まずい飯が食べたくて

森園ことり

文字の大きさ
上 下
19 / 42
5 陽太さんの酢豚

5 陽太さんの酢豚(2)

しおりを挟む
「キャンプ行くの?」

 僕のスマホを覗き込んだ叔父が意外そうな声を上げた。

「いや、ただ見てただけです」

 今夜はまだ客が来ない。
 そういう日もある。
 暇過ぎて僕はスマホ、叔父さんは競馬新聞を眺めていた。

「そういや、令子さんがキャンプしたいって言ってたよな、前」
「え、ああ……そうですね」
「ほんとに行けたらいいよなぁ、みんなで」
「そう、ですね」

 キャンプ場って、探してみると近場にもけっこうある。
 令子さんとキャンプ。
 日常を忘れて、自然の中でバーベキューしたり、焚火をしたり。
 彼女にとっていい気分転換になるんじゃないだろうか。

「泊まりは大変かもしんないけど、日帰りなら気楽に行けそうだよな」
「ああ……日帰りはいいですね」

 荷物も少なくてすみそうだし。

「テントとかはいりますよね? レンタルで一式借りられるのかな……」
「だいじょうぶっしょ。でも、五人となると、車借りないとだな」
「確かに」

 運転は僕か。叔父さんはあてにならない。
 七尾に声をかけてみようか。
 動ける男が二人はいたほうがいい。

「七尾を誘ってもいいですか? あいつがいると何かと便利だと思うんで」
「そりゃいいね。俺、キャンプしたことないから役に立たねえし」
「わかってます」

 笑いながらスマホで奥多摩や千葉のキャンプ場をブックマークしていく。
 金曜日に令子さんが来た時に相談してみよう。

「こんばんは」

 約束の三十分ぐらい早く、石川と陽太さんが現れた。
 陽太さんの巨体がずいと店に入ってくると、元々狭い店内がいっそう狭苦しく感じられた。

「すみません、ちょっと早く着いちゃいました」

 今夜の石川はさらっとした素材の白いニットワンピースを着ている。陽太さんは黄色いシャツに白いデニムパンツ。

「いらっしゃい」

 叔父さんが黒烏龍茶が入ったグラスを掲げる。

「ご店主ですか? はじめまして、石川陽太です。今日はおいしいお酒とご飯をいただきにあがりました」

 陽太さんはうやうやしく叔父さんに名刺を差し出す。

「これはこれはご丁寧に」

 叔父さんもかしこまって名刺を受け取り、じろじと見た。

「鎌倉におこしの際はお寄りください。これからはあじさいが見頃なので、ぜひ」
「そりゃどうも……」

 出不精な叔父さんは誘いを受けるのがとにかく苦手だ。
 あとはまかす、というように僕の後ろに下がった。

「なにを召し上がります?」

 カウンターに腰を下ろした二人はおすすめメニューの貼り紙をじっと見る。

「ここに書いてあるの全部お願いします。どれもおいしそうなんで。お腹は空いているのでいくらでも食べられますよ」

 そう陽太さんは言ってふふっと笑う。
 テストというわけではないが、彼に初めて料理を食べてもらうのだからやはり緊張する。
 そんな僕の気持ちを察したかのように、石川が笑顔で口を開いた。

「先輩、グラタンなんかできますか?」

 グラタン? と不思議そうな陽太さんに、彼女は母親が失敗したグラタンの話をした。

「ああ、あれね。僕も覚えてるよ。どうしてスープみたいになっちゃったのか、あのときは不思議だったなぁ」

 春キャベツと新タマネギのサラダをまず出す。濃厚な胡麻だれを軽くかけて。
 叔父さんが陽太さんにビールを注ぐ。石川はビールではなく烏龍茶。

「山菜の天麩羅です。塩を少しかけて召し上がってください」
「山菜の天麩羅ははじめてだな」

 陽太さんはすぐに箸を伸ばし、さくさくといういい音をたてて食べた。石川も一口食べ、陽太さんと目を見合わせて笑う。

「おいしいね」
「うん、うまい。今度作ってみよう」

 いわしと新ショウガのつみれ汁も出す。それから、たけのこご飯の焼きおにぎり。ぱりっと外側に焦げ目をつけるのがポイントだ。

「やっぱり和食はいいな……口にぴたっと合うというか」

 陽太さんはそう呟き、ばくばくと大きな口に料理を吸い込ませていく。
 メインは得意のメンチカツにした。今日は中にたっぷりチーズを入れてある。

「陽太さんは普段、どんなものを食べられているんですか?」

 店では洋食ベースの創作料理を出しているようだけど、普段からそういう料理ばかり食べてるんだろうか。

「やっぱり洋食が多いですね。ハーブやスパイスが好きなんで、アレンジし過ぎて失敗することがよくあります」
「自分で畑を借りて育てるぐらいハーブ好きなんですよ」と石川。
「小さい畑ですけどね。うちで出すハーブティーも自家製なんですよ」

 なんだか楽しそうだ。

 揚げたてのメンチカツを出すと二人ははふはふしながら、食べることに集中した。

 楽しんで料理を作る。
 そういう発想が以前の僕にはなかった気がする。
 料理は戦い。
 そんな意識が常につきまとっていた。

 料理は他の人より上手に作り、食べる人を圧倒するものでなければいけない。
 一番になれなければ、この道を志した意味がない。
 ずっとそう思い、自分にも他人にも厳しくあるようにしてきた。
 そうすることが正しいと信じて。

 でも僕は藤堂からはじき出された。
 いらない、と言われたようなものだ。

 職場の同僚だけでなく、客からも見放されたら本当に終わりだ。
 食べるほうにしたら、料理人の自己主張ほどうっとうしいものはないだろう。
 お客さんはみんな自分が食べたいものをちゃんとわかっている。
 それをきちんと提供するのが僕らの役目なんだろう。

「お客さんの体のことも考えて作ってたりします?」

 梅で風味を加えた蛸とキュウリの酢の物を出すと、陽太さんはふとそんなことを訊ねた。

「多少は。うちのお客さんと話してると、一人暮らしで外食ばかりの人も多いので。あと、血圧や血糖値が高いって話を聞くと、味付けなんかも少し変えることもあります」

 生い立ちからいまの暮らしまで赤裸々に語る客もけっこういる。
 誰かと話をしたくて、話を聞いて欲しくて来る客が本当に多いのだ。

「そういうの苦じゃないんですね。お客さんとのやりとりや、味を変えたりすることは」

 陽太さんの言葉に僕は「ええ」と即答する。

「もう慣れました。それに、お客さんの要望に合わせて作ってあげると、みんなすごく喜んでくれるんです。それが僕も嬉しいんですよね」

 こんな簡単なことで、というような些細な気遣いをみんなとても感謝してくれる。
 そうすると僕はもっと喜んでもらいたくなって、あれこれ工夫をこらしてもてなそうとする。
 お客さんも頻繁に足を運んでくれるようになるし、会話も弾む。
 それが楽しい。

「いや、ちょっと驚いてます。前に月菜から聞いていた話だと、斎藤さんは仕事に対してきわめて厳しい方だという印象を抱いていたので……」

 厳しい。
 七尾もこの前、そんなことを言っていた。

 自分では気づいてなかったけれど、僕はずっとまわりを緊張させていたのかもしれない。
 仕事に緊張感を持つのは当たり前だとは思う。
 でも良い緊張と悪い緊張がある。
 僕のは悪い緊張感だった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

とべない天狗とひなの旅

ちはやれいめい
歴史・時代
人間嫌いで悪行の限りを尽してきた天狗、フェノエレーゼ。 主君サルタヒコの怒りを買い、翼を封じられ人里に落とされてしまう。 「心から人間に寄り添い助けろ。これ以上悪さをすると天狗に戻れなくなるぞ」 とべなくなったフェノエレーゼの事情を知って、人里の童女ヒナが、旅についてきた。 人間嫌いの偏屈天狗と、天真爛漫な幼女。 翼を取り戻すため善行を積む旅、はじまりはじまり。 絵・文 ちはやれいめい https://mypage.syosetu.com/487329/ フェノエレーゼデザイン トトさん https://mypage.syosetu.com/432625/

野良ドールのモーニング

森園ことり
ライト文芸
大学生の僕はある日、道で倒れている女の子を助けた。同じファミレスで働き、同じアパートで暮らしはじめた僕ら。彼女は閉店危機にあるファミレスを、特別なモーニングで活気づけようとする。謎めいた彼女の正体とは? (※この作品はエブリスタにも投稿しています)

ブエン・ビアッヘ

三坂淳一
ライト文芸
タイトルのブエン・ビアッヘという言葉はスペイン語で『良い旅を!』という決まり文句です。英語なら、ハヴ・ア・ナイス・トリップ、仏語なら、ボン・ヴォアヤージュといった定型的表現です。この物語はアラカンの男とアラフォーの女との奇妙な夫婦偽装の長期旅行を描いています。二人はそれぞれ未婚の男女で、男は女の元上司、女は男の知人の娘という設定にしています。二人はスペインをほぼ一ヶ月にわたり、旅行をしたが、この間、性的な関係は一切無しで、これは読者の期待を裏切っているかも知れない。ただ、恋の芽生えはあり、二人は将来的に結ばれるということを暗示して、物語は終わる。筆者はかつて、スペインを一ヶ月にわたり、旅をした経験があり、この物語は訪れた場所、そこで感じた感興等、可能な限り、忠実に再現したつもりである。長い物語であるが、スペインという国を愛してやまない筆者の思い入れも加味して読破されんことを願う。

希望が丘駅前商店街 in 『居酒屋とうてつ』とその周辺の人々

饕餮
ライト文芸
ここは東京郊外松平市にある商店街。 国会議員の重光幸太郎先生の地元である。 そんな商店街にある、『居酒屋とうてつ』やその周辺で繰り広げられる、一話完結型の面白おかしな商店街住人たちのひとこまです。 ★このお話は、鏡野ゆう様のお話 『政治家の嫁は秘書様』https://www.alphapolis.co.jp/novel/210140744/354151981 に出てくる重光先生の地元の商店街のお話です。当然の事ながら、鏡野ゆう様には許可をいただいております。他の住人に関してもそれぞれ許可をいただいてから書いています。 ★他にコラボしている作品 ・『桃と料理人』http://ncode.syosetu.com/n9554cb/ ・『青いヤツと特別国家公務員 - 希望が丘駅前商店街 -』http://ncode.syosetu.com/n5361cb/ ・『希望が丘駅前商店街~透明人間の憂鬱~』https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271 ・『希望が丘駅前商店街 ―姉さん。篠宮酒店は、今日も平常運転です。―』https://www.alphapolis.co.jp/novel/172101828/491152376 ・『日々是好日、希望が丘駅前商店街-神神飯店エソ、オソオセヨ(にいらっしゃいませ)』https://www.alphapolis.co.jp/novel/177101198/505152232 ・『希望が丘駅前商店街~看板娘は招き猫?喫茶トムトム元気に開店中~』https://ncode.syosetu.com/n7423cb/ ・『Blue Mallowへようこそ~希望が丘駅前商店街』https://ncode.syosetu.com/n2519cc/

40歳を過ぎても女性の手を繋いだことのない男性を私が守るのですか!?

鈴木トモヒロ
ライト文芸
実際にTVに出た人を見て、小説を書こうと思いました。 60代の男性。 愛した人は、若く病で亡くなったそうだ。 それ以降、その1人の女性だけを愛して時を過ごす。 その姿に少し感動し、光を当てたかった。 純粋に1人の女性を愛し続ける男性を少なからず私は知っています。 また、結婚したくても出来なかった男性の話も聞いたことがあります。 フィクションとして 「40歳を過ぎても女性の手を繋いだことのない男性を私が守るのですか!?」を書いてみたいと思いました。 若い女性を主人公に、男性とは違う視点を想像しながら文章を書いてみたいと思います。 どんなストーリーになるかは... わたしも楽しみなところです。

もっさいおっさんと眼鏡女子

なななん
ライト文芸
もっさいおっさん(実は売れっ子芸人)と眼鏡女子(実は鳴かず飛ばすのアイドル)の恋愛話。 おっさんの理不尽アタックに眼鏡女子は……もっさいおっさんは、常にずるいのです。 *今作は「小説家になろう」にも掲載されています。

人生負け組のスローライフ

雪那 由多
青春
バアちゃんが体調を悪くした! 俺は長男だからバアちゃんの面倒みなくては!! ある日オヤジの叫びと共に突如引越しが決まって隣の家まで車で十分以上、ライフラインはあれどメインは湧水、ぼっとん便所に鍵のない家。 じゃあバアちゃんを頼むなと言って一人単身赴任で東京に帰るオヤジと新しいパート見つけたから実家から通うけど高校受験をすててまで来た俺に高校生なら一人でも大丈夫よね?と言って育児拒否をするオフクロ。  ほぼ病院生活となったバアちゃんが他界してから築百年以上の古民家で一人引きこもる俺の日常。 ―――――――――――――――――――――― 第12回ドリーム小説大賞 読者賞を頂きました! 皆様の応援ありがとうございます! ――――――――――――――――――――――

話花【咲く花舞う花巡る季節】-桜の咲く頃舞う頃に-

葵冬弥(あおいとうや)
ライト文芸
オリジナル小説「咲く花舞う花巡る季節」のプロローグです。 サクヤとマイの百合物語の始まりの物語となります。 この話は他の小説投稿サイトにも投稿しています。

処理中です...