まずい飯が食べたくて

森園ことり

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6 杏奈ちゃんの蕎麦

6 杏奈ちゃんの蕎麦(3)

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 三十分ほどすると、みんなはバーベキューコンロに戻ってきた。

 下準備してきたタンドリーチキンやハンバーグ、野菜を焼いていく。
 野菜は見栄えがよくて女性陣が喜びそうなカラフルなものを用意した。赤と黄色のパプリカやズッキーニ、紫キャベツにヤングコーン。

 叔父さんが釣ったヤマメも焼いた。
 杏奈ちゃんが好きかもしれないと、フランクフルトや焼きそばも用意しておいた。

「このタンドリーチキン、味がよくしみこんでておいしいですね」

 須賀田君に褒められてほっとする。彼は肉を焼くのを途中から手伝ってくれた。
 彼は人当たりがいいだけでなく、仕事の手際がいい。しかも丁寧だ。
 藤堂はいい人材を選んだ。僕よりずっとお店に貢献できているだろう。

「おーい、先輩、食べてます?」

 七尾が焼きそばを頬張りながら僕に手を振っている。
 軽く手を振り返して、僕も少し食べることにした。

 タンドリーチキンに齧りつきながら、視線のはしっこで杏奈ちゃんの様子をうかがう。
 長い髪を二つに結んだ彼女は、白いフード付きのトップスにベージュのズボンがよく似合っている。
 目はくりっとしているが、鼻筋が通っているのでシャープな印象だ。

 彼女は令子さんの隣に座っておとなしくフランクフルトを齧っている。あっという間に食べ終えると、令子さんになにか囁いて腰を上げた。
 令子さんの顔が曇る。

「川は危ないからやめておきなさい」

 杏奈ちゃんの顔が不満げにこわばる。

「大丈夫よ」と美津子さんが間に割って入った。
「杏奈ちゃん、おばあちゃんと行きましょうか」

 それでも令子さんの表情は曇ったままだ。

「目を離さないから大丈夫だって」

 美津子さんがぽんと令子さんの腕を叩く。

「川は怖いのよ。おばあちゃんと一緒でも絶対入っちゃだめだからね。たとえ何かを落としても、入っちゃだめ」

 わかってるよ、とうるさそうに杏奈ちゃん。

「せっかくキャンプに来たんだから、ちょっとぐらいしたいようにさせてあげましょ」

 そう言って美津子さんは杏奈ちゃんの手を引いて川の方へ歩いていった。
 二人の後ろ姿を令子さんは腕組みしてじっと見ている。

「じゃ、ここからは大人だけで楽しみましょうや。令子さん、ビールいっちゃう?」

 ビールを一人で飲んでいた叔父さんが令子さんに缶ビールを差し出す。
 久しぶりに飲んだせいか、既にけっこう酔っぱらっているようだ。

「だめだよ、叔父さん。令子さんと須賀田君は車の運転があるから飲めない」

 僕がそう言うと、叔父さんは七尾を見た。

「僕もお酒は弱い方なんで遠慮しときます」

 七尾も断ると、叔父はのけぞった。

「嘘だろ。みんなで飲めると思って楽しみにしてたのに……新は?」
「みんなが飲まないんだから、僕もやめときます」

 しょんぼりした叔父さんだったが、僕がどんどん料理を食べさせると、満腹になったのかうとうとしはじめた。
 やがてみんなも食べ終えると、七尾と須賀田君はトイレに行った。
 僕は後片付けに取りかかる。

「おいしかった」

 いつの間にか令子さんが隣に来て、余った野菜などをタッパに戻しはじめた。

「杏奈ちゃんもたくさん食べてくれてましたね」

 彼女はすまなそうな顔をした。

「さっきはごめんなさい。川で……びっくりしたでしょ」

 僕が口を開こうとした時、叔父さんが唸りながら身を起こした。寝ぼけた目をこすってから僕をじっと見る。

「トイレ、どこだ? ビール飲み過ぎた……」

 あっちんほうですよ、と指さすと、叔父さんはふらつきながら立ち上がり、よろよろ歩いていった。
 令子さんはみんなが使った紙皿やコップ類をゴミ袋に集めている。
 僕はバーベキューコンロの汚れに水をたらし、ブラシこすり落とした。

「僕もよく親と喧嘩しましたから」

 そう僕が笑うと、令子さんは振り向いて小さく笑った。

「でもあの子、いつもはあんなふうじゃないの。おとなしくていい子過ぎるくらい。……本当は知らない人とのキャンプは気乗りがしなかったみたい」

 考えてみれば、当たり前だ。
 十歳の女の子にしてみれば、母親の行きつけの居酒屋の人間たちとキャンプに行くなんて、気が重いに決まってる。
 しかも全員男だ。

「僕のほうこそ、そういうことに気づかず誘っちゃってごめんなさい」
「新君のせいじゃないよ。誘ってもらってすごく嬉しかったもん。でも、自分ばっかりで、杏奈の気持ちを無視してた」

 彼女はゴミ袋の口をぐっときつく結ぶと、チェアをたたみはじめた。

「私ね、川で杏奈を叱っちゃったの。挨拶をもう少しきちんとしないとだめだよって。それで、あの子の不満が爆発しちゃったみたい。私が行きたがってたから気を使ってついて来たのに、いい子でいることまで強要されて頭にきたのね」

 杏奈ちゃんははじめて会った時、ちゃんと僕らに挨拶していた気がする。でも、親である令子さんには、声が小さいとか、目を合わせないとか、そういう細かいところが気になったのかもしれない。

「令子さんも杏奈ちゃんも悪くないですよ。仲直り、できたんでしょ?」
「一応ね。今度、あの子が好きなパフェをおごる約束させられたけど」

 令子さんがいつもみたいに笑ったので、僕は安心した。

「前に杏奈、駅前の大きな公園でピクニックしたいって言ったの。それを私、キャンプの方が喜ぶだろうって勝手に決めつけちゃった。杏奈にしたら、お弁当持って公園で食べるだけでよかったのかも」
「じゃあ今度、ピクニックに行ったらいいですよ。今日のキャンプだって、大人になって思い返したらそう悪くないって思えるかもしれないし」

 バーベキューコンロはきれいになり、令子さんもチェアを畳み終えた。

「そうだね。私、杏奈をどこにも連れていってないことが、ずっと気にかかってたの。だから、今日あの子を連れてきたのは、自分のエゴだったのかも」
「そんなことないですよ。そんなふうに思わないでください」

 令子さんはズボンのポケットから檸檬味の飴を取り出した。
 それを一つ口に含み、僕にもくれた。

「私、小さい時に親にどこかへ連れて行ってもらったことがないの。うちの父親は、私が小学生の時に病気で亡くなって、母親は仕事で忙しくて子供にかまってる暇はなかった。杏奈には思い出を作ってあげたいんだ」

 ちょっと歩いてくるね、と令子さんは言ってすっと立ち去った。

 僕はうまく令子さんを励ますことができなかった。
 ぼうっと彼女との会話を思い返していると、七尾と須賀田君が戻ってきた。

「わぁ、先輩、全部きれいに片付けてくれたんですね。すみませーん」
「令子さんと一緒にね」
「令子さんは?」
「散歩に行った」
「一人で? 僕も一緒に行きたかったなぁ……、あ、いまね、焚火しようって話してたんです」

 七尾の言葉に須賀田君が感じのいい笑顔でうなずく。

「焚火でマシュマロ焼きましょうよ」
「いいね。杏奈ちゃんも喜ぶんじゃないかな」
「焚火は意外と大人のほうが夢中になりますよ」

 須賀田君は焚火の準備に取りかかった。

「叔父さんもさっきトイレ行ったんだけど、会った?」

 七尾に訊くと、会いましたよーとのんきな返事が返って来た。

「そのうち戻ってくるんじゃないですか」

 焚火を囲みながら三人でコーヒーを飲んでいると、美津子さんが一人で戻ってきた。

「あれ? 杏奈ちゃんは?」

 驚いてたずねると、彼女は笑った。

「岡谷さんがついてくれてます。私、トイレに行きたくなっちゃって。二人もじきに戻ってくるはずですよ」

 そう言って、焚火を囲む椅子に腰をおろす。
 叔父さんはかなり酒に酔っていたけど大丈夫だろうか。
 心配になり、僕は腰を上げた。

「迎えにいってきますね」

 僕は小走りで川に向かった。
 少し風が出てきて、肌寒く感じる。
 杏奈ちゃんは上着を着ていっただろうか。

 さっき杏奈ちゃんと令子さんがいたあたりに向かうと、そこに小さい影が見えた。
 杏奈ちゃんが一人で川のほとりに佇んでいる。
 長いおさげ髪が風にあおられて、二匹の蛇みたいに泳いでいた。

「杏奈ちゃん!」

 驚かせるのもかまわずに叫んでいた。
 彼女はびくっと肩を震わせる。

 さっと振り返ると、静かな表情で僕を見た。
 そのまなざしは、僕を拒絶していた。

 なぜ拒絶するのか、僕にはわかった。
 彼女は母親に近づこうとしている男を警戒しているのだ。

「ごめんなさい」

 杏奈ちゃんはそう言うと、目を伏せた。

「いや……ひとり? 叔父さんは?」

 彼女はすっと左の方を指さした。
 振り返ると、叔父さんが膝を抱えて座りながら、こちらにのんびりと手を振っている。
 目に入らなかったが、最初からそこにいたらしい。

「焚火でマシュマロ焼くけど、食べる?」
「はい」

 杏奈ちゃんは小さく頭を下げてから、テントがある方へ向かって軽やかに駆けていった。

 風がもっと強くなってきて、叔父さんがかぶっていた帽子が飛ばされた。

 テントに戻ると、雨雲が広がりはじめた。

 焼いたマシュマロをみんなで食べているうちに、細かい雨が風に交じりはじめ、僕らは慌てて帰り支度をした。
 杏奈ちゃんから紙風船をもらえないまま、キャンプは終わった。


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