月も下旬で、週末になると花火大会がどこかしらで開かれている。
 今日は平日の夜だが、浴衣姿の女性が二人、はしゃいだ声をあげて通り過ぎていった。
 その後姿をぼんやり目で追っていると、向こうからスーツ姿の令子さんが歩いてきた。

 まだ気づかれていないことを願いながら僕は店内に身を引っ込めた。
 告白して以来、令子さんは店に来なくなった。

 叔父さんはおかしいと思っているはずだけど、令子さんの話はなぜかしない。
 僕らの間になにかあったと勘づいているのかもしれない。

「暑いですね」
「うん」

 叔父さんは新聞を読みながらビールを飲んでいる。
 お酒は控えるようになっていたが、夏の間は別らしい。

 ビールのお供は枝豆。
 叔父さんは冬より夏が好きらしいが、おそらくビールがおいしいからだろう。

 がら、と音をたてて少しだけ戸が開いた。

「こんばんは」

 少し髪が伸びた令子さんが顔を覗かせて微笑む。

「おや」

 新聞から顔を上げた叔父さんが嬉しそうな声をあげた。

「しばらく来ないから心配してたよ。元気?」
「ええ。ちょっと忙しくて寄れなかったんです。毎日暑いですね」
「ほんとだよなぁ。うちはいまクーラー壊れてて最悪だよ。夏バテしてない?」
「なんとか大丈夫です」
「そりゃよかった。新は夏バテしてぐったりしてるよ」

 令子さんと目が合い、動揺を抑えるのに必死だった。

「夏は苦手で」

 彼女は微笑み、あの、と叔父さんに声をかけた。

「ちょっとだけ新君借りてもいいですか?」
「どうぞどうぞ、持ってって」

 令子さんに手招きされて、僕はうろたえつつ店の外に出た。

「ごめんね」
「いえ……」

 令子さんは手の中に持っていた紙の端切れのようなものを僕に差し出した。
 受け取ってよく見ると、メッセージアプリのIDが書かれている。

「ここに連絡して」

 彼女はそれだけ言うと立ち去った。

 なにもかもがあっという間の出来事だった。
 小さくなっていく令子さんの姿を見つめながら、僕は受け取った紙を大事に両手で挟んだ。
 それからズボンのポケットにしまって店に戻った。

「彼女、帰っちゃったのか」

 僕を見て叔父さんは少しがっかりした顔をした。

「今日は金曜じゃないから」
「そうだったな」

 それ以上なにも言わず、叔父さんはまた新聞を読みはじめた。

 その夜、仕事が終わって家に帰ると、令子さんからもらった連絡先の紙を見ながらビールを飲んだ。

 これくれたってことは、連絡してもいいってことだよな。
 今日はもう遅いから無理だけど、明日になったら連絡してみよう。

 あれこれ考えたせいか寝つきが悪く、翌朝は寝坊してしまった。
 早番だったら完全にアウトだが、幸いなことに中番だった。

 濃いコーヒーを飲んで目を覚ましながら、僕は令子さんにはじめてのメッセージを送った。


(おはようございます。今夜、電話してもいいですか?)


 どんな返事が返ってくるだろう。
 怖いけど期待もしてしまう。

 ファミレスに出勤すると、早番の諏訪さんが駆け寄ってきた。
 大学が夏休みに入ったので、彼女は夜ではなくて、早番か中番に入るようになっている。

「おはようございます」
「おつかれさま」

 彼女の表情は最近明るい。

 夏になって新人が二人入り、そのうちの一人が彼女と同い年の男子大学生だった。
 川瀬という名前の彼はすぐに諏訪さんと仲良くなった。
 彼の歓迎会では隣同士に座り、周囲の者がにやつくほどに話が盛り上がっていた。

「小金さんから伝言頼まれました。斎藤さんに話があるそうです」
「そうなんだ。じゃあ今日、仕事が終わったら寄ってみるよ」
「そうしてください」

 小金さんというのはワインバーのオーナーだ。
 先月、若村さんに連れていってもらってから、僕も諏訪さんも彼の店によく行くようになった。
 ただし、酒を飲みに行くのではない。

 諏訪さんは以前よりふっくらした頬をゆるめた。

「今度、斎藤さんの居酒屋に行ってみてもいいですか?」

 彼女はお酒を飲まない。

「お酒飲んでみたいの?」
「そういうわけじゃないです。斎藤さんの居酒屋料理を食べてみたいなと思って。ファミレスのとはまるで違うでしょう?」
「まあ、少しは違うかな。お客さんが食べたいものも作ってあげるし」
「ふうん。じゃあなに作ってもらおうかな」

 そういえば、諏訪さんの好物をまだ知らない。稲荷寿司以外は。

「考えておきなよ」

 令子さんから返信が来ていないかと、その日は仕事中も気になってそわそわしてしまった。
 でも仕事が終わっても連絡は来ないままだった。
 仕事中は私的なメッセージのやりとりはしない主義なのかもしれない。

 ファミレスの仕事を終えると、居酒屋の仕事までまだ一時間ほど余裕があった。
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