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6 杏奈ちゃんの蕎麦
6 杏奈ちゃんの蕎麦(4)
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「キャンプ、私も行きたかったな」
約束通り、石川は誕生日に店にやってきた。
グラタンと白ワインで乾杯すると、叔父さんが彼女にキャンプの話をはじめた。
羨ましそうな顔で聞いていた石川は、「今度は誘ってくださいね」と僕に言う。
「でも週末は仕事だろ?」
「そんなの、事前に言ってくれれば休みぐらいとれますから」
サーモンとオリーブ、野菜のマリネを出す。
「その令子さんて方、常連さんというよりお友達なんですね」
石川は珍しくきれいにマニキュアを塗っている。鮮やかな黄色いスカートに、ふんわりした白いブラウス。髪は髪はおろして、いつもよりきつくカールさせている。
デートでもしてきたかのような恰好だ。
隣の椅子には大きな紙袋をおいている。誕生日プレゼントでももらったんだろうか。
「そうだなぁ。といっても、外で会ったのはキャンプがはじめてだよな」
叔父さんに言われて、ええ、と僕はうなずく。
顔をあげると、石川がやけにじっと見つめてきた。
「きれいなんですか? 令子さんて」
「そりゃ美人だよ。まあ、月菜ちゃんのほうが可愛さは買ってるかな」
なぜか石川はにこりともしない。白ワインをぐいぐい飲んでグラスを空にした。
叔父さんが注ぎ足すと、小さく礼を言う。
「でも月菜ちゃん、誕生日なのにいいの? こんなとこにいて。彼氏と約束は?」
石川は苦笑いを浮かべながら白ワインのグラスをつかんでいる。今日のために、安いが一応ワイングラスを用意しておいた。
「実は、ここに来る前にちょっと祝ってもらってきたんです。恋人じゃないですけど」
「男?」
僕はどういう顔をしていいのか困って、彼女に背中を向けて皿を片付けはじめた。
「元彼です。高校生の時にちょっと付き合ってただけの。最近また連絡をとるようになって、たまに会ってるんです。今日は予定があるって断ったんですけど、店を予約しちゃったからって、仕方なく……」
「店を予約するなんて、元彼はよりを戻したいんじゃないの?」
まさか、と石川は笑い飛ばした。
「復縁はないってはっきり言ってありますし」
「そうなんだ」と叔父さんは意味ありげな視線を僕によこす。
どうやら僕と石川がいい感じだと誤解しているようだ。
「なんで別れたの?」
「私が留学したのをきっかけに、自然消滅したんです。そのあと彼女ができたみたいでしたけど、もう別れたらしくて。連絡してくるのは、たぶん寂しいからでしょう」
どことなく冷めた口調で石川は淡々と答える。
しばらくして叔父さんは競馬新聞を買いに店を出ていった。
「お誕生日おめでとう」
二人きりになると、僕はカウンターの下に置いておいた茶色い紙袋を取り出して石川の前に置いた。
「プレゼント? ありがとうございます!」
石川はぱっと顔を輝かせたあと、大事そうに紙袋を開けて中を覗いた。
ちょっと不思議そうな表情を浮かべながら、四角い箱を取り出す。
蓋を開けると、黒い四角い石が現れた。
「これって……」
「砥石。家で包丁を研ぐときに使って。腕のいい職人が作ったやつで、僕も長年同じの使ってるから」
はあ、と石川は砥石を見つめている。
それから、ふふ、と小さく笑った。
「ありがとうございます。砥石がプレゼントなんて、先輩らしい。大事にしますね」
叔父さんが帰ってくると、僕は石川を駅まで送り届けた。
駅の改札の前で、彼女は少し改まった顔をした。
「先輩、そろそろ仕事のお返事を頂きたいです。もうすぐ七月になりますし」
そうだね、と僕はうなずいた。
「待たせてごめん。今月末までにはきちんと返事をするよ」
石川は僕の顔をしばらく黙って見つめた。
「先輩が迷っていることはわかってます。でも私も兄も、先輩と一緒に働きたいと心から思っています。いいお返事、待ってます」
「ありがとう」
石川はひとつうなずき、それからいつものように元気な笑顔を浮かべた。
「今日はありがとうございました。砥石も」
「気をつけて帰って」
じゃあ、と彼女は改札に向かおうとしたが、足をとめて振り向いた。
「先輩、いま好きな人いるんですね」
「え?」
驚いて石川を見ると、彼女はにこっと歯を見せた。
「私、わかるんです。先輩のことはなぜかよく」
僕がなにか言う前に、彼女は軽く手を振って、駆けるように改札を通り抜けていった。
*
約束通り、石川は誕生日に店にやってきた。
グラタンと白ワインで乾杯すると、叔父さんが彼女にキャンプの話をはじめた。
羨ましそうな顔で聞いていた石川は、「今度は誘ってくださいね」と僕に言う。
「でも週末は仕事だろ?」
「そんなの、事前に言ってくれれば休みぐらいとれますから」
サーモンとオリーブ、野菜のマリネを出す。
「その令子さんて方、常連さんというよりお友達なんですね」
石川は珍しくきれいにマニキュアを塗っている。鮮やかな黄色いスカートに、ふんわりした白いブラウス。髪は髪はおろして、いつもよりきつくカールさせている。
デートでもしてきたかのような恰好だ。
隣の椅子には大きな紙袋をおいている。誕生日プレゼントでももらったんだろうか。
「そうだなぁ。といっても、外で会ったのはキャンプがはじめてだよな」
叔父さんに言われて、ええ、と僕はうなずく。
顔をあげると、石川がやけにじっと見つめてきた。
「きれいなんですか? 令子さんて」
「そりゃ美人だよ。まあ、月菜ちゃんのほうが可愛さは買ってるかな」
なぜか石川はにこりともしない。白ワインをぐいぐい飲んでグラスを空にした。
叔父さんが注ぎ足すと、小さく礼を言う。
「でも月菜ちゃん、誕生日なのにいいの? こんなとこにいて。彼氏と約束は?」
石川は苦笑いを浮かべながら白ワインのグラスをつかんでいる。今日のために、安いが一応ワイングラスを用意しておいた。
「実は、ここに来る前にちょっと祝ってもらってきたんです。恋人じゃないですけど」
「男?」
僕はどういう顔をしていいのか困って、彼女に背中を向けて皿を片付けはじめた。
「元彼です。高校生の時にちょっと付き合ってただけの。最近また連絡をとるようになって、たまに会ってるんです。今日は予定があるって断ったんですけど、店を予約しちゃったからって、仕方なく……」
「店を予約するなんて、元彼はよりを戻したいんじゃないの?」
まさか、と石川は笑い飛ばした。
「復縁はないってはっきり言ってありますし」
「そうなんだ」と叔父さんは意味ありげな視線を僕によこす。
どうやら僕と石川がいい感じだと誤解しているようだ。
「なんで別れたの?」
「私が留学したのをきっかけに、自然消滅したんです。そのあと彼女ができたみたいでしたけど、もう別れたらしくて。連絡してくるのは、たぶん寂しいからでしょう」
どことなく冷めた口調で石川は淡々と答える。
しばらくして叔父さんは競馬新聞を買いに店を出ていった。
「お誕生日おめでとう」
二人きりになると、僕はカウンターの下に置いておいた茶色い紙袋を取り出して石川の前に置いた。
「プレゼント? ありがとうございます!」
石川はぱっと顔を輝かせたあと、大事そうに紙袋を開けて中を覗いた。
ちょっと不思議そうな表情を浮かべながら、四角い箱を取り出す。
蓋を開けると、黒い四角い石が現れた。
「これって……」
「砥石。家で包丁を研ぐときに使って。腕のいい職人が作ったやつで、僕も長年同じの使ってるから」
はあ、と石川は砥石を見つめている。
それから、ふふ、と小さく笑った。
「ありがとうございます。砥石がプレゼントなんて、先輩らしい。大事にしますね」
叔父さんが帰ってくると、僕は石川を駅まで送り届けた。
駅の改札の前で、彼女は少し改まった顔をした。
「先輩、そろそろ仕事のお返事を頂きたいです。もうすぐ七月になりますし」
そうだね、と僕はうなずいた。
「待たせてごめん。今月末までにはきちんと返事をするよ」
石川は僕の顔をしばらく黙って見つめた。
「先輩が迷っていることはわかってます。でも私も兄も、先輩と一緒に働きたいと心から思っています。いいお返事、待ってます」
「ありがとう」
石川はひとつうなずき、それからいつものように元気な笑顔を浮かべた。
「今日はありがとうございました。砥石も」
「気をつけて帰って」
じゃあ、と彼女は改札に向かおうとしたが、足をとめて振り向いた。
「先輩、いま好きな人いるんですね」
「え?」
驚いて石川を見ると、彼女はにこっと歯を見せた。
「私、わかるんです。先輩のことはなぜかよく」
僕がなにか言う前に、彼女は軽く手を振って、駆けるように改札を通り抜けていった。
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