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 とはいえ、いくら考えてもいいアイデアなど思い浮かぶことはなく。

「りゅーの誕生日、どうする?」

 結局、本人に訊いてしまった。情けないが、これが一番確実だ。
 正子さんのおすそわけのビーフシチューとパンを、僕の部屋で食べる日曜日の夜。

 日曜日だけは柳子も丸一日ゆっくり休むことができる。
 今日は久しぶりに朝から二人でのんびりできた。一緒にコインランドリー行って、『旋律』でモーニング。この前食べに来たというトキコさんたちの話を、アンさんから聞くこともできた。そのあと軽くスポーツ公園を散歩。僕の部屋で映画を観ているうちに、二人ともうとうと寝てしまった。

 目が覚めたのは正子さんのノックの音でだった。

「今夜は剣太郎と二人きりよ」

 少し寂しそうな顔をした彼女は、おいしそうなビーフシチューを置いて帰っていった。個展の準備で忙しい灰野さんも、最近は時蔵さんと軽く食事をすませることが多くなったようだ。

 僕らが付き合っていることは、少し前に報告済みだ。「出ていかないわよね?」そう、意外なことを不安そうに言われて驚いた。一緒に暮らせる広い部屋に引っ越すのではないかと思われたらしい。僕は就職してもここにいるつもりだと話すと、正子さんはほっとしていた。

「お誕生日かぁ……それなら、灰野さんたちの個展見に行かない?」

 ちょうど開催されてる頃か。

「あ、いいね。じゃあ、ご飯ぐらい、どっかおいしいところで食べようか」
「別にいいよ、家で。あ、ケーキ買ってくれると嬉しいなぁ」
「買うよ、もちろん買う」

 そんなんでいいのか。プレゼントはどうしよ?
 あ……そうだ。柳子が欲しがってたもの、思い出した。あれがいいや。よし、完璧。

 そして迎えた十二月中旬の柳子の誕生日当日。
 大学の授業を終えると、僕らは待ち合わせをして、神保町で開かれている個展に向かった。


〈灰野葉・島時蔵 冬の個展〉

 
 思ったより広いギャラリーの表には、そう掲げてあった。白い室内にたくさんの絵が飾られている。

「来てくれてありがとう~!」

 出迎えてくれた灰野さんは、いつも通り灰色の服を着ている。でも今日は珍しくワンピースだ。
 ちょうどお客さんが途絶えた時らしく、灰野さんが案内してくれた。
 テーマが(森の中のおとぎばなし)なので、どの絵も深い緑が印象的だ。
 森は灰野さんが担当し、そこに赤や黄色などのカラフルな色で時蔵さんが動物や人物を描き込んでいる。

「もういくつか絵が売れたんだよ。これも時蔵君パワーだよね」

 灰野さんが笑いながら言う。

「時蔵さん、今日は来られないんですか?」

 僕はあたりを見まわしながら訊ねた。

「さっき来たんだけど、なんか出てっちゃった。すぐ戻ると思うよ」

 お土産に持っていったシュークリームを三人で食べていると、時蔵さんが戻ってきた。

「あ、二人とも来てくれたんだ。ありがとう」

 時蔵さんも珍しくジャケットなんかを羽織っている。

「今日、りゅー……柳子の誕生日なんですよ」

 僕が二人にそう言うと、あらあと灰野さんが声をあげた。

「おめでとう。そんな大事に日に来てくれたのね」
「おめでとう、柳子ちゃん。あ、そうだ。グッズを作ってみたから、よかったらどれかプレゼントするよ」

 時蔵さんがグッズコーナーに僕らを案内してくれた。マグカップやトートバッグ、クリアファイルに缶バッチなどいろいろある。

「あ、マグカップ素敵」

 狼が描かれているマグカップを柳子は手にした。灰野さんが二つ手に取って微笑む。

「じゃあ、良君とおそろいで包むね。一緒にコーヒーでもお飲みなさい」
「え、僕までいいんですか?」
「もちろん」

 あ、と柳子がマグカップを握る灰野さんの手を指差して声をあげた。

「時蔵さんと同じ指輪してる」

 柳子の指摘に、灰野さんと時蔵さんの動きが止まった。

「あぁ……これは仕事で一緒に出かけた時に、二人ともデザインが気に入って買ったのよ」

 言い訳のようにごにょごにょ言っている灰野さん。
 その指輪には緑色のきれいな石がはめ込んである。どこかアンティークな風情の素敵な作りだ。
 時蔵さんは薬指に指輪をはめている。灰野さんもだ。

 僕の視線を辿った灰野さんが慌てて口を開く。

「この指にしかはまらなくてね、サイズがなぜか」

 時蔵さんは落ち着いたもので、ただにこにこ笑っている。
 個展をあとにすると、僕はすぐに柳子に言った。

「あの二人、絶対付き合ってるよね」
「どうかなぁ」 

 柳子は楽しそうに笑う。

「でも、仲よさそうだったね」
「なんか、前と雰囲気違うんだよなぁ」
「へえ。良ちゃんもそんな勘が働くようになったんだね。あれってエメラルドじゃないかな。灰野さんて誕生日五月なんだよね。五月の誕生石はエメラルド」

 そうなんだ。

「時蔵さんの誕生日は知らないけど、もしかしたら同じなのかも。それで一緒の買ったとか」
「じゃあ、二人でおそろいにしたわけじゃない?」
「どうだろ。いくら誕生月が同じだからって、一緒の指輪買う?」

 うーん。たとえば茉美や樹奈と同じ誕生月であったとしても、同じ指輪は買わないだろう。というか、絶対に避ける。

「買わないね」

 ふふふふ、と柳子は楽し気に笑った。





 予約したケーキを取りに行って、ピザを買って帰る途中、柳子が駐車場に寄っていこうと言い出した。

「トラ吉におやつあげたい」と。

 駐車場に行くと、うまいぐあいにトラ吉がちょこんとお行儀よく座っていた。夕ご飯はもうもらったらしく、そばに餌の皿が置いてある。

「トラ吉、久しぶり」

 僕が声をかけると、トラ吉はじっと僕らを見てから、にゃあと鳴いた。それからおもむろに腰をあげ、僕の足に体をぐいぐい押しつけてきた。撫でてやると、またにゃあにゃあと鳴く。その声が少しかすれているように感じられた。

「寒くなってきたから、風邪ひかないでね」

 そう言いながら、柳子は持ってきたおやつをトラ吉に与えた。満腹だったわけではないようで、がつがつと食べる。

「私、将来猫飼いたいんだ。こうして可愛がるのもいいけど、一緒に暮らせたらもっといいよね」
「そうだね。僕も就職したら飼いたいと思ってる」

 おやつを食べ終えると、トラ吉はきちんと座りなおした。長い尻尾をありがとうというように左右に振り、僕らを見つめる。

「じゃあ、また来るね」

 別れを告げて腰を上げると、にゃあとまたトラ吉は鳴いた。まるで言葉がわかってるみたいに。 

 振り返ると、まだこちらを見て座っている。寒い暗闇の中に、彼だけをおいていくのが辛かった。
 柳子も同じように感じていたのかもしれない。帰り道は二人とも静かに考え込んでいた。
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