まずい飯が食べたくて

森園ことり

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1 佐藤さんのおでん

1 佐藤さんのおでん(3)

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 佐藤さんが次に来たのは、それから一週間後のことだった。

「やあ、久しぶり」

 今日は叔父さんも酔っ払いつつも意識があった。

「やあ、おかさん。新君もこの前はどうも」

 少し疲れた顔の佐藤さんは、コートを脱ぐとカウンターの真ん中の椅子に座った。

「ビールでいいね」
「いや、今日はお茶で。病み上がりなんだよ。ちょっと風邪ひいちゃってさ。もうよくなったんだけどね」
「ありゃ、それは大変だったね。春っていっても、まだ冷え込む日も多いからなあ」
「うん。季節の変わり目ってこともあるんだろうけど」

 お茶を出すと、彼は指先を温めるように湯呑を両手で包み込んだ。

「じゃあ、今日は新の飯目当て?」

 叔父が笑いながら言うと、佐藤さんはにっと笑った。

「この前食べた料理が忘れられなくてさ。本当にうまかったんだよ。甥っ子さんはこんな店にはもったいな腕だね」
「こんな店ってひどいなぁ。まあ、そのとおりなんだけど」

 はははっと笑いながら、叔父さんは自分のグラスにビールを注いだ。

「今日はなにをお作りしましょうか?」
「俺のカレー?」

 叔父のちゃちゃはスルーして、佐藤さんはお茶を一口飲んだ。

「うん。このまえ言ってたきんぴらごぼうをまず食べたいな」
「いいごぼう、用意しておきましたよ」

 僕は土がついたままのごぼうを取り出した。佐藤さんが嬉しそうに目を輝かす。
 ごぼうの土をしっかり洗い落してから、ささがきにしていく。たっぷり水をはったボウルめがけて、固いごぼうが飛び込んでいく。

「ごぼうの土臭い匂いっていいよな」

 ビールを飲みながら叔父さんが呟く。

「野菜からする土の匂いってなんか安心するね」

 佐藤さんの言葉に僕と叔父さんはうなずく。
 人参もごぼうに合わせた大きさに切る。鍋にごま油を入れて、ゴボウと人参を炒める。ジャーッという大きな音に、叔父さんと佐藤さんは耳をすませた。

「生姜焼きでもどうです? おいしい豚肉があるんですけど」
「いいね。食べたい」

 佐藤さんの目が輝いた。

「病み上がりはスタミナつけないとね」

 叔父さんはにやっと笑う。

「新、俺も頼むわ」
「了解」

 きんぴらごぼうを落とし蓋をして煮込んでいる間に、豚肉に軽く下味をつけた。生姜をたっぷりとする。

「生姜は体を温めますから」

 僕の言葉に、佐藤さんは目尻にしわを作って笑った。

「食欲そそる香りだね」
「湯豆腐も作りましょうか。味噌汁も」
「そんなにいいの? 生姜焼き定食になっちゃうよ」
「簡単ですから、すぐお出しできますよ」
「じゃあ、お願い。よだれが出てきたよ」

 火が通ったごぼうと人参に味付けをし、少し煮込んでから火を止めた。皿に盛ったら、たっぷりごまをかけて完成。
 お次は昆布を入れた鍋で湯豆腐を作り、生姜と万能ねぎを添える。

「ポン酢で食べてみてください」

 佐藤さんが湯豆腐を食べている間に、なめこと油揚げで味噌汁を作った。
 フライパンで豚肉を漬けだれと一緒に炒め、生姜を入れてからめる。その間にキャベツを千切りして、こんもり皿に盛り付けた。

「生姜焼き定食お待たせ」

 佐藤さんはまず味噌汁を少し飲んでから、きんぴらごぼうを食べた。

「うまいよ」

 次に豚肉の生姜焼きを多めに口に押し込む。飲み込むやいなや、ごはんの上にきんぴらごぼうをどっさりのせてかきこむ。

「たまんねえ」

 叔父さんも仕事を忘れて本気で食べている。
 僕は食後に出すリンゴをむきはじめた。気まぐれでウサギの形にしてみる。
 半分ぐらいまで食べた佐藤さんは、少し空腹が落ち着いたのか、ゆったりした表情になった。

「風邪ひいて三十八度以上の高熱でうなされてる時にさ、なんでか亡くなった母親のことを思い出したんだよね。俺が子供の頃、風邪ひくといつも、おでんを作ってくれたんだよね。それが、ほんとにまずかったの」
「まずい?」

 叔父さんが意外そうな表情を浮かべる。

「味が薄くて、汁も少なくて……見た目もね、なんか全体が白っぽくて、全然食欲をそそらないの。そういや、汁も濁ってたな」
「へえ。おでんというか、煮物みたいな?」
「ああ、そういう感じだね。でも、おでんって言われてるから、『全然違うじゃん』ってなるわけ。高校生ぐらいだと反抗期ってこともあって、『まずいからいらねえ』とか突き返したこともあったな」

 わかる、と叔父さんは笑った。

「俺も、母親の飯は苦手だったな。(おふくろの味)とかよくいうけど、味音痴の母親もけっこういるよね」

 佐藤さんは笑った。

「うちの母親もあんまり料理は得意な方じゃなかったよ。父親が早くに亡くなって働いてたから、料理に手間はかけられなかったしね」

 昔を思い出しているように、佐藤さんはしばらく黙って食べ続けた。
 叔父さんは一足先に食べ終えて、またビールを飲みはじめる。
 やがて佐藤さんも食べ終えると、僕は二人にリンゴとお茶を出した。
 僕も椅子に腰をおろして、熱いお茶をすする。

「ウサギのリンゴもおふくろの味なのかな」

 リンゴを齧りながら佐藤さんが呟くように言う。

「そのおでん、また食べたくなったんじゃないですか?」

 僕がそう言うと、佐藤さんは笑いながら首を横に振った。

「いや。ただ、大人になるとわかるじゃない。働きながら子育てするのがどんなに大変か。料理作って食べさせてさ……。味や見た目より、体のことを考えて作ってくれてたんだよね。まずいって言ったりして、悪かったなって」

 叔父さんは新しいグラスにビールを少し注いで、佐藤さんの前に置いた。

「母親って子供に言われた文句とか全然気にしてないと思うよ。うちの母親もそう。散々迷惑かけて、いまだって心配かけてるけど、そのこと謝っても『そうだっけ? 覚えてない』って笑い飛ばしてくれるから」

 叔父の母親であり、僕の祖母である恵子さん。
 ずっと会ってないけど、元気だろうか。
 最後に会ったのは、交通事故で急死した母の葬儀の席だった。
 おばあちゃんは上品で物静かな人で、やさしく僕に学校や友達のことをたずねてくれた。

「困ったことがあってもなくても、いつでも連絡をちょうだいね」と言ってくれた。

 佐藤さんはビールに少し口をつけてから、息を吐いた。
 疲れた顔はそのままだが、顔色はずいぶんましになっている。店に入ってきた時は白い顔をしていた。

「今日はありがとう。すごくおいしかったよ」

 佐藤さんは代金を払うと腰を上げてコートを羽織った。
 僕は小さなビニール袋を差し出した。

「佐藤さんのために作ったきんぴらなので持っていってください。数日もちますから」
「ありがとう」

 佐藤さんは驚いたような顔で受け取ると、笑顔を浮かべた。

「粋なことするねえ」

 彼が帰ると、叔父さんがにやにやしながらひやかした。

「叔父さんもたまにはいいこと言うじゃないですか」
「なにが?」
「母親とは、みたいな。そういえば、恵子おばあちゃんは元気ですか?」

 叔父さんは空になったビール瓶を片付けながら、ああ、と言った。

「元気だよ。おやじもね」
「よろしく伝えておいてください」
「おう。おまえも少し飲むか?」

 新しいビール瓶を取り出して、にかっと叔父さんが笑う。
 遠慮します、というまでもなく、引き戸が開いて別の常連客が顔を覗かせた。


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