30 / 70
第六章 再会
4
しおりを挟む
「ジェルメーヌ……どうしてここにいるの? それにその格好は……」
燭台を手にしたクロイゼルが近づいてきて初めて、ステファーヌはジェルメーヌの格好に気付いたようだ。目を丸くして、ジェルメーヌの服に触れる。質素な服というだけではなく、ジェルメーヌが明らかに男装していることに驚いたらしい。
「いつもは公子らしく着飾っているのだけれど、今日はお忍びで町を散策していたものだから、こんな格好なの。ステファーヌこそ、どうしたのよ」
ジェルメーヌに抱きつかれたステファーヌが苦しそうに咳き込んだため、彼女は腕を緩めると、まじまじと相手の姿を観察した。
ロレーヌで最後に見たときよりも幾分痩せており、顔色も悪い。白い寝間着姿のせいもあるかもしれないが、気怠げな様子だ。腰まで伸びていた髪は肩甲骨辺りで切られている。
ジェルメーヌが長い髪を器用に結い上げてリボンに絡ませ、肩甲骨辺りまでの長さに見えるようにしているのとは大違いだ。これでは、ロレーヌに帰った際、髪を結うのに苦労することになりそうだ。
「男の子みたいね」
「……一応、男だからね」
「そうだったわね。ところで、ミネットは? 一緒ではないの?」
ステファーヌと一緒に姿を消した侍女のミネットは、当然ステファーヌに付き添っているものだと考えていた。
びくっとステファーヌの身体が震え、強張った顔で唇を噛み締める。
「別の部屋に閉じ込めてある」
ジェルメーヌの疑問に答えたのはクロイゼルだった。
「公子殿を逃がそうとして剣を振り回して騒ぎを起こしたものだから、怪我をしたんだ。命に別状はない」
「……本当に生きているかどうか、わかったものじゃない。わたしに会わせようとしないじゃないか」
吐き捨てるようにステファーヌが呟く。
「侍女が傷を負ったのを見た公子殿が激高して暴れたものだから、隔離してあるだけだ」
言い訳がましくクロイゼルが告げる。
「ステファーヌ。これはどうしたの?」
ステファーヌの左手首の包帯に気付いたジェルメーヌは、抑揚のない声音で尋ねた。
「――ちょっと、怪我をしただけ」
俯いてステファーヌがぼそぼそと答える。
「公子殿は侍女の事件と、直後のその怪我があって以来、食事を摂らなくなった。水もほとんど飲まず、絶食を続けて今日で三日目だ」
ため息交じりにクロイゼルがジェルメーヌに耳打ちする。
「これが、あなたの言っていた問題ってこと?」
「そうだ」
クロイゼルが大きく頷く。
確かにこれでは、ステファーヌとフランソワ公子をすり替えることはできない。
痩せ細ったステファーヌは、すっかり面変わりしており、もしフランソワ公子としてプラハへ辿り着くことができたとしても、カール六世に気に入ってもらえるかどうかは微妙だ。それ以前に、戴冠式の途中で倒れでもすれば、ロレーヌ公国の恥となる。
トロッケン男爵らに必要なのは、完璧な姿をしたロレーヌ公国の公子だ。
「確かにこれは、深刻な問題ね」
ジェルメーヌが顔を顰めたとき、部屋の扉を叩く音が響いた。
さきほどの男が、盆の上に料理を載せて運んできたのだ。
クロイゼルはそれらを受け取ると、顎で男を追い払い、自分で料理を手早く円卓の上に並べる。
「公女殿、腹が空いたのだろう? 食べるといい」
ひとり分にしては多い食事は、パン、焼いた肉、揚げた魚、茹でた馬鈴薯、人参など様々な物が大きな皿の上に乗っていた。どうやら公子の好みがわからないため、すぐに調理できるものをひとまず作ったようだ。
分厚い肉には濃厚なソースがたっぷりとかかっており、白い湯気が立っている。
「あら、気が利くわね。ありがとう。ねぇ、ステファーヌも食べましょうよ」
できるだけ声を弾ませながらジェルメーヌがステファーヌの手を引くと、相手は首を横に振った。
「わたしはいらない」
覇気のない声でステファーヌは答える。
「お腹を空かせたままでは、怪我は治らないし、ミネットは助けられないじゃないの」
ひとまずステファーヌから手を離すと、寝台から滑り降りたジェルメーヌは料理の方へと向かった。
燭台を手にしたクロイゼルが近づいてきて初めて、ステファーヌはジェルメーヌの格好に気付いたようだ。目を丸くして、ジェルメーヌの服に触れる。質素な服というだけではなく、ジェルメーヌが明らかに男装していることに驚いたらしい。
「いつもは公子らしく着飾っているのだけれど、今日はお忍びで町を散策していたものだから、こんな格好なの。ステファーヌこそ、どうしたのよ」
ジェルメーヌに抱きつかれたステファーヌが苦しそうに咳き込んだため、彼女は腕を緩めると、まじまじと相手の姿を観察した。
ロレーヌで最後に見たときよりも幾分痩せており、顔色も悪い。白い寝間着姿のせいもあるかもしれないが、気怠げな様子だ。腰まで伸びていた髪は肩甲骨辺りで切られている。
ジェルメーヌが長い髪を器用に結い上げてリボンに絡ませ、肩甲骨辺りまでの長さに見えるようにしているのとは大違いだ。これでは、ロレーヌに帰った際、髪を結うのに苦労することになりそうだ。
「男の子みたいね」
「……一応、男だからね」
「そうだったわね。ところで、ミネットは? 一緒ではないの?」
ステファーヌと一緒に姿を消した侍女のミネットは、当然ステファーヌに付き添っているものだと考えていた。
びくっとステファーヌの身体が震え、強張った顔で唇を噛み締める。
「別の部屋に閉じ込めてある」
ジェルメーヌの疑問に答えたのはクロイゼルだった。
「公子殿を逃がそうとして剣を振り回して騒ぎを起こしたものだから、怪我をしたんだ。命に別状はない」
「……本当に生きているかどうか、わかったものじゃない。わたしに会わせようとしないじゃないか」
吐き捨てるようにステファーヌが呟く。
「侍女が傷を負ったのを見た公子殿が激高して暴れたものだから、隔離してあるだけだ」
言い訳がましくクロイゼルが告げる。
「ステファーヌ。これはどうしたの?」
ステファーヌの左手首の包帯に気付いたジェルメーヌは、抑揚のない声音で尋ねた。
「――ちょっと、怪我をしただけ」
俯いてステファーヌがぼそぼそと答える。
「公子殿は侍女の事件と、直後のその怪我があって以来、食事を摂らなくなった。水もほとんど飲まず、絶食を続けて今日で三日目だ」
ため息交じりにクロイゼルがジェルメーヌに耳打ちする。
「これが、あなたの言っていた問題ってこと?」
「そうだ」
クロイゼルが大きく頷く。
確かにこれでは、ステファーヌとフランソワ公子をすり替えることはできない。
痩せ細ったステファーヌは、すっかり面変わりしており、もしフランソワ公子としてプラハへ辿り着くことができたとしても、カール六世に気に入ってもらえるかどうかは微妙だ。それ以前に、戴冠式の途中で倒れでもすれば、ロレーヌ公国の恥となる。
トロッケン男爵らに必要なのは、完璧な姿をしたロレーヌ公国の公子だ。
「確かにこれは、深刻な問題ね」
ジェルメーヌが顔を顰めたとき、部屋の扉を叩く音が響いた。
さきほどの男が、盆の上に料理を載せて運んできたのだ。
クロイゼルはそれらを受け取ると、顎で男を追い払い、自分で料理を手早く円卓の上に並べる。
「公女殿、腹が空いたのだろう? 食べるといい」
ひとり分にしては多い食事は、パン、焼いた肉、揚げた魚、茹でた馬鈴薯、人参など様々な物が大きな皿の上に乗っていた。どうやら公子の好みがわからないため、すぐに調理できるものをひとまず作ったようだ。
分厚い肉には濃厚なソースがたっぷりとかかっており、白い湯気が立っている。
「あら、気が利くわね。ありがとう。ねぇ、ステファーヌも食べましょうよ」
できるだけ声を弾ませながらジェルメーヌがステファーヌの手を引くと、相手は首を横に振った。
「わたしはいらない」
覇気のない声でステファーヌは答える。
「お腹を空かせたままでは、怪我は治らないし、ミネットは助けられないじゃないの」
ひとまずステファーヌから手を離すと、寝台から滑り降りたジェルメーヌは料理の方へと向かった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す
矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。
はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき……
メイドと主の織りなす官能の世界です。
父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし
佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。
貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや……
脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。
齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された——
※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
富嶽を駆けよ
有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★
https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200
天保三年。
尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。
嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。
許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。
しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。
逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。
江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
東洲斎写楽の懊悩
橋本洋一
歴史・時代
時は寛政五年。長崎奉行に呼ばれ出島までやってきた江戸の版元、蔦屋重三郎は囚われの身の異国人、シャーロック・カーライルと出会う。奉行からシャーロックを江戸で世話をするように脅されて、渋々従う重三郎。その道中、シャーロックは非凡な絵の才能を明らかにしていく。そして江戸の手前、箱根の関所で詮議を受けることになった彼ら。シャーロックの名を訊ねられ、咄嗟に出たのは『写楽』という名だった――江戸を熱狂した写楽の絵。描かれた理由とは? そして金髪碧眼の写楽が江戸にやってきた目的とは?
三国志「街亭の戦い」
久保カズヤ
歴史・時代
後世にまでその名が轟く英傑「諸葛亮」
その英雄に見込まれ、後継者と選ばれていた男の名前を「馬謖(ばしょく)」といった。
彼が命を懸けて挑んだ戦が「街亭の戦い」と呼ばれる。
泣いて馬謖を斬る。
孔明の涙には、どのような意味が込められていたのだろうか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる