まずい飯が食べたくて

森園ことり

文字の大きさ
上 下
32 / 42
8 諏訪さんの稲荷寿司

8 諏訪さんの稲荷寿司(1)

しおりを挟む
「斎藤さん、人でも殺したんですか」

 隣に座っている諏訪(すわ)さくらが唐突にそう言うと、さすがに僕はどきっとした。

 僕の歓迎会がはじまって一時間。
 みんなもうかなり飲んで酔っぱらってきている。
 僕はこのあとまだ仕事があるので飲んでいないので、みんなとテンションが合わない。

「否定しないと」

 人のよさそうな店長が赤い顔で僕に言う。

「店長から聞いたわよ。立派な経歴があるのになんでうちなの?」

 主婦パートの若村さんはそう言って鶏の骨付き肉にかぶりつく。

「そーですよ。私だったらもっといいとこで働くけどなぁ」

 そう言う諏訪さんは二十歳の大学生だ。
 学費と生活費を稼ぐためにファミレスでアルバイトをしている。

 空き時間には資格をとるための勉強もしているらしい。
 そのうち体を壊すのではないだろうか。

「家から近いんで」

 僕の答えに若村さんは噴き出した。

「なあに、その学生みたいな理由は」
「ごまかしてる……」

 諏訪さんはじとっとした目で僕を睨む。
 僕は素知らぬふりで烏龍茶を飲んだ。

 七月に入ってから、昼間はファミレスの厨房で働くようになった。
 叔父さんは給料を上げるといってくれたが断った。かといって、控えめな居酒屋のお給料だけでは心もとない。

 だったら働くしかないと、行きつけのファミレスの求人に飛びついた。
 こういう店で働くのは初めてだから、自分がうまく馴染めるか最初は心配した。

 でもマニュアル化された仕事は余計なことを考えなくてすむのでかえって楽だった。
 好き勝手に料理を楽しむのは居酒屋の仕事で満たされている。

 新しい職場では先輩や同僚をたてて、チームワークを大事にすることを意識した。
 藤堂でした失敗は繰り返さない。

 そのことを最初からきちんと心掛けたせいか、すぐにみんなに溶け込むことができた。
 だが、みんながフランク過ぎて言いたい放題なのにはまだ慣れない。

「じゃあ、そろそろ僕、もう一つの仕事に行きます」

 腕時計を見てみんなにそう告げると、若村さんが不満の声を漏らした。

「今日ぐらい休ませてもらえば? 叔父さんの店なんだから融通きくでしょ」
「僕がいないと料理を出せないんですよ。叔父はカレーしか作れないんで」

 え、と若村さんは言葉を失った。

「歓迎会ありがとうござしました。これからよろしくお願いします」

 焼き鳥屋をあとにすると急ぎ足で店に向かった。
 八時なのでもう叔父さんは店を開けている。
 お客さんは来てるだろうか。

 店に着くと裏口から入って手を洗い、黒いエプロンをした。

「新か?」

 叔父さんの明るい声。
 はい、と返事をしながら店に出ると、カウンターには令子さんがいた。
 今日はお待ちかねの金曜の夜だ。

「こんばんは」

 令子さんはビールを軽く掲げて飲んだ。
 彼女の前には昨日作っておいた肉じゃががある。

「歓迎会はどうだった?」

 叔父さんもビールを飲んでいる。令子さんの相手をしていたようだ。

「みんな飲んで盛り上がってましたよ」
「飲んでこなかったのか」
「一応仕事がありますからね」
「真面目な奴だよ」

 令子さんは頬杖をついてスマホに目をやっている。
 最後に公園で会ってから、外で彼女を見かけなくなった。
 夜のスーパーを探してもいない。

 僕を避けているのかもしれないし、ただのすれ違いかもしれない。
 おそらく前者だと思う。

「今夜はどうします? 食べたいものがあれば作ります」

 カウンターに両手をつき、令子さんにたずねる。
 彼女はスマホから顔をあげて、「そうねぇ」と考えこんだ。

「やっぱり揚げ物かな」
「豚カツですか?」
「たまには趣向を変えて……アメリカンドッグとか作れる?」

 ソーセージはあったはずだ。

「作れますよ」
「じゃあお願いします」

 懐かしいな、と叔父さんはビール片手ににやっとする。

「小さい頃よく食べたなぁ」
「私も。アイススケート場にいくと毎回買ってもらってた。ケチャップとマスタードをたっぷりつけて」

 冷蔵庫からソーセージを取り出す。
 ホットケーキミックスをボウルに入れて、卵と水を加えてかきまぜる。
 焼き鳥用のクシをソーセージ刺すと、ホットケーキミックスにくぐらせてたっぷり衣をつけた。あとは揚げるだけだ。

 揚げている最中に叔父さんのスマホが鳴った。
 会話の内容から相手はおばあちゃんのようだ。

「わかった。いまから帰るよ」

 電話を切ると、叔父さんは僕に手を合わせた。

「すまん。ちょっと家に帰るわ。部屋の電球が切れたらしくて、真っ暗なんだと」
「それは大変ですね。急がないでゆっくりしてきてください」

 叔父さんは僕と令子さんをちらっと見ると、「了解」と笑った。
 なんだ?

 あわただしく叔父さんが店を出ていくと、令子さんは腰を浮かせて、油の中でぷかぷか浮いているアメリカンドッグを覗き込んだ。

「なんだかんだ言って、おかさんは親孝行ちゃんとしてるよね」
「若い頃は相当心配させたみたいですけどね」
「子供は多かれ少なかれ、親を悩ませるものなんじゃない」

 そうかもしれない。
 僕が料理人になりたいと言った高校生の時、親はいい顔をしなかった。

「僕もかなり心配させたと思います」

 留学してる時、母親はしょっちゅう電話をかけてきたし、手紙も書いてくれた。
 照れくさくて僕の方からはほとんど連絡はしなかったのに。

「お母さんて新君に似てたの?」
「頑固なところは」

 彼女は微笑んだ。

「やっぱり料理上手?」
「どうでしょう。僕はおいしいと思ってましたけど」
「子供においしいと思ってもらえれば充分よね。杏奈もいつか私の料理を懐かしがってくれるのかな」

 アメリカンドッグの衣もがふんわり膨らみ、茶色く色づいていく。

「杏奈ちゃん、元気ですか?」

 うん、と令子さんはうなずく。

「それならよかったです」

 店内に油が弾ける音だけが響く。
 金曜の夜なのにとても静かだ。
 みんなもっと賑やかな場所に繰り出しているのかもしれない。

 令子さんは頬杖をついて、指先でビールのグラスをとんとんと叩いている。

「静かね」

 同じことを考えていたのか、彼女はぽつりと言った。

「そうですね。叔父さんがいないからかな」

 彼女は小さく笑う。

「新君は音楽聴いたりするの?」

 アメリカンドッグの油をしっかり切ると、ケチャップやマスタードと一緒に彼女の前に出した。

「たまに聴きますよ。熱いから気をつけてください」
「おいしそう」
「たくさん揚げたのでおかわりしてくださいね」
「うん。新君も食べて」

 僕らはたっぷりケチャップをつけてアメリカンドッグを頬張った。かなり熱いがほんのり甘くておいしい。マスタードを多めにつけると大人の味になる。

 おいしいね、というように僕らは視線を合わせて食べ続けた。

「どんな曲聴くの?」
「ロック系が多いですね。父親が昔バンドやってたんで、家にたくさんCDがあったんです」
「お父さん、どんなバンドやってたの?」

 興味があるのか、令子さんの目の色が変わった。

「スマッシング・パンプキンズのコピーとかしてたみたいです。知ってます?」
「知ってる。私も好きだよ」
「そうなんですか? 意外……」

 僕が驚くと、彼女はくすくす笑った。

「私もバンド組んでたからね。ギター弾いてたんだよ」

 そう言って、ギターを弾く真似をする。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ことりの台所

如月つばさ
ライト文芸
※第7回ライト文芸大賞・奨励賞 オフィスビル街に佇む昔ながらの弁当屋に勤める森野ことりは、母の住む津久茂島に引っ越すことになる。 そして、ある出来事から古民家を改修し、店を始めるのだが――。 店の名は「ことりの台所」 目印は、大きなケヤキの木と、青い鳥が羽ばたく看板。 悩みや様々な思いを抱きながらも、ことりはこの島でやっていけるのだろうか。 ※実在の島をモデルにしたフィクションです。 人物・建物・名称・詳細等は事実と異なります

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

希望が丘駅前商店街 in 『居酒屋とうてつ』とその周辺の人々

饕餮
ライト文芸
ここは東京郊外松平市にある商店街。 国会議員の重光幸太郎先生の地元である。 そんな商店街にある、『居酒屋とうてつ』やその周辺で繰り広げられる、一話完結型の面白おかしな商店街住人たちのひとこまです。 ★このお話は、鏡野ゆう様のお話 『政治家の嫁は秘書様』https://www.alphapolis.co.jp/novel/210140744/354151981 に出てくる重光先生の地元の商店街のお話です。当然の事ながら、鏡野ゆう様には許可をいただいております。他の住人に関してもそれぞれ許可をいただいてから書いています。 ★他にコラボしている作品 ・『桃と料理人』http://ncode.syosetu.com/n9554cb/ ・『青いヤツと特別国家公務員 - 希望が丘駅前商店街 -』http://ncode.syosetu.com/n5361cb/ ・『希望が丘駅前商店街~透明人間の憂鬱~』https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271 ・『希望が丘駅前商店街 ―姉さん。篠宮酒店は、今日も平常運転です。―』https://www.alphapolis.co.jp/novel/172101828/491152376 ・『日々是好日、希望が丘駅前商店街-神神飯店エソ、オソオセヨ(にいらっしゃいませ)』https://www.alphapolis.co.jp/novel/177101198/505152232 ・『希望が丘駅前商店街~看板娘は招き猫?喫茶トムトム元気に開店中~』https://ncode.syosetu.com/n7423cb/ ・『Blue Mallowへようこそ~希望が丘駅前商店街』https://ncode.syosetu.com/n2519cc/

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...