まずい飯が食べたくて

森園ことり

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3 石川のグラタン

3 石川のグラタン(5)

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「しゃばしゃばのグラタンだったんです」
「しゃばしゃば? ホワイトソースを失敗したのかな」
「ええ、今考えれば。さすがに家族はみんな残してました。本人も」

 僕たちは同時に笑った。

「じゃあ、その日の夕飯はなに食べたの?」
「さあ。私がまだ小学生の頃の話なんで忘れちゃいました。なにかあるものを食べたんでしょう」
「でも、お母さん偉いよ。ホワイトソースを自分で作ろうとしたんだから。買わないで」
「そう言われてみればそうですね。なんで作ろうとしたんだろう。その後二度とグラタンは出てこなかったですけどね」

 からっとよく揚がったメンチカツを油から取り出し、山盛りの千切りキャベツと一緒に出した。

「熱いから気をつけてね。やけどするよ」
「はーい。すごくおいしそうですね。手作りのメンチカツなんて久しぶりです」
「味はしっかりついてるから、ソースかけなくてもおいしいよ」

 そう言いながらも、ソースと醤油を両方出した。
 彼女はまずそのままさくっと一口いった。すぐに満面の笑顔になる。

「おいしー。肉汁すごいですね。先輩の料理、久しぶり。感激です」
「それはどうもありがとう。家でメンチカツ作ったことある?」
「一応あるんですけど、こんなにおいしくできなかったです。特別なお肉とか使ってないですよね?」
「スーパーの肉だよ。安いやつ」

 石川は信じられないという表情で早くも一個目をたいらげた。二個目はソースを少しかけて食べる。

「カラシもよかったらどうぞ」

 カラシを少しつけると口の中がさっぱりする。

「うん、カラシもいいですね。どんどん食べられちゃう」

 三個目のメンチカツには醤油をかけた。
 だが石川は頬張る寸前でやめ、少し顔をそむけるようにした。

「先輩。食べてるところあんまりじっと見ないでください。さすがに恥ずかしいです」
「ああ、ごめんごめん」

 僕は笑いながら視線をはずして、ソースと醤油を片付けた。

「いや、僕と同じ食べ方するんだなあと思ってさ。僕もメンチカツやコロッケは、ソースと醤油の両方をかけるんだよ。一個目はそのまま。二個目はこってりめで食べたいからソース。三個目はさっぱりと醤油で」

 石川はちらっと僕を見たが、またすぐに顔をそらす。でも口元は笑っていた。

「へえ、そうなんですか。それは……すごい偶然ですね。私、家でもこの食べ方なんです。一つしかない時も、真ん中から半分はソース、もう半分は醤油をかけるんです。そんな食べ方恥ずかしいし、自分だけだと思ってたので、嬉しいです」

 僕は水をグラスに注いで石川の前においた。
 彼女は大きなメンチカツ三個をきれいに全部食べ終えると、水を一気に飲んで、ティッシュで口をきれいに拭いた。

「本当においしかったです。ごちそうさま」
「お茶でも飲む?」
「いただきます」

 グラスに新しい烏龍茶を注ぐ僕を、石川はにこにこしながら見ている。

「なに?」
「いえ、いいもんだなと思いまして。ここに来る前は正直、どんな風に働いてるんだろうって、ちょっと不安だったんです。でも、先輩は先輩ですね。どこにいても完璧においしい料理を作ってくれる」

 僕は布巾でカウンターを拭きながら、小さく笑った。

「僕もここで働きはじめた時はかなり不安だったよ。自分に務まるかなあって。お客さんとの会話だって、なんだか面倒だなって思ってたし。でも、実際にここに立って料理作って出してみたら、そういう不安はなくなった。自然と言葉が出てきてくれるから、自分でも不思議なんだよね」

 石川は烏龍茶を一口飲んでから店内を見まわし、それから僕に笑いかけた。

「先輩、ちょっと変わりましたね。まるくなったというか」
「そう? 前はとがってたか」
「そうですねえ……とげとげが少しありました。私はそういう厳しい面も尊敬してましたけど。でもいまの先輩はとてもいい感じです。このお店が先輩をまあるくしてくれたのかもしれませんね」

 料理に関して、確かに僕は自分にもまわりにも厳しくあろうとしていた。そうでないと、自分が目指す高みには到達できないと思ってたから。

 でも挫折を味わって、それだけではやっていけないのではないかと思うようになった。

 おいしい料理がすべてで正義。
 もしそれが正しいのなら、僕はいまここにはいないはずだ。

 僕はなにかを間違えた。
 そのなにかはまだよくわからない。

「先輩、ビールを一杯だけいただけますか? なんだか少しだけ飲みたくなりました」
「じゃあ、僕も少しだけ付き合う」
「本当に? 嬉しいです」

 二つのグラスにビールを注いで、軽く乾杯した。
 石川は喉がとても渇いていたかのように、ごくごくと飲んだ。お酒は飲まないといっていたが、実はけっこういけるのかもしれない。
 でもこれから鎌倉まで帰らないとけないし、疲れてもいるだろうから、一杯だけにさせておこう。

「そうだ、先輩」

 彼女は突然くすくす笑いはじめた。まさか笑い上戸?

「私、思い出しました。母親のしゃばしゃばグラタン、家族がみんな残したって言ったじゃないですか」
「うん、聞いた」
「残したもの、うちの犬が全部きれいに食べてくれたんです」
「犬?」
「ええ。隣に住んでた祖父が庭で雑種の犬を飼っていたんですけど、その犬にあげちゃったんです」

 まだドッグフードがない時代、犬には残飯を食べさせていたらしい。
 その当時はもう平成になったが、彼女の母親はせっかく作ったグラタンがもったいなくて、祖父に頼んで犬に食べさせた。

「犬は大喜びで、お皿まできれいに舐めてたって母親が笑って言ってました。ぴかぴかだったって。そのこと、いま思い出して、なんだかおかしくて」
「ふうん。じゃあ、味は悪くなかったわけだ」
「どうでしょうね。まあでも、捨てずにすんで母親はほっとしたと思います」

 石川はえらくご機嫌で帰っていった。
 帰りがけ、頬を赤くしながら彼女ははっきり宣言した。

「絶対にまた来ます!」

 次に来る時には、僕のいい返事を持ち帰るつもりだろう。
 早いうちにはっきりさせないといけないのに、今夜はなにも言えなかった。
 どうしてなのか、自分でもよくわからない。

 これ以上にいい話はないだろう。
 僕は皿を洗いながら、なんでだろうと考え続けた。


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