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Vol.01 - 復活
01-009 訪問
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◇ ◇ ◇
「そう緊張なさらず」
ケイイチのすぐ近くで、鈴を転がすような柔らかい声が、そんな言葉を紡ぐ。
その美声を聞きながらケイイチは――
「そ、そう言われましても……」
ガッチガチに緊張していた。
ここは都心にほど近い高層マンションの一室。
ケイイチは一週間ほど前、ビルの屋上から飛び降り自殺しようとしたところを二人の警察関係者――ギンジとナオに助けられ、なぜかその場で捜査協力のアルバイトに勧誘された。
あれから何度かのオンラインでのやりとりを経て、二人からいくつかの調べ物を依頼され、今日はその結果報告にと呼ばれてやってきた――のだが。
指定された場所がケイイチのようなド庶民には生涯縁のなさそうな高級マンションの高層階で、それだけでも緊張感が半端ないというのに、さらには出迎えてくれたのが恐ろしく美しいアンドロイドであった事で、ケイイチの緊張は臨界を突破した。
「ごめんなさいね。あの子、朝は弱くて」
ふかふかのソファに腰を沈め、ガチガチに固まるケイイチのすぐ斜め前で、やたら美しいアンドロイドが、申し訳なさそうな表情でそんな事を言う。
言いながら、透明感のある白い肌をしたその手が、優美かつ流麗な動作でカップに紅茶を注ぐ。その仕草がいちいち絵になっていて、ケイイチは思わず見とれてしまう。
この美しいアンドロイドは名をハルミといい、ナオのパートナーとして、彼女の生活や仕事などをサポートしているという。
なるほど確かにこのアンドロイドは――ケイイチのおたくデータベースによれば――家庭で家事など生活のサポートを担う事の多いタイプの機体だ。
なのだけど――
ケイイチがチラリと目線を送ると、ハルミはそれに応えるように小首を傾げ、にっこりと微笑んだ。
その笑顔が――あまりに愛らしすぎる。
マンションのこの部屋にたどり着いてから十数分ほどの間に、一体何度このハルミの仕草や表情にハートを打ち抜かれただろう。
これはヤバい。色々な何かがヤバい。
何なんだこの美人……じゃなくて、この美アンドロイド…………。
世には美しさにパラメータを振り切ったアンドロイドというのも数多くいて、それらは主にモデルだったりアイドルだったり、あとは大きな声で言えない類の愛玩用など、様々な分野で活躍している。
だが、そんな美しさに振り切ったアンドロイド達よりも、目の前にいるこのハルミという名のアンドロイドは、なぜだか美しく、可愛く、愛らしく感じられた。
――まったく意味がわからない。
彼女は別に最新鋭の機体というわけではない。というかむしろ古い。恐らく十年以上前の機体だ。
特別なパーツを使っている様子もなく、その世代ではスタンダードな構成。
そんな、普通すぎるほど普通なスペックのアンドロイドが、なぜだか美しく、愛らしい。
――本当に意味がわからない。
ケイイチはその秘密を解き明かさんと、チラチラとハルミに視線を送る。
いや、別にじっと見つめてもいいのだが、それをするにはハルミはあまりに美しすぎた。童貞力の高いケイイチがその姿を一定時間以上直視したなら、神々しさのあまり目が潰れてしまう。
一方のハルミは、ケイイチが何度も視線を送るものだから、
「私の顔になにかついてますか?」
と、不思議そうに小首を傾げている。
その姿がまたいちいち愛らしく、
「あ、いえ……すみません……綺麗すぎて……」
ケイイチは思わずそんな事を口走ってしまい、「あ……いや、えっと、何言ってるんだろ」と冷や汗をかきながら、頭を掻いた。
そんなケイイチの様子に、ハルミは「あらあら」と言いながら相変わらずの柔らかい笑顔で微笑む。
ああ……こんな時間が永遠に続いたらいいのに!
ケイイチがそんな付き合い始めのカップルみたいな事を考えながら脳内を花畑にしていると――
「うちの子口説かないでくれる?」
そんな言葉が奥の部屋から響き、その声を追いかけるように小柄な少女――ナオがとてとてと現れた。
元旦の時と同じオーバーサイズの白衣を雑に羽織り、中はドクロのイラストがプリントされた紫のTシャツに黒のショートパンツ。肩にかかる長い黒髪にはところどころ寝癖がついており、その全身が寝起きですが何か?と言っている。
「べ、別に口説いてたわけでは」
「口説いてた」
「いやだってこんな綺麗なアンドロイド見たら……」
「あらあら」
「あーキミそういう子だったね……」
社交辞令でも嬉しいですよ、的な柔らか笑顔のハルミと対照的に、ナオの表情には疲れたようなげんなりしたような色が混ざる。
しかし、そのげんなりした表情も長くは続かず、「まあでもハルミさんの良さが分かるのは有能」と、すぐにどこか満足げな様子に切り替わった。
コロコロ変化するナオの様子に、いまいちついて行けないケイイチ。
そんなケイイチの事はミジンコほども気にかける様子はなく、
「ごめんね待たせて」
と、ナオはマイペースに話を進めていく。
「ギンさんちょっと遅れるって」
「そう……なんですね」
ギンジ不在と聞いて、ケイイチの緊張が地味に増した。
何せ目の前にいるこの小さな年上の少女は、元旦に散々馬鹿だのクソガキだの散々に言われた相手だ。ケイイチを雇う事にも当初は強い口調で反対していたし、オンラインでのミーティングの時も散々に言われ放題だったし、心証はすこぶる悪いはず。そんな相手としばらく二人きりで話をしなくちゃいけないとか……それ何ていう針のむしろ?
「なんで緊張度増すの?」
「へ……?」
「心拍数上がってる」
「え、そんな事わかるんですか?」
「だってキミ開示民」
「……だからって見えるもの……ですか?」
開示民と呼ばれるプライベートを持たない人々であっても、プライベート情報を開示しているのはあくまでAIに対してだ。人間同士の間ではプライベートはきちんと守られる。人が他人の心拍数のような情報を見る事はできない……はずなのだけど。
あ、でも警察関係者だったらもしかしてその辺見たりできるのだろうか。捜査に必要そうだし。いやでもそれは特別な手続きが必要とかどこかで読んだような……とケイイチが疑いと不安の眼差しを向けていると、
「ちっ」
とナオが小さく舌打ちをして、
「嘘。単にセンサで監視してるだけ」
ペロっと小さく舌を出した。
その姿は、その小学生みたいな外見と相まってなんともかわいらしいが、この人のかわいいを素直に受け取ると痛い目を見る、というのは最初に会った時に学んだつもりだ。
だがしかし、かわいいものはかわいい。かわいいはいつ如何なる時代であっても揺るぎなき正義だ――けど、そんな事より今この人なんて言った? 監視、という言葉が聞こえたような――
「ボクみたいな可憐な乙女を前にしたら、四六時中えっちな事しか考えてない男子学生が理性を保てるわけがない。いつキミの中の野獣が目を覚ましてボクに狼藉を働こうとしてもいいように備えてるだけだから気にしなくていい」
「えぇ……」
知り合ってそれほど経っているわけでもないし、まるごと信頼されているとは思っていなかったが、人を犯罪者予備軍としか思ってないその扱いにケイイチは地味にショックを受けた。
「ハルミさんがこんな近い距離にいるの、もしかして……?」
「はい、もちろん安全確保のためですよ」
ハルミは、とても上品に、春の日差しのような穏やかさで、にこやかに頷いた。
何だろう、生きるのやめさせてもらっていいですか?
ケイイチが地味に凹むその一方で、ナオは
「キミみたいな子を家に入れるんだから当然の備え」
などと言って胸を張っている。
……なるほど、これ以上この話題を続けると、引き続き重ね重ね死にたくなりそうだ。ケイイチは悟り、
「……にしても、すごい家ですね」
とりあえず話題を逸らすことにした。
「そ?」
「ここはナオ……さんのご自宅、なんですよね」
「ん」
「あの、ご両親とかは……」
これだけの家だ。さぞや両親は凄い人なのだろう、と思いながらその所在を訊ねてみるが、
「いない」
ナオの返答はあっさりしたものだ。
「お仕事とかで外出中ですか?」
「じゃなくて、いない。死別」
「すすすみません」
「別に気にすることじゃない」
「ってことは一人暮らしですか?」
「ハルミさんがいる」
「ハルミさんとの二人暮らしですか」
「ん」
という事は……とケイイチは考える。
女性の家に訪問。
ハルミさんはいるけど年の近い女性と二人きり。
そんな重大イベントでが発生していることに気づいたケイイチの緊張が再び地味に高まった。
「また緊張度増した」
「いやあのええと」
しどろもどろになるケイイチに、
「めっ、ですよ?」
何をどう思ったのか、ハルミがその両手をケイイチの手の甲に重ね、じっと目を見てそんな事を言ってくる。
「……!?」
ままま待ってくださいハルミさん、身体的接触はヤバいです。
その上そんな風に愛らしい眼にじっと見つめられたら――こんな色々と免疫のない男子童貞という生き物はですね……。
ケイイチは大暴走しかける脳内を必死になだめ、理性さんを呼び出してどうにか心を落ち着かせる。
そして深呼吸を一つして、
「ははっ……嫌だな、僕がそんな事をすると思いますか」
なぜか紳士風な口調でそれだけ言うと、慌ててハルミの手を押し返した。
もちろんケイイチだって健全な男子だ。ナオ相手にそんな妄想を全くしなかったわけじゃない。
しかしこの可愛らしい見た目の曲者相手にそんな事をしたら社会的に何かしらヤバい事になるのは目に見えているし……というか自分が何かするとしたらむしろハルミさんのほうであって以下略
などと思うケイイチの心の声が表情に出ていたのかどうかは知らないが、
「なるほどボクよりハルミさんのほうが危ないな……」
横ではナオが「設定変えとこ」などとぶつぶつ言いながら何やらAR操作をしている。
直後、ケイイチの視界の中で、ハルミの横に「記録禁止」を表すアイコンがAR表示され、ケイイチに対してハルミを記録に残す事を禁じるローカルルールが設定された事が通知された。
「えっ……」
その通知に我に返るケイイチ。
慌てて自身の記録ライブラリを確認すると、ケイイチがここに来てから密やかに撮影していたハルミの写真や映像はものの見事に全て消去されていた。
「……んな殺生な!」
こんな美しいアンドロイドを目の前に、アンドロイドおたくに一切の記録を禁じるなど、これはまさしく鬼の所業。
ケイイチは恨みがましい視線をナオに送るが、ナオは涼しい顔でそれをいなしつつ「ま、そんな茶番はともかく」と言って一呼吸置き、
「で、どう?」
と小首を傾げてケイイチに訊ねた。
「どう、と言いますと……」
「宿題」
「あ……」
ナオの一言で、ようやく思い出す。
今日この場所に来たのは、他でもない。
アンドロイド破壊事件の調査のため、アンドロイドおたくの間に流通しているアンドロイドのハードウェアに関する情報のまとめを依頼されていたのだ。
「すすすみません! 今出します」
ケイイチは慌ててAR端末で資料を取り出し、ナオに渡す。
ナオはそれを受け取る動作をして――
「うわ……」
ナオの少しわかりにくい表情があからさまにドン引いていた。
「……?」
「キミは全力で組織の奴隷になりに行くタイプ?」
「はい?」
「資料の量がおかしい」
「そうですか? 必要なもの集めたらこれくらいになると思うんですけど」
「…………」
暴力的な容量の資料データを目の前に、これは何を言っても通じなそうだと察したナオは、小さく一つため息をつくと、資料を展開した。
何かの大きな画像や動画ファイルなどで容量を食っているだけで、実は中身はたいした事ない……みたいな展開に淡い期待を抱くも、それは即座に打ち砕かれる。
びっしりと並ぶ膨大な量の文字列に、見ただけで頭がクラクラする。
だが、読み始めてみると、その悪逆非道な第一印象に反して、資料としてはよくまとまっていた。
要点も適切にまとめてあって読みやすい。
有能なのか無能なのかまったくよく分からない子だな……。
そんな事を思いながら、ナオは資料を読み始めた。
読み進めながら、
「こういうのどこで調べるの?」
とケイイチに投げる。
「えと、ネットで色々と……」
「拾えなかった」
「あ、ええと、わりと閉じたところで情報流れてるので……。検索とかAIとかクローラの類だと拾えないかもです」
「ふーん」
「招待制なので、よかったら招待しますが……」
「後でお願い」
「わかりました」
「あと、一つ聞きたい」
「はい」
「こないだは何でまた新春早々、屋上からダイブしてたの?」
ナオは資料を読み進める目を止めないまま、今朝何食べた?くらいの軽い調子で、そんな事を訊いてきた。
「そう緊張なさらず」
ケイイチのすぐ近くで、鈴を転がすような柔らかい声が、そんな言葉を紡ぐ。
その美声を聞きながらケイイチは――
「そ、そう言われましても……」
ガッチガチに緊張していた。
ここは都心にほど近い高層マンションの一室。
ケイイチは一週間ほど前、ビルの屋上から飛び降り自殺しようとしたところを二人の警察関係者――ギンジとナオに助けられ、なぜかその場で捜査協力のアルバイトに勧誘された。
あれから何度かのオンラインでのやりとりを経て、二人からいくつかの調べ物を依頼され、今日はその結果報告にと呼ばれてやってきた――のだが。
指定された場所がケイイチのようなド庶民には生涯縁のなさそうな高級マンションの高層階で、それだけでも緊張感が半端ないというのに、さらには出迎えてくれたのが恐ろしく美しいアンドロイドであった事で、ケイイチの緊張は臨界を突破した。
「ごめんなさいね。あの子、朝は弱くて」
ふかふかのソファに腰を沈め、ガチガチに固まるケイイチのすぐ斜め前で、やたら美しいアンドロイドが、申し訳なさそうな表情でそんな事を言う。
言いながら、透明感のある白い肌をしたその手が、優美かつ流麗な動作でカップに紅茶を注ぐ。その仕草がいちいち絵になっていて、ケイイチは思わず見とれてしまう。
この美しいアンドロイドは名をハルミといい、ナオのパートナーとして、彼女の生活や仕事などをサポートしているという。
なるほど確かにこのアンドロイドは――ケイイチのおたくデータベースによれば――家庭で家事など生活のサポートを担う事の多いタイプの機体だ。
なのだけど――
ケイイチがチラリと目線を送ると、ハルミはそれに応えるように小首を傾げ、にっこりと微笑んだ。
その笑顔が――あまりに愛らしすぎる。
マンションのこの部屋にたどり着いてから十数分ほどの間に、一体何度このハルミの仕草や表情にハートを打ち抜かれただろう。
これはヤバい。色々な何かがヤバい。
何なんだこの美人……じゃなくて、この美アンドロイド…………。
世には美しさにパラメータを振り切ったアンドロイドというのも数多くいて、それらは主にモデルだったりアイドルだったり、あとは大きな声で言えない類の愛玩用など、様々な分野で活躍している。
だが、そんな美しさに振り切ったアンドロイド達よりも、目の前にいるこのハルミという名のアンドロイドは、なぜだか美しく、可愛く、愛らしく感じられた。
――まったく意味がわからない。
彼女は別に最新鋭の機体というわけではない。というかむしろ古い。恐らく十年以上前の機体だ。
特別なパーツを使っている様子もなく、その世代ではスタンダードな構成。
そんな、普通すぎるほど普通なスペックのアンドロイドが、なぜだか美しく、愛らしい。
――本当に意味がわからない。
ケイイチはその秘密を解き明かさんと、チラチラとハルミに視線を送る。
いや、別にじっと見つめてもいいのだが、それをするにはハルミはあまりに美しすぎた。童貞力の高いケイイチがその姿を一定時間以上直視したなら、神々しさのあまり目が潰れてしまう。
一方のハルミは、ケイイチが何度も視線を送るものだから、
「私の顔になにかついてますか?」
と、不思議そうに小首を傾げている。
その姿がまたいちいち愛らしく、
「あ、いえ……すみません……綺麗すぎて……」
ケイイチは思わずそんな事を口走ってしまい、「あ……いや、えっと、何言ってるんだろ」と冷や汗をかきながら、頭を掻いた。
そんなケイイチの様子に、ハルミは「あらあら」と言いながら相変わらずの柔らかい笑顔で微笑む。
ああ……こんな時間が永遠に続いたらいいのに!
ケイイチがそんな付き合い始めのカップルみたいな事を考えながら脳内を花畑にしていると――
「うちの子口説かないでくれる?」
そんな言葉が奥の部屋から響き、その声を追いかけるように小柄な少女――ナオがとてとてと現れた。
元旦の時と同じオーバーサイズの白衣を雑に羽織り、中はドクロのイラストがプリントされた紫のTシャツに黒のショートパンツ。肩にかかる長い黒髪にはところどころ寝癖がついており、その全身が寝起きですが何か?と言っている。
「べ、別に口説いてたわけでは」
「口説いてた」
「いやだってこんな綺麗なアンドロイド見たら……」
「あらあら」
「あーキミそういう子だったね……」
社交辞令でも嬉しいですよ、的な柔らか笑顔のハルミと対照的に、ナオの表情には疲れたようなげんなりしたような色が混ざる。
しかし、そのげんなりした表情も長くは続かず、「まあでもハルミさんの良さが分かるのは有能」と、すぐにどこか満足げな様子に切り替わった。
コロコロ変化するナオの様子に、いまいちついて行けないケイイチ。
そんなケイイチの事はミジンコほども気にかける様子はなく、
「ごめんね待たせて」
と、ナオはマイペースに話を進めていく。
「ギンさんちょっと遅れるって」
「そう……なんですね」
ギンジ不在と聞いて、ケイイチの緊張が地味に増した。
何せ目の前にいるこの小さな年上の少女は、元旦に散々馬鹿だのクソガキだの散々に言われた相手だ。ケイイチを雇う事にも当初は強い口調で反対していたし、オンラインでのミーティングの時も散々に言われ放題だったし、心証はすこぶる悪いはず。そんな相手としばらく二人きりで話をしなくちゃいけないとか……それ何ていう針のむしろ?
「なんで緊張度増すの?」
「へ……?」
「心拍数上がってる」
「え、そんな事わかるんですか?」
「だってキミ開示民」
「……だからって見えるもの……ですか?」
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あ、でも警察関係者だったらもしかしてその辺見たりできるのだろうか。捜査に必要そうだし。いやでもそれは特別な手続きが必要とかどこかで読んだような……とケイイチが疑いと不安の眼差しを向けていると、
「ちっ」
とナオが小さく舌打ちをして、
「嘘。単にセンサで監視してるだけ」
ペロっと小さく舌を出した。
その姿は、その小学生みたいな外見と相まってなんともかわいらしいが、この人のかわいいを素直に受け取ると痛い目を見る、というのは最初に会った時に学んだつもりだ。
だがしかし、かわいいものはかわいい。かわいいはいつ如何なる時代であっても揺るぎなき正義だ――けど、そんな事より今この人なんて言った? 監視、という言葉が聞こえたような――
「ボクみたいな可憐な乙女を前にしたら、四六時中えっちな事しか考えてない男子学生が理性を保てるわけがない。いつキミの中の野獣が目を覚ましてボクに狼藉を働こうとしてもいいように備えてるだけだから気にしなくていい」
「えぇ……」
知り合ってそれほど経っているわけでもないし、まるごと信頼されているとは思っていなかったが、人を犯罪者予備軍としか思ってないその扱いにケイイチは地味にショックを受けた。
「ハルミさんがこんな近い距離にいるの、もしかして……?」
「はい、もちろん安全確保のためですよ」
ハルミは、とても上品に、春の日差しのような穏やかさで、にこやかに頷いた。
何だろう、生きるのやめさせてもらっていいですか?
ケイイチが地味に凹むその一方で、ナオは
「キミみたいな子を家に入れるんだから当然の備え」
などと言って胸を張っている。
……なるほど、これ以上この話題を続けると、引き続き重ね重ね死にたくなりそうだ。ケイイチは悟り、
「……にしても、すごい家ですね」
とりあえず話題を逸らすことにした。
「そ?」
「ここはナオ……さんのご自宅、なんですよね」
「ん」
「あの、ご両親とかは……」
これだけの家だ。さぞや両親は凄い人なのだろう、と思いながらその所在を訊ねてみるが、
「いない」
ナオの返答はあっさりしたものだ。
「お仕事とかで外出中ですか?」
「じゃなくて、いない。死別」
「すすすみません」
「別に気にすることじゃない」
「ってことは一人暮らしですか?」
「ハルミさんがいる」
「ハルミさんとの二人暮らしですか」
「ん」
という事は……とケイイチは考える。
女性の家に訪問。
ハルミさんはいるけど年の近い女性と二人きり。
そんな重大イベントでが発生していることに気づいたケイイチの緊張が再び地味に高まった。
「また緊張度増した」
「いやあのええと」
しどろもどろになるケイイチに、
「めっ、ですよ?」
何をどう思ったのか、ハルミがその両手をケイイチの手の甲に重ね、じっと目を見てそんな事を言ってくる。
「……!?」
ままま待ってくださいハルミさん、身体的接触はヤバいです。
その上そんな風に愛らしい眼にじっと見つめられたら――こんな色々と免疫のない男子童貞という生き物はですね……。
ケイイチは大暴走しかける脳内を必死になだめ、理性さんを呼び出してどうにか心を落ち着かせる。
そして深呼吸を一つして、
「ははっ……嫌だな、僕がそんな事をすると思いますか」
なぜか紳士風な口調でそれだけ言うと、慌ててハルミの手を押し返した。
もちろんケイイチだって健全な男子だ。ナオ相手にそんな妄想を全くしなかったわけじゃない。
しかしこの可愛らしい見た目の曲者相手にそんな事をしたら社会的に何かしらヤバい事になるのは目に見えているし……というか自分が何かするとしたらむしろハルミさんのほうであって以下略
などと思うケイイチの心の声が表情に出ていたのかどうかは知らないが、
「なるほどボクよりハルミさんのほうが危ないな……」
横ではナオが「設定変えとこ」などとぶつぶつ言いながら何やらAR操作をしている。
直後、ケイイチの視界の中で、ハルミの横に「記録禁止」を表すアイコンがAR表示され、ケイイチに対してハルミを記録に残す事を禁じるローカルルールが設定された事が通知された。
「えっ……」
その通知に我に返るケイイチ。
慌てて自身の記録ライブラリを確認すると、ケイイチがここに来てから密やかに撮影していたハルミの写真や映像はものの見事に全て消去されていた。
「……んな殺生な!」
こんな美しいアンドロイドを目の前に、アンドロイドおたくに一切の記録を禁じるなど、これはまさしく鬼の所業。
ケイイチは恨みがましい視線をナオに送るが、ナオは涼しい顔でそれをいなしつつ「ま、そんな茶番はともかく」と言って一呼吸置き、
「で、どう?」
と小首を傾げてケイイチに訊ねた。
「どう、と言いますと……」
「宿題」
「あ……」
ナオの一言で、ようやく思い出す。
今日この場所に来たのは、他でもない。
アンドロイド破壊事件の調査のため、アンドロイドおたくの間に流通しているアンドロイドのハードウェアに関する情報のまとめを依頼されていたのだ。
「すすすみません! 今出します」
ケイイチは慌ててAR端末で資料を取り出し、ナオに渡す。
ナオはそれを受け取る動作をして――
「うわ……」
ナオの少しわかりにくい表情があからさまにドン引いていた。
「……?」
「キミは全力で組織の奴隷になりに行くタイプ?」
「はい?」
「資料の量がおかしい」
「そうですか? 必要なもの集めたらこれくらいになると思うんですけど」
「…………」
暴力的な容量の資料データを目の前に、これは何を言っても通じなそうだと察したナオは、小さく一つため息をつくと、資料を展開した。
何かの大きな画像や動画ファイルなどで容量を食っているだけで、実は中身はたいした事ない……みたいな展開に淡い期待を抱くも、それは即座に打ち砕かれる。
びっしりと並ぶ膨大な量の文字列に、見ただけで頭がクラクラする。
だが、読み始めてみると、その悪逆非道な第一印象に反して、資料としてはよくまとまっていた。
要点も適切にまとめてあって読みやすい。
有能なのか無能なのかまったくよく分からない子だな……。
そんな事を思いながら、ナオは資料を読み始めた。
読み進めながら、
「こういうのどこで調べるの?」
とケイイチに投げる。
「えと、ネットで色々と……」
「拾えなかった」
「あ、ええと、わりと閉じたところで情報流れてるので……。検索とかAIとかクローラの類だと拾えないかもです」
「ふーん」
「招待制なので、よかったら招待しますが……」
「後でお願い」
「わかりました」
「あと、一つ聞きたい」
「はい」
「こないだは何でまた新春早々、屋上からダイブしてたの?」
ナオは資料を読み進める目を止めないまま、今朝何食べた?くらいの軽い調子で、そんな事を訊いてきた。
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