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2 キャラメルパンケーキ am0:35
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浩平は大学二年生の時に、ほぼ野郎で構成された地味な囲碁サークルに所属していた。
坂野深雪(さかのみゆき)は彼の一学年下で、ほぼ毎日のように部室に現れた。
そして紅一点状態で部員と囲碁を打っていた。
深雪は小柄でころんと丸い体型、首は太くいかつい顔立ちをしていた。服装はいつも地味で、おしゃれには無関心のようだった。
それでも明るくて話しやすいので部員たちはみんな、彼女のことを妹のように可愛がっていた。
ある日、浩平と囲碁を打っていた深雪は、「私、大沢さんみたいな人タイプなんです」と突然言いだした。
浩平はただびっくりして、咄嗟になにも返すことができなかった。嬉しいというよりは困惑した。
その頃から既に彼は、女性と話すことが苦手であると自覚していた。
深雪を女性として意識したことはなかったけれど、男性ではないということだけで、うまくは話せなかった。
「今度、デートしましょうよ」
彼女はとても積極的だった。
それまで浩平はもてたことはなかったし、女性に近づいただけで嫌な顔をされることが多かった。
こんな自分を誘うなんて、どんな魂胆だ?
浩平は素直に深雪の言葉を受け入れることができなかった。
「いや、忙しいから……」
失礼な断り方をしても、彼女は特に気にしないようににこにこ笑っていた。
それからも浩平は何度も深雪にしつこく誘われた。
やがて周りの部員たちも浩平と彼女の関係に気づくようになり、「もったいぶんないで一度ぐらいデートしてやれよ」とはやしたてた。
こうなっては無視しておくこともできない。渋々彼は深雪とデートに行くことにした。
次の日曜日に原宿で待ち合わせて、深雪が行きたがったパンケーキ屋に行った。
店の前には行列ができており、入るまでに一時間ぐらい並んで待つはめになった。
並んでいる間ずっと、深雪は楽しそうにあれこれ話しかけてきた。浩平はきらきらした原宿や行列にうんざりして、ろくに返事もしなかった。
やっとお店に入ると、彼女は最初から決めていたというキャラメルパンケーキを注文した。
考えるのが面倒だったので浩平も同じものを頼んだ。
一時間以上一人でしゃべっていてさすがに疲れたのか、気づけば深雪も黙り込むようになっていた。
さすがに冷たくし過ぎたと彼女に悪く思ったものの、ここで機嫌をとるような真似をして誤解されては困る。
浩平にわかっていたのは、目の前にいる彼女にまったく恋愛感情を持てないということだった。囲碁仲間としてはいい子だが、恋人にはなれない。気持ちだけは、自分でもどうしようもできない。
彼は自分は間違っていないと思っていた。
だがいま思い返すと、浩平は恋愛感情云々の前に、ちゃんと深雪という人を知ろうとはしていなかった。
自分に好意を抱いてくれた。
それだけでも彼にとって深雪は特別な存在であったのに、そのことに気づくことができなかった。
はじめて食べたおしゃれなパンケーキ。
味を楽しむ余裕も浩平にはなかった。
ほろ苦いキャラメルソースと甘ったるい生クリームに辟易して、彼は半分しか食べられなかった。
パンケーキを食べ終えて店を出ると深雪は、「今日は付き合ってくれてありがとうございました。このあと用事があるので失礼します」と笑顔で言って立ち去った。
遠ざかっていく彼女の背中を見送りがら、そりゃこうなるだろうと浩平はため息をついた。
デートは彼のせいでまったく楽しい雰囲気にならなかった。深雪はとてもがっかりしただろうし、傷つきもしただろう。
悪いことをしてしまった。
でも気をもたせるようなこともできないから、これでよかったんだ。
そう浩平は後味の悪い思いを抱えながら自分に言い聞かせた。
そのデートのあと、深雪は以前のように浩平に話しかけてくることはなくなった。
ひと月ほどたち、しばらく彼女の顔を見ないことに気づいた時には、既にサークルを辞めていた。
まわりは「お前にふられて気まずくなったんだろ」と浩平をからかった。
すまないことをしたなとは思ったけれど、正直ほっとした。
そしてそのあとはずっと、深雪のことを思い出すことはなかった。
でも数年前、うまくいかない婚活に疲れはてた浩平は、ふと彼女のことを思い出した。
自分のことをタイプだと言ってくれて、熱心にデートに誘ってくれた唯一の女の子。
ちゃんと彼女に向き合えていたら、どうなっていたんだろう?
いま、彼女がどうしているかが気になって、浩平はSNSで捜してみた。
そして見つけた。
深雪は二十代で結婚して、いまは夫がやっているラーメン屋を手伝いながら、毎日忙しく暮らしているようだった。
笑顔が素敵なたくましい夫の隣にいる彼女は、とても幸せそうに見えた。
顔は隠してあるが、二人の子供との写真もあった。夫の誕生日には、大きなケーキを家族みんなで囲んで笑いあっていた。
(あのとき、僕が彼女の魅力に気づけていたら、この写真に写っているのは僕だったかもしれない)
浩平はあのとき深雪にした仕打ちを思い出して、顔を覆いたくなった。
こんな男、誰が好きになってくれるだろう。
自分がいま誰からも振り向いてもらえないのは、自業自得なんだ。
それでも、できることならば、僕はこれからの人生を誰かと共に生きていきたい、と浩平は思った。
ひとりで老いて死んでいきたくない。
誰かにそばにいて欲しい。
それだけが浩平のたったひとつの願いだった。
*
坂野深雪(さかのみゆき)は彼の一学年下で、ほぼ毎日のように部室に現れた。
そして紅一点状態で部員と囲碁を打っていた。
深雪は小柄でころんと丸い体型、首は太くいかつい顔立ちをしていた。服装はいつも地味で、おしゃれには無関心のようだった。
それでも明るくて話しやすいので部員たちはみんな、彼女のことを妹のように可愛がっていた。
ある日、浩平と囲碁を打っていた深雪は、「私、大沢さんみたいな人タイプなんです」と突然言いだした。
浩平はただびっくりして、咄嗟になにも返すことができなかった。嬉しいというよりは困惑した。
その頃から既に彼は、女性と話すことが苦手であると自覚していた。
深雪を女性として意識したことはなかったけれど、男性ではないということだけで、うまくは話せなかった。
「今度、デートしましょうよ」
彼女はとても積極的だった。
それまで浩平はもてたことはなかったし、女性に近づいただけで嫌な顔をされることが多かった。
こんな自分を誘うなんて、どんな魂胆だ?
浩平は素直に深雪の言葉を受け入れることができなかった。
「いや、忙しいから……」
失礼な断り方をしても、彼女は特に気にしないようににこにこ笑っていた。
それからも浩平は何度も深雪にしつこく誘われた。
やがて周りの部員たちも浩平と彼女の関係に気づくようになり、「もったいぶんないで一度ぐらいデートしてやれよ」とはやしたてた。
こうなっては無視しておくこともできない。渋々彼は深雪とデートに行くことにした。
次の日曜日に原宿で待ち合わせて、深雪が行きたがったパンケーキ屋に行った。
店の前には行列ができており、入るまでに一時間ぐらい並んで待つはめになった。
並んでいる間ずっと、深雪は楽しそうにあれこれ話しかけてきた。浩平はきらきらした原宿や行列にうんざりして、ろくに返事もしなかった。
やっとお店に入ると、彼女は最初から決めていたというキャラメルパンケーキを注文した。
考えるのが面倒だったので浩平も同じものを頼んだ。
一時間以上一人でしゃべっていてさすがに疲れたのか、気づけば深雪も黙り込むようになっていた。
さすがに冷たくし過ぎたと彼女に悪く思ったものの、ここで機嫌をとるような真似をして誤解されては困る。
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彼は自分は間違っていないと思っていた。
だがいま思い返すと、浩平は恋愛感情云々の前に、ちゃんと深雪という人を知ろうとはしていなかった。
自分に好意を抱いてくれた。
それだけでも彼にとって深雪は特別な存在であったのに、そのことに気づくことができなかった。
はじめて食べたおしゃれなパンケーキ。
味を楽しむ余裕も浩平にはなかった。
ほろ苦いキャラメルソースと甘ったるい生クリームに辟易して、彼は半分しか食べられなかった。
パンケーキを食べ終えて店を出ると深雪は、「今日は付き合ってくれてありがとうございました。このあと用事があるので失礼します」と笑顔で言って立ち去った。
遠ざかっていく彼女の背中を見送りがら、そりゃこうなるだろうと浩平はため息をついた。
デートは彼のせいでまったく楽しい雰囲気にならなかった。深雪はとてもがっかりしただろうし、傷つきもしただろう。
悪いことをしてしまった。
でも気をもたせるようなこともできないから、これでよかったんだ。
そう浩平は後味の悪い思いを抱えながら自分に言い聞かせた。
そのデートのあと、深雪は以前のように浩平に話しかけてくることはなくなった。
ひと月ほどたち、しばらく彼女の顔を見ないことに気づいた時には、既にサークルを辞めていた。
まわりは「お前にふられて気まずくなったんだろ」と浩平をからかった。
すまないことをしたなとは思ったけれど、正直ほっとした。
そしてそのあとはずっと、深雪のことを思い出すことはなかった。
でも数年前、うまくいかない婚活に疲れはてた浩平は、ふと彼女のことを思い出した。
自分のことをタイプだと言ってくれて、熱心にデートに誘ってくれた唯一の女の子。
ちゃんと彼女に向き合えていたら、どうなっていたんだろう?
いま、彼女がどうしているかが気になって、浩平はSNSで捜してみた。
そして見つけた。
深雪は二十代で結婚して、いまは夫がやっているラーメン屋を手伝いながら、毎日忙しく暮らしているようだった。
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顔は隠してあるが、二人の子供との写真もあった。夫の誕生日には、大きなケーキを家族みんなで囲んで笑いあっていた。
(あのとき、僕が彼女の魅力に気づけていたら、この写真に写っているのは僕だったかもしれない)
浩平はあのとき深雪にした仕打ちを思い出して、顔を覆いたくなった。
こんな男、誰が好きになってくれるだろう。
自分がいま誰からも振り向いてもらえないのは、自業自得なんだ。
それでも、できることならば、僕はこれからの人生を誰かと共に生きていきたい、と浩平は思った。
ひとりで老いて死んでいきたくない。
誰かにそばにいて欲しい。
それだけが浩平のたったひとつの願いだった。
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