まずい飯が食べたくて

森園ことり

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1 佐藤さんのおでん

1 佐藤さんのおでん(2)

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「もう眠ってんの」

 それから一時間程してから、スーツ姿の男性が来店した。
 眼鏡をかけたがっしりした体つきの客は、五十代後半といったところだろうか。
 叔父さんは彼のことを佐藤さんと呼んでいる。

「ええ、飲み過ぎてしまって」

 眠り込んでいる叔父さんと白髪の客を見て、彼は微笑みを浮かべた。
 カウンターに腰をおろすと、なにかを探すように覗き込んでくる。

「やけにいい匂いがするけど」
「里芋の煮っころがしです。お好きですか?」
「大好物だよ。僕にももらえる?」
「すぐにお出しします。お飲み物は?」
「ビールで」

 ビールを出したあと、小ぶりの皿に盛り付けた里芋の煮っころがしを彼の前に置いた。

「おいしそうだ」

 彼は一口食べると、満足そうに笑みを浮かべた。

「おいしいよ。久しぶりだな、里芋の煮っころがし。このとろっとした食感がいいよね」

 彼はあっという間に食べ終えた。

「大根サラダもありますがいかがです?」
「もらうよ」

 皿に盛り付ける僕を見ながら、彼は微笑んだ。

「ちゃんと修行してきたんだね、君は」

 僕はただ小さく笑って軽く頭を下げた。

「ここじゃマスターのカレーだけがごちそうだったのに、僕らの舌が肥えちゃうよ」
「叔父のカレーもありますよ」

 佐藤さんは笑った。

「いやいや。今夜は和食の口になっちゃったよ。白いごはんある?」
「あります」
「ほかにおかずも適当に作れる? 普通のでいいんだけど……目玉焼きとか、野菜炒めとか」
「では、ハムエッグと肉野菜炒めでも作りましょうか」
「それで頼むよ」

 ハムエッグを先に作って白いご飯と一緒に出すと、彼はハムエッグをご飯の上にのせて食べはじめた。
 その間に、肉野菜炒めをさっと作る。具は豚肉のこま切れと冷蔵庫にあった小松菜やキャベツ、もやし、人参を使った。
 ごはんに合うように、ちょっと濃いめの味付けにする。佐藤さんは辛いものが好きなので、コチュジャンを使ってみた。
 野菜炒めを出すと、彼はごはんをおかわりにした。
 あっという間に彼は野菜炒めもたいらげてしまった。

「いやあ、うまいね。久しぶりにたっぷり野菜を食べたよ」

 彼はビールを飲んでから、指に少しくいこんだ結婚指輪に視線を落とした。

「うちは共働きでさ、妻の方がいま仕事が忙しくて、食事は別々なんだ。子供は独立してもう家にいないから、料理する人間が誰もいなくてね。外食ばかりだと、どうしても野菜不足になって困ってる」

 僕は熱いお茶を入れて彼に出した。
 佐藤さんはお茶の香りを少し嗅いでから、おいしそうにお茶をすすった。

「煮っころがしうまかったなあ」
「またお作りします」
「じゃあ今度、きんぴらごぼうなんかも頼んじゃおうかな」
「いいごぼうを用意しておきます」
「ありがとう」

 彼は僕に名刺を差し出した。僕でも知っている一流企業の名前が記されている。佐藤充(みつる)とそこにはあった。

「ごちそうさま。また近いうちに寄るね」

 彼は入ってきた時より血色のいい顔で帰っていった。

「ん、いい匂いがするな」

 よだれを拭きながら目を覚ました叔父さんは、くんくんと鼻をひくつかせた。
 僕は言いたいことを全部飲み込んで苦笑した。
 普通の店ではありえない店主だが、叔父さんには叔父さんのやり方がある。
 この店は叔父さんのもので、僕はまだ一週間働いただけ。注意したり口出ししたりするのは違うだろう。
 それにここは僕にとっては仮の職場だ。

「佐藤さんが来てたよ。白飯に合うおかずを作ったら、とても喜んで食べてくれた」
「へえ……全然気づかなかった。野菜炒め作ったの?」
「うん」
「そういや、腹減ったなあ」

 うーん、と寝ぼけた声を出して、白髪の客も目を覚ました。

「その野菜炒め、俺にも作ってくれない?」

 タイミングよく叔父さんの腹が鳴った。

「俺にも」と白髪の客。ふあーあと大きなあくびをする。
「いいですよ」

 僕は野菜を冷蔵庫から出した。

「あと、ビールね」

 白髪の客の注文に、叔父さんがこちらを見た。ビールだってさ、というように。

「それは叔父さん、お願いしますよ」
「あ……まあ、そうか」

 あんた客かよと、白髪の客が笑い、つられたように叔父さんもひゃひゃひゃと笑いはじめた。


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