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第二章

第九話 精霊王誕生の夜

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 テントの中は賑やかな笑い声に溢れていた。
 竜騎と沙江は、それぞれの故郷で今日まで受けてきた訓練と、聞かされてきた役目について詳しく語ってくれた。おかげで、それまで知らなかった神社の歴史や使霊との関係などを知ることができた。

「┅┅そうだったのか┅┅でも、なんかすごいね。神様とか悪魔みたいな存在が本当にいて、歴史の中で何度も戦いを繰り広げてきたんだね。そして、来たるべき戦いに備えて、全国の神社が協力して能力者を育てているなんて┅┅まったく知らないことばかりだよ」
「まあ、一年無駄にしたんだから、しかたねえな。修一様の使霊も、訓練のことで精一杯で、詳しい事情を教える時間がなかったんだろう┅┅」
「いいえ、一年どころではありませんわ┅┅本来なら、六歳頃から語り部の精霊がお役目について語ってくれるので、知らず知らずのうちに覚えていくはず┅┅でも、修一様は┅┅」

「あ、あはは┅┅いやあ、茶色い爺ちゃんが毎晩話してたらしいけど、俺、聞いてなくて┅┅それと、修一様ってのは、やめてくれないかなあ┅┅何度も言うようだけど┅┅」
「ダメです。主従のけじめはきちんとつけるべきです」

「んん┅┅まあ、そんなに言うんだったら、俺はいいぜ。これからは修一って呼ぶことにする。もちろん、命令は守るし、ちゃんとけじめはつけるんで安心していいぜ」
「竜騎はすでに言葉遣いがけじめをなくしていますけど┅┅」
「いやあ、そこはかんべんや┅┅普段敬語なんて使ったことねえし、さっきの挨拶だって、お婆に特訓されてやっと覚えたくらいでさあ┅┅」
 俺が腹を抱えて笑い出すと、精霊の二人もつられて笑いだし、とうとう仏頂面だった沙江も我慢できずに笑い出した。

「ときに、修一様、先ほどわけあって使霊は今はいないとのお話でしたが、なにかお役目で出かけているのでしょうか?」
 沙江の使霊イサシが俺に質問した。
「ああ、いや┅┅なんというか┅┅ケンカ┅┅じゃないよな┅┅んん┅┅理由はちょっと話せないけれど、別れたんだ┅┅もう、戻ってはこない┅┅」
 俺の答えに、全員が茫然として言葉を失った。

「そ、そんなこと┅┅ありえない┅┅だって、私たちと使霊って、切っても切れない関係でしょう?魂を分け合った存在なんだから┅┅」
「うん、どう考えてもそいつはおかしいな┅┅いったい何があったんだよ。よかったら話してくれないか?」
「ええ、わけを話してもらって、私たちにできることがあれば何でもいたしますわ。これからの戦いを考えたとき、あなたに使霊がいないということは決定的に不利な状況になるのです。修一様、これはあなただけの問題ではありません」

 俺はしばらく目をつぶって考えていたが、確かに他の者たちの命に関わる問題だと言われれば、このまま無視するわけにもいかない。
「わかった┅┅いきさつを話すよ┅┅ただ、俺の使霊をどうするかについては、俺にまかせてほしい。それでいいかな?」
 全員がしっかりと頷いた。そこで俺は、ありのままの事実とミズチカヌシの使霊たちが第三者的に判断した内容を語った。

「┅┅というわけなんだ┅┅まあ、俺もついかっとなってやっちゃったけど┅┅ある意味早く分かって良かったって思ってる┅┅」
 俺の話を聞いて、竜騎と二人の使霊は訳が分からないといった顔でしきりに首をひねり、沙江は深刻な顔でじっと考え込んでいた。
「ううん┅┅そんな深刻に考える問題かぁ?そのなんとかのヌシっていういけ好かねえ奴をぶっ飛ばして、これは俺の女だ、こんりんざい近づくんじゃねえって言ってやれば、それで終わる話だろ?」
 竜騎の言葉に、使霊の二人もうんうんと頷いている。

「いいえ、そんな単純な話じゃないわ┅┅一番の問題は、修一様がサクヤさんだっけ、彼女に泣いた理由を問いただしたとき、彼女が答えなかったことよ┅┅」
 沙江の言葉に、俺たちは彼女の方へ体を向けて注目した。
「┅┅本当なら、すぐ答えられたはずだわ。彼女が泣いた理由は、そのミズチっていう土地神が自分の主人を侮辱し、自分の知られたくない過去をばらしたこと、それが原因のはず。
でも、彼女は答えられなかった。それはなぜか┅┅修一様は、そのとき気づかれたのよ┅┅彼女の心に、自分以外の愛する者が存在することに┅┅」

 俺はその時のことを思い出して、胸を締め付けられるようだった。
「┅┅使霊が自分の主人以外を愛していたら、とうてい命がけのお役目なんてできるはずがない┅┅修一様が思いきって彼女を切ってしまわれたのも納得できるわ┅┅ただし┅┅」
 沙江は苦悩する俺に優しい眼差しを向けて続けた。
「┅┅すみません、修一様┅┅あなたのお苦しみは十分分かっているのですが、これは、私たち全員の問題でもありますので、もう少しお話を続けさせて下さい」
「ああ、大丈夫だよ┅┅君の考えを聞かせてくれ」

 沙江は頷いて、竜騎たちを見回しながら続けた。
「問題が単純ではないと言ったのは、どうしてもサクヤさんには戻ってきてもらわないといけないってことなの┅┅ええ、修一様のお気持ちはよく分かります、自分を裏切った使霊は許せませんよね┅┅でも、それを曲げてお願いいたします┅┅」
「待ってくれ┅┅どうしてそこまで彼女が戻ってくることにこだわるんだ?」
「はい┅┅それは、二つの大きな問題につながっているからです┅┅」
「二つの問題?」

「はい┅┅一つは能力者と使霊が力を合わせてできる奥義が発動できないこと。
 もう一つは、私も祖父から簡単な説明しか聞いていないのですが、能力者は自分の能力の限界を超えて精霊を体内に取り込むと、精霊に体を乗っ取られてしまい、自我も失って凶悪な化け物になると聞きました。そして、それを防ぐために使霊がいるのだと。詳しいことは、ミタケノヌシ様にお伺いしろと祖父は言いましたが、いずれにしても、これから厳しい戦いに赴かれる修一様には、絶対に使霊が必要なのです」

 沙江が語った内容に、俺の心はかき乱され整理がつけられなくなった。
「┅┅話は分かったよ┅┅しばらく考えさせてくれないか。といっても、明日は儀式があるから、それまでには結論を出す、約束するよ」
 沙江も竜騎も二人の使霊たちも心配そうに頷いた。
「┅┅あはは┅┅せっかく来てくれたのに、のっけから何か深刻な話になっちゃって申し訳ない┅┅腹減っただろう?今から近くの俺の婆ちゃんの家に行こう。君たちには今夜はそこに泊まってもらうことにするよ」

 沙江と竜騎はちょっと顔を見合わせてから、微笑みを浮かべた。
「俺は一応寝袋を持ってきたけど、畳の上で寝られるならありがたい話や」
「私も御殿場かどこかにホテルをとるつもりでしたので、助かりますわ」
「うん┅┅じゃあ、そういうことで。行こうか」
 話は決まり、俺たちはそろってテントを出た。太陽はすでに中天近くに上り、まばゆい光に全員が目を細めて夏の空を見上げた。と、その時だった。
「おや、何かが落ちてきます┅┅」

 ゴーサがそう言って右手の空を指さした。彼が指す方を見ると、確かに何か小さく黒い三つの物体が、ひらひらとこちらに向かって近づいてきていた。そして、それはまるで生き物のように三つに分かれて、俺と竜騎、沙江の前にゆっくりと下りてきた。
「大きな葉っぱだな┅┅ん、何か書いてあるぞ」
 竜騎の言葉に、俺と沙江も葉っぱの表面に書かれた黒い文字に目を凝らした。そこには、こう書かれていた。
『こよひいぬのこくきつねいわにていやおうしゅうめいのぎとりおこなう』

「┅┅んん、何て書いてあるんだ?沙江、通訳頼む」
「戌の刻は、今の時間で午後八時くらいよ。つまり、今夜八時に、きつね岩って所で射矢王、つまり修一様の精霊王就任の儀式を行うってことよ」
 沙江が皆にそう説明した直後、葉っぱは手の中で光となって消えていった。
「修一様、きつね岩の場所はお分かりですか?」
「いや、俺は知らない。でも、大丈夫だよ、知り合いの精霊や妖怪がいるから、後で聞いておくよ」
「へえ、精霊王ともなると顔が広いんだな」
「竜騎ったら気づいてないの?ほら、周りにいっぱいいるじゃない」
「ああ、もちろん気づいてたさ┅┅俺たちがここに来た頃から、ぞろぞろ集まってきてやがったからな┅┅だがよ、物分かりが良さそうなのは、あんましいねえみたいだぜ┅┅」
 俺たちはそんな話をしながら、祖母の家まで歩いて行った。


 祖母は、家の近くの畑で草取りやトマト、茄子などの収穫をしていたが、俺たちの姿を見ると驚いたように野菜が入った竹かごを抱えて近づいてきた。

「┅┅そんなわけで、今夜二人を泊めてやってほしいんだ。いいかな?」
 俺は二人を遠くから遊びに来た友だちだと紹介した後、そう付け加えた。
「まあ、まあ、こんな所までわざわざ来ていただいて、大変でしたねえ┅┅よかったら、何日だって泊まっていって下さい┅┅ご馳走はできんけど、お米と水だけはおいしいからね」
「はい、ありがとうございます。では、遠慮無くおじゃまさせていただきます」
「いやあ、すんませんね。何か力仕事とかあったら、言って下さい。ばりばりお手伝いしますんで┅┅」
「はいはい、それじゃあ、早速これを炊事場まで運んで下さいな」
「はいよ、お安いご用で」

 急な来客にも祖母はまったく動じなかった。にこにこしながら俺たちを家の中に招き入れると、早速座敷に竜騎の荷物を入れ、沙江の荷物は奧の祖母が普段使っている部屋に持って行った。
「沙江さんはこの部屋を使って下さいな。後でお布団を持ってきますね」
「でも、ここはお婆様がお休みになるお部屋ではありませんか?」
「いいんですよ、わたしは茶の間で十分ですから┅┅それに、沙江さんみたいな可愛いお嬢さんに、もしものことがあったら大変ですからね」
 祖母は恐縮する沙江にそう言ってから、急に何かに気づいたように沙江を見つめて続けた。
「あっ、でも、余計な気遣いでしたかねえ?あの、竜ちゃんでしたっけ、あの子は沙江さんの彼氏さんですか?だったら、同じ部屋の方が┅┅」
「ち、違います、全然違います」
 沙江は真っ赤になって慌てて否定した。
「あはは┅┅ごめんなさいね。じゃあ、ここを使って下さいな。ドアも内からカギが掛けられますからね」
祖母はそう言って出て行こうとして、ふいにドアのところで振り返り、まだ赤い顔の沙江に言った。
「沙江さんは、修坊と同じ学校なの?」
「あ、いいえ、あの┅┅違います」
「そう┅┅いえね、修坊が今までお友だちのこととか、ましてや女の子のこととか話したことなんかなかったから、びっくりしちゃって┅┅」
 確かに、突然現れた自分たちには驚いたことだろう。だからといって本当のことを言えば、もっと腰を抜かすほど驚かせるに違いない。だが、近いうちにある程度の事実は話さなければならないだろう。そこは修一に任せるしかない。
 沙江は少し考えて、こう答えた。
「修一さんは┅┅とても大切な、お友達です」
 祖母はそれを聞くとにっこり微笑んで頷き、ドアの外へ出て行った。

 少し遅めの昼食は、とても賑やかなものになった。沙江も竜騎も普段から年寄りと一緒に暮らしているので、祖母ともすぐに打ち解け、話を合わせるのも上手だった。
「ああ、うまかったぁ┅┅久しぶりにおふくろの味ってやつ?堪能させていただきました」
「まあ、ごめんなさいねえ、野菜の天ぷらとお味噌汁ぐらいなのに、そう言ってもらえるなんて┅┅沙江さんにも手伝ってもらって助かったよ。今夜は、お肉を買ってきてバーベキューでもしようかね?」

 祖母の言葉に、俺たちは顔を見合わせた。ここはやはり俺が話すべきだろう。
「ああ、ええっと┅┅あのさ、婆ちゃん┅┅今夜は俺たち、皆で、か、河口湖まで行く予定なんだ┅┅」
「はれ、まあ┅┅河口湖でなんかあるのかい?」
「う、うん、祭りみたいなもんかな┅┅ごめん┅┅また、今度バーベキューやろうな」
 竜騎も沙江も、俺の後ろで頭を下げていた。
「ああ、そうだね┅┅うんうん、しっかり楽しんでおいで┅┅若いときにしかできないことは、後でやろうと思ってもできないもんだ。思いっきりはめ外しておいで」
「あはは┅┅そんなたいそうなことはしないけどな┅┅ちょっと遅くなるかも知れないけど、ちゃんと帰って寝るから┅┅」
「ああ、ええよ。玄関はずっと開けておくからね」

 昼食が終わって、俺は二人と午後の七時にテントの所に集まる約束をして、キャンプに戻っていった。サクヤのことについて、一人でしっかり考えたかったからだ。
 太陽はすでに林の向こうに隠れ、草原を渡ってくる涼しい風がテントの中を吹き抜けていく。テントの中に寝転んで、天井に揺れる木の葉の影を見つめながら、俺は沙江が話してくれた使霊の必要性について考えていた。
(┅┅確かに、奥義があるとすれば、それを使えないのは戦いにおいて不利だ。だが、決定的かどうかは、その奥義がどんなものか見てみなければ判断できない┅┅もう一つの方は、何だかよく分からないな┅┅これも、詳しく話を聞くまでは判断ほしようがない┅┅というわけで、サクヤに戻ってきてもらう件は、二つの問題が分かった後、あいつ自身に決めさせることにしよう。あいつの幸せのためにも┅┅)
 俺はそう決意すると、テントを出て草原の向こうの谷へ向かった。

「おおい、ミナセ、いるか?」
 渓流の岸に下りて呼びかけると、すぐに目の前の川面が盛り上がってきて、着物姿の小さな女の子が飛び出してきた。少女はすぐに俺の背中に飛び乗って首にしがみついた。もしも、ミナセが普通の人間に同じ事をしたら、きっと背筋がぞっとして肩が重くなるという、いわゆる憑依現象を引き起こすに違いない。写真を撮れば、背後霊のように写るだろう。

「ミナセ、おしらせは届いたか?」
「うん、来たよ」
「きつね岩って、知ってるか?」
「うん、行ったことあるよ」
「じゃあ、俺とあと二人人間がいるけど、一緒に行こう、案内を頼むよ」
「やったぁ、修一と一緒、修一と一緒┅┅あ、そうだ、フウロも一緒に行こうって言ってた
┅┅フウロも一緒でいい?」
「ああ、いいとも。フウロはどこにいるんだ?」
「あそこの森の大きなモミの木に住んでるよ」
「よし、じゃあ背中にしっかりつかまってるんだぞ」
 俺はミナセを背負ったままゆっくりと空中に浮かび上がり、上流の森に向かって飛んでいった。

 いつしか、夕焼けが辺りを染める時間になっていた。俺はミナセと彼女の友だちのフウロという妖怪と一緒にキャンプに帰った。すでに、テントの傍らには、それぞれの故郷の民族衣装で正装した竜騎と沙江が待っていた。

「おお、二人ともかっこいいな、よく似合ってるよ。でも、なんとなく似ているような┅┅」
 俺は地上にゆっくりと下りながら交互に二人を眺めて言った。
「やっぱりそう言うか┅┅今、俺たちもそう話していたところだ┅┅」
「仕方ありませんわ┅┅私たちアイヌと沖縄の人はDNAが近くて、日本に最初に住み始めた縄文系の子孫だと言われてますから┅┅古代の風俗も似ているのでしょう┅┅」
 沙江は似ていると言われたことが心外といった顔でそう言った。

「ところで、その後ろのチビとイタチみたいなのは何だ?」
「ああ、そうだった┅┅ほら、ミナセ、フウロ、ここにいるのは、これから俺と一緒に悪い奴らと戦ってくれる勇者たちだよ。こっちが沖縄から来た古座竜騎、こっちは北海道から来た忌野沙江だ。ご挨拶しなさい」

 俺の背中に隠れていたミナセとフウロは、恐る恐る前に出てきて地面に立った。
「お、お初にお目に掛かります。アツタマノミナセノヨルベカワモリにございます。どうぞよろしくお願いします」
「アマツノフウロヤスモリにございます。お目通りいただき、光栄に存じます」
「まあ、可愛い┅┅ミナセにフウロね、よろしくね」
「俺は竜騎だ、よろしくな。ふーん┅┅おまえ、人間の姿をしてるってことは、かなり高位の精霊だな┅┅どんな術が使えるんだ?」
「えっと┅┅どこでも水を出せます┅┅それと┅┅」
「こいつを消せるか?」
 竜騎がそう言って手を上げ、短い詠唱をつぶやくと、彼の頭上に大きな火球が現れた。彼はそれをボールでも放るように、草原の方へ投げた。

 ミナセはちらりと俺の方を見た。俺が小さく頷くと、わずかに微笑んで前を向き、大きく両手を上げた。
「えーいっ┅┅やああ┅┅」
 可愛い声と共に、ミナセの気が膨れあがり空中に多量の水の塊が現れた。少女はそれを草原の上に浮かんでいる火球にぶつけた。ジューッという音と大量の水蒸気が発生し、夕暮れの空へ立ち上っていく。
「おお、すげえ、すげえ┅┅あはは┅┅おまえ、やるじゃねえか、気に入ったぜ┅┅」
 竜騎に誉められ抱き上げられて、ミナセは嬉しそうに頬を染めてはにかんだ。

「それじゃあ、そろそろ出発しようか。ミナセ、フウロ、道案内を頼むよ」
俺の声に全員が頷いて、緊張した表情に変わる。
 竜騎と沙江はそれぞれの使霊の背に乗って空中に浮き上がっていく。俺も本来なら、変身したサクヤの背に乗って行くはずだったのだろう。しかも、服装はTシャツにジーパンという、晴れの舞台にはなんともそぐわない姿だった。
 フウロの背に乗ったミナセを先頭に、俺たちはまだ明るさの残った地上の景色を見渡しながら、一路富士山の方向へ飛び続けた。

「ほら、あそこ、見えてきたよ、きつね岩┅┅」
 きつね岩は、富士山に近い樹海の中にあって、その名の通り、シルエットが狐のように見える巨大な岩だった。上からその場所を見ると、恐らく古代の火口の一つだったに違いない。きつね岩を含む切り立った岩山が周囲を囲み、内部は周囲一キロほどの大きな草原になっていた。ここがその昔、ヤマトタケルも受けたという精霊王就任の儀式が行われる場所だった。

 すでに草原には日本の各地から集まった土地神、精霊、妖怪などがたくさんの塊になって座り、賑やかに談笑していた。俺たちはゆっくりと高度を下げて、なるべく目立たないように草原の端の方に下りていった。だが、さすがにゴーサやイサシの姿は、飛んでいるときから群衆の目を引くには十分だった。どよめきが波のように押し寄せ、俺たちの周囲には、遠巻きに人垣ができてしまった。

「うわあ┅┅こんだけの数の異形が集まると、さすがに迫力だなあ┅┅」
「んん┅┅俺はこれから、どうしたらいいんだろう?」
 俺のつぶやきに、竜騎も沙江もさすがに答えは持っていなかった。
「あ、おい、修一、お迎えが来たみたいだぜ」
 竜騎がきつね岩の方を指さしながら言った。そちらの方角から、光をまとった古代の衣装を着た三人の女性が近づいてきていた。
「お待ちいたしておりました、小谷修一様、古座竜騎様、忌野沙江様。どうぞ、こちらへ」
 俺たちは三人の女性に促されて、きつね岩の方へ歩き出した。
「ミナセ、フウロ、岩の近くでゆっくり見物していてくれ┅┅」
 俺の言葉に、二人は頷いて大勢の群衆の中に入っていった。
 
 きつね岩の前は広く平らな岩の舞台になっており、ちょうどきつね岩が舞台背景のように高くそそり立っていた。俺たちはその舞台の上に連れて行かれ、中央にある岩の台座に座らされた。
「へへ┅┅なんか、ライブコンサートの本番前って感じだな┅┅」
「ああ┅┅コンサートには行ったことないけど、よく分かるよ。しかし、こんな暗い中でやるのかな?」
「たぶん、光の演出はあるはずですわ┅┅月明かりだけなんて寂しすぎますもの」
 沙江の言葉で、俺は初めて正面の東の空に上り始めている大きな満月に気がついた。

 と、その時だった。突然空が明るくなり、柔らかな光が草原全体に降り注ぎ始めたのである。そして、富士山のある左手の方角から、ひときわ輝く何かがゆっくりと舞台の方へ近づいて来たのだった。
 やがて、その輝くものが三人の人物だと分かった。真ん中に白髪で長い口ひげを貯えた老人、その両側には何かを手に持った二人の女性がいた。彼らは舞台の上に降り立つと、老人だけが俺たちの方へゆっくりと歩み寄ってきた。

「┅┅タケノウチノ┅┅スクネ┅┅?」
 自分でも分からないうちに、俺の口からそんな言葉が漏れていた。
「おお、覚えていて下されたか、お久しゅうござりまするなぁ、ヤマトタケル様┅┅」
 老人は俺の前まで来ると、そう言ってひざまづいた。
 
 俺は確かにその老人を知っていた。前世の記憶の中に刻み込まれていたに違いない。それが引き金になったかのように、俺の頭の中に、次々に古代の様々な記憶の断片が浮かんでは消えていった。
「ああ、確かにそうだ┅┅俺はかつてここに来たことがある┅┅」
 老人はさも懐かしそうに俺を見上げて何度も小さく頷いた。
「また、こうしてお会いできて、感無量の思いでござりまする┅┅」

 老人はそう言って頭を下げてから立ち上がり、俺の両側に座った竜騎と沙江に目を向けた。
「サキツノミコザノタラシヒコ、イミアピカナクル、よくぞ来てくれた。射矢王のこと、きっと守り支えてやってくれ」
 竜騎と沙江はいったん立ち上がって、老人の前に片膝をつき頭を垂れた。
「はっ、この命にかえてお守りいたします」
「必ずや、ヌシ様のご期待に応えてみせます」
「うむ、うむ┅┅なんとも頼もしき若者たちじゃ┅┅では、皆も待ちかねておるじゃろう、始めるかのう┅┅」
 老人はそう言うと、舞台の前の方へ進んでいった。

 ざわめいていた群衆が、老人の姿を見てしーんと静まり返った。
「かしこくも、ミタケノヌシの御前にて、新しき射矢王着任の儀を執り行いたてまつる。われミタケノウチノツカサ、ここに謹んで、御霊を賜りし御子たるヤマトタケルの再生を宣告す。この者こそ、新しき精霊の王、射矢王なり┅┅」
 老人は厳かな声でそう叫ぶと、後ろを振り返って俺に手を差し伸べた。

 俺は立ち上がって、老人の横に進み出た。すると老人のもとへ、先ほどの光る衣をまとった女官の一人が、きれいな布に包んだ何かを持ってきて老人に手渡した。老人はそれを大切におし頂くと、布を丁寧に開いていった。中から現れたのは、不思議な形をした一本の剣だった。俺は、その剣に見覚えがあった。

 老人は片膝をついて、その剣を俺に捧げ、声高に叫んだ。
「さあ、今こそ、ここに集まりし者たちに、射矢王の証を示したまえ!」
 突然、射矢王であることを証明しろと言われて、普通なら戸惑うところだが、なぜか分からないが、俺は次にやるべき事を知っていた。

 俺は七つの枝が分かれ出た剣、七枝刀を受け取ると、それを天に向かって突き上げた。すると、七つの枝の先が別々の七つの色の光を放ち始め、次の瞬間、七色の光が帯となってに草原の上に美しい虹を描いたのであった。
 草原に集まった精霊、妖怪たちから大きなどよめきが起こり、やがて歓喜の叫びとなって辺り一帯を包み込んだ。

 ミタケノウチノツカサ老人は、満足そうに頷きながら俺を見てから、さっと片手を上げた。騒いでいた群衆はすぐに静かになり、老人は後ろの竜騎と沙江にも前に来るように促した。そして、二人が俺の横に立つと、両手を天に向かって差し伸べて叫んだ。
「ミタケノヌシよ┅┅ここに新しき射矢王は定まれり。また、射矢王の守り人たるサキツノミコザノタラシヒコとイミアピカナクルも健やかに育ち、射矢王と共にここにあり。願わくば、この者たちに祝福を与えたまえ」

 老人の言葉が終わると、草原を照らしていた柔らかな光の中から、一条の強い光が降り注いで俺たちを照らした。そして、突然どこからともなく厳かな声が聞こえてきた。

〝これは我が愛する子ら┅┅常世の祝福を与ゆるものなり┅┅ヤマトタケル、我が愛し子よ、再びそなたに苦難の道を歩ますること、すまなく思う。どうか許してくれ┅┅〟
「いいえ、この命はあなたに頂いたもの、そしてこの世界の平和のために捧げることを使命として生まれてきたものです。今、すべてのことを思い出しました。俺は、俺のやるべきことを精一杯やるだけです」
〝┅┅ああ、愛し子よ┅┅そして愛し子とともに戦ってくれる同胞の子らよ┅┅我のできることには限りあれど、せめて汝らに新たなる力を授けよう┅┅〟
 
 ミタケノウチノツカサ老人が、もう一人の女官が持ってきた三つの首飾りを俺たち一人一人の首に掛けていった。するとそれぞれの飾りにはめ込まれた宝石に、空から光が差してきて吸い込まれていった。
〝そなたたちにとこしえの祝福を┅┅〟
 その声と共に、まばゆい光は空に消えていった。

「これにて、新しき射矢王就任の儀は滞りなく終了した。今こそ、我らは新しき射矢王の下、心を一つにして来たるべき闇の者どもの侵攻を撃退せねばならぬ。明日よりは、皆それぞれの持ち場において、心してそのお役目を果たすのじゃ」
 ミタケノツカサ老人の声に、群衆は割れんばかりの叫び声で応えた。
「では、ここからは無礼講じゃ、今宵はめでたい夜じゃ、心ゆくまで楽しもうぞ」
 再び、先ほどよりも大きな歓声が草原全体に響き渡った。
 老人はにこにこしながら俺たちを促して、いつの間にか舞台に用意された祝宴の席へ誘っていった。

 琵琶や太鼓、横笛など古代の楽器が賑やかに音楽を奏で、美しい精霊の娘たちが優雅に舞い踊る┅┅満月が照らす樹海の中の草原は、時を逆行して古の夢の中に包まれていた。
 俺も竜騎も沙江も未成年だったので、酒は飲まなかったが(竜騎は飲みたがったが)、雰囲気だけで十分酔いそうだった。果物を搾ったジュースを飲み、次々に運ばれてくる珍しい料理を食べ、何度も手を引かれて踊りの輪の中に入り、でたらめな踊りを踊って群衆の笑いを誘った。竜騎も沙江も心から祝宴を楽しんでいるようだった。

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