いまは亡き公国の謳

紫藤市

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第十一章 ブラモント伯爵

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 最近はオーストリアとトルコの領土争いも小休止状態が続いているが、火種が消えたわけではない。また、フランスはかつて占領していたロレーヌの支配権を諦めたわけではなく、帝国への進軍の機会をたんたんと狙っている。
 イングランドもフランスに奪われた領地奪還を諦めたわけではなく、にらみ合いは続いていた。
 そんなイングランド軍にとって、ヨーロッパの東に位置するプロイセンの軍隊を味方につけることは、大陸への進軍の大きな足がかりになると考えていたのだ。
 イングランド王女とプロイセンの王太子の婚約が決まれば、プロイセン軍はイングランド側に味方すると決定したも同然だ。
 とはいえ、プロイセン王は帝国皇帝への忠誠心を失ったわけではない。
 また、いったん信頼を失ってしまえば、プロイセン王国の帝国内での立場は悪くなることは間違いない。
「王妃はイングランド王女との結婚を強く押し進めているけれど、国王は乗り気ではないらしい。というのも、国王は駐在しているイングランド大使を酷く嫌っているそうなんだ。さらに、かつてイングランドはプロイセン王の暗殺を計画していたという未遂計画があったという噂で、プロイセン王はいまだにイングランドを疑っているんだ」
 軍国主義のプロイセン王には、様々な暗殺計画が立てられたという話は、この五年間、ジェルメーヌは幾つも耳にした。
 国王と王太子を暗殺し、王位を傍流の侯爵に継がせるだの、国王を暗殺して王太子を王位に就け王妃が摂政として政治を執り行うことでイングランドの影響力を増すだの、様々だ。
 国王というのは命がけな仕事だが、プロイセン王がいまでも王座に座っているということは、それだけ運にも恵まれているということだろう。近頃は体調が思わしくないという話だが、それでも精力的に執務を続けているそうだ。
「とはいえ、イングランドをどうこうできるほど、私は顔が広くないからな」
 椅子に腰を下ろしながら、ジェルメーヌがぼやく。
「いまは、好機ではないということでは?」
 クロイゼルの指摘に、ジェルメーヌは顔を顰めた。
「――王太子と友好を深めただけで、帰国しろと言うのか」
「ロレーヌ公に巻き込むわけにはいかないだろう」
「確かに、ブラモント伯爵の名を使っている以上、フランソワに迷惑をかけることにならないとも限らない、か」
 肘掛けに肘を置き、拳を頬に当てながらジェルメーヌは唸る。
「それに、そろそろプラハに行く時期ではないのか?」
「そうだな。仕損じては、ステファーヌのあだちにもならないな」
 間もなくステファーヌの命日だ。
 毎年、プラハでヴルタヴァ川に花を手向けるのがジェルメーヌの習慣となっている。
「この劇場でのロッテの公演の期間が終わったら、プラハに直行することにしようか」
 リーゼロッテがこの劇場で歌うのは五日間の予定だ。
 その後、彼女はライプツィヒ、ドレスデンで公演をした後、プラハへ向かうことになっている。
 先にベルリンを出発してプラハで彼女を待つのが無難だろう、とジェルメーヌは考えた。
「ところで、シュリュッセル探しはどうなっている」
「……鋭意努力中だ」
 渋い顔で答えるクロイゼルの顔を見上げながら、ジェルメーヌは唇を尖らせた。
「なるほど。まだ蜥蜴の尻尾も掴めていないということか」
 コランタンが言い遺した名の男は、いまだに見つけられていない。
 ベルリンに来れば探し出せるかと期待もしたが、偽名である上、五年という歳月が流れているものだから、捜索はますます難しくなっていた。
「これは本当に、しばらくプラハで頭を冷やして出直した方が良いのかもしれないな」
 舞台を見下ろしながら、ジェルメーヌは苦笑する。
「プラハに到着したら……」
 クロイゼルが言いかけた瞬間、階下の客席で拍手が起こった。舞台袖からリーゼロッテが黄色いドレス姿でゆっくりと優雅な足取りで舞台の中央へと向かう。
「プラハに到着したら、なに?」
 顔を上げてジェルメーヌは尋ねたが、クロイゼルは首を横に振ると、やけに丁寧な口調で答える。
「いえ、なんでもありません」
「あ、そう」
 それ以上はジェルメーヌも追及はしなかった。
 舞台下では、楽団の指揮者が指揮棒を振り上げ、演奏を始めようとしている。
 フリードリヒ王太子が王位に就く頃には、リーゼロッテを王立歌劇場の舞台に立たせられるだろうか、とジェルメーヌは夢想した。
 そのため、クロイゼルが陰鬱な表情をしていることに、まったく気付いていなかった。
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