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第五章 異世界帰りの傭兵は現実世界でも無双するようです

第44話:異世界帰りの傭兵は現実世界でも無双するようです・5

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【4/2 18:07】

 夕焼けが一日の終わりを告げる時間。平たい砂浜は真っ赤に染まっている。
 白いクーペは海沿いの緩いカーブを走る。ゆったりとアクセルを踏む涼の隣で、穏乃は頬に手を付いて窓の外を眺めていた。森からタワーマンションに帰る気も起きず、何となくふらふらとドライブしていたらもうこんな時間だ。勝利の凱旋からは程遠い。落ち着かない気持ちを誤魔化すために彷徨っているだけ。
 退却が最優先だったとはいえ、四人の生死を確認していないのは不安要素だ。龍魅だけは確実に死んだが、他の三人はわからない。願わくば死んでいてほしいと思う。もう手の内を明かしていて戦いにくいというのもあるし、一度殺したつもりの相手をもう一度殺すのは精神的にもしんどい。
 あくまでも優先順位なのだ。涼と穏乃は恋人と一緒の異世界転移を最優先に行動するというだけで、それより下位の事柄は他にいくらでもある。その中には、他人の幸福を願う気持ちも子供の成長を祈る気持ちもある。できるなら全ての希望を叶えたいが、衝突してしまうのであれば二位以下は切り捨てるしかない。

「僕たちはナチュラルボーンキラーズじゃない……」
「当たり前でしょ」

 涼が穏乃と出会ったのは大学に入学してすぐのことだ。
 誰の目でも引く美人だが誰にでも態度が冷たい穏乃は大学ではっきり浮いていた。何事にも優先順位を決めていて、他人にも一切媚びず高い理想を要求する。きつい性格に見合うだけの成果もあり、一目置かれていると同時に疎まれてもいた。
 だが、決して何でもそつなく簡単にこなしているわけではない。最初は好奇心から観察していた涼はすぐそれに気が付いた。穏乃は理想が高い割には抱え込む、極度に不器用な努力家だ。グループワークでは一人で図書館に何度も通って資料を作っていた。皆で協力して適当に済ませれば三時間で終わることを一人で何日もかける。
 放っておけなくなった涼が声をかけて手伝い、それからは何となく一緒にいることが増えた。一見したときの印象とは異なり、穏乃は精神的にかなり不安定な人間だ。表では凛と振る舞っているだけで、私生活はほとんど崩壊している。そういう融通が効かないところは涼がフォローすることに決めた。
 交際を始めてからも穏乃が態度を軟化させることはなかった。どこで会っても不愛想な表情を崩さない。しかし適当なところで課題を切り上げ、図書館の入り口で涼を待つようになった。
 優先順位は確実に変わっているのだ。穏乃は好意を態度ではなく行動で示すタイプというだけ。

「!」

 車全体にガンと強い衝撃が走り、甘い思い出を中断した。ぶつけたのではない。ぶつけられている。
 黒い軽自動車が斜め後ろから追突してきていた。衝突したにも関わらず全く速度を下げる様子がない。明らかに意図的なものだ。ガンガンと執拗にぶつけ続け、二台まとめて反対車線にまで乗り出した。砂浜に向けて押し出そうとしている。

「どうする?」
「爆破すればいいんじゃない」
「そうだね」

 涼はアクセルを踏んだまま運転席のドアを開ける。穏乃の手を取り、身体を抱き寄せて車外に二人で飛び出した。
 『無敵インビンシブル』発動、次いで『爆発エクスプロージョン』発動。白い球状の爆発域が展開する。二人の身体がガードレールを超えて宙に投げ出された。防波堤を転がって下の砂浜まで落ちていくが、『無敵インビンシブル』のおかげでダメージはない。
 『爆発エクスプロージョン』の直撃を受けたクーペは砂浜に逆さに突き刺さり、ほとんど融解して黒いフレームと化していた。
 一方、軽自動車は無傷だ。舗装壁に衝突しているが、ギリギリで爆発圏内から逃れて止まっている。道路に急ブレーキを示す黒いタイヤ痕が刻まれている。
 軽自動車のドアが開き、何かが涼の顔面に向かって素早く飛んできた。『無敵インビンシブル』によって涼の身体を通り抜け、背後の砂浜に突き刺さったのは一本の矢だ。

「へえ、物理的には透過するんですね。わたくしも無敵系のスキルはいくつか見てきましたが、あなたの場合はそもそも干渉を受け付けないタイプだと」

 ドアから出てきた長身の女性は美しき狩人だった。
 髪を一つに結び、裾が長い灰色のコートが靡いている。その下には艶のない黒い長ズボンを着用し、長い脚がよく映えていた。
 右腕には銀色に光る小型のクロスボウを装備している。クロスボウは装備したままでも両手が自由に使えるよう、腕にベルトで巻き付けて固定されていた。

「ああ、異世界帰りの姫裏くんとは君のことか。何の用かな」
「狩りに来ました。恨みは特にありませんが、灯さんとの契約に基づいてあなたたちを殺害します」

 姫裏は足元に手を伸ばす。太ももに固定した矢筒から小型の矢を取り出し、片手でクロスボウに再装填する。

「それは狩猟武器だろう? 君はチート能力で戦うわけではないのかな」
「別にチート能力しか使っちゃいけない決まりはありませんからね。銃の方が楽ですが、人を殺すくらいならこれで十分です」
「異世界帰りなら魔法か何かでも使うのかと思っていたけども」
「それも使えれば楽だったんですが、酸素の無い世界で炎は燃えないのと同じです。ま、どうせ人間種族なんて魔法も物理も耐久は紙ペラですから大した違いはありませんよ」
「双子たちは誘拐してきたの?」

 穏乃が軽自動車を指さして声を上げた。後部座席には霰と霙が俯いて座っている。その表情は暗く、こうしている姫裏たちに目を向ける様子もない。

「人聞きが悪いですね。灯さんからこの子たちの身柄とチート能力『建築ビルド』を託されました。他の全員を殺すのも双子たちの身の安全のためです」

 姫裏が足で地面を叩いて軽く鳴らすと、道路のコンクリートが一気に盛り上がった。軽自動車を囲って即席の檻が展開する。それでもやはり双子が反応することはない。

「気分が悪いわ。それがあなたの『建築ビルド』の使い方ってわけ? 小さい子供を檻に閉じ込めて楽しい? 次はあなたが保護者気取り?」
「楽しくはありませんが、安全を確保するためです。双子を危険に晒すわけにはいきません」
「灯くんはどうした?」
「死にました」
「君が殺したのか? 契約相手を?」
「言いたくありません。それは契約外の事情です」
「撫子くんと切華くんは?」
「そっちは全然生きてますよ。あなたたちの襲撃は失敗しています。ま、どうせそっちもわたくしが狩るので気にしなくていいですが」

 姫裏が地面を蹴った。道路から飛び出し、切り立った崖を縦に走る。
 それは急斜面どころではなかった。角度が七十度近くもある、ほとんど垂直な壁面をしっかり踏みしめて凄まじいスピードで駆け下りてくる。
 無防備な姫裏の接近に涼は逡巡する。飛び道具を持ち出してくるあたり遠距離戦を挑んでくるのかと思っていたが、接近戦を選ぶ理由がわからない。こちらの能力を知らないわけでもないだろう。
 考えている間にも姫裏は止まらない。崖を駆け下りた勢いのまま、砂浜を駆けて猛進してくる。姫裏が十メートル圏内に入ったことを確認し、涼は穏乃に呼び掛ける。

「穏乃!」
「ええ」

 『爆発エクスプロージョン』が起動する。目も眩む激しい閃光が砂浜を包んだ。大気が燃え上がり、砂がガラス化しながら吹き飛んでいく。真紅の夕焼けを反射する煌めきが血しぶきのように舞った。
 涼は勝利を確信する。概念レベルで耐久に特化したチート能力でも持っていない限り、爆発の直撃を耐えられる者は存在しない。誰であっても確実に殺すから心中チート能力なのだ。
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