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六日目

6-3

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 放課後。
 朝の電車以降アプリが起動することもなく、一日の授業を終えた。しかし今朝のブーストの上、本来の遅効性の効果が発揮されつつある中、陸人の心身は予想以上に追い詰められていた。
 それでもまだ、帰るわけにはいかない。
「ぶかつ……」
「いや無理だろ」
 振り返った田代にたしなめられて、渋々顧問へ一報を入れた。そうしてノロノロと下駄箱で靴を履き替えている時だった。
「先輩」
 背にかけられた声に振り返る。
「藤沢?」
 見知った後輩は「もう帰るんすか」と片手に靴を持って駆け寄ってきた。
「おー。風邪がな。あれから放っておいたらひどくなってきて」
「それ、本当に風邪なんすか」
 足元に下げかけた視線を戻して、横に立つ後輩を見た。相変わらずの仏頂面からは何も読み取れない。
「風邪だろな。喉、いたいし」
 靴を履き、昇降口へと歩みを進める。藤沢が後を追ってきた。そのまま正門を越えてもついてくる。 
「おまえ、なに、部活行けよ」
「昨日も体調悪かったって聞きました」
 昨日はきのうで、一日中ケツが疼いてて……ほわんと浮かんだ記憶を慌ててかき消す。
「そんなのだれから聞いたんだ」
「髙山先輩」
「アイツの言うこと真に受けんなって」
「仲悪いんすか」
「わるいっつーか、あいつが一方的に……おい」
 駆け足で進むうちに駅に着いてしまった。陸人は眉を寄せて藤沢を見る。
「どこまでついてくる気だよ。まじで、部活行けって」
 それでも歩みを止めようとしない後輩から、逃げるように改札をくぐり、
「話があるんです」
「はなし?」
 タイミングよく到着した電車に乗りこむと、向かいのホームに着いた鈍行列車からひとがなだれこんできた。あれよあれよという間に逆側へと追い込まれ、同じ流れに乗った藤沢と扉端の壁に挟まれる。更に追い打ちの駆け込み乗車により、四方から潰され、お互いの体が密着した。その唇が、耳元を掠める。
「この時間も混むんすね」
 プシューッとドアが閉まり、
「それで先輩、先週のことなんですけど」
「ひゃう」
「え?」
「藤沢おまえ、喋んな」
「……え」
 しょげかけた目の前の顔に、いや、と続ける。
「その、電車だから。もう少し声、おさえろ」
「これでいいですか」
 藤沢の声が低い囁き声に変わる。余計に自らを追い詰める結果になるももはや前言撤回できず、ダイジョウブと答えた。
「それで、先輩」
 そわそわと耳に触れる吐息。鼓膜を響かす低音。
「先週の金曜日、部活終わりにおれの家きたじゃないですか」
 アオと似ているのが、余計に、
「そん時におれのあ」
 電車が大きく揺れた。背を押された藤沢の右足が、陸人の両腿の間に入りこむ。
「あ、すみません」
 引っこ抜こうと膝を浮かせるも、背後からの圧により押し戻される。更にはまり込んだ太ももは、確実に陸人の股のあいだを捉えていた。
 電車が揺れる。
 ガタゴトと音を鳴らすまま、押し上げられた股間も上下に揺さぶられ、左右に揉まれ、陸人は真顔を装う表情の裏で、理性と忍耐の糸をギリギリと繋ぎとめていた。
「っ……、っ……」
 制服越し。硬い腿に敏感な部分をぐりぐりと捏ねられるたび、下半身に走る強い痺れ。吐息を濡らす甘い感覚。一日中焦らされたような肉体には、あまりに酷な刺激だった。
「ん、っ……ッ♡」
 跳ねあがりそうな腰を必死に押しとどめながら、陸人は頭のなかに今日習った三角関数のグラフを描いた。数式を紐解き描かれていくその曲線は、しかし藤沢のかすかな身じろぎによってぐにゃりと明後日の方へ曲がり、思考を現実に引き戻す。
 最悪だ。
 なにも知らない後輩を前に、なにも知らない後輩で、変な気分になってる自分が最悪だった。
 けれど、無機質な玩具とはちがう。弾力のある肉が与える不規則な圧が、密着するからだから伝わる体温が、本能に近い欲を刺激する。高まる性感に触発された媚毒が猛威を奮い、顔が、からだが、とめどなく熱くなっていく。
 だめだ。このままじゃ、言い逃れのできない反応が露呈してしまう。どうにかして気を散らさなければ。考えろ。なにか、難しいことはだめだ、もっと。なんでもいい、なにか、くだらないことを……陸人はちらりと後輩を見上げた。
 藤沢……。
 部室で、ふじさわの……鞄から、蝉が飛びだしてきたの、すげーおもしろかったな。
「……ふ」
 瞬く蝉の羽音と部員の悲鳴。一瞬で阿鼻叫喚と化した部室。それを放った当の本人の、放心したような虚無顔に陸人はひそかに笑いのツボを押されていた。 
「なに笑ってんすか」
「……や、前におまえがさ」
「はい?」
 藤沢が前屈みに身を寄せる。ぐっと太腿が沈みこみ、油断していた陸人のからだがビクンと跳ねた。藤沢が目を瞬かせる。
「な、なあっ、足、抜けてない……っ」
「え、あ、すみません」
 再びひっこ抜こうと足を揺りうごかす。しかし四方八方から圧される車内ではうまくいかず、ただただ敏感な部分を、意思をもった強さで捏ねくりまわされて、
「あぅっ、ん……っ♡」
 鼻を抜けた、甘い声。
 だれだ。電車のなかで喘ぐやつ、なんて現実逃避を許さない余韻。茫然と見上げた先、藤沢は蝉を放ったときと同じ顔をしていた。アナウンスとともに電車が駅に着く。反対側のドアが開くやいなや、陸人は人混みを掻きわけてホームへ降りた。一歩出遅れて追いかけてきた後輩を残して、ドアは閉まり、電車は北へとのぼっていった。





「うぅ……っ」
 帰宅早々、ベッドに沈みこむ。
「さいあくだ、最悪っ……!」
『勃起してなかったんですから大丈夫ですよ。バレてませんって』
「うるせえっ!」
 ぐしゃりとシーツを搔きながら後悔に伏せる。……でも、たしかに。変な声でたっつって笑ってごまかせば、まだいけたかもしれない。なのにあんなあからさまに逃げてしまったら、それはもう、もうだめじゃん。
『まあ月曜日になれば藤沢氏の記憶も薄れてますよ』
 慰めめいた台詞を吐くアオの口から、自分以外の名前がでてきたのははじめてだった。
「……おまえ、藤沢のこと知って」
『それよりもリクト様。そんなハプニングを抜きにしたって、すっかり媚薬にひたひたではありませんか。今日一日平然とした顔をしながら、一体どれだけエッチなことを考えておられたんですか?』
「これはだって、朝の、あれが」
 おまえが……とまで言って口を閉じる。それをいってしまえば、自分の声に発情した変態になる。冷静になれ。従順を装うにしろ、心は平静を保っていなければ。
「……それで、今日のミッションは?」
 黙ってそれやっときゃいいんだろ。そんな態度で問いかけるも、
『今日はもう終わりましたよ?』
 一瞬で崩される。
『今朝お伝えしたじゃないですか。本日のはあの薬を飲んでいただくだけだと』
「……は、え、じゃあ」
 これは?
 この全身をめぐる腫れぼったい熱は、どうすれば。
『ふふ。きもちよくしてほしいですよね、いつもみたいに散々に高ぶらせたからだを快感でめちゃくちゃにされてしまうことを期待されてましたよね? でもだめです。もはや最終日に向けての調整に入りましたので、明日のその瞬間まではすべてオアズケです。ちなみに薬の効果は二十四時間続きます。わかりますか? リクト様。要するに明日の朝までお触り禁止のまま媚薬漬けです♡ もちろん自慰も禁止ですよ。どれだけ体が焦れて、ほしくなっても、ご自分で触ったりしてはいけません。触ってしまったなら、もう一度。最初からやり直しです。その場合は昨日と同様に繰越ペナルティが付与されますので、正気を保っていたいようであればおすすめ致しません』
 理解したくもない言葉の羅列を、しかし理解していくともに溢れる不安と混乱。
「むり、……っ」
 そんなのむりだ。だって、からだはすでに限界だった。朝のアオのねちっこい甚振りからはじまり、トドメの後輩による無自覚股間マッサージ攻撃で、火を灯されたからだは刺激を求めて強く疼いている。さっき、一度得られた快感が忘れられない。油断すれば人肌の快感をおもいだして、締めつけるような痺れが秘部を包む。
「っ……ん、ぅ……♡」
 半ば無意識に腰が揺れる。性器を慰める衣服のこすれを、目ざとく咎められた。
『リクト様。それをもう一度されたら、最初からやり直しですよ』
「そ、んな……っ、言われたって」
『触れてはいけませんが、欲しがるだけなら自由です。それが慰めになるのであれば、どうぞお好きに。今朝のように想像してみますか? 今そのぐずぐずのペニスをおもいきり扱けたら、どれだけきもちがいいか……』
「ぁ、っ……」
『ぬるぬるの先走りを塗りひろげて、そのままくちゅくちゅって音が鳴るほど扱きたてて、射精したくて口を開いている尿道も、亀頭と一緒に撫でまわしてあげましょうね。く~るく~るって……ふふ、ゆっくりがお好きですか? それとももっと強い方がいいですか? リクト様のお好きなようにしてあげますよ。ほら、じわじわ追い詰められるのと、めちゃくちゃにされて射精できないまま何度もイかされるの、どっちがいいですか?』
「うっ、うるさいっ! ぜんぶいらないっ……もう、喋るな……!」
 淫靡で魅力的な想像にペニスが疼き、射精欲が沸く。それはわかる。しかし、つられるようにその奥、窄まりまでがキュンキュンと疼くのはなんだ。言われてもないのに、腹の奥が昨日のディルドの感触を思いだす。めいいっぱい広げられて、奥を突かれる感覚。弱いところを穿たれる、自我が突き崩されるような快感を、
「っ───!」
 陸人は耳元を押さえ、ベッドの上で身を縮こまらせた。
『おや』
 もうなにも考えない。なにも見ない。明日になるまで、一切の刺激を断って耐えしのぶ。
『いいんですか? 今日のうちに少しでも発情ゲージを溜めておいた方が楽ですのに。わたくしとしては明日の楽しみが増えるばかりなのでかまいませんが』
 発情ゲージってなに。いやもうどうでもいい。なんだろうが、なんであろうと。明日でおわりだ。熱いのも、苦しいのも……しぬほど、きもちいいのも。明日を乗り越えれば終わる。日常を取り戻せる。陸人はその一心で、深い疼きに苛まされながら一夜を明かした。

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