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Vol.01 - 復活
01-029 対峙
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「変わらないな」
車を降り、無骨な塀に囲まれて建つ博士の邸宅を見上げ、ナオは小さく独りごちた。
郊外にそびえ立つ、3階建ての、無機質な白い直方体。
家というよりも、どこかの企業か研究所か、という佇まいだ。
妻子もおらず、研究に生涯を捧げきっている博士のこの邸宅は――昔と変わっていなければ――事実、寝室を除いてほぼ全てが研究用の施設として機能しているはずだ。
趣味らしい趣味もなく、何か趣味があるとすればそれは研究だと言って憚らなかった、そんな博士の人柄と人生をまさに体現するような家――と、あの頃は思っていた。
今は――どうだろう。
あの黒ずくめの服装や、横柄な言動。まるで理解できないその行動。
数年を経て起こった博士の変化が、この愚直で真っ直ぐな建物とはどこか不協和だ。
ナオが玄関の前に立つと、扉はナオを迎え入れるように自動で開いた。
開いた扉の先には、幼い頃に見たそのままの光景がある。
何の色気もない、ただただ実用的なだけの真っ直ぐな廊下の先に、重そうな扉。
この扉はたしか、様々な研究のため、遮音性や防磁性など高めた結果やたら分厚くなってしまったんだったか。開け閉めが不便だと博士がぼやいていたのを思い出す。
そんな重たい扉を押し開け、ナオは室内に歩を進める。と――
「ようこそ」
ラクサ博士の、どこか芝居がかった高らかな声が響いた。
声のした方向に目を向けると、革張りのオフィスチェアに腰掛けた博士がくるりと体を回し、ナオのほうに向き直る様子が目に入った。
ここしばらくですっかり見慣れてしまった、黒ずくめの姿。ただ、室内だからだろう。コートや帽子は身につけていない。代わりに全身に纏った薄い強化外骨格が鈍く黒光りしている。
そして、そのすぐ横には、送られてきた動画のほぼそのままの姿でケイイチが拘束されていた。
「助手は無事?」
「へん……はい……」
ナオの言葉に、ケイイチが言葉にならない声で返事した。
猿ぐつわやテープなどで口を封じられているわけではないのだが、口が思うように動かないらしく、どうにもうまく喋れないようだ。筋弛緩剤かなにかを打たれているのかもしれない。
それを除けば特に外傷などもなく、暴れて痛い目に合わされたとか、拷問を受けたとかいった様子はない。ただでさえ情けない顔がよりいっそう情けない表情になっていたたまれないし何なら不快にすら感じる事を除けば、特に問題はなさそうだ。
ナオは少しばかりほっとして、長い息を一つ吐き出す。
吐き出す息と共に体から力みが抜けていくのを感じ、ナオは微かに自嘲した。
思った以上に緊張していたようだ。助手ごときのために緊張していたとかまったく笑えない。
「ははへ……は……」
そんなナオをよそに、ケイイチは引き続き何やらフガフガ言っている。
「ふふ……へ……」
何か伝えたい事があるのか、必死に口を動かしているが、伝えんとする内容はまるでわからない。
ただ、その妙に必死な様子は少し気になる。ナオは試みにそのメッセージを読み解こうとしてみる――が、一足遅かったようだ。先に博士のほうが反応した。
「余計な事は言わないほうが吉、ですよ?」
博士は底冷えのするような笑顔をケイイチに向けながらそう言うと、胸ポケットから一つのスイッチを取り出してみせた。
「ナオ君も……わかりますね?」
言われずとも、気づいていた。
送られてきた動画の時にはなかったものが、ケイイチの首に巻き付いている。
たくさんのアンドロイド達、そして一度は博士自身の首までも切り落とした、首輪型ギロチンだ。
つまり、あのスイッチは――
――いや、予断は禁物だ。
この男には、もう何度も裏切られている。
ギロチンの起動スイッチのように見せておいて、全く違う役割のスイッチである可能性もある。
だが、その通りのスイッチである可能性もある以上、不用意に動けなくなった。
博士はそんな二人の様子に満足したように一つ頷き、
「さて……私が貴女をここに呼んだ理由は、わかりますよね?」
「ん」
「私が求めるのはただ一つ。貴女のその醜い電脳だけです」
「ボクの頭を差し出したら、助手の安全は保証されるの?」
「イエスだと言ったら、貴女はその頭を差し出すと?」
「そうしてもいい」
「ほう……?」
ナオの返答が予想外だったのか、博士は片眉を持ち上げ、少々驚いたような表情を見せた。
博士の横ではケイイチが「へんはい!」と抗議の声を上げてジタバタしているが、無視。
「どうでしょうね」
一方の博士はそう言って僅かに俯き、口元に手を置いた。
そのポーズは、ナオが幼少期に幾度となく見た、博士が考え事をする時のものに違いなく、この男がやはりあのおじさんなんだと実感させられ、ナオは少しばかり悲しくなった。
だが、そんな事はブースト時に散々に分析し尽くしたこと。
この男が博士以外の何者かである可能性はほぼゼロだ。
今はそんな事で気持ちを揺らしている場合じゃない。
ナオは自身の感情を抑え込み、キッと威嚇するように博士を真っ直ぐに見つめる。
博士はその視線を軽々と受け止め、姿勢を変えずに目だけでぎろりとナオを見返すと、言った。
「正直なところ、アンドロイドばかり壊すのにも少々飽きてきてましてね。貴女を壊した後で、うっかりこの少年も壊してしまうかもしれませんねぇ」
そんな博士の言葉に、すぐ横でケイイチの表情が分かりやすく驚きと焦りに染まっている。
あのバカ助手のことだ。実際に自分の命に危険が及ぶシナリオがあるなんて、現実として想像できていなかったのかもしれない。
何ともわかりやすいケイイチの様子に半ば呆れながら、しかしナオは少しだけ――本当に少しだけ、感謝もする。
ナオの脳は、人の死の可能性がちらりとでも見えると、途端にざわつき始める。
そんな脳を落ち着かせ、平静でいるために、ケイイチの救いようのない情けない姿も少しくらいは役に立つ。
「おじさんを倒すしかないの?」
「確実に助けたいのなら、そうするべきでしょうね」
ナオの静かな問いに、博士は挑発するような笑みで応える。
その目の奥に宿るのは、好戦的な凶気――
「そ」
ナオは短く返事をして、ふぅ、と小さく息を吐いた。
やるしか無い。
ここに来た時点で、どうせこうなるだろうとは思っていた。
言葉でわかり合う望みは、過去3度の対峙ですでに打ち砕かれている。
対話は暴力の後。
博士を完全に無力化し、助手の安全を確保できてからだ。
ナオは右ポケットからキャンディを一つ取り出し、咥えた。
覚悟を決めて、思考速度を一段上げる。
全てがスローモーション化するナオの視界の中で――
博士はすでに椅子の上から消えていた。
車を降り、無骨な塀に囲まれて建つ博士の邸宅を見上げ、ナオは小さく独りごちた。
郊外にそびえ立つ、3階建ての、無機質な白い直方体。
家というよりも、どこかの企業か研究所か、という佇まいだ。
妻子もおらず、研究に生涯を捧げきっている博士のこの邸宅は――昔と変わっていなければ――事実、寝室を除いてほぼ全てが研究用の施設として機能しているはずだ。
趣味らしい趣味もなく、何か趣味があるとすればそれは研究だと言って憚らなかった、そんな博士の人柄と人生をまさに体現するような家――と、あの頃は思っていた。
今は――どうだろう。
あの黒ずくめの服装や、横柄な言動。まるで理解できないその行動。
数年を経て起こった博士の変化が、この愚直で真っ直ぐな建物とはどこか不協和だ。
ナオが玄関の前に立つと、扉はナオを迎え入れるように自動で開いた。
開いた扉の先には、幼い頃に見たそのままの光景がある。
何の色気もない、ただただ実用的なだけの真っ直ぐな廊下の先に、重そうな扉。
この扉はたしか、様々な研究のため、遮音性や防磁性など高めた結果やたら分厚くなってしまったんだったか。開け閉めが不便だと博士がぼやいていたのを思い出す。
そんな重たい扉を押し開け、ナオは室内に歩を進める。と――
「ようこそ」
ラクサ博士の、どこか芝居がかった高らかな声が響いた。
声のした方向に目を向けると、革張りのオフィスチェアに腰掛けた博士がくるりと体を回し、ナオのほうに向き直る様子が目に入った。
ここしばらくですっかり見慣れてしまった、黒ずくめの姿。ただ、室内だからだろう。コートや帽子は身につけていない。代わりに全身に纏った薄い強化外骨格が鈍く黒光りしている。
そして、そのすぐ横には、送られてきた動画のほぼそのままの姿でケイイチが拘束されていた。
「助手は無事?」
「へん……はい……」
ナオの言葉に、ケイイチが言葉にならない声で返事した。
猿ぐつわやテープなどで口を封じられているわけではないのだが、口が思うように動かないらしく、どうにもうまく喋れないようだ。筋弛緩剤かなにかを打たれているのかもしれない。
それを除けば特に外傷などもなく、暴れて痛い目に合わされたとか、拷問を受けたとかいった様子はない。ただでさえ情けない顔がよりいっそう情けない表情になっていたたまれないし何なら不快にすら感じる事を除けば、特に問題はなさそうだ。
ナオは少しばかりほっとして、長い息を一つ吐き出す。
吐き出す息と共に体から力みが抜けていくのを感じ、ナオは微かに自嘲した。
思った以上に緊張していたようだ。助手ごときのために緊張していたとかまったく笑えない。
「ははへ……は……」
そんなナオをよそに、ケイイチは引き続き何やらフガフガ言っている。
「ふふ……へ……」
何か伝えたい事があるのか、必死に口を動かしているが、伝えんとする内容はまるでわからない。
ただ、その妙に必死な様子は少し気になる。ナオは試みにそのメッセージを読み解こうとしてみる――が、一足遅かったようだ。先に博士のほうが反応した。
「余計な事は言わないほうが吉、ですよ?」
博士は底冷えのするような笑顔をケイイチに向けながらそう言うと、胸ポケットから一つのスイッチを取り出してみせた。
「ナオ君も……わかりますね?」
言われずとも、気づいていた。
送られてきた動画の時にはなかったものが、ケイイチの首に巻き付いている。
たくさんのアンドロイド達、そして一度は博士自身の首までも切り落とした、首輪型ギロチンだ。
つまり、あのスイッチは――
――いや、予断は禁物だ。
この男には、もう何度も裏切られている。
ギロチンの起動スイッチのように見せておいて、全く違う役割のスイッチである可能性もある。
だが、その通りのスイッチである可能性もある以上、不用意に動けなくなった。
博士はそんな二人の様子に満足したように一つ頷き、
「さて……私が貴女をここに呼んだ理由は、わかりますよね?」
「ん」
「私が求めるのはただ一つ。貴女のその醜い電脳だけです」
「ボクの頭を差し出したら、助手の安全は保証されるの?」
「イエスだと言ったら、貴女はその頭を差し出すと?」
「そうしてもいい」
「ほう……?」
ナオの返答が予想外だったのか、博士は片眉を持ち上げ、少々驚いたような表情を見せた。
博士の横ではケイイチが「へんはい!」と抗議の声を上げてジタバタしているが、無視。
「どうでしょうね」
一方の博士はそう言って僅かに俯き、口元に手を置いた。
そのポーズは、ナオが幼少期に幾度となく見た、博士が考え事をする時のものに違いなく、この男がやはりあのおじさんなんだと実感させられ、ナオは少しばかり悲しくなった。
だが、そんな事はブースト時に散々に分析し尽くしたこと。
この男が博士以外の何者かである可能性はほぼゼロだ。
今はそんな事で気持ちを揺らしている場合じゃない。
ナオは自身の感情を抑え込み、キッと威嚇するように博士を真っ直ぐに見つめる。
博士はその視線を軽々と受け止め、姿勢を変えずに目だけでぎろりとナオを見返すと、言った。
「正直なところ、アンドロイドばかり壊すのにも少々飽きてきてましてね。貴女を壊した後で、うっかりこの少年も壊してしまうかもしれませんねぇ」
そんな博士の言葉に、すぐ横でケイイチの表情が分かりやすく驚きと焦りに染まっている。
あのバカ助手のことだ。実際に自分の命に危険が及ぶシナリオがあるなんて、現実として想像できていなかったのかもしれない。
何ともわかりやすいケイイチの様子に半ば呆れながら、しかしナオは少しだけ――本当に少しだけ、感謝もする。
ナオの脳は、人の死の可能性がちらりとでも見えると、途端にざわつき始める。
そんな脳を落ち着かせ、平静でいるために、ケイイチの救いようのない情けない姿も少しくらいは役に立つ。
「おじさんを倒すしかないの?」
「確実に助けたいのなら、そうするべきでしょうね」
ナオの静かな問いに、博士は挑発するような笑みで応える。
その目の奥に宿るのは、好戦的な凶気――
「そ」
ナオは短く返事をして、ふぅ、と小さく息を吐いた。
やるしか無い。
ここに来た時点で、どうせこうなるだろうとは思っていた。
言葉でわかり合う望みは、過去3度の対峙ですでに打ち砕かれている。
対話は暴力の後。
博士を完全に無力化し、助手の安全を確保できてからだ。
ナオは右ポケットからキャンディを一つ取り出し、咥えた。
覚悟を決めて、思考速度を一段上げる。
全てがスローモーション化するナオの視界の中で――
博士はすでに椅子の上から消えていた。
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