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第11話:【ルピナス】

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「あれ…僕、何してんだっけ?」


 目を開けると青色一色が目に飛び込んできた。


「へ?何、これ。空?そ、空か…?」


 僕が見ていたのは綺麗に晴れ渡った青空だった。

 目の前の景色が空だと分かると自分が今、おそらく外の何処かに寝転んでいることに気がつく。

 慌てて起き上がって下を見ると、自分が寝ていたのは草むらの上だった。


「なんで…僕、外にいるんだ?」


 自分の状況が飲み込めずにいながらも草むらに手をついて立ち上がる。
 そして、自分が何処にいるのか確かめようと辺りを見渡して広がっている光景に目を見開いた。


「綺麗だ…」


 僕が寝転んでいた草むら以外は全てお花畑になっていた。

 赤、ピンク、オレンジ、白、黄色、紫───。

 様々な色の筒状の花が辺り一面に咲いている。

 見渡す限り、どこまでもどこまでも花畑が続いていて、その現実的ではない光景で僕はあることを悟ってしまった。


「嗚呼、今度こそ…本当の意味で僕は死んだんだな」


 自然と口元には笑みが浮かんでいた。

 もしかしたら、ただの夢かも…とも思ったが、なんとなくだけれど夢ではないと第六感が告げていた。

 体が軽いというかゾワゾワと普通じゃない感覚がしていて、上手く説明できないけれど幽体離脱って、こういう状態をいうんじゃないかって感じがしている。

 きっと…僕はルピナスの体から出ることができたんだろう。


 ───やっと、ルピナスに体を返してあげられた。


 ルピナスは生きることに希望なんてないと言っていたけれど、本当にこんな僕が無責任なことを言って申し訳ないが、どれだけ時間がかかっても生きている限り、いつか希望を見出せる日が訪れるはずだ。


 ───僕が、そうだったように。


 たとえ、どれだけ小さなものでも小さな希望を一つずつ増やしていけば、それはやがて大きなものになるんだ。

 僕にとってゲームが、乙女ゲームがその希望の一つだった。


 『あなたと愛の花を咲かせたい!』には、随分と支えてもらったもんなぁ……


 社畜時代は忙しくて頭が回らなくて、あまり希望を見つけられなかったけれどアイハナは大学時代に引き続き度々、辛くて限界を迎えそうな僕を支えてくれた。本当に感謝している。

 …考えてみたら少しの間だったけれど、僕は大好きなアイハナの世界にいられたんだな。


 ───どうかルピナスが、一つでも多くの希望を見つけられますように。


 こんな出来損ないの僕でも見つけられたんだ。

 だから…きっと、ルピナスなら大丈夫。

 そんなことを考えていたら後ろから物音がして、振り返ってみると僕が立っている草むらの数メートルほど先に大きな扉が立っていた。

 立派な作りをしていて重厚感がある扉を見て笑みが溢れる。


「こんな僕に随分と立派なお迎えだな」


 一歩、また一歩と歩みを進める。

 不思議と心は凪いでいて、こういう時いつも思い出してしまう筈の過去の嫌な出来事は、何一つ頭に浮かんでこなかった。

 ただ頭に思い浮かんでいるのはルピナスを案ずる気持ちと僕が傷つけてしまったルピナス自身の心と体のこと。
 短い間だったけれど、お世話になったラランとリリィのこと。

 そして───。

 最後に僕を宥めてくれた、優しい声と手の感触のことだった。


「初めて…褒められちゃったな」


 視界が霞んでいて顔を見られなかったけれど、あの言葉と触れられた時のぬくもりは僕にとって、かけがえのない宝物だ。


「ずっと側にいるって言ってくれて、嬉しかったなぁ…」


 あのひと時だけで僕は今までの人生の苦労が全て報われた気がした。それぐらい本当に嬉しかったのだ。


 ……だから、僕はもう大丈夫。

 何の悔いも未練もない。

 本当に充分だ。


 扉のドアノブに手をかけた、その時だった。


【待って…ッ!】


 声がする方へ振り返ると扉がある草むらと反対側の方向から走ってくる人物がいた。


「っ、ルピナス…!」


 そこには、鮮やかな紫色の髪を大きく乱し、必死の形相でアメジストの瞳をこちらに向けて走る、ルピナスの姿があった。

 どうして、ルピナスがここに?
 それよりもルピナスを傷つけてしまった僕がルピナスに会っていいのか…?

 考えを巡らせている間にもルピナスはどんどん近づいてくる。


【お願い、待って…っ!あッ!!】

「ルピナス!!」


 走っている途中でルピナスが激しく転んだ。
 考える間もなく咄嗟に僕はルピナスの元へ走り寄っていた。


「痛かった?大丈夫!?怪我はない…?!」


 地べたに座り込んだルピナスの側に僕も急いで座り込んで、ルピナスの手や足に触れ怪我がないか見ている時だった。


【……ごめんなさいっ】


 ぽたり、ぽたりとルピナスの美しい瞳から、たくさんの涙がこぼれ落ちる。

 雫はルピナスの怪我を調べていた僕の手にも微かに落ちて、ルピナスが泣いているという事実を僕に知らしめていた。


「…どうして、ルピナスが謝るの?」


 いつもなら動揺してしまうのに、不思議と今の僕は冷静でゆっくりとルピナスに問いかける。


【たくさん…っ!酷いこと、言ったから……ッ!】


 しゃくりあげて泣いているルピナスの姿に心が痛んで、僕は優しく、乱れてしまっていたルピナスの髪を梳き整えながら続けた。


「ルピナスは何も悪くないよ?悪いのは僕だ。自分の意思ではなかったけれどルピナスの体を乗っ取ってしまった。それに君が知りたくないようなことまで知らせてしまうことになったし、僕自身がルピナスのことを知りもしないで、アイハナ通りの悪役令息だと勝手に決めつけていた。本当に…ごめんなさい。だから、僕だけが悪くてルピナスは何も悪くな───」

【そんなことないっ!!】


 僕の言葉をルピナスは強く遮った。

 涙の膜が張ったルピナスの瞳は宝石のようで。見つめられていると美しい瞳に吸い込まれてしまいそうな気がした。


【わたしの方こそ、あなたの最初の方の記憶しか見ていなかったのにぃ…っ、ひ、勝手に努力が能力が足りなかったから蔑ろにされた…って言って!あなたの記憶がわたしに流れ込んでくればくるほど、あなたがどれだけ努力をして頑張っていたかを知って…!あんな酷いこと言ってしまったって。傷つけてしまったって…本当に本当に後悔して……っ!!】


 泣きながら必死に伝えてくれた言葉に胸がいっぱいになって、気がつけば僕自身も泣いていた。

 あの日々を知ってくれる人がいて、努力をしたと言ってくれる人がいてくれることに何とも言えない温かな感情が湧き上がってきたからだ。


「ありがとう、ルピナス。その言葉だけで僕は…っ本当に救われる」


 泣きながらもルピナスに感謝の気持ちが伝わるように笑いかける。いい大人のそんな顔は、きっと醜いだろうけど。どうか、許して欲しい。


【たくさん酷いことを言ったわたしのこと…許しくれるの?】

「何、言ってるの。許すも何も僕は君に対して怒っていないよ。それを言うなら、ルピナスも僕のことを許してくれるの…?」

【うん、もちろん許すよ】

「…!こんな僕を許してくれて、本当にありがとう。ねえ、ルピナス。僕はもう…本当に、充分に幸せで満たされた。気がかりだった君ともこうして和解することができた」


 愛おしさが込み上げて、ルピナスの頭を柔らかく撫でる。

 触れてみて、改めて分かった。
 彼はまだ小さい、幼い子供なのだと。

 彼には、まだまだ長い人生があって、これからもっと幸せになる権利があるのだと。


「君が現れるまでは僕の魂は君の体から出られたのだと思っていた。けれど君とこうして、また会えたということは、まだ完全には君に体を返してあげられていないのだろう。僕の考えが正しければ、恐らくあの扉は出口になっていて扉を潜れば、僕は君の体から消えるのだと思う。そんな気がするんだ…ルピナス、僕はここから出ていくよ。君の人生を邪魔しない為に。どうか、僕の分まで長生きして、たっっくさん!幸せになって欲しい…!君と会えて良かった。今まで本当にありがとう」


 座り込むルピナスの頭を最後にもう一度撫でて、扉を潜る為に立ち上がろうとすると、強くルピナスに抱きしめられた。


【嫌だ…嫌だ、嫌だ……ッ!!せっかく…せっかく、分かり合えたのにお別れなんて嫌だよ!】

「っ!ルピナス…」

【僕が悪役にされてしまうかもしれない世界で僕はまた、ひとりぼっちになるの?もう…もう、一人は嫌だよ。僕を、僕を置いていかないで…っ】


 ざわり。

 まるで、ルピナスに呼応するように周りの花畑に咲く花たちが風も吹いていないのに激しく揺れた。


 …僕は何か、大切なことを忘れている気がする。

 この子の名前は、ルピナス・ショーテイジ。

 優しくて頑張り屋さんな君の名前は。

 嗚呼、そうだった…思い出した。

 この花の名前は───。


「ルピナス」


 僕は強く、ルピナスを抱きしめていた。


「ルピナス…僕の記憶で既に知っているかもしれないけれど、アイハナの悪役令息の名前はね、・ショーテイジっていうんだ。でも、君の名前はルピナスだ。君にふさわしい、この美しい花と同じ名前だ。君は…きっと、いや絶対に!悪役令息なんかじゃない。ルピナスはルピナスだよ」


 僕の言葉にも呼応するようにルピナスの花たちは淡く光り、やがてその光は強さを増していった。

 僕たちの身体も優しく柔らかな光に包まれて、だんだんと輪郭がぼやけて見えなくなっていく。まるで元から境などなかったように。

 ───嗚呼、そうか。そうだったのか。


「ルピナス。僕たちは元々、何らかの拍子で君の中で別れてしまっていただけで、どうやら一つの魂みたいだ…ねえ、ルピナス。もしも、もしもルピナスが良ければ、また僕と一緒になってくれるかな…?」


 伺うようにルピナスを見ると、ルピナスは僕の前で初めて笑ってくれた。


「何、言ってるの。そんなこと…言うまでもないでしょう?元の状態に戻るだけだよ。もう、わたしたちは離れない。ずっと、ずーっといっしょだよ!」


 二人の身体は、やがて光の粒子となって、お互いに混ざり合い───。

 たった、一つの魂になった。



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