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Vol.01 - 復活

01-038 脱出

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 外で待機していたギンジたちの目の前に、ナオをお姫様抱っこしたケイイチが飛び出してくるのと、建物の上階で小さな爆発音がして、小窓を突き破って炎が噴き出すのが同時だった。

「ぁンだ?」
 塀に背を預け紫煙をくゆらせていたギンジは、慌てて携帯灰皿に煙草を押し込むと、懐の拳銃に手をかけた。

 走り出てきたケイイチ達を追う者の姿はない。博士に追われる形で逃げ出してきた、というわけではなさそうだ。
 代わりに二人を追うように玄関からは煙が吹き出し、煙の向こうには踊る炎が見える。
 火事――?
 嬢ちゃんが何かしたのか?
 全く想定していなかった出来事に、さすがのギンジも戸惑いを隠せない。

「どうなってる!?」
 飛び出してきたケイイチに詰め寄ると、ケイイチはそこにギンジがいるとは思いもよらなかったのだろう。「え? あ」と戸惑う様子を見せた後、相手がギンジだと理解するや、その顔にわかりやすく安堵の色を滲ませた。

「あの、えっと、火が出て、先輩が急に倒れて、えっと……」
「お前らだけか? 博士は?」
「博士は、えっと、中で、亡くなって……と、とにかく先輩を!」
 ケイイチが言い終わらないうちに、駆け寄ってきたハルミがギンジを押しのけ、無言でケイイチの手からナオを奪い取ると、近くの木陰に横たえ、テキパキと処置らしきことを始めた。
 一瞬呆気に取られたギンジも、すぐにそれで問題ないと判断したのだろう。「OK、細かい話は後で聞く。消火活動!」と周囲の警官やアンドロイド達に指示を出し始めた。

一方のケイイチは、二人のあまりに迅速な対応に頭が着いていかず、しばらく呆けた顔で立ち尽くし、数秒してようやく我に返ると、皆の邪魔にならないように敷地内の少し離れた場所に移動した。

 とりあえず……助かった。
 両手両足がぷるぷると震えている。
 心臓が未だにバクバクと鳴っている。
 呼吸がなかなか整わない。
 ナオを抱えて走ってきたから、というだけではない。
 正直、色々と危うかった。
 部屋の奥から火が噴き出し、同時にナオが倒れた時は本当にパニックになった。
 頭が真っ白になってしまい、単にナオを抱きかかえて脱出すればいい、というごく普通の事を考えつくのにも時間がかかる始末。
 その後も、どこから外に出られるのかも分からず右往左往し、ナオが入ってきた扉から出ればいい、という当たり前の事に気付く頃には、室内は火の海。
 重い扉を開けるのにも四苦八苦で、あと少しでも遅かったら、間違いなく二人とも煙に巻かれて死んでいただろう。
 考えるだけでゾッとする。

 それでも――こうして無事生きて外に出られたのだし。
 何より倒れた先輩を無事火災現場から助け出せたのだし。
 これはもう、アレだ。
 ヒーローっぽい行動だった、と言っていいだろう。
 うん、だから、そう。
 この手足の震えは武者震いってやつで、マジのマジで怖かったとかそういう事じゃないし。
 何ならほんのちょっとだけチビってるけど別に迫り来る炎が怖かったとかないし。
 ちょっち持ち前の冷静な判断力も、火事場の馬鹿力も見せる機会がなかっただけで。
 うん。きちんと先輩を助けたわけだし。
 助けた……し……。
 ……
 ……

 ……ああああああほんと助かってよかったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
 ……マヂで死ぬかと思った。
 内心で滝のような冷や汗を流しながら、ケイイチは今こうしてナオ共々生きて外に出られたことに、心の底から、全身全霊で感謝を捧げた。

 しかし、そんなケイイチの耳に――
「ナオ……そんな……」
 ハルミのどこか悲しげな声が届いた。
「え……?」
 ハルミのその声色に、ケイイチはぎゅっと心臓を掴まれたような心地になる。
 いや、まさか……
 運び出す間、ナオは確かに息もしていたし、血色も悪くはなかった……と思う。
 倒れる直前、ナオは辛そうな表情を幾度となく浮かべながら凍った博士の首を落としていたわけだし、きっとまた電脳に負荷がかかって気絶したのだろうと思っていた。
 なのに――まさか、深刻な状況なのだろうか。
 煙を吸った?
 一酸化炭素中毒?
 運び方が悪かった?
 嫌な予想がケイイチの脳内を駆け回る。

「ダメです……そんな……」
 ハルミの声の深刻感が増していく。
 アンドロイドとはこんなにも豊かに感情表現するものだったか――というほどに、その声色は悲嘆に満ちていた。
 ケイイチは慌ててナオの側に駆け寄る。
 ハルミはナオの胸に顔を埋め、今にも泣き出しそうな様子だ。
 ケイイチの心臓が早鐘のように鳴る。
 せっかく博士が先輩を――
 なのに、そんな……。
 そんな結果は、そんな結果だけは――

 ケイイチは下唇を噛みしめ、涙が出そうになるのをぐっと堪える。
 と――
 そんな二人の様子に気づいたのか、いつの間にか後ろに立っていたギンジが、静かにケイイチの肩に手を置いた。
 ケイイチは振り向き、泣き出しそうな目でギンジを見る。
 ギンジはいたたまれない、といった表情を一つ浮かべると――言った。
「医療スキャンしてみろ」
「へ……?」
 何かしらのダンディな慰めの言葉を予想していたケイイチは、言われた事の意味が一瞬わからず、間の抜けた声を漏らす。

 慌ててケイイチは言われたとおりスキャンをかけてみる。と――
 診断結果には「低血糖」とだけ表示されていた。
 瀕死だとか生命の危機だとかいったことはどこにも書かれていない。
 要するに、空腹で倒れたというだけのこと。命にはまるで別状ない。
「へ?」
「中で嬢ちゃん色々と考えるような事してたか?」
「……はい、多分」
「じゃ、そのせいだな」
「え……? じゃあ、ハルミさんのアレは」
「たまにああいう事するんだよなぁあのアンドロイドは」
「……」
 やれやれ、といった様子で首を横に振るギンジの横で、ケイイチは赤面しつつ絶句するしかない。

 要するに、ケイイチを揶揄って遊んでいただけらしい。
 実際、あんな悲嘆の声を上げながらも、ハルミはちゃっかり自身の体から伸びたチューブをナオの手首に繋いで点滴治療を行っている。ナオが本当に生命の危機に瀕していたとしたらそんな事はせず、超高度医療車に運ぶなり何なりの対処を迅速に行っていたはずだ。

 それくらいの事はいちアンドロイドおたくとして理解っていたはずだし、そもそもきちんと確認しなかった自分が悪い。悪いのだけど……。
 あのオーナーにしてこのアンドロイドあり、というところか。
 後でこの話を聞いたナオが大笑いする姿が目に浮かぶ。
「揶揄いがいがあるなぁ兄ちゃんは」
「酷い……さすがにこれは酷い……」
 ぶつぶつと言うケイイチの頭を、ギンジは笑顔でポンポンと叩く。
 でも――よかった。本当に深刻な状態じゃなくて。
 ナオが無事だったという安堵と、ここまでの度重なる緊張と疲労も手伝って、ケイイチはへなへなとその場にへたり込んだ。

 そんなケイイチの様子に、少しは悪いと思ったのだろうか。
「ま、でも格好良かったぜ。嬢ちゃんを助けてくれてありがとな」
 ギンジはケイイチに労いの言葉をかける。
 が、すぐに追い打ちをかけるように、
「その前にあっさり人質になってんだからプラマイゼロだがな」
「すぐに落とすなら持ち上げんでください……」
 そう。そもそも自分が誘拐されてなければ、ナオはこんな危ない目に遭わずに済んだかもしれないのだ。その事を思い起こし、ケイイチはがっくりとうなだれる。

 ……ああ、やっぱり死にたい。
 広い山林にうっかり迷い込んで誰にも気づかれる事なくひっそりと野垂れ死んで100年後くらいに発見されて話題になりたい。
 地面にのの字を書きながらいじけるケイイチ。

 その頭を、慰めるんだか面白がるんだか、ギンジは再びポンポンと叩くと、ギンジは煙草に火をつけて一吸いした。
 火事の現場で煙草を吸うというのも中々に非常識な話だが、そもそもこの博士の邸宅のような、プライベート持ちによるプライベート空間でなければ、火災などというものは起こり得ない。
 火を点けたら不味い場所ではそもそも火が点かないので、点火できた時点でここは吸っても問題ない場所なのだ。
 ギンジはふぅっ、と煙を吐き出すと、ケイイチの頭頂部を見ながら、言った。
「……で、だ」
「……?」
「中で何があった?」
「あ、えっと……」
 それからしばらく、ケイイチはギンジに中であった事を説明させられる事となった。

「椅子にこう縛り付けられまして……あっ」
助かった安堵と、ハルミに揶揄われたショックで、ケイイチはうっかりを説明しかけてしまい、『この事は、ギンさん達にも秘密』と言ったナオの言葉を思い出し、顔面蒼白になった。
「ん?どうした?」
「いや何でもないです!」
 そうだ、これはギンさんであっても言ってはいけない事だった。
 ケイイチは冷や汗をかきながら、慌てて軌道修正を試みる。

 とはいえ、あの時はナオのやっている事が気になってしまい、さらに火災だのナオが倒れるだのあって、渡されたシナリオをまともに記憶する時間がなかった。覚えていたのはおおまかな流れと前半少しだけだし、覚えているところも所々怪しい。
(どうしよ……)
 内心で冷や汗をダラダラ流しつつ、確信が持てないところはだいたい気絶していた事にして、気付いた時には博士が自殺してナオが倒れていた、という感じで逃げ切れないかと必死に悪あがく。
 だが、相手は対人スキルのすこぶる高い、経験豊富な警察官だ。
 ちょっとした矛盾や気になるところをビシバシツッコまれ、ケイイチはしどろもどろになりながら何とか答えを紡ぐ。
 これはさすがに限界……とケイイチがギブアップしかけたところで、横でナオが目覚める気配があった。

「お、気づいたか」
「ん」
 助かった……とケイイチが胸を撫で下ろしていると、ナオは周囲と腕に刺さったチューブを確認して、即座に自分の置かれた状況を把握したようだ。
「思ったより汚れてる」
 ハルミに手を借りながら体を起こし、少し煤けたり汚れたりしている自身の体を確認し、ケイイチを睨む。
「運ぶの下手?」
「ああええとこれには深い理由が!」
「どうせ出口が分からなくて時間かかったとかでしょ」
「……」
 図星を突かれてぐうの音も出ないケイイチ。
 これはこれで針のむしろ……!
 ケイイチはまるで救いのない状況に再び喜びの汁……ではなくて冷や汗を流した。

「とりあえず、中で何があったか聞いてもいいか」
「ん」
「兄ちゃんに話聞いてるんだが、どうも要領得なくてな」
「助手の頭じゃ仕方ない」
 さすがにあの時間じゃ覚えきれなかったか。ナオはおおよその状況を察する。
「だって……だいたい気絶してて……」
 ケイイチがぼやくように言う。
 なるほどそういう事にしたか。
 変に作って伝えられるよりはだいぶマシだ。

 ナオはケイイチがおおよそ気絶していた、という事を話に組み込み、火災の事も含めて微調整しつつ、ギンジに事の詳細を説明した。
 もちろん、本当の事は何も言わない。
 状況と矛盾しない作り話を組み立て、言外にケイイチにもきちんと覚えるようにと圧力をかけながら、ギンジの問いに答えていく。
「じゃあ、博士は……」
「死んだ。自殺」
「そうか」
 ギンジは眉を小さく動かし、ナオを見た。
 ナオの表情は、静かだった。

「あの火は、博士が?」
「そ」
「何のためだ?」
「危険な研究をしてたから。外に出さないため」
 ナオは言いながら、消火がほぼ終わり、ところどころ黒焦げになった博士の邸宅を見上げた。
夕日に照らされ、橙色の中にシルエットを刻むその家には、博士との幼少期のたくさんの思い出が詰まっている。

 ハルミに無茶な事をさせて怒られた事。
 ブーストしすぎて怒られた事。
 学校でトラブルになって大泣きして困らせた事。
 一緒にやった研究。
 倒れてしまい、おぶって運ばれた時のあの大きな背中。
 頭を撫でられたときの手の大きさ。
 その一つ一つを、ナオのよくできた電脳は、しっかりと覚えている。
 克明に、リアルに、正確に。
 たとえ家が燃えてしまったとしても。
 博士がこの世からいなくなったとしても。
 全て、覚えている。
 記憶の中のおじさんに、いつでも会いに行ける。
 今日、ボクのために命を賭け、命を差し出した、あのおじさんにも。
 だって――
 この頭に入っているのは――おじさん曰く――誰よりも美しく、だれよりも素晴らしい電脳なのだ。
 だから、忘れない。
 忘れるはずがない。

 でも――
 ――そうか。
 もう、おじさんとの新しい記憶は作られないんだな。
 ナオはようやく、悲しい、と思った。
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